第2話 002 暗闇のトンネル

 

 辿り着いた先頭車両、その先端。

 

 実際、そこに運転士は居なかった。

 二両程を越えての短い旅だったのだが、乗客も乗員も一人として出会わない。

 懐中電灯で照らした運転席はもぬけの殻。

 レバーの様なハンドルはそのままの形。

 鉄道時計も置きっぱなし。

 セイコー製の手巻きの懐中時計。


 鉄道時計の最初はアメリカで、時計の狂いで列車事故が起きそれを教訓に時計の統一を図った。

 それは標準時間の始まりでも有る。


 「あれれ、これは結構大事なモノなのに……」

 懐中時計を外してポケットに。


 「うわ、泥棒だよ」

 娘が叫んだ。


 「これは大切なモノだから、駅に着いたら届けてあげないとね」

 笑って返す。

 「お嬢ちゃんが証人」


 「ホントに取らない?」

 疑っているようだ。

 

 「はい、取りませんよ友達に鉄道会社に就職したのがいてね……この地下鉄じゃないけど、でねこれはとても大事なモノなんだって言ってたんだ」

 まだ疑ってる?

 「鉄道の歴史と伝統と誇りがこの形何だって」

 酒で酔っ払ってそんな自慢話を良く聞かされる。

 本気では信じては居ないけど今度、会う時の話のネタくらいには成るだろうと、そんな軽い気持ちもある。

 「それに、俺の持っている腕時計の方が良いものだしね」

 そう言って自分の左腕に光を当てた。

  

 娘はうーんと唸っていた。

 まあ、時計の良し悪しなんて子供にはわかんないか。

 って言っても、値段で言えば鉄道時計ってのはそんなに高いものじゃないし、それにこれは明らかに……使い古されているし今時、懐中時計なんて流行らない。

 そんなモノを盗んで泥棒呼ばわりは嫌だ。

 だいたいが、自分の時計の方が断然良い。

 これは、シチズンのプロマスター・ランドで2004年製の古いヤツなのだが、電波時計のエコドライブの太陽電池なので電池交換も不要の質実剛健。

 その見た目は何の変哲も無い形なのだが、それがまた良い。

 ちなみに値段は……貰い物なのでわからない。

   

 「一緒に駅長さんの所に行こうか?」

 

 少し顔がほころんだ。

 子供はヤッパリ駅長さんとか電車モノが好きだ、そんな児童アニメも有るくらいだし。


 その話を横で聞いていたお母さん、俺の意図がわかったようだ。

 「一緒に行きましょう……誉めてもらえるわよ、きっと」

 そう娘に話して、俺にニッコリと微笑んだ。


 真っ暗な地下鉄の線路を歩くのだ。

 子供にとっては怖い筈。

 その怖さを紛らわす為の方便なのだったのだが……別にそのままの悪者に成っても良かったのだけど。

 善意者に成れるならそれはそれで嬉しいものだ。


 運転席からとって返して、扉の前。

 自動扉なのだが固く閉まっている。

 

 「非常ボタンかな?」

 扉横の赤い箱にデカデカと書かれていた。

 「うーん」

 チラリと娘の方を見て。

 「押してみる?」


 「良いの?」

 破顔一笑。


 「いいよ、押してみて」

 

 その俺の言葉よりも素早く行動に出る。

 やはり子供だ、ヤッパリ駄目って言われる前に動いた。


 「なにも……ならない」

 何度もボタンを押し始める。

 どうも反応が無いらしい。

 

 フム……と、少し観察。

 その上に小さな扉とその表面に……非常用ドアコック……と、有る。

 これか?


 その上の扉は……開きそう?


 カチャカチャと音を立てて弄くる娘。

 パカリとすぐに開いた。

 中には赤い鉄のパイプと大きなレバー。


 今度はそれを動かそうと引っ張る。

 だが、それは簡単には動かないようだ。

 身長のせいで力が入らない?

 それとも普通に硬いのだろうか?


 「チョッと変わって?」

 左手のバッグを娘に預けて。

 俺も手を伸ばして引っ張ってみた。

 固いのは最初だけだった。

 その後はすんなり動く、そして同時にプシュウと音がする。

 駅で扉が開く時と同じ音。

 何処かで空気でも抜けたのだろう。

 詰まりは空気圧で開け閉めしていたのかと、初めて気が付いた。

 それはそうだろう、そんな事にイチイチ誰も気にも止めない。

 

 だが、扉はそのまま。

 あれ? と、触ればそれだけで少し動いた。

 なるほど、今のレバーは手動にするだけか?

