第3話 003 殺人者


 チラチラと瞬く光。

 目の前、殺人者とその奥の犠牲者を行ったり来たりとしている。

 娘はまだ情況が理解出来ていないのだろうか。

 その迷っている光を見て、この情況は子供にはそもそも理解不能?

 たぶんそうなのだろう……俺だってギリギリだ。


 その殺人者、身体をユックリとこちらに向けて右足を後ろに半歩引いた。

 その動き……歩き出そうとでは無い事はすぐわかる。

 だらしなく垂れていた右手の刀が向きを正されて動く準備をしているようだ。

 詰まりは軸足を下げたのだ。


 俺は左手の鞄を投げ付けた。

 殺人者の顔に目掛けて。


 それに怯んだ殺人者。

 光はコチラからの一方通行。

 殺人者からはコチラはその光に邪魔をされて見えていなかったのだろう。

 闇の中から突然に現れたバッグに驚いていた。


 だが、それだけだ。

 すぐに刀を振り上げて狙いを定める。

 唯一見えているであろうその光の出所へ。

 咄嗟に娘を庇った。

 握られた手を引き、覆い被さる様に間に入り抱き寄せる。

 そして、俺の右側の空気が斬られた。

 純粋に光点の方角を狙っていた様だ。

 抱き寄せたそのほんの少しの距離で間一髪。


 何故にそんな行動に出たのかは、聞かないでくれ。

 俺もわからない。

 ただ、娘が危ないとそう思ってしまったのだ。

 だが、その行動のおかげでか、驚いた娘は懐中電灯を落としてくれた。

 コロコロと床に転がった光は水平に床面だけを順に映しだす。


 そしてもう一人、咄嗟の行動に出た者がいた。

 母親だ。

 俺の左後ろにいた筈が、今は前にいる。

 それは足音の気配だけだったのだが、それでもわかる。

 動きを押さえようと……娘を斬られまいと殺人者に抱き付いたのだろう。

 なんて無茶なと思ったのだが、俺と同じで考える暇も無くに動いてしまったと思われる。

 

 「逃げて!」

 暴れる足で懐中電灯を蹴ったのか、光が転がり暴れだした。

  

 「お母さん!」

 

 「その子をお願いします」

 それが最後の言葉だった。

 その後に小さな呻きが聞こえたような気もしたが、娘に聞かれまいと必死に我慢をしたのであろう事がわかった……恐怖を与えてパニックにさせないように。

 そして、騒がしい足音も途絶えて静になった。

 

 俺に抱えられて不安に支配されて、震える事も出来ずに硬直してしまっている娘の口を押さえ付けながら、様子を伺う。

 殺人者は俺達の居場所がわからなく為っているようだ。

 一歩……二歩の足音が、近付き……遠退く。

 光が無くなれば暗闇の中。

 動きはその音だけ。


 その暗闇に先に目が慣れたのは俺の方だった。

 殺人者は最初に当てられた光で目を焼かれていたのか? 単純に若さかもしれない。

 それでも、動く影が見えるだけだったのだが。

 それでじゅうぶんだ。

 とても近い距離に居るのがわかる。

 そして……俺達を探している事も。


 俺は静かに……そしてユックリと後退る。

 音を立てずに細心の注意を払い。

 娘を引き摺って。


 だが、その動きで一瞬だけ緩めてしまった娘の口を押さえる手と同時に微かな正気を与えてしまった様だ。

 「お母さん?」

 理解不能の中での子供の本能か? 母を呼ぶ声。


 その時点で、もう音を気にする必要も無くなってしまった。

 殺人者の次の一歩は確実にこちらに向いているであろう、そんな影。

 

 娘を抱えあげて反対方向に走り始める。

 殆ど見えない闇の中を全力でだ。

 それは賭けだった。

 闇雲に走って何かにぶつかればそこで動けなく成る可能性もある。

 駅のベンチでも当たったら痛いだけで済めば良いが、骨が折れる可能性も有るだろう。

 壁か柱はコンクリートだ、それに頭でもブツければソレはただでは済みそうに無い。

 プラットホームから落ちれば? 最悪だろう……地下鉄の線路の床はコンクリートだし、高さも有る。

 だがほんの少しの運でいい。

 少しの距離でも開けられればそれでいい。

 見えないのだから音を頼りにだけでは殺人者も動き憎い筈。

 そして、殺人者にはそんなギャンブルをする理由も無い筈だ。


 数メートル?

