第6幕 秘密の稽古
(1)
十一月。「京都インターナショナル映画祭」が開催された。
結局、ラックス問題は、50億円の和解金を竹松が支払う事で収まった。
京都都座で財界、芸能人などを招いてオープニング上映された。
上映された映画は、すでに公開の「カブク」と蹴上天皇監督の「ライト男」第五十九作最新作「京都の初恋成就」だった。
照明センタースポットマンのウシオが全国の劇場、芝居小屋を回りながら、恋をして破れる人情喜劇映画。
京都を舞台にしたのはこれで三回目だった。
京都都座の舞台、センタースポット室、幕袖、花道、鳥屋口、奈落、スノコ、屋上の社、客席、ロビーなど都座をくまなく撮影していた。
さらに四条大橋、祇園、八坂神社、北野天満宮、など京都の名所も撮影されていた。
一般には、十二月に全国公開される。
映画祭の会場は都座、東山会館、同志社学生会館などだった。
大学映画サークルが作った映画、海外の大学からも参加した。
夕方からは、三条大橋と四条大橋の間で、3D映画が上映された。
最新機器で、スクリーン幕なしで上映出来るのだ。
さらに竹松、西映京都撮影所では、バックステージ撮影、四条河原町繁華街でも撮影が行われた。
京都の劇場、会館だけでなく町全体を「お祭り」会場にしていた。
この辺の手腕は、さすがだった。
今回もライト男は、デジタルからわざわざ、フィルムに焼き直しての特別バージョンだった。
現在の映画は、くっきり、はっきり鮮明なデジタル映画だが、蹴上は、これを嫌っていた。
今回もフィルムの質感にこだわり、デジタルでなかった。
もっともこれは今回だけで全国公開の時は、デジタルである。
と云うのも、今や竹松に限らず全国のシネコンはデジタルで、アルバイト係がスイッチぽんと押すだけで、映写技師を必要としてなかったからだ。
上映後、白川は蹴上と向かいの菊水のレストランに入った。
「衣笠さんと会いましたよ」
白川が話し出した。
「元気にしてましたか」
元々衣笠は、映画プロデューサーだったが、和夫の反感を買って今では銀座竹松駐車場で働いている。
「ええ、元気でしたよ」
「彼は優秀なプロデューサーですよ」
「それにしても、酷い話ですね」
「和夫は、嫉妬深いんですよ」
「いい奴なんですけどね」
「白川さんは、確か同期でしたよね」
「そうです」
「このまま放置すれば、次期社長ですね」
この時、思わず、
(そんな事させません)と口から出かかった。
しかし、ここはぐっと堪えた。
「ライト男、本当は今作でやめるつもりでした」
「そうなんですか」
「私もウシオ役の宇多野も疲れました」
「五九作でしたか」
シリーズ映画最長記録としてギネスブックにも認定された。
ハリウッド映画として焼き直しで来年辺り、公開されるようだ。
「でも止められました。止めたのは和夫の父、東山副社長です」
「お付き合い長いんですよね」
「ええ、長いです。彼は竹松の社内ではよい事と悪い事両方やって来ましたね」
蹴上は、冷静に見つめていた。
「良い事は、云うまでもなくシネコン展開を西宝、西映よりも早く仕掛けた事です。あとはネットテレビへの進出ですよ」
「悪い事は」
白川は答えはわかっていたが、蹴上天皇の口から聞きたくて、尋ねた。
「これも云うまでもなく、横浜映画パークをやった事です」
これは、他の役員、組合の反対を押し切ってやった。
当初の一年だけ黒字だった。
ライト男の撮影セットなどが人気だったが、それだけではリピーターは来ないのだ。
それに東京ディズニーランド、大阪のUSJなど、外資の大型投資とメジャーなテーマパークの中では、やはり見劣りがしてしょぼかった。
竹松としては、一日も早く撤収をしたかったが、東山が副社長でいる限り、無理なようだ。
「でもね、白川さん」
ここで蹴上は言葉を区切った。
