第8話
「消えた…」私は想定外の答えに呆けた老人のように口走った。どういうことだろうか? まるで幻覚や幽霊かなにかだったのだろうか? いや幻覚などではない、確かに彼はいた。今は水の底になってしまったファシリティのオフィスにも彼のデスクはあった。スターウォーズが好きなようでダースベーダーやジャージャービンクスなどのフィギュア人形がいくつも飾られてた。
「何が起きているのだ…」まったくあり得ない事態が続き考えることすらつらくなってきた。白井も他の人間も同じようで、ただ首を振るだけだった。しかし、リーだけが何か特別なことをしたわけでも無いことは明白だ。運が悪ければまた誰かが犠牲になるかも知れない。
「当分、屋上に見張りをたてるのはやめよう」誰かが口走った。そもそも救出を待つために見張りをたてることを決めたのだが、このままでは救援がくる前に全員消え去ってしまうかも知れない。
「私もその意見に賛成です。しばらくは屋内にいましょう。ところで監視カメラなどで救援ヘリコプターなどが来ることを監視する事は出来ないのですか」私は皆を見回した。まだリー以外にもファシリティの人間は残っている。彼らなら熟知しているはずだ。
「残念だが監視室は既に水没したよ。予備のものも無い」例の部長が言った。
「誰かコンピューターに詳しいものはいるか?」私は生き残りの者を見回した。ハッカーでもいればコンピューターでハッキングして監視カメラを使えるように出来るかも知れない。だが、手を挙げた者は三十代後半のごく普通の女性だった。
「情シスの小川です。業務ではヘルプデスクを担当しています」情シス程度のスキルでは役に立たない。
「ありがとう。実は会社の監視カメラをハッキングしてもらいたいのだが出来るか? 無理にとは言わない。無理なら出来ないと言ってくれて結構」声をかけた手前、とりあえず私の考えを伝えた。この女性が見るからにコンピューターオタクと言う風貌ならまだ期待してしまったかも知れない。だがこんな普通の女性が寝食を惜しんでキーボードを叩いているような人間には思えなかった。だが彼女の返答は意外な物だった。
「シスアドの経験とか有りませんが、こうしてはどうでしょうか?」彼女は机に積んであるノートパソコンを開いて電源ボタンを押した。PCがレジュームから復帰し、彼女がログインするとそこには非常階段の映像が映し出されていた。
「まさか?」私は正直驚いた。こんな何の変哲もない主婦がこんな軽々とハッキングしてみせるとは。
「いえ、別にハッキングしたわけではありませんよ。わたしにそんなスキルはありませんし」彼女はくすりと笑った。
「だがその画像は?」
「これは別のパソコンのカメラ画像ですよ。無線LANで外にはでれませんけど内部ならつながります」
「でも何故こんなことを?」
「娘がトイレに行くのを怖がりますから、これで見ててあげるよ、っていってあげてるんです。それに浸水ぐあいも確認出来ますから」彼女は脇ですやすや寝ている娘さんの頭をなでながら言った。なるほど、べつに監視カメラをハッキングする必要もなかったわけだ。最初からパソコンやスマフォを使えば訳ないのだ。わたしは、この女性を見くびっていたのを恥ずかしく思った。そして柔軟な考えも出来ない自分が愚かな人間だと感じた。四十年近くも生きてきて、何をやっているんだろう。それにいやな奴だ。
「これはすばらしい! さっそく屋上の空が見える場所に取り付けましょう」白井が感嘆の声をあげた。
「外に置くのは良いが雨除けはどうするんだ?」誰かがつぶやいた。そうだ外にパソコンを置くとしたら、防水の心配もいる。
「そうですね。それはうっかりしてました。屋内とは訳が違う。でも透明な箱が有ればいいのですよね。こころあたりはあります」白井はそう言うと、フロアを出て非常階段で下に降りていった。よもやそれが白井の最後の姿とは誰も思わなかった。
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