ファウストパトローネ

喜右衛門

異世界転生

第1話 001 始まり


 俺は今、とても驚いていた。

 

 何もない草原を歩いて丘を越えればそこに戦車が在り、その砲塔がこちらを向いている。

 砲の穴から中が覗けそうな近い距離だ。

 中の人……見えるのかな?

 等と馬鹿な事を考えてしまう、俺の悪い癖だ。

 わけのわからない状況ではすぐに現実逃避してしまう。

 だがそんな事よりもと、俺は首元を締めているネクタイを緩めて、静かに両手を上げた。

 撃たれれば死ぬのだろう。

 痛みも感じず即死ってヤツだ。

 頬に汗が伝った。


 戦車はそのままジッとして動かない。

 時間の感覚は正直、わからない。

 どれくらいに立ち尽くしている?

 数分?

 数秒?

 恐怖が感覚を狂わせているのだろう事はわかる。


 もう一度、戦車を観察。

 だが、壊れているわけでも無さそうだ。

 低く唸るアイドリング音。

 後方には黒い排気ガスを規則的に吐き出している。

 ここまで走ってきたであろうワダチもその後方に列なって見える。

 

 この戦車の乗員は何かを考えているのだろうか? 

 だが、戦車の方から動いてくれなければ俺も動けない。

 動かしている誰かが中にいる筈なのにそれが出てくる気配もない。

 いつまで俺はこうしていればいいんだ?

 このまま何もわからず殺されるのか?

 せめて説明なり何なりが有っても良いだろう?

 汗は背中に迄伝い初めた。


 随分と冷たくなった秋風が吹く草原の丘の上での事だ。




 そもそも何故こう為った?

 事の起こりはこうだ。


 俺は地下鉄に乗っていた。

 随分と遡ったがそこから話さねばわからないだろう。


 仕事の途中だった。

 と言ってもほぼサボっていたのだが。


 馴染みの顧客の所でお茶を飲み。

 適当な世間話をして。

 得られたモノはゴルフの約束くらいなのだが。

 だが、それでじゅうぶん。

 元からそのつもりで出向いたのだから。

 そして、もう今日は仕事をするつもりは無い。

 まだ昼下がりの早い時間だが、断固として無い。

 と、言うわけで今はその時間潰し。

 この時間に座れて金が掛からなくて良いのが電車だ。

 たまに何処かの駅で降りてゴミ箱を見れば読み捨てられた雑誌も有る。

 ……汚いとか言うなよ。

 最近じゃ地下鉄でモノを食べる人間も居ない、だからゴミ箱でも生ゴミは無い、綺麗なモノだ。

 たまに……鼻をかんだちり紙くらいは有るのだろうが、それもたまにだ。 

 そこは、良く見れば大丈夫だ。

 

 で、漫画雑誌を読み耽っていた。

 今の時間は人も少ない、通勤も通学も外れた時間なのだから。

 その証拠に、この車両には俺と斜め向かいに座る母娘くらいだ。


 チラリと見えた、そのお母さん……美人だ。

 娘は小学校の低学年くらいか? 興味はまったく無いが。

 それよりもヤッパリお母さん、俺よりも随分と歳上だろうけどストライクゾーンだ。

 まあ、だからといって声を掛ける積もりもないし、ジッと見る積もりもない……これも暇潰しだ。

 たまにする、人間観察。

 思うくらいは自由だろう?

 それに俺は独身だし彼女も居ない。

 向かいの女性だってもしかしたら独身かも?

 離婚とか未婚の母とか……未亡人とか。

 うん、未亡人がいいな。

 昔の漫画であった、未亡人でアパートの大家さんとか……うん、最高じゃないか?

 ……。

 想像するくらいは自由の筈だ!

 

 などと妄想で遊んでいると、一瞬グラリと揺れた。

 世界が揺れたように感じたが、電車の揺れだろうと流す。

 すぐに心臓が何かにつつかれた痛み、それも気のせいくらいの感覚。

 揺れに驚いたのだろう、そう解釈しておいた。


 だが続けて、プツリと明かりが無くなる。

 そのまま電車も力なく減速を初めた。


 「わ! 真っ暗」

 向かいの娘の方が叫んだ。

 

 「停電かしらね? 珍しいわね……お母さんも初めての経験だわ」

 

 俺も初めてだ。

 さっきの揺れに関係しているのだろうか?


