第4話 星の軌跡
「たまたま、なんじゃないの」
二度目に会ったアリスは、目を伏せてそう言った。
「たまたま私だっただけで、あなたは結局、誰でもよかったんじゃないのかって、思う」
そして、また彼は、何も言えることがないのだった。二人の時間は、ロイの言葉を真実にするには、あまりにも短かった。
「あなたの言うことを、信じたいとは思う。けれど、人間ってそんなにドラマチックに出来てないんじゃない?あなたは、どうして私を好きになったの?」
アリスは待った。彼女が待ってくれることに、ロイは胸を痛めた。だから、考えがまとまらなくても、言葉を紡ごうとした。
「傲慢なことを言うと、僕は君を救いたいと思ったんだ」
言いながら、違う、と思った。救われたいのは自分の方だ。
「救う?」
「君は、とても優しくて、素敵な人だと思う。けれど、誰かを信じきって何かをぶつけることが出来ないような気がしたんだ。僕は、ありのままの君を受け止めたいと思った」
「私のこと、何も知らないくせに」
「うん。だけど、君となら、僕は何かを信じられそうな気がしたんだ。僕はきっと、それが欲しくて、こんなところまで来たんだと思う。そして、これから火星にまで行ってしまうんだと思う」
アリスはロイの目をまっすぐに見た。ロイは、今だけは目が揺れないでほしいと思った。全てを真実にしたい。どんなロマンチックなことでも、今ここでだけは夢でなく、現実であってほしい。
「絶対に信じられるものなんて、ないと思う」
「僕もそう思う。だから、君とそれをつくりたいんだ。見つけるんじゃなくて、いっしょに、それを生み出したいと思ったんだ。だから僕は火星に行く。君を愛し、信じているということを証明するために」
アリスは悲しそうに笑った。ロイも、自分がおかしなことを言っていることに気づいていた。それでも、それを信じたかった。
「私をあなたの傲慢な実験に使わないで。あなたはやっぱり、自分のことしか考えてないのね」
「……そうかもしれない。僕は結局、君を利用しようとしているに過ぎないのかもしれない。だから、誰とも関わるべきじゃないんだ。それでも、僕は弱いから、誰かを求めてしまう」
「ダメな人」
「自分でもそう思う」
「誰でもいいんだ」
「違う、君じゃないとダメだ」
「信じられない」
「君となら、絶対を信じられると、思ったんだよ」
宇宙みたいな沈黙が二人を包み込んだ。その中で、ロイは彼女の怒りと、悲しみと、そして愛を聴いていた。
自分の言葉は間違っていた。救いたい、なんて、そんな言い方をするべきではなかった。
今自分の胸の内にあるのは、何かもっと素敵なもののはずなのに、言葉にしてしまうと、それは陳腐で、傲慢で、嘘くさいものになってしまう。それが憎かった。できれば何も言いたくなかった。けれどそれでは、繋がることができない。
そうだろうか?目を合わせ、手を取って、抱きしめれば、全てが伝わるのではないか。わからない。自分はきっと、ずっと、怖がっているのだろう。誰かに理解されないことを。だからできるだけ、人と関わらないように、逃げ続けてきた。
しかし理解など、本当に必要なのか?他人を完全に理解することなど不可能だ。それがわかっているのに、どうしてそんなものを求めてしまうのだろう。誤解され、歪められても、自分はここにいるではないか。
きっと、そうだ、自分は、自分がどこにいるのかわからないから、そんな歪曲が怖いのだろう。地を離れ、わけもなく自ら遠くを目指したのに、地に足をついていない不安に飲み込まれそうになっている。
還る場所が欲しかった。この宇宙の中で、見上げればいつもそこにある、不動の太陽のような。そんな神様みたいなものを誰かに求めるのは、やはり許されないことなのだろうか。
違う。そんなものではない。思考に歪められてはいけない。自分の心が感じているのは、ただ彼女を求める、その笑顔を、その幸福を共に感じたいと願う、そんな、意図のない想いのはずなのに。
考えるほど、真実から遠ざかる。理由付けできるようなものではないのに。心の声は、現実という批評に耐えられなくなる。それでも、ここにあるものは、本物なんだと叫びたかった。
「ごめん、僕の言ったことは、間違いだった」
「間違い?」
「君を救いたいとか、利用しようとしているとか、なんだかわけのわからないことを言ったけど、そうじゃない」
アリスの大きな瞳だけを見て、ロイは言葉を続けた。
