第45話 結婚を前提に
1927年はまだLGBT闇夜の時代。この国では男色は法廷で裁かれてほぼ死刑か終身刑だった。
シャンタンはオスカー・ワイルドが好きだと言った。30年以上前にソドミー裁判で世界を驚かせたイギリスの小説家は、性同一性の問題を知らない。それでも、シャンタンの心に響いたらしい。
「『あえてその名を告げぬ愛』と言う言葉が好き」
「そうかぁ。おいらは退廃したくてしたくてしたくて、退廃に溺れていたいだけなんだけどな、お前と……あえてその名を告げぬなんて、俺様は言っちゃうよ。男色だって。ソドミーだって。単細胞の正直者だからな」
「でも、結婚はできない……」
「俺たちだけでやるのさ。南の島か何処かで。誰もお前を男だと知らない処で」
「結婚……」
「しよう。シャンタン……」
シャンタンは女の子のような目の色で微笑んだ。カナンデラの腕の中で小さくなる。カナンデラはシャンタンの髪を撫でながら、ほくそ笑む。
あの金で指輪を買うんだ。
トランク一杯の金で……
フランスに行こう。
シャンタンと一緒がいいか、それとも、サプライズで喜ばせようか。
ラナンタータとラルポア……あの二人を何処かで振り捨てなきゃ、フランスまでもついてこられそうだぜ。
シャンタンの寝息が聞こえた。
カナンデラも幸せな夢に落ちた。
パリ1区のヴァンドーム広場。印象的な高い円柱の下でぐるりと辺りを見渡す。フランスの5大宝石商グランサンクの広場は芸術を建築と融合させた素晴らしい眺めだ。
カナンデラは奮えた。
シャンタン、待ってろ。
お前の薬指を飾る指輪を選んでくるぞ。
「カナンデラ、単細胞。何処に行くかお見通しだよ」
「げ、ラナンタータ、ラルポアも……」
「カナンデラって最低だね。シャンタンからぶんどった金でシャンタンの指輪を買うなんてさ。自分で稼いだ金で買えよ。その方が心がこもっているよ。ね、ラルポア」
「多分」
「お前ら、何処から湧いて出た。田舎者は帰れ。折角のおフランスのおパリが堪能できないじゃないか」
「おフランスのおパリだってさ。私たちはね、新婚旅行に来たの。ね、ラルポア」
「多分」
「カナンデラはまだまだ結婚できないんだって。可哀想だよ。ね、ラルポア」
「本当に可哀想だ。僕たちは幸せなのに」
カナンデラは魘された。目が開く。起き上がりたいが、シャンタンの頭を動かしたくない。このままほんの少しまた寝したいが、起き上がりたい。複雑な気分だ。
ラナンタータ……
ラルポア相手にロストバージンか……
おめでとう……かな……
従兄だから言わせてもらうが、自分たちが幸せだからって、俺様の夢にまで出てくるな……
カナンデラはあり得ない妄想にほくそ笑む。
とうとうか、ラナンタータ。
ふっふっふ……わっはっは……
妄想にどっぷり漬かった。
「さぁ、カナンデラを起こしに行こう。お腹空いた」
「ラナンタータ、其れは止めよう。僕たちはいつ来られても良いように準備しておけば良い。カナンデラを邪魔するのは無粋だよ」
「何で。もう朝だよ。お腹も空いた」
ラルポアは、此処にいるのが恋人なら、もしも恋人がラナンタータのように無粋なセリフを吐いたら、ベッドに倒れ込んで「ほらね、こういうことさ」と教えてあげるのにと笑う。
「何で笑うかな、ラルポアは。私のお腹が空いたら笑うのかな」
ラルポアはキャビネットの中に写真を見つけた。シャンタンによく似た金髪の女性が白いおくるみを抱いている。ラナンタータがすっとんきょうな声を上げた。
「クッキーの缶だ。キャビネットは鍵が掛かっている。ラルポア、事務所に行こう。イサドラから貰ったマカロンを置いてきちゃった。折角だから取りに行こう」
「マカロン……もしもイサドラの手先がいたら僕たちは今度こそ」
「危ないの……」
「僕はアントローサ警部からピストルを持たされているけど、人殺しにはなりたくないよ、ラナンタータ」
「手とか足とか」
「銃弾は6発だ。イサドラの手下は多い。昨日は1ダースはいたよ。イサドラにラナンタータを拐われたら探しようがない」
「じゃあ、もしものことを考えてこうしよう。もしも私が拐われたら、女子トイレの鏡を覗いて。鏡に文字を書くから。行き先が解れば頭文字を書く」
「女子トイレはちょっと……」
「入り口から見える処に書くから」
「入り口でもちょっと……」
「じゃあラルポアは何処に書いた方が良いと思う」
「そうだな。男子トイレの鏡に」
「わはははは。其れは良いね。じゃあ口紅でも買おう」
「ラナンタータ、男子トイレの鏡に口紅は変だよ」
「大丈夫。考えがある」
お腹が空いたことはすっかり忘れていた。
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