「彼の最大の失策は、和夫をあそこまで野放しにした事なんですよ」
「それは、わかります」
「東山副社長が隠居したら、和夫が映画部門のトップになります。当然ライト男にも一枚噛んで来るでしょう。それが嫌で、やめるんです」
「そこだったんですね」
蹴上は大きくうなづいた。
蹴上と和夫の間には、東山守副社長の大きな防波堤が、今はあるのだ。この防波堤がある限り「和夫津波」はやって来ない。
和夫は、現在専務取締役である。
来年辺り、副社長に就任する噂も出ていた。
「竹松は、和夫がんに侵されている。私に云わせれば、もはや末期がんなんです。このまま和夫がん野放しにすれば、竹松潰れますよ」
これは社員の中でも最近噂されていた。
同じフレーズでも蹴上の口から聞くと、やはり重い。とてつもなく重いと思った。
「白川さん、頑張って下さい」
まるで、こころの奥底を見通されているようで、何だか居心地がよくなかった白川だった。
映画祭が盛況のうちに幕を閉じた。
すっかり、京都の秋の風物詩として定着しようとしていた。
京都は狭い地域に有名な大学と寺社が集まっていた。
さらに竹松、西映二つの大手映画撮影所がある。
これらを上手く融合して行く和夫の手腕は光っていた。
さらにネットでの同時発信が世界での評価をあげた。
一昔前なら、テレビ・映画・書籍だった。
しかし、今はネットだった。
(ネットで、映画も駄目になる)と盛んに云われて行く中での、逆にそれを活用する方向に持って行く和夫の先見の明にも軍配があった。
(映画作りよりも、プロデューサー業が向いている)
と白川は思った。
十一月の下旬、龍二は、白川別邸から箱根に新築した家に移った。
「いつまでも、白川さんの世話になるわけにはいかない」
と口癖のように云っていた。
放火で全焼した世田谷の家は更地のままだった。
そこを売却して、箱根に家を買った。
六〇坪でそんなに広くない。
「老人の余生を送るには、これぐらいがいい」
と云っていた。
再び、別邸は、静けさを取り戻した。
桜子の茶道教室は続いていた。
嵐山から電話があった。
「役員会議をやろうと思う」
「いよいよですね」
「ああ、十二月十四日だ」
定例会議なので、別段怪しまれない。
「で、連獅子を確実に谷底に突き落とすためには、稽古やろうと思う」
「それはいいですね。いつ、私は上京したらいいですか」
「いや、東京ではなくて京都でやろうと思う」
「京都ですか」
「下旬から披露顔見世の稽古が始まるだろう」
十一月二十五日まねき上げ。
その翌日から、ロビー稽古、舞台稽古と続いて十一月三十日初日を迎える。
毎年嵐山は初日を観劇して、その夜は祇園で事務所の人間を招いてのお疲れ様会を開いていた。
顔見世では、蹴上が初の舞台演出をする。
嵐山も白川も、そこで東山親子が見に来るのではないかと危惧した。
しかし、二人とも映画祭の後の色々な処理で忙しく来ないとわかった。
だから嵐山は、京都での稽古を発案して来た。
「お前の別邸使わしてくれ」
「わかりました」
「それとお手伝いの桜子は外せ」
「じゃあ、龍二さんとこの箱根へ行かせましょう」
「それがいいな。それと俺も泊めてくれ」
「いいですよ」
そこで白川は思わず小さく笑った。
「何がおかしい」
「だって、何だか泊まって稽古するなんて、学生時代の合宿のようですから」
「確かにな。じゃあな」
十一月も中旬を過ぎると一気に身体に感じる風が「心地よさ」から「寒気」に顔を急変させる。
自然の顔は、人の営み、こころの中とは無関係に確実に変わって行く。
いよいよ、京都にも長い冬の到来を告げようとしていた。
白川は四条大橋を渡りながら、街灯に白いユリカモメを見つけた。
鴨川とユリカモメを見ると「冬」の到来ともう一つの到来を感じる。それは披露顔見世歌舞伎興行だった。
顔見世と冠がつく興行は、現在では、東京、名古屋、京都の三都市で行われていた。