 数十メートル?

 その距離はわからないが離せたとして、速度を緩めた。

 暴れる始めた娘の身体と口を押さえるのに力を使う為に。

 それでも歩く速度よりも早い筈だ。

 だが、そのお陰でか? 柱が見えた……いや、壁かも知れない。

 それに近付き半身を当てる。

 壁なら……もしかすればさっきとは別の階段かも知れない。

 角を二度曲がれば裏と表だ……もしかすれば。

 その角と角の距離を測れば確証も持てる。

 根拠が有ろうが無かろうがその何かにすがりたいのだ。

 そして、壁に当てた身体を引き摺り移動した。


 

 二つ目の角を感じて勢い良く曲がる。

 階段で有ってくれとの思いを込めて。

 そして、ぶつかった。

 痛いとは感じたが固い衝撃では無かった。

 軟らかい何か……人のようだ。

 血の気が引いていく。

 先回りをされたのか?

 とその時、明かりが目に刺さる。

 しまった……ヤツの足元には懐中電灯が転がっていた、ソレを拾われてしまったか。

 その考えが浮かんだ瞬間、覚悟を決める事も逃げる勇気もそのどちらも頭から消し飛んでしまった。

 駄目だ、動かなければ。

 だが、脚は固まっている。

 ただギュウっと強く娘を抱き締めるのみ。

 

 「大丈夫?」

 光の下に小さな女の子の顔。

 隣にはお爺さん?。

 その老人が灯り……ランプを持っていたのだ。


 「人殺し……」


 「イキナリなによ! ぶつかったくらいで死にはしないわよ」

 少女が睨む。


 「いや……違う」

 後ろを指差し。

 「刀を持った男が」


 「ほう……」

 お爺さんの目付きが変わった。

 「ここに居たか!」

 そう呟いて、ランプを少女に預けた。

 「マリーはここで待て」

 

 「チョッと……あんた一人で行く気?」

 マリーと呼ばれた少女がお爺さんの腕を掴んで止めた。

 

 「大丈夫だ勝算は有る」

 そう答えながらマリーの手をほどく。


 「あんたの能力じゃあ……」

 そう言い淀むマリーに。


 「いや、この能力だから勝てる」

 そして、一歩を踏み出し。

 「今の状況はソレを最大限に生かせる」

 そして、一瞬で闇に消えた。

 

 その老人の姿はどう若く見積もっても70歳以上に見えたのだが、その素早さと音も立てずに動く様はとても老人だとは思えない。

 軽い身のこなし。

 暗闇でも迷わない行動。

 殺人者に躊躇無く向かって行く勇気。

 このお爺さんは元警察官か何かか?

 しかし、相手は武器を持っている……。

 「無茶だ……」


 大きな溜め息を吐いたマリーと呼ばれた少女。

 「まあ、勝てるって言うなら……大丈夫なんでしょう」


 「行かせてしまって……お爺さんが心配じゃあ無いのか?」

 

 チラリと俺の方を見て。

 「あなたの……その子の方が心配ね、なんだかグッタリして見えるわよ」


 そう言われて目を落とす。

 抱き抱えた娘の意識が無かった。

 俺が声を出さない様にと口元を押さえたのが強すぎたのか、気絶してしまっている。

 慌てて、狼狽えている俺の腕の中から、マリーと呼ばれた女の子が娘を剥がし。

 床に寝かせて、耳を胸に当てる。

 「まだ……生きているわね」


 当たり前だ! 死なれては困る。

 チラリと後ろを見て。

 俺の命の恩人の娘だ。

 俺達二人の為に身を呈して逃がしてくれたのだ……たとえそれが自分の娘の為だけの行動だったとしても……結果的には俺は助かった。

 それを、よりにもよって俺の手で窒息死なんて……とんでもない事だ。

 だが、危うくでは有ったのだろう。

 泣きそうに成る。


 「すまん!」

 動かなかった脚が動いた。

 娘に飛び付こうと半歩出そうとした時。


 「うるさいわよ邪魔しないで」

 そうマリーが告げて、俺の鼻っ面に小瓶を差し出した。


 甘くて良い匂いのする小瓶。

 瞬く間に体の力が抜けて立っていられなく成る。

 そして、薄くなる意識。

 まだ駄目だ。

 娘を連れてここから……殺人鬼の側から離れなければ。

 そんな抵抗も虚しくプツリと全てが止まり、消えた。

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