Ⅰ 下駄箱の異変

 聖ヴァレンタインデー当日の夕刻。某所・とある高校の下駄箱……。


「――ハァ…ドキドキの瞬間だな……」


 辺りが静寂とオレンジ色の陽光に包まれる中、勉強もスポーツも見てくれ的なものもそれなりの、頭の中は異性のことでいっぱいなごくごく凡庸な男子学生が、おそるおそる自分の下駄箱の扉をゆっくりと空ける。


「おおおっ! やったぜ! 俺にも奇蹟が起こった!」


 すると、中には綺麗なピンク色の紙でラッピングされ、赤いリボンのかけられた小さな箱が一つ入っていた。


 今日という日とこのシチュエーションから考えれば、十中八九、その正体はチョコレートであろう。


「神さま、感謝します! さて、誰からかな? 何もメッセージはないけど……」


 普段、特に信心深いわけでもないのだが、けして女子にモテる方ではない彼は胸の前で手を組んで天を仰ぐと、手紙など他に何も添えられていないことを確かめ、ならば箱に書いてあるのではないかと上下左右に角度を変えてこねくり回す。


「中に手紙でも入ってるのかな? ……ええい、気になって家まで我慢できん!」


 そして、差出人などなんら記載のないこともわかると、我慢しきれずにその場で包みを開け始めた。


 いったい、誰が自分なんかにくれたのだろう? もしや、好意を抱いている学年でも五本の指に入るカワイイあの子か? ……いや、それは妄想が過ぎるというものだろう。やはり現実的に考えれば、仲の良い女友達であるクラスメイトのあいつか? それとも部活の後輩? いや、それともまだ名も知らぬ内気な美少女が……。


 淡い期待と不安、打算的な憶測と予定調和的な妥協など様々な考えが頭の中を巡り、他に人気ひとけのない静かな昇降口で、独り鼓動をうるさいくらいに激しく刻みながら、彼は急いで包み紙を取り去る。


「ゴクリ……」


 大きく喉を鳴らした後、続けて小箱の蓋も開けてみる彼だったが……。


「うわあっ…!」


 その瞬間、手のひらに収まるほどの小さな箱の中からボワっと煙が昇り立ち、等身大の人影が姿を現したのである!


「な、なんだ!? …………え? お、おばさん?」


 驚いて箱を投げ出し、尻餅を搗いた彼が目を真ん丸くして覗うと、その人影は一人の中高年女性のものだった。


 ピンと背筋の伸びた身体になにやら高そうな茶の着物を纏い、頭は黒髪を高級クラブのママのようにセットした、どこか演歌歌手のような印象も受ける上品な笑顔を湛えたご婦人である。


「な、なんでチョコがおばさんなんかに……」


 呆けた顔で彼はその場に座り込んだまま、目をパチクリとさせてそのご婦人を見つめた――。

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