その中でも京都の顔見世は、その歴史と伝統と華やかさで、他の都市を凌駕していた。
白川と蹴上は、監事室で蹴上の舞台稽古を見ていた。
客席後方に作られた小部屋である。
ここで監事室係は、毎日芝居が稽古通り進行して行くか見守っている。何かあれば誰よりも早く、舞台に駈け付けないといけない。
「蹴上は、やっぱり映画監督だな」
嵐山がつぶやく。
その内容は、白川もわかっていた。
それは、舞台の登場人物で、台詞を終えるとその人物だけ消して欲しいと照明に注文をつけた。
映画なら、編集で何とでもなる。しかし、生の舞台では出来ない。
照明プランナーの笠置明夫も困っていた。
見るに見かねて、嵐山は、監事室を出ると舞台に向かい、蹴上の前まで行った。
「蹴上監督、そこは(消し幕)でやりましょう」
「何ですか、消し幕って?」
映画一筋なので、歌舞伎の演出を知らなかった。
歌舞伎では、例えば人が舞台で死ぬと、黒子が黒い小さな幕を持って現る。
その黒幕の中に入るとすたすたと一緒に歩いて帰る。
黒子も消し幕も見えているけれども、「見えない」お約束なのだ。
古典でありながら、時々、シュールな演出が顔を覗かせる。
そこが歌舞伎の面白い一面でもあった。
「それ面白いですねえ。それで行きましょう」
嵐山から説明を受けた蹴上は、大いに気にいっていた。
早速、消し幕が用意された。
客席には、太秦常務取締役もいた。
今回、東山副社長、和夫専務が来れないので、その代理で来ていた。
太秦は、今回自ら京都行を名乗り出た。
もちろん、「連獅子」作戦の稽古参加の任務もあったからだ。
これなら堂々と疑いもかけられずに、都座に行けた。
嵐山は、舞台を降りて客席通路で、太秦に視線をやった。
太秦は、目で了解を唱えた。
昼ご飯は、三人で都座隣りの「松葉」でにしんそばとかやくご飯を食べた。
にしんが一匹丸ごと入っていた。器からしっぽがはみ出るくらい大きかった。
「連獅子はどうなの」
「連獅子は、ご機嫌でした」
「映画祭が大成功したからだろう」
「そうです」
京都は狭い街である。
どこで誰が聞いているのかもしれない。
だから嵐山は、符牒を使った。決して東山親子とは云わなかった。
この件に関して、「メールは使わない」「文書に残さない」「外での会話は(連獅子)と云う」これらを東山親子を除く役員に通達していた。
(2)
その日の夕刻、役員が集まった。
不動産・管理部門の岩倉、百万遍二人の役員は昼間、京都新京極での竹松所有する元・映画館跡地にホテルを建てる案件でアップルホテルの役員と実地見学、会議に出ていた。
これなら、何の疑いも抱かずに京都に来れる。
箱根から、父親龍二の面倒を見ていた、清水利之も来た。
こうして六人が会議以外の、それも東京ではなくて京都で勢ぞろいは久し振りだった。
「皆、ご苦労さん」
嵐山がまず挨拶した。
リビングにあるテーブルと椅子を動かして、会議での同じ位置を作り、そこに座った。
いつも東山親子は隣同士で、東山副社長の隣りに太秦がいた。
議事進行の嵐山が前の中央で、利之の隣りに白川が座っている。
全員、頭を下げた。
「これから私が云う事、メモするな。録音も駄目。わかったな」
低い、突き刺す声がリビングに響きわたる。
「今度の役員会議。芝居と同じ。一発勝負。失敗は許されない。これからの竹松の未来に関わって来る。皆一丸の力で連獅子、腐った獅子を二匹とも谷底に突き落として欲しい」
最後まで嵐山は、(東山親子)とは云わなかった。
「で、私が思いついたんだけどもね。さらに二匹を追い詰めるために、こう云うのはどうかなあ」
と云って嵐山は、ある提案をした。
聞き終えて、白川はやはり、嵐山は冷酷無比であると思った。
顔見世初日。
顔見世は、京都の冬の風物詩としてすっかりと街に馴染み溶け込んでいた。
