第十話「染料」
「臭いです!」
「我慢しろ!」
ボロ屋に住み始めて一週間の時が過ぎた。
家具もある程度揃ってきている。
布団二組。小さなタンス二つ。脚の低い円形テーブル。魔石式コンロ。小鍋。木製のバケツに雑巾。洗濯板と桶など。
普通に生活する分には困らない。
壁にはハガキサイズの布が何枚も張り付けてある。
この布は全てが違う色をしている。
赤。橙。青など。赤は赤でも濃い目の赤や桜色に近い薄い赤など様々。このように橙や青もある。
「臭いです! 臭いです!」
「もう少しだから我慢しろ!」
風呂場で洗濯をしているキュリの声に反論しながらモリオは台所で草を煮ている。
鍋の中はどす黒い液体に揺れる草。
もんもんと上がる湯気は何ともいえない匂い。
モリオは火を止めて白いハガキサイズの布を鍋に一枚投げ入れた。
ふぅと息を吐いてその場に腰を下ろし左腕を見た。日に焼けたように手首の一部分だけ肌の色が濃くなっている。
洗濯物の入った桶を両手で持ったキュリが出てくる。
「お洋服に匂いが付いたらどうするんですか! 臭いのは嫌なんです! 外でやってください!」
「この前外でやってたらお隣のギレスさんが怒鳴り込んできたじゃないか。だから家の中でやってるんだ」
ギレスとは隣に住むリザード族のおばさん。ガミガミとうるさいタイプの隣人である。
「むぅ」
ふくれっ面でキュリは外に出てせっせと洗濯物を物干しに掛けていく。
モリオは台所の窓からそんなキュリを眺める。
洗濯物専用の物干しの横にはモリオ専用の物干しもある。そこには大量の様々な草が干してある。
キュリは桶を頭にかぶって戻ってくる。
「いったい毎日毎日何をしているんですか? お料理の練習ですか?」
「内緒だ」
「ぷぅ。またそうやって教えてくれない!」
「完成したら教えるさ。――ところでアモスの宿題はもう終わったのか?」
「これからやるんです!」
キュリは正座で丸テーブルに紙を広げてペンを出す。
その様子は宿題をしなさいと親に言われて仕方なさそうにする子どもそのものだ。
キュリの魔型が水だったことからアモスは張り切ってしまったのだ。
水型魔法学校卒業の血が騒いだのだろう。キュリに水魔法の基礎を叩きこんでいる。
風呂にお湯を張るくらいなら問題なくできるようになった。しかし座学は苦手。
光魔法のヒントになればとモリオも一緒に問題を解いたりしているが、今日は違う。
モリオは自分のタンスからシザーを取り出した。
「なあキュリ。お願いがあるんだ」
「今勉強中です」
「なにかをしてもらうとかではないんだ。キュリの髪の毛を一つまみだけ切らせて欲しいんだ」
キュリはペンを止めてモリオを見た。半眼である。
「別にいいですよ」
「ありがとう」
モリオは根元からほんの一つまみ切り取った。
「私の髪の毛をどうするんですか?」
「秘密だ」
ぷっくりと頬を膨らませて宿題に戻るキュリ。
モリオは台所に髪の束を置いて手のひらをかざしてイメージする。
30センチ程ある髪。手をかざしているのは毛先側の10センチ程の部分。
手のひらからは明るい紫色の光。
しばらくこの光を当ててモリオは髪の状態を確認する。
色に変化はなく、毛質が少し硬くなった。
「ケラチンがやられたか」
ぼそりとつぶやき、再度同じ部分に光を当てる。
先ほどよりも強い光。
そして同じように確認する。
毛先の色が少し薄くなったが、先端部分に枝毛が増えた。
「うーん。結合系が死んだか……。やっぱり無理なのか。いや、出来るはずだ。もっと繊細なイメージだ」
モリオは光魔法による脱色を試している。
毛髪内の色素のみをピンポイントで紫外線による破壊が出来ないかの実験。
日焼けサロン程度の紫外線を魔法によって出すことは、自身の左腕で検証済みである。
さらに、イメージで内部を変化させることが可能というのも実験で成功している。
このときの実験は買ってきた厚めの生肉を使用したもので、内部に赤外線を発生させて生肉の中心部分のみを焼くというもの。
さらに、鍋の中に生肉を入れて蓋をし、その肉の内部のみを焼くことも成功している。
モリオはこの実験から、魔法は触れていなくてもイメージによって部分的に発生させることが可能だと理解した。
さらに元の世界にいたときの科学的な解釈。毛髪の構造などは嫌という程勉強してきた。
構造をイメージできるなら、毛髪内色素のイメージも可能であると。
そう考えキュリの毛髪を実験で使っている。
「繊細なイメージ。コルテックス。メラニン。間充物質。イメージだ」
モリオはまだ光を当てていない中間部分に手をかざす。
先ほどと違う研ぎ済ませれた光が放射される。
すると紫色だった髪がだんだんと色味を失っていく。
そして中間部分だけが白髪のように真っ白に変わった。ダメージもない。
モリオはガッツポーズと共に大きな声を上げた。
「っしゃー!」
この声で宿題に集中していたキュリが正座をしたままびくりと跳ねた。
「はは! やったぞ! できた! この魔法は凄いぞ! ははは」
普段はこういった感情を表に出さないモリオ。キュリは恐る恐る台所に近づく。
「ビックリするのでいきなり大きな声は出さないでください!」
「見てみろキュリ! ほら! この髪!」
キュリは台所の上にある自分の毛を見た。
「え? 白くなってる?」
「そうだ! これは脱色だ! 本来はブリーチ剤を使わないとできない! でもこの世界では魔法でブリーチが出来るんだ! さらにノーダメージでだ!」
きょとんとするキュリ。
「白くなっちゃうとおばあちゃんみたいです」
「違うんだ。ブリーチができるってことは、他の色に変えることが出来るってことなんだ! 例えばキュリの髪の毛を紫から好きな色に変えることが出来る」
「ほ、ほんとですか?」
「ああ」
キュリは目に涙を浮かべる。
「私を――ずっと私を苦しめてきたこの髪の色を……変えられるのですか?」
「ああそうだ」
モリオはキュリの過去を聞いてはいない。
しかし予想は出来ていた。
奴隷商が紫の髪で監禁していたと言ったこと。
メイドのリジェから髪の毛を触ると嫌がると聞いたこと。
美容師は髪の色を変えることが出来ると教えてかすかに反応したキュリを見たこと。
アモスが紫の髪で嫌な想いをするだろう言われたこと。
そして今、涙目のキュリを見たこと。
モリオの中でキュリは自身の髪色に悩んでいると確信に変わった。
そしてモリオの求める最後のピースは鍋の中で緑色に染まり、その時を待っていた。
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