第3話

 私が九階まで昇る際、非常階段(驚いたことにエレベーターはまだ稼働していたのだが、ファシリティの人間に使うことをとがめられた。非常用電源で動作していたので、人一人使うために電力を消費することはしたくなかったのだろう)にも関わらずいくつもの死体を見た。彼らは一様に真っ黒に焼けただれ、苦悶の表情を浮かべて絶命していた。きっと苦しかったに違いない、とそのときは哀れに感じたが、九階のフロアに到着したときには若干ではあるが考えを改めざるを得なかった。彼らはまだましな方だったのだ、多くの死者は火傷というよりまさに炭となっていたのだ。

「なんて言うことだ…」思わず口から驚きの声を漏らした。だが不思議と悲しいと言う気持ちは微塵も感じなかった。あのころの私はあの大惨事を非現実的な、どこか遠いところで起こった自分に関わりない災害程度にしか感じていなかった。いや、逆にショックのあまりそういう風に思いこもうとしていただけかもしれない。

「松島さんですね?」背がすらっと高い、モデルと見まがうほどの美しい青年が立っていた。身長は百七十六の私よりも拳一つ分、百八十センチ以上はあるだろう。彼には見覚えがある。数年前に我が社に新卒で入ってきた男だ。わずか数年で室長とは随分と優秀なのだな、と感じた。

「すまんが、なにが起こったか説明してくれないか? 朝から地下で実験のためにこもっていたので、まったく状況をつかめていないのだよ」

「それは幸運でしたね。先ほども話しましたが一時間ほど前に発生した原因不明の閃光で、それを浴びたと思われる社員は全員死亡しました。生き残ったのは、物陰にいた者やトイレの個室やエレベータ、会議室など外からの光から遮断された環境に居た者のみです」と白井は今までの経緯を話し始めた。彼曰く、閃光はほんの数秒、一瞬まるでカメラのフラッシュでも光ったかのようにあたりを照らしたのだという。直接その光をあびたものは例外なく発火し、程度の軽い者は部分火傷、酷いものは全身から火を噴いて、やがて炭化したという。だが少なくとも間接光程度では発火現象は起きなかったようだ。彼の話から閃光による熱線で皆が焼かれたわけではないように思えた。そうであればカーテンや調度品も焼け、被害はこの程度はすまなかったはずだ。その光により体内の電子が励起され、エネルギーポテンシャルが引き上げれれ、発熱、発火したのではないかと思えた。しかし私は物理学者ではない。とくにはっきりとした根拠があるわけではなく、激しく燃えたのが動植物のみで無機物はほぼ無傷であることからそう感じただけだ。

「私から説明できるのは此処までです」意外なほどこの男も情報を持っているわけではなかった。やはりというか責任者として情報が人より集まってくるだけで、外部から途絶された環境で全概要を知るにはやはり何らかのメディアがないと難しいという当たり前な事実のみなのだ。

 とりあえず何かとんでもない災害が起きたことだけは理解できた。先ほどまでの暗闇を手探り歩くような不安は少しは消えつつ有った。だが、そうすると今度は別のことで無性に不安に駆られてきた。自宅の妻と子供は大丈夫だろうか? まだ、彼女たちは遠く離れた埼玉県の田舎にある自宅に居るだろうから、此処よりもマシであるとは信じていた。だがこの災害、いやテロか戦争かもしれない。これが局所的なものかどうかわからない。

「いったん自宅に帰りたい」私は弱音を吐くようにつぶやいた。意図したわけではなくふっと声に出てしまったのだ。

「今は外に出ない方がいいですよ。この状況ではおそらく電車もバスも動いていないでしょう。不遜な輩も徘徊していないとも限りません。十年前の大地震でも、騒ぎに乗じた強盗やレイプが多発しましたから。とりあえず備蓄食糧が地下倉庫に二週間分、もちろん全社員分ですがあります。不謹慎かもしれませんが全社員の半分以上はお亡くなりになってますから彼らの分を考えなければ一ヶ月持つでしょう。まあ、そこまでここでサバイバルなんてごめんですが、きっともうじき国軍が救援に来てくれます」彼は努めて明るく装っていたが、その表情には時折こわばった気配を滲ませていた。

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