俳句の季語にも登場する。
京都での顔見世は、単なる歌舞伎公演ではない。
一か月に及ぶ、お祭りでもあるのだ。
まず十一月二十五日早朝。まねき上げ行事が行われる。
劇場正面玄関の上部に縦約1・8メートルの檜板に勘亭流の墨文字で書かれた役者の名前のまねき板が上がる。
現代では、当日の前の晩に三枚ほどあえて、残して完了。
二十五日朝、八時半ぐらいから残りのまねき板を上げるのである。
初日は十一月三十日。千秋楽は十二月二十六日。
だから正確には、二か月に及ぶ興行である。
この日のために、劇場左右にある「南座」と書かれた大きな赤提燈も新調される。
この大提灯を取り替えるのは、業者ではなくて、笠置をチーフとした、照明部であった。
また劇場上部の櫓太鼓の左右には、これも新しい「梵天」(ぼんてん)が建てられる。
梵天とは、竹に、紙を三角錐のように丸めて、五千枚ぐらい作り、タンポポの花のように丸く整える。
元々、梵天には、劇場の神様が降臨されると云われている。
京都人は、年に一度の顔見世を見るために、積立貯金をしていた。
ロビーには、他の劇場では見られない「竹馬」が並べられる。
その名の通り、竹細工で馬の形に作り、真ん中にざるを置く。
祝儀袋も飾る。
高札には、贈り主と役者名が書かれている。
初日を過ぎて12月に入ると日にちを代えて、五花街(祇園甲部、祇園東、宮川町、先斗町、上七軒)の芸妓、舞妓の総見が行われる。
左右の桟敷には、色とりどりの着物を着た、舞妓がずらりと並ぶ。
観客の中には、この総見が見たくて、観劇日をこれに合わす人もいる。
初日の楽屋はごった返していた。
白川は、嵐山と共に、幹部役者の所へ初日挨拶に向かった。
花園素雀の楽屋前には、蹴上がいた。
「監督お早うございます」
蹴上は素早く白川の元に駈け寄り、
「東山の息子、来てるよ」と囁いた。
白川は嵐山と顔を見合わせた。
「構うもんか」
嵐山は、遠慮なくのれんをはねて、
「お嬢、入るぞ」
少し大きな声で入った。
和夫はその声にびくっと背筋を伸ばした。
「やあ、嵐山さん」
和夫は笑みを慌てて作った。
「映画(カブク)の出演のお礼で来ました」
何も聞かないのに、和夫は説明した。
嵐山は、和夫の言葉を無視する形でどんと、朱雀の横に座り、早くお前は出て行けとばかりに、和夫を一瞥した。
その空気は、和夫にもすぐに伝染したようで、和夫は薄ら笑いを浮かべてちょっと頭を下げて楽屋を出て行った。
朱雀は暖簾の袂に座る弟子に合図した。
弟子は暖簾を片手で開けて、楽屋の廊下を見ていた。
そして片手で、オッケーのサインを出した。
「お父様は好きだけど、あの息子大嫌い」
「お嬢、そんな事云うもんじゃない」
笑いながら、嵐山は云った。
「例の(カブク2)の出演依頼ですか」
花園朱雀監督・主演「カブク」は、最終的には、興行収入18億円と竹松としては、人気シリーズライト男を除くと、久々のヒットとなった。
これは最近の歌舞伎ブームと朱雀の人気、監督すると云うデモンストレーション効果など幾重にもヒット要因が重なった。
実際には朱雀は監督はしていない。正確にはさせて貰えなかったのである。
これは和夫が最初から仕掛けたものだった。
さらにこの映画の前売り券を江戸歌舞伎座、江戸演舞場、京都都座、大阪とんぼり劇場と竹松の演劇の劇場でも買えるようにした。
そして(カブク)ブログ、ツイッター、インスタなどを素早く公開前から立ち上げて、メイキング映像、朱雀日記など、朱雀直筆の手書きの日記も立ち上げた。
数多くのブログがあるが、直筆のものをネットに載せるのは、初の試みだった。
さらに同時配信で、英語、中国語、韓国語、台湾語など30もの多言語でもやっていた。
「そうなの。あいつ、2どころか30ぐらいやりたいとまでぬかしやがった」
