第十一話「初めてのお客様」

 貧困区にあるボロボロの家。

 小さな庭には物干しが二つあり、一つは洗濯物が干してある。もう一つは草が干されている。

 入口の引き戸は老朽化からスムーズには動かず、開ける際にコツがいる。

 入ってすぐ左手にトイレ。その横は風呂場。

 向かいの壁には四角い布がいくつも張られていて、円を描くように赤から黄、緑に青とある。

 この下には銀貨一枚で購入した小さな木製の棚が置いてあり、粉の入った透明の瓶がいくつも並んでいる。

 その横には銀貨5枚の姿見。いつも中央にある円形テーブルは端に追いやられていて、その上に二組の布団が畳まれている。


 姿見の前に座るのは長髪の少女。紫色の綺麗な髪。しかし毛先は痛んでいる。

 座っている椅子は銀貨3枚で購入した木製折り畳み椅子。小さな背もたれが付いている。

 少女は大きな布を被って顔だけをひょっこりと出している。こわばった表情だ。


 その横にハットを被ったのっぽの男。

 腰には革製のシザーケース。黒いタイトなパンツから伸びるサスペンダーにはダックカールが四つ。


「お客様、お待たせいたしました。担当させていただくモリオ加賀美です。今日はカットカラーのご予約でしたね」

「キュ、キュリ・エクイースです! えっと、えっと。かっとと、か、からーをおねがいします!」


「かしこまりました。まずカットなんですが、ご希望のスタイルなどありますでしょうか?」

「す、すたいる!? えーっと、長い方が、す、好きです」


「今長さは腰くらいまでありますね。ただ、毛先の方がかなり痛んでいますので、せめて痛んでいる部分だけでもカットするのがおすすめです」

「ど、どの位短くなりますか?」


「そうですね、肩甲骨よりは下のこのくらいですね」


 モリオは銅貨9枚で買った手鏡を使って合わせ鏡にして、コームをキュリの肩甲骨下に当てて見せる。


「それなら切ってもだいじょぶです」

「かしこまりました。シルエットは今の形のまま短くする感じで切りますね」


「は、はい」

「次にカラーなんですが、ご希望のカラーはありますか?」


 モリオは壁に貼ってある布のカラーチャートの前に立った。


「青……青色にしたいです。……お母さんが綺麗な青色だったから」


 ぼそりとキュリは言った。

 モリオは深くは触れない。


「青ですね。お客様の白い肌にとても似合うと思いますよ。例えばこの青はどうでしょうか?」


 モリオは壁から四枚の青い布を外した。濃い青から薄い青まで四段階ある。

 その中の最も薄い青をキュリの前髪に乗せた。


「お客様は水魔法をお使いとのことですし、この水色は魔法のイメージとも合っていてお似合いかと思います」


 キュリは「わぁ」と声を漏らす。


「もう少し青味の強いこちらもお似合いですね」


 そう言って一段階青味の強い布を当てる。

 キュリはいまいちの表情で首を傾げる。最初の薄い水色が希望だった。

 もちろんモリオは見逃さない。


「でも最初の水色が一番似合っていますね」

「さ、最初のでお願いします」


「かしこまりました。ではまずカットからしていきますね」


 モリオはサスペンダーからダックカールを取ってキュリの髪をブロッキングしていく。

 ブロッキングはカットしやすくするために髪の毛を部分的に分けること。


 モリオはまず耳後ろから首の後ろまでの生え際一センチほどを下ろして、残りは全て上にまとめた。

 これはアウトラインを決めるため。このアウトラインに合わせて残りの髪を切っていく。これがロングヘアーをカットする際のカットの基本である。


 キュリの髪は伸びっぱなしであったため前回のカットラインなど残っていない。

 それ以前にこの世界にはカットの技術がないのでカットラインが残っていたとしてもガタガタである。


 モリオはツヤのある毛質を活かすためレイヤーのかなり少ないローグラデーションスタイルを選択。

 レイヤーの全く入っていないワンレングスも視野に入れたが、毛先の動きが出づらいので却下した。


 スタイルは段の入り方とアウトラインで決まる。

 レイヤーの入っていない真っすぐにカットしたスタイルはワンレングス。アウトラインが前下がりなら前下がりワンレングス。

 少しだけレイヤーが入っているスタイルはグラデーション。前下がりや前上がりなど様々。丸さのあるマッシュはグラデーションが基本。

 それ以上にレイヤーが入っているものはレイヤースタイル。レイヤースタイルはかなり幅広い。


 奇抜なスタイル以外は全てこの三つのどれかのスタイルに該当する。もしくは掛け合わさったスタイル。

 

 モリオは心地の良いカット音を出しながらカットを進めた。

 ベースカットは10分掛からずに終わり、次は細かい部分に取り掛かる。

 毛先に束感を出すため『すき』を入れていく。セニングシザーは使わない。

 毛先を指で挟んで毛流れと同じように縦にシザーを入れていく工程。

 これはやり過ぎるとバサバサとさまとまりづらくなってしまうが、モリオはそんな失敗をしない。


 最後に前髪と思ったモリオだが、キュリは前髪を作っていない真ん中分け。

 

