第4話

 案の定と言うべきか、既に黄昏時であるのに救助どころか報道のヘリすら飛んでない。もちろん救急車のサイレンすら聞こえてこない。ときおり、何かが爆発したような破裂音と黒煙が舞い上がっているところがある。既に何時間も前に、FMラジオ機能付きの携帯電話を持つ者を探し出して片っ端からチューニングを合わせてみるものの、聞こえるのはホワイトノイズのみで、圏内の放送はどこも途絶えている。備品倉庫から小一時間かけて引っ張り出した災害用のAMラジオの電源を入れてみたがこちらも空電しか聞こえない。電波状態が良ければ、大阪や韓国、ロシアの放送だって聞こえるはずなのだが、一切の放送が受信できなかった。

「いくら何でもなにも聞こえないとはなあ」私は徒労でため息混じりに嘆いた。

「たまたま故障しているだけかもしれませんよ。長い間スイッチ入れないでもそのままでしたから。それに夜になれば電波が改善すると思いますよ」白井は自らを慰めるように吐露した。確かに夜になれば電離層を反射して遠くのAM放送が聞こえる場合がある。だがそれは韓国やロシアなどの日本から離れた放送局の場合だ。関東はいざ知らず、東海、東北など国内の放送が全て途絶えている。これは考えているよりかなり重大な事態に陥っているのは間違いないだろう。そうなるとよけいに妻子が心配になってきた。最近は仕事も忙しくて別宅に入り浸りだったせいもありほとんど帰ってない。

「白井さん、やはり今日は自宅に戻ろうかと思う」私がそう言うと彼は驚いたように目を見開いた。

「何度も言いますが、やめた方がいいですよ! 実は若い連中の何人かは私の制止を無視して、様子を探りに外に出ていってしまって」

「それで、何か連絡はあったのですか?」

「未だだれも戻ってません。松島さんが戻られる少し前の話ですから、もうかれこれ五時間ほど…」自宅に戻ったのだろうか? そうでないとすれば不吉な兆候だ。

「非常用にアマチュア無線機とかおいてないのか?」携帯電話網が壊滅してもアマチュア無線ならなんとか救援を呼べるかもしれない。もし、日本、いや世界が滅んでなければだが。世界が滅ぶか、間違えでもそんなことを考えてはいけなかったのではないかと、頭に浮かべたことを後悔した。もしそうなら…。妻と子供が犠牲になっているとしたらと思うといたたまれなくなった。

「そんな古くさいものがここに有るわけ無いでしょう。シベリアの奥地ならまだわかりますが。でも、駅の近くにあるビッグカメラがあるでしょう? 彼らの一人はもしあれば手に入れて持ってくるとは言ってましたが、歩いて十分の店から戻ってくるのに五時間かかるはずはありません。なんらかのトラブルに巻き込まれたのでしょう」彼は目を伏せた。そして再び顔を持ち上げ、私にらみつけるように見据えて話を続けた。

「ですから、外にでるのは得策ではありません。おとなしく此処で様子を見ましょう」この男はやけに落ち着いているな。家族のことが心配ではないのだろうか? 私なんて心配で居ても立っても居られないのに。

 そう思っていた矢先だった。何か懐かしい香りが私の鼻孔をくすぐった。当初は勘違いと思っていたが徐々にそれは確信に変わっていく。白井も気がついたようで鼻をひくひくと動かした。

「何か臭いませんか」だが彼はそうは言ったもののにわかに信じがたいといった調子であった。

「ああ、だが此処は海岸線からだいぶ離れている筈だが」ここにつとめ初めてそれほど長い訳ではないが、此処でこれほどはっきりした磯の臭い、いやかすかな臭いでさえ嗅いだ経験はない。

「ええ、私は子供の頃からこの辺りにすんでますが、磯の臭いなんて海岸以外で嗅いだなんてありません」白井が言い終えると、そよそよとした風が割れたガラスから磯の香りを伴って吹き込んできた。

「松島さん」と白井が呼びかける以前に私は西の窓に駆け寄った。太陽が真っ赤に夕焼け空を照らしながら沈んでいく中、にわかに信じがたい光景が我々の目の前に姿を現していた。そこには徐々に水没していく横浜の町並みがまるで絵画のごとく幻想的に映し出されていた。

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