朱雀はそこまで云うと、甲高い声で笑った。
「あいつ、いけ好かないけどあの行動力とアイデアは感心する」
「それで、引き受けたんですか」
「もちろん、お断りしました。私の本業は歌舞伎ですからと」
「正論だな」
嵐山は、大きくうなづいた。
「でも、あいつ一度や二度断ってもまた来るよ。ねえ嵐山さん、白川さん助けて、ねえ」
朱雀は二人の手を握った。
「お嬢、心配するな。俺と白川に任せろ。なあ白川」
「はい。もうしばらくお待ち下さい」
「あら、何か秘密の策略がありそうねえ。頼もしい」
朱雀の機嫌が直った所で、楽屋を出た。
昔の顔見世は、初日のみ、昼の部の料金だけで昼夜通しで見れた。
そのため、歌舞伎通の人は、この初日の切符を買うために、前売り前日の昼ぐらいから並び始める。
そのまま朝まで並ばすのは、気の毒なので午前二時ごろ並んだ人だけ切符を売った。
平成に入り、このシステムはなくなった。
顔見世初日昼の部終演と夜の部開演がいつもタイトだった。
今日も昼の部終演3時50分。夜の部開演4時である。
本来なら開場の3時30分よりも前に終わらないといけない。
場内の清掃は、本来はお客様が完全退出してから行うが、この日だけは、いなくなった前の部分から始める。
五分で終わり、開場。お客様を入れている最中に開演五分前のブザーが鳴ると云う慌ただしい。
そのため、劇場前でイヤホンガイドの貸し出し、番付販売などもやった。
白川も場内清掃に参加していた。
結婚して妻や子供と一緒に住んでいた頃は、一度も部屋掃除を手伝っていなかったなあと思った。
久々に、身体を動かすと気持ちも清々した。
夜の部が始まり、白川は事務所にいた。
嵐山は昼の部に続いて夜の部も監事室の小部屋で観劇を続けた。
一本の電話があった。
桜子だった。
「すみません、初日のお忙しい時に」
「箱根の家はどうですか」
清水龍二は、白川の別邸を出て、箱根に住み始めた。
その世話で桜子は箱根に行っていた。
「ええ。龍二さんは大丈夫です。ご機嫌でした」
「それはよかった」
「あと数日したら京都に戻ります」
「気をつけて戻って来てください」
電話を切ろうとした。
「戻って来たら、ちょっとお話したい事があるんです。息子の利之さんの事で」
「何かありましたか」
「ええ、ちょっと」
電話では話せないような、雰囲気だった。
「わかりました。京都に戻って来たらメール下さい」
「有難うございます」
(一体何の話だろう)
利之社長とは、顔見世前、(連獅子作戦)で逢った。
別に何の変化もなかった。
翌日、また箱根に戻ったはずだ。
(3)
その夜、嵐山主催の「顔見世お疲れ様会」が、祇園「花いかだ」で行われた。
これは毎年行われていて、事務所連中全員が参加した。
顔見世初日終演は午後9時50分だった。
それからお客様の送り出し、場内客席に忘れ物がないかの点検、お客様が戻って来る場合もある。
「忘れ物した」が多い。
最近はインスタに写真を上げる人が多く、定式幕や場内の様子を写真、動画に収める人が多い。
お客様が完全にはけてから定式幕を開けて、舞台大道具などが片づけを始める。
しかし、中々出ない。
大道具係は、定式幕の隙間から客席を覗いて、やきもきしている。
なので、会が始まったのは午後10時半だった。
嵐山は、若手の社員ばかりを自分の周りにはべらせた。
この時ばかりは、白川も縄手副支配人もお役御免で、別の席に、行かされた。
「支配人お疲れ様です」
縄手が乾杯した。
「お疲れ様」
「来年は、竹松もどうなるんでしょうねえ」
縄手がつぶやいた。
「頑張るしかないな」
「お陰様で歌舞伎を中心に演劇は好調ですけど、映画がねえ」
「もう今の若い人は、映画館で映画なんて見ないのだろう」
白川は、嵐山の周りにいる若手社員を見ながら云った。
「まあすぐにビデオ出るし、ユーチューブで無料で見れるし、ネットで注文して見れるし」