「僕はただ、どうしようもなく君が好きなんだ。一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に怖がりながら、一緒に生きたいんだ。理由は、わからない。きっと、そんなものないんだと思う。ただ、どうしようもなく、僕の心が君を求めているんだ。どうして君なのか、それもわからない。この想いは、僕に制御できるものではないんだ。確かに、僕は君のことを何も知らないかもしれない。でも、そんなこと問題じゃないんだよ。それは理解や時間を越えたものなんだ。うまく説明できなくてごめん。ただ信じてほしい。僕が君を愛しているということを。理解できないかもしれないけれど、君はそれを信じるという選択もできるし、信じないという選択もできる。君は自由で、僕も自由だ。けれど、僕の中では、僕が君を愛しているということは、確かな事実なんだ。それが、僕の世界だ」
それから、二人はしばらくの間、何も言わずに見つめあっていた。やがて、アリスは呆れたようにふっと笑った。すると、何かが崩壊するようにその笑いは広がっていき、最後には腹を抱えて笑うことになった。
「大丈夫?」
「大丈夫なわけ、ないでしょ。もう、わけわかんないよ。ねえ、ロイ、あなたは本当に……」
「本当に?」
アリスは笑い過ぎて溢れた涙をぬぐいながらロイを見つめた。
「本当に、子供みたいなんだから」
「……ごめん」
「でも、それがあなたのいいところなのかも、しれないね」
「わかんないよ、どうしたらいいのか」
「どうにもできないよ、いまさら」
拗ねたように俯くロイを見て、アリスは軽やかに笑った。さっきまでの重苦しい空気は、どこかへ流れ去っていた。
「あなたの世界のことは、信じてあげる。けれど、私は私の世界を生きているからね。そのことを、あなたは理解しないといけない」
「うん」
「私はこの世界を楽しみたいの。あなたがどこか遠くで私を想って頑張っているからって、遠慮して粛々と過ごしたりしない。わかる?」
「うん」
「素敵な出会いがあったら私はそのチャンスを逃すつもりはないし、楽しいことをみつけたら全力で飛び込みたい。私は、あなたに何も約束しないから」
「それが、正しいと思う」
「うん、あなたならそう言うと思った。けれど、もっと自信を持ちなさいよ。信じてっていうのなら、もっと欲張りなさい。どこにもいかないで、君がいなきゃダメなんだって。そんなんじゃ、私はすぐにどこかへ飛んで行ってしまうよ。私はね、そんなに安くないの。前金もなしにキープしておけるような女じゃない」
「でも、君がこの世界を楽しむことを止める権利はないよ」
「そう、そんな権利は誰にもない。私は私の世界を生きている。けどね、スタンスの問題よ。あなたがたとえ、私を縛りつけるようなことを言ったとしても、私はこの世界を自由に楽しむ。けれどあなたは私を求めているんだから、そう言わないといけないと思うの」
ロイが悲しそうな表情をするのを見て、アリスはなんだか楽しくなってきたようだった。
「そんな顔しないの。あなたは自分を信じろって言うくせに、私のことは全然信じようとしないのね」
「ごめんなさい」
「本当に、子供みたいで、夢見たいな人。けれど、これから全部、本当にしていくんでしょ?」
「うん。全部。本当にする」
「なら前だけ向いて、自分にできることを全力でやりなさい。あなたにできることを。あなたにしかできないことを。その先に私がいるのかどうかは、そこへ行くまでわからない。けれどそこまで行かないと、絶対私には会えないよ。わかった?」
「どれだけ遠くへ行っても、僕は君を想うよ」
「火星との通信誤差は四分二十七秒。あなたがあっちへ行けば、私たちはいつも四分二十七秒ずれた世界を生きるわけ」
「けれど僕の想いは光速を越えて、いつだって君のそばで君を想っている」
「言うのは簡単。だから証明してみせて。楽しみにしてる」
「わかった」
それ以上、もう何も言うべきことはなかった。あとは行動し、生活し、世界を紡いでいく。
言葉は手段に過ぎない。愛というものが本当にあったとしても、それは言葉を越えたものだろうから、それだけで、全てを伝えられるはずがなかった。
それは、その人が生きていく中で、自然と滲み出すもので、その軌跡が描くものなのだろうから。
星の軌跡 ぬーの @makonasu
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