「お客様。前髪を作ってみるのはいかがでしょうか?」


 モリオはラーン王国で前髪を作っている女性を見ていない。みんな分けて額を出していた。


「前髪を作る?」

「はい。僕のように――こんな感じです」


 モリオは帽子を取って自分の前髪を見せる。前髪は軽く動きがあり、目の上の長さ。


「女の子っぽくないです」

「そうですか。残念です」


 モリオは床に落ちた髪の束をかき集めて簡易的な前髪ウィッグを作る。


「可愛いと思うんですけどねー。こんな感じで」


 簡易ウィッグをキュリの額に当てる。


「僕の世界では結構人気があるんですよー。可愛さが引き立ちます。逆に真ん中分けのスタイルは大人っぽさって感じですねー」


 モリオは悪い美容師の顔をしている。どうしても前髪を作りたいためだ。


「うーん」


 キュリは悩む。

 ここでモリオは美容師の顔からいつものモリオに戻る。


「なあキュリ。聞いてくれ。お互いに遠慮はしないと約束もしたし本心を言おう。僕は君を利用しようと考えている」

「え?」


 いつになく真剣な眼差しで続ける。


「僕はこの世界に美容の文化を発展させたい。そのためには広告塔となるマスコットが必要だ! それが君。キュリだ!」

「ますこっと?」


「そうだ。このラーンで前髪を作った女性を見たことがない。でも、容姿の整ったキュリが可愛い前髪を作って街を歩いたらどうだろう? 最初は男っぽいとか思われるかもしれない。でも人ってのは興味を持つ生き物だ。かならず前髪を作ってみたいという女性が現れる。必ずだ!」

「うーん」


「カラーだってそうだ。ラーン王国に住む人は僕のことをある程度知っている。なんせ勇者として現れたと思ったら違うという残念な異世界人だからだ。でもキュリは街中を歩いたのが数度。さらに今日髪の色が変わって新しいキュリに変わる。さらに前髪も作れば全くの別人に見える。

 だから僕と一緒にいるキュリは魔族ではなくヒト族と思われる。僕が美容師だからね。周りの人は、ヒト族が水色に髪の色を変えたんだって思うだろう」

「うーん」


「それに僕がキュリに聞いたことを覚えているかい? 髪の毛で悩んでいる人の気持ちを理解できるんじゃないかって。もし悩んでいる人が変われたキュリを見て希望を持ってくれるかもしれない」


 キュリはしばらく黙って鏡に映る自分を見ていた。


「わかりました! 私前髪を作ってますこっとになります!」

「キュリ。ありがとう」


 了承を得たモリオは目にもとまらぬ速さで有無を言わさず前髪を作った。悪い顔で。


「あああ心の準備時間くらいくださいよぉ! やっぱり作るのやめようかなとか思ってたのに!」

「切ってしまったものはもう戻らない。時が経つまでな」


 作られた前髪は眉毛が見える程の短いパッツンで、毛先は少しだけ軽くなっている。

 ぷくりと膨れたキュリ。


「大丈夫。僕の世界なら間違いなくフォロワーがうなぎ上りだ」

「そうやって知らない言葉を使う!」


「要は可愛いってこと」

「むぅ」


 まんざらでもなさそうな表情に変わったところでモリオはカラーの工程に移った。

 全神経を集中させて手のひらを髪に当てる。

 紫外線を使うこの魔法は一歩間違えれば相手に悪い影響を与えてしまう。

 色素を短時間で破壊するほど強力な紫外線。皮膚に当たれば日焼け程度では済まない。


 光が当たった部分は段々と色が薄くなっていく。

 しかし、完全な白になるまで色素破壊をすることは出来なかった。


 これはモリオの恐怖によるもの。台所で行ったときは被害を受ける相手がない状態だったが今はキュリがいる。

 モリオの額に汗がにじむ。


「ふぅー」


 キュリの濃い紫の髪は薄い桃色になった。


「モリオ。髪がピンクです」

「うん。ちょっと想像と逆でビックリしてる」


 モリオは色素破壊で青方向にシフトしていく思っていた。しかし、シフトしたのは赤方向。

 日本人のような黒髪であれば、メラニン色素の破壊で黒からオレンジ、黄とシフトしてくが、紫の地毛の脱色は初めての経験。

 台所での実験は自身の手で隠れていたため変化の過程は見えていなかった。

 しかしモリオは焦りはしない。

 こんな時のために草を煮てお隣さんに怒られて、キュリにブーブー言われ続けてきたのだ。


「でも安心してくれ。ここからが本当の美容師の腕の見せ所だ」

「ほんとですか?」


 モリオはカラーチャートの下の棚に並べている粉の入った瓶をいくつか手に取って台所に運ぶ。

 そして、木製の小さなボウルに粉を混ぜ合わせていく。


「それは何ですか? 干していた草の粉末ですよね?」

「うん。これはヘナっていう染色剤。これをお湯で練って髪に塗れば、髪が染まるんだ」


「え!? あの臭いの頭に付けるんですか!?」

「煮込んでたときみたいな匂いは出ない。――はずだ」


「はず!?」

「キュリ。ちょっと魔法で熱めのお湯を鍋にくれ」


 キュリはその場から台所の鍋にお湯を出した。

 モリオはボウルにお湯を入れて混ぜていく。

 水色に染まるヘナ一種だけでは残っているピンクと混ざって紫に戻ってしまうため、補色として少量の緑色も足した。


 モリオは銅貨5枚の革手袋を装着。右手にはハケ。ハケはシザーケースに元から入っていたモリオ愛用の物。

 ヘナの香りは悪臭ではなかった。


 嫌がるキュリに無理やりヘナを塗りたくっていく。

 しかし、すぐに抵抗を止める。


「温かくて気持ちいです。それに草を踏んだみたいな匂いで嫌いじゃないです」

「な! 言ったろ?」


「はずだって言ってたくせに」


 塗布が終わり五分間の放置後カラーチェックをしてキュリを風呂場へ走らせた。

 風呂場から戻ってくるキュリを見てモリオはほっとした。

 綺麗な水色にしっかり染まっていたからだ。


 自家製ヘナで実際の所ぶっつけ本番で試したため不安があった。

 しかし成功である。


 乾かし終わって仕上がりを見たキュリは一日中喜んでいた。


 そして、モリオがこの世界で美容の可能性を初めて見た日となった。

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