「要するに、映画館の存在自体危ういと云う事か」
「私は、見てますよ」
縄手は、映画オタクで映画志望だったが、演劇部門に配属された。
今でこそ演劇、映画の人事の交流があるがまだ縄手の頃はなかった。
縄手は今年45歳である。
「演劇で皆が一生懸命働いたお金が、和夫の作る映画に流れる。もう本当にやめて貰いたいよ」
縄手は前にも「演劇」「映画」それぞれの会社を作るべきと云っていた。
「上手く二つの垣根が取り払われたらいいけどね」
「そこで白川支配人の出番です」
「おいおい、持ち上げても何も出ないよ」
「早く、平取りから副社長、専務になって下さい」
縄手の目は真剣だった。
映画青年だった縄手は、結局白川と同じく、一度も映画部への転勤はなく、ずっと演劇畑だった。
竹松は、「演劇」「映画」二つの会社あるようなもので、それぞれ抱え込み人事を行っていた。
そして、度重なる仕事の失敗をすると、脅し文句に、それぞれ、
「そんな事してたら映画へやらすぞ」
「そんな事してたら、演劇へ行かすぞ」と云い合っていた。
そんな時代を経て来た二人は、今の若い社員は羨ましいと思う。
丁寧な研修。それぞれ色々な職種を経験させる。
竹松は職種が多い。演劇・映画だけでなく、グッズの企画する場があれば、テレビ撮影現場、経理、不動産管理もある。
宴は、深夜近くまで行われた。
数日後、桜子が訪ねて来た。
事務所の応接間に通した。
「龍二さん、大層気に入ってました。何より京都よりも温かいですから」
「そうですねえ。京都の冬は底冷えしますからね」
寒がりの龍二はそれを見越して、十二月までに引っ越ししたのかと白川は思った。
「それで、用事は何ですか」
「実は龍二さんではなくて、利之さんの方です」
「何かあったんですか」
桜子が話すと、白川別邸で会議があって、それから箱根に戻ってから、ふさぎ込むようになったと云う。
「じゃあ東京の自宅には戻ってないんですか」
「ええ、ずっと箱根にいます」
「会社はどうしてるんですか」
「白川さんは何も御存じないんですか」
あれからずっと休んでいると云う。
「一体別邸で何があったんですか」
それは口が裂けても云えない。
「ええ、まあ顔見世の事でちょっと」
咄嗟に、顔見世にからませた嘘が口から出た。
桜子の表情から、すぐに嘘だと見破られていた。
「一度、白川さんの方から連絡していただけますか」
桜子は、箱根の固定電話番号を書いた紙を渡した。
「わかりました」
その日の夕方、白川が電話した。
「清水です」
まず龍二が出た。
「白川です」
「白川さん。ご無沙汰してます。その節は有難うございます」
「利之さんおられますか」
「それが、寝ております」
「具合悪いんですか」
「かなり。ふさぎ込んでます」
「そうですか」
電話を切ると、次に嵐山に電話した。
交換手を経ない、ホットラインだった。
嵐山は、この電話は数名しか教えていない。
「どうした。顔見世で何かあったのか」
「顔見世は、お陰様で順調です。実は利之さんの事なんです」
「あいつ、ふさぎ込んでるらしいねえ。プレッシャーに弱いみたいだ」
「役員会議を日延べ出来ませんか」
「いや、無理だ」
役員会議の日にちの変更はよくある話で、役員の都合上どうしても揃わない日が出て来る。
「どうしてですか」
「こっちが変更した前例作れば、連獅子もやるに決まってる」
「そうですねえ」
「それに、この情報社会、いつ情報が洩れるかもしれぬ。そうならないうちにやらないとな」
嵐山はそれを一番気にしてた。
「じゃあ、病院に行かせるとか」
「そんなに気になるなら、お前が面倒見ろよ。そして責任もって一緒に東京へ来いよ」
なるほど、その手があったかと思った。
でも箱根なら、わざわざ京都に行かなくても東京の方が圧倒的に近い。
