検閲官の蒼い月 - 6
「どこいくの モモチ」
いつもと違う道を走っている事に、少女は不安を覚えているようだった。
「おうちかえらないの?」
「おうちにはもう帰れないんだよ」
憲兵隊に先回りされているだろう。今頃僕が居たという痕跡が消されているはずだ。僕は両親と同様に、このオワテル国に居なかったものとして扱われる。
「じゃあ どこいくの?」
僕の行き先は決まっていた。
「ふわふわちゃんに会いに行こう。『ニシオオイズミ』へ」
それが僕の最後の希望だった。
卍
『ニシオオイズミ』はそのスケールから近くにあるように見えて、その実結構な距離がある。近くまで来るとかなり大きい。こんなものがオワテル国に我が物顔で聳え立っているのだ。
「いっそこのまま侵攻してくれればいいんだけどな」
まるで反体制派のような事をぼやきながら、僕は彼女を抱えて自然体で入った。名目上、オワテルとの親交の証で作られたタワーであるため、下層エリアは素通りする事ができる。
謎の金属光沢のある素材で作られた壁や床。あちこちに設置された端末。その間を、無人ロボットが行き来している。この大きさとは裏腹に、そこで居住する人間の数はあまり多くない。だだっ広い各階層のフロア管理やメンテナンスは基本的に機械が行っている。オワテルでは考えられない科学力だった。
「モモチ すごい。へんなかたちがいっぱいいる」
「あの人たちはお仕事してるから、邪魔しないようにしないとな」
妙な事をしない限り、ロボットからこちらに干渉してくる事はない。ここでは買い物だって可能だ。本家である練馬大国や、イルメン国から仕入れた物資が潤沢に揃っている。
ただ、その分セキュリティもきつい。さらに上の階層へ行くにはそれなりの手続きが必要だった。
『パスポートを拝見いたします』
保安検査場のロボットから、流暢な共用語が流れてくる。僕はいつも通り"二人分"のパスポートを出した。ロボットのモニタ部分から光学センサーが放射され、パスポートと僕達を照らしていく。
『ようこそ、練馬大国ニシオオイズミへ』
検査は数分も経たず終わり、あっけなく通過できた。
「なんだったの?いまの」
「真理省勤めの役得ってところだ。誰も真似しないんだけどな」
僕は総括されるべくしてされる人間なのかもしれない。彼女もよくよくツイてないと、自嘲気味に笑った。奴隷として売られ、ようやく買ってもらったのが僕のような人間だったのだから。
通過した後僕達はエレベーターに乗った。目的の階層までエスカレーターを使っていたら、夜が明けてしまう。今の僕達にそんな時間はなかった。ほとんど無音に近い駆動音だけの小さな箱の中で、僕はようやく彼女を降ろした。
「モモチ ごめんなさい」
「ん?」
「わたしが わがままいったから 帰れなくなったんだよね」
「ああ、そんなことか」
不思議な事に虚勢でもなんでもなく、僕は些末な事だと考えていた。
「いいんだ。正直なところ、うんざりしていた。この国に真実なんてものは欠片ほどもないし、パンだって粘土混じり。そんな毎日を変えたくてじわじわ自分の首を絞めていってたわけだしな」
「……?」
「なあ、この国では手に入りがたいものが三つある。何か分かるか?」
「わかんない」
「明日を生きるためのパンと、真実だ。特に後者は酷い。あとひとつは──」
そこまで言いかけたところで、鈍い音と共にエレベーターが急停止した。再び動き出す気配はない。
「なんだ、どうしたってんだ」
コールセンターへ繋がるボタンを押すが、反応はない。しかし何度か押している内にすぐ上のモニタが点灯した。
『こんばんは、ドブネズミ諸君』
そこに映っていたのは笑顔のメルル・オルデュールだった。
『貴方も大したものですが、憲兵隊の情報網を侮ってもらっては困りますねェ』
「……パスポートか」
『言いましたよねェ。貴方の素行の悪さは有名だって。偽造文書なんてもう言い訳できませんよォ』
くつくつと喉を鳴らすメルル。
「よく言うぜ。真理省でやってる事なんて偽造文書の粗製乱造じゃあないか」
『威勢が良いですねェ。拷問にかけられてもそんな事言えるのか楽しみですよ』
「あんたもつくづく救われないな、メルル・オルデュール。いつかあんたもこっち側に来るんだ。僕達は誰一人として救われない。この国はとっくにおしまいなんだからな」
『……すぐそちらに向かうのでェ、首を洗って待っててくださいねェ』
通信が切れる。密閉された宙づりの箱の中。乗ってから何秒間くらい上昇していた?最早考えている時間はなかった。
「ちょっといいか」
訝る少女を肩車し、立ち上がる。
「天井に蓋のようなものがあるだろ。それを持ち上げてくれ」
「えっと……こう?」
彼女が持ち上げるとそれは簡単に開き、箱の外へ出られるようになった。彼女を先に上げて、それから自分も這い上がる。案の定四方は壁に囲まれており、下へ降りられるほどの隙間はない。上にあがるためのワイヤーはあるがグリースに満ちていた。
「いいか、何があっても僕の背中にしがみついてるんだぞ」
「モモチ なにするの?」
「考えたくもない事だよ」
着ていたシャツを脱ぎ、適当な長さに破る。それを両手にきつく巻いてすべり止めにする。明かりがないため上を見上げてもどこにドアがあるのかいまいちわからない。それでもやるしかなかった。
「よし、いくぞ」
卍
彼女を背負っていよいよ登り始める。二人分の重さがすべり止め越しに食い込んできて、ものの三メートルで腕が悲鳴をあげ始めた。
まだまだゴールは長い。ある程度の高さまで登れば途中でやめる事もできなくなる。生きるためには四肢がバラバラになってでも続けるしかなかった。
「モモチ だいじょうぶ?」
「だいっじょうぶ……だから……絶対離すんじゃないぞ」
虚勢だった。数センチ腕を上にあげるだけでも身を引き裂かれる思いだった。目に垂れる汗をぬぐいたいが、グリースまみれの腕ではそれもかなわなかった。
「がんばれ モモチがんばれ」
すると、彼女が僕の額を拭ってくれた。荒い呼吸をかき消すように、激励の声をかけてくれる。何度でも名前を呼んでくれる。身体はとっくに限界を超えているが、その度に僕は腕を伸ばし、ワイヤーを腿で挟みなおし、地道に、地道に登り続けた。
「さっきの……質問の答えだけどな。どこにいくのかって……」
「モモチ」
「らくえんだよ、イルメン国。そこならあの怖いお姉さんも来られないからな」
「らくえん……」
「らくえんはいいぞ。人は死なないし、売られないし、朝日だって浴びることができる。羊や鶏に囲まれて暮らす事ができるんだ」
「モモチも 来るんだよね?」
ようやく目的のフロアに続くドアが見えてきた。震える手で胸ポケットに手を伸ばし、カードキーを取り出す。内側にある端末にそれを通せば、ドアはひとりでに開いた。
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