 「すぐにつくから、じっとしていてね」

 声色が不安を隠そうとしている様に聞こえた。

 

 「大丈夫……今、スマホの電気をつけるから」

 娘の声の方がしっかりしているようだ。

 最近の小学生はスマホも当たり前なのだろうな。

 なんて考えながらに。 

 俺は自身の鞄、キャメル色のビジネスバッグから懐中電灯を探りだしそれをつけた。

 手に収まる小さいヤツだが結構強力なヤツだ。

 LED LENSERと言うドイツ製の懐中電灯でそのメーカーはダイビング用の水中懐中電灯も造っている会社だから防水性も有る。

 それを何時も持ち歩いているのだ。

 俺の車は旧くて良く止まる、だから懐中電灯は必需品なのだ。

 車に積んどけば良い?

 いや、持ち歩けばたまに役に立つ、今のように。

 そんな車はほかせ?

 大きなお世話だ!

 


 「お嬢ちゃん……電池が無くなるよ」

 そう声を掛けて、親子に近付いた。

 「明かりはこれで足りるかな?」

 下心は……チョッとしかない。


 「有り難う御座います」

 お母さんにお礼を言われた。

 話す切っ掛けくらいは出来たかな?


 「いえいえ、スマホの電池切れは悲しいですからね」

 本当に……悲しい。

 俺のスマホも電池切れだ。

 それも昼休み前に。

 会社に連絡もできない、仕事に成らない……ラッキーな事にだ。

 もちろん充電器も携帯バッテリーも持たない、それは主義として主張している。

 重いし邪魔だしとの理由を着けて……懐中電灯は持ってるけどね。


 そうこうしているうちに、惰性で転がっていた電車も完全に停まってしまった。

 「止まっちゃったね」

 娘の驚いた声。


 「これは……本格的に故障かな?」

 俺も呟いてしまう。

 おっと! ただ不安にさせてしまっては申し訳がない。

 「すぐに車掌なり運転士が来てどうすれば良いかを教えてくれるでしょう」


 「そうですね」

 頷いたお母さん。

 見れば娘の手をしっかりと握っている。

 「少し……待ちましょうか」

 でも、声はしっかりとしていた。

 赤の他人の俺にみっとも無い所は見せられないと心にブレーキでも掛けたか?

 頑張る未亡人はなおのこと良い。


 だが、取り乱しても良いのに。

 何なら不安に成って抱き付いてくれても……。

 思うのは自由だよね。


 暫くはその場でたわいも無い話。

 主に娘の方とだが……。

 八歳なのだと。

 クラスに彼氏がいるのだと。

 これからピアノ教室なんだと。

 色々と良く喋る娘だ。

 俺には……ヘーとホーくらいしか話す暇も余裕もくれないが。

 まあ、聞くだけの方が楽だ。

 八歳の女の子と何を真剣に話せる? 他所の子なのになおさら無理だ。

 自分に子供は居もしないんだけどね。

 

 「しかし……車掌さん来ませんね」

 お母さんに話し掛けた。

 本命はコッチなのだから……でも中々に話す話題も見付からない。

 

 「ピアノ教室……遅刻しちゃうね」

 娘の方が答える。

 いや、お母さんに話し掛けたのか?


 「本当ね、晩御飯も遅れちゃうわね、今日はお父さんの好きなビーフシチューの予定なのに……煮込む時間が無くなっちゃう」

 笑って答えている。


 フム……お父さん在りと……早くも振られたか?

 早い撃沈だった。

 まあ元々、泥船の積もりで乗ったのだけどね。

 沈没ありきだし、そう心の中で大笑いだ。


 だけど、そうとわかれば長居は無用だ。

 「線路に降りて、歩きましょうか? 地下鉄の駅なんて直ぐでしょうしね」

 さっさと明るい所に出て、お別れだ。


 「そうした方が良いのかしら?」

 動くのが不安なのかな?


 「これだけ待ってても車掌は来ないのだから、もう先に降りたのかも知れませんよ」

 客が乗っている事を忘れたか?

 そもそも客は乗っていないと思っていたのかも知れない。

 この車両にも合計三人だし。

 そう言えばなん駅かも通り過ぎたけど、人の気配も無かったようだった。

 俺達……忘れられた?


 「取り敢えず先頭車輌に行ってみませんか? 運転士が居るかもですし」

 お母さんの反応を確認しながら。

 「居なければ、進行方向に歩いた方が駅が近そうですよ」

 結構な距離を惰性で進んだのだろうから、実際にすぐだと思う。

 地下鉄の一駅なんて、普通にも歩ける距離の筈だし。


 恐る恐る頷いたお母さんを確認して、懐中電灯の光を車両の進行方向に向けた。

 「暗いから手を繋ごうか?」

 娘に尋ねる。

 「転ばない様にね」

 

 「大丈夫」

 そうハッキリと断られてしまった。


 娘の方にも振られたようだ。

 それ以前に俺の両手もふさがっているのだが。

 右手に懐中電灯。

 左手に革のビジネスバッグ。

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