翌日、白川は箱根に向かった。
利之と会った。
「今度は、京都であなたが休憩しましょう」
「出来るかなあ」
「出来ます」
この時、ドアがノックされた。
「はい?」
入って来たのは、女優の今出川恵美だった。
一年前の放火事件の時、利之との結婚問題で龍二が激怒したのだった。
「来られたんですね」
「恵美さん」
「どうかよろしくお願いします。私も一緒に京都に行きます」
「わかりました」
恵美にも聞かれた。利之のうつ病の原因を。
「ストレス」とだけ云った。
白川の紹介で、利之は御所病院に入院した。
時間との闘いだった。
役員会議まであと、十日ぐらいしかなかった。
あの白川別邸で、嵐山は利之に重要な任務を与えた。
そのストレスなのだ。白川は確信していた。
翌日、報告がてら嵐山に提言した。
「利之の役目、何でしたら私が代わりにやりましょうか」
「駄目だ。お前なら役不足だよ。芝居と同じなんだよ。創業者の孫がやるから生きて来るんだ」
ずばりそう正面から云われると確かにそうだ。
自分は、同じ創業者の末裔だが、昔に不動産をほとんど売り払い、辛うじて取締役の末席にいた。
利之は、江戸歌舞伎座の役員も務めていた。
竹松と云う日本を代表する興行会社の社長で、昨年まで実父が社長だったのだ。
幾ら東山親子が権勢を誇っていても、所詮成り上がりなのである。
その辺の所を嵐山は計算ずくだったのだろう。
人々のこころのまとわりつき、しがらみを乗せて日が過ぎて行く。
東京へ向かう二日前に、利之は退院して、白川別邸に泊まった。
桜子も来た。
白川も利之も決して何も云わないが、桜子も恵美も二人から発する得体の知れない、何か恐ろしく巨大な空気を感じ取っていた。
単なる役員会議なんかではない。
そう信じていた。
退院祝いを兼ねて、ささやかな食事会をした。
「退院おめでとうございます」
「有難うございます」
「気分はどうですか」
「まだ本調子ではないですが」
「いよいよ明後日、東京ですね」
「本音を云えば、東京にはいたくない。京都にずっといたい」
「駄目ですよ」
白川は笑った。
「白川さんが羨ましい。ずっと京都におられるから」
「東京は華やかでいいじゃないですか」
「私は、時々思うんですよ。創業者の竹次郎は、どんな気持ちで東京へ行ったのか。さぞかし不安だったんだろうなあと」
竹松は松次郎、竹次郎の双子で京都の芝居小屋の売店経営から始まった。弟の竹次郎は、兄に関西の劇場を任せて、単身東京へ乗り込んだのである。
この時、白川の携帯電話が鳴った。嵐山からだ。
「お前、いつ東京へ来るんだ」
「明後日、当日の朝です」
役員会議は10時からで、始発で行けば充分間に合う。
「一日前の明日、来い」
「どうしてですか」
「お前、天気予報見てないのか」
天気予報では、十二月十四日は前夜から雪が降るらしい。
「明日の朝早く来い。昼からだと新幹線遅れるかもしれない」
嵐山は、和夫にも前日入りを云ったそうだ。
「銀座竹松ホテルもう二人分予約してるからな」
電話切ってスマホで天気予報を見た。
確かに、関東地方は、雪雲に覆われようとしていた。
その厚い雲は、明日の役員会議を思わせた。
翌日の朝早く、白川は利之を連れて上京した。
白川別邸を出る時、桜子は白川と利之のために自家製弁当を作ってくれた。
「お気をつけて」
「勝運祈ってます」
その言葉に、白川がぎくりとした。
(およそ、この二人は明日の役員会議はただものでない)事を知っている。
嵐山の読みは、的中した。
午前中正常通り運行していた新幹線も午後からかなり関ヶ原の雪で遅れが出始めた。
そのニュースを利之は、ホテルの部屋で聞いていた。
(用心のうえに、用心)
些末な所から、失敗は起きる。
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