 後は自力で開けなさいって事か。

 面倒臭い……って言ってはいけないのだろうな、普段は絶対に触ってはイケナイそんなモノなのだから。

 うん、貴重な体験だ。

 預けたバッグを返してもらう。

 

 開いた扉から先ずは俺が飛び降りた。

 結構な高さだ。

 暗い中ではこれは勇気が要りそうだ。

 俺は足下にバッグを置いて、両手を差し伸ばして娘を先に即す。

 

 娘の方は先に床に座って飛び込んだ。

 しっかりと抱き留める。

 その娘を背後に避けて、今度はお母さん。

 

 お母さんも娘と同じようにする。

 だが、やはり大人だ少し重い。

 反動でよろけて、抱き締める格好に成る。

 わざとではないよ……事故だよ。

 チョッと嬉しい事故なだけだし。

 うん、柔らかい。


 さて歩き出そうと、その前に。

 「線路には触っちゃ駄目だよ、そこには電気が通っているから感電するよ」

 停電中なのだから大丈夫な筈だが、いつ電気が復旧するかもわからない、注意するに越したことはない。

 だが、それは杞憂のようだった。

 やはり、暗闇のトンネルは怖いのだろう。

 俺にしがみついて離れない。

 それはお母さんも一緒だった。

 役得だね。



 歩く事、暫く。

 唐突に駅に辿り着く。

 気が付いたら横がホームだったのだ。

 何故に、もっと早くに気が付かなかったのかは簡単だ、そこも停電していて真っ暗なままだったからだ。


 「これは……街が全体的に停電なのかな?」

 少し、まずい予感。

 地下鉄には非常用電源も有る筈が、それも稼働してないとはよっぽどじゃないか?

 まさか……戦争とか?

 お隣の国が短気を起こしたか?

 いや……そう言えば昔に地下鉄でテロを起こした宗教団体が有ったが……まさかね。

 そんな事を考えながらに、娘とお母さんをホームの上に押し上げた。

 続いて俺もよじ登る。

 外に出てみればわかる事だと、頭を切り替える。

 毒ガスでは無いのはあきらかなのだし。

 そうであれば生きては居ないのだろう、歩いてここまでは来れない。


 登ったホーム。

 懐中電灯で辺りを照らして見たが、やはり人っこ一人として見付けられない。

 それもやはりオカシイ。

 いくらなんでもあり得ない。

 不安が少しずつ積み上がっていった。

 

 それは母娘も一緒。

 いや、俺の不安が伝染したのか?

 パニックに成られるのも面倒だ。

 そう思い、懐中電灯を娘に預けた。

 役目を持てば気も紛れる筈だ。

 娘が大丈夫ならお母さんも理性は保てるだろう。

 自分の娘を置いて逃げる等とはあり得ないからだ。

 

 チラチラと光をめぐらす娘。

 そんな娘に声を掛ける。

 「階段を探してくれないか?」

 エレベーターは動かないだろうから。

 まあ動いたとしても危なくて使えるものじゃない。


 たぶん頷いたのだろう。

 光の動きに規則性が見え初めた。


 「アッチ!」

 光の差した方向にそれらしい影が見える。


 「おお凄いな、見付けるのが早いぞ」

 娘は俺の腰にしがみついている。

 母親は左腕に。


 転ばさないようにユックリと階段を目指した。 

 

 そして、辿り着いた階段。

 登り口近くに影が動くのが見えた。

 娘の光のその反対側。

 暗闇に慣れてきた目をこらす。

 やはり、人影のようだ。

 

 俺はホッとした気持ちを押さえられずにその人影に手を伸ばす。

 少し急いでしまったようだ。

 「キャ!」っと小さい悲鳴。

 だが、構わずもう一歩。

 そして、その人影の肩に手を掛ける。

 「大丈夫ですか?」

 そう問い掛けるのだが、それは俺自身に向けての言葉でも有った。


 「何がだね?」

 人影の低い声。

 男?

 歳上?

 そして、冷静な声色。


 俺はそれにホッとした。

 「停電ですかね?」


 そう問いかけたその時。

 娘の光がその人影を映した。

 

 背中越しに見える横顔、4・50のおじさん?

 だが、俺の表情は氷付いただろう。

 その姿が異様だった。

 

 背後からの姿だったのだが。

 映画にでも出てきそうなローブを着込んで。

 全身が真っ赤。

 ふと見える自分の掌にはその赤色が移っている。

 滑り気の有る液体、最初にわからなかったのはその温かさのせい。

 そのおじさんの右手には鈍く光る棒。

 その先から滴る赤い液体……血。

 そこでようやく理解した。

 それは刀だ。

 そして、このおじさんは……人を斬ったのだ。


 ぶれる光。

 娘も気が付いたのだろう。

 その光がもう一つ奥の人影を見せてくれた。


 床に倒れた血塗れの女性。

 変に曲がった手足と、見開かれた目。

 それはどう見ても死んでいるようだった。

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