第九章 ブア(ハス) 二〇一一年
九.一 シブヤ
二〇一一年四月 東京
「さなえ、地域経済論のノート貸してくれませんか?」
タイからの留学生のプラパンが、遠慮深げに左右田さなえに聞いた。どうやら日本人の地域経済論の先生の英語が聞きにくいらしい。
確かにその先生の英語はとても日本人的な発音で、さなえには問題なく分かるが、タイ人のプラパンには時々分からない所が有るらしい。分からない箇所が気になってしまうと何となく全体の話が分からなくなってしまうようだ。
左右田恒久の一人娘のさなえは、昨年の十二月にタイでISB(インターナショナル・スクール・オブ・バンコク)の高校を卒業した。単位取得の為、三ヶ月間の補講を受けてから卒業したのであった。
今年の一月には母親と帰国して大学受験の結果、首尾よくこの四月に渋谷にある立智大学英米文学部に入学したのだ。
立智大学には比較文化部と言う学部あり、その学部には特に外国からの留学生が多く、留学生が日本での生活や学園生活に早く慣れるようにと、「留学生サポート・プログラム」と言う留学生支援のためのプログラムが学内に用意されている。
さなえは、サポート側としてさっそくこのプログラムに登録した所、三人が割り当てられた。その中にタイ人のプラパンと言う学生がいた。プラパンはやや色が浅黒く、手足が長く全体的に華奢な体つきで、目はくりくりと大きめで男性の割には愛嬌のある顔をしている。
彼は日本語もかなり出来るが、バンコクではタイ人の学生が多く通っている私立の英語系の学校に高校時代まで通っていたので、英語には何不自由ない。
プラパンはいたって積極的な性格で、生活面でも学業面でも、何でも自分でやって行けるタイプで、サポートは殆ど必要無かったが、流石に日本人の「地域経済論」の先生のジャパニーズ・イングリッシュには参ってしまったようだ。
そこで、次回から授業が終わったらノートのコピーを渡すようにした。
もっとも、彼の、ややアメリカ訛りで、さらに語尾を飲み込んでしまうようなタイ人独特の英語も、お世辞にも分かりやすいとは言い難いので、おあいこかなとさなえは密かに思っている。
そんな事をしている内に、プラパンがお礼に「お茶でも」と言うので「それでは」と言いう事になった。
所が、授業が毎週あるので一緒にする「お茶」が毎週になった。バンコクに数年いたことのある日本人と、バンコク生まれのタイ人との関係が、急速にその距離を縮める事になったのは自然の成り行きであった。
だが、ある時さなえから、週末にでも何処か東京近郊で行ってみたいところが有れば案内しようか、とプラパンにオファーをしたが、大変ありがたいが取り敢えずは予習や復習で、授業にキャッチアップして行くのがやっとで、週末に出掛ける余裕が無いと断られてしまった。
話を聞いてみると、日本語学校にも通っているし、食事は自分で作ったり、週末は溜まった洗濯をしたりで、大学の勉強以外でも忙しいとの事だ。もっとも日本語は彼の曽祖父が日本人なので、聞いたり話したりするのはほとんど問題ないようだ。日本に興味を持ったのは曽祖父の影響のようだ。
留学生サポート・プログラムで、さなえがサポートを担当している留学生は、プラパンの他に、大連からの中国人女子学生の夏淑明、オーストラリアのシドニーからの男子学生のピーター・サックスである。
ピーターは小学校の頃からシドニー日本人学校に通っていて、日本語も上手だし日本人の英語にも慣れていて、こちらは全くサポートがいらない。だが、どうやらさなえに興味があるらしく、しつこくデートに誘って来るが、彼には逆にそれはサポート・プログラムの範囲ではないと断っている。
中国の中でも日本語の勉強に最も熱心な都市のひとつと言われている、大連からの夏淑明も日本語が抜群に上手く、生活する上であまり手のかからない留学生だが、やはり地域経済論の授業には多少苦労している様子で、プラパンに対すると同様にノートをコピーしたり授業の内容を教えたりしている。
プラパンがピーターの様にうるさく言ってこないのは、さなえの事に興味が無いからだろうと思っていた。だが、さなえは彼の事が何故か気にかかっていた。あの、くりくりとした大きな黒い目で見られると、心の中まで見透かされているような気がして、顔が赤くなってしまうのが自分でも分かるぐらいだ。
サポート・プログラムには、自らの使命だと思って参加した。自分もロンドンとバンコクで現地の学校で苦労して来ているからである。とりわけ外国人に混じって外国語で勉強するのは大変だ。
さなえにとっては、バンコクでは二度目の海外の学校と言う事もあって、ある程度慣れと覚悟が出来ていた。だが、初めてのロンドンの時は小さかったこともあるが、それこそ右も左も分からなくて、今でも、辛かったことも楽しかったことでさえも、トラウマの様に思い出すことが有る。
ロンドンの小学校では、意地悪な男の子達に時々いじめられた。いじめというよりはむしろ悪戯であったのだろう。金髪のレイチェルと言う子と、親と以前ケニヤにいたと言うインド系のカマラと言う女の子には助けられることが多かった。二人とは幼稚園時代から仲が良く、特に、男の子達の悪戯に対しては体が大きいカマラが助けてくれ、勉強はよくレイチェルが助けてくれた。
助けが有ったり、慣れたりすれば、辛い事も楽しくなるのだ。さなえは、今度は自分がお返しをする番だと考えたのである。
だが、プラパンに出会ってからは、助けてあげようと言う始めの使命感が、徐々に相手に対する好意に変質しているのが自分でも分かった。
ただ、始めのうちは緊張していた事もあったのであろう、プラパンは自分の周りの人の事は全く眼中に無く、目の前の学部の勉強や日本語の勉強といった課題で頭が一杯の様子であった。こんな状況では、自分が入り込むすきは全くないであろうとさなえは諦めていたのだ。
所が、バンコクを思いださせるような梅雨の晴れ間の茹るような暑い日が何日かあった六月末のあたりから、プラパンのさなえに対する態度が少し変化してきたように感じられた。
「ねえ、さなえ、今度の日曜日もし空いていたら銀座に行って見たいんだけど、連れて行ってくれる?」
浅黒い肌に、人懐っこそうな黒く大きな目のプラパンは、日本での生活にも多少慣れ、勉強のペースもある程度つかむことが出来る様になった様子だ。これまではどちらかと言うとさなえのペースで進んできたが、徐々にプラパンのペースに移り始めた。
プラパンに銀座を案内した日は、しとしと雨が降りそれ程暑くは無いが、相変わらずじとじと湿気が多く天気には恵まれなかった。だがさなえにとって天気が悪い事などは全く気にならず、むしろ雨降って地固まると、幸先が良いなどと勝手に考えていた。彼はは、この湿気をたっぷりと含んだ空気の匂いが、バンコクを思い出させると言って、懐かしそうに胸いっぱいに梅雨時の空気を吸っていた。
銀座を案内してからは、二人とも期末試験で忙しく顔を合わせる事が無く、試験が終わって七月下旬からの夏休みに入った。さなえが試験も終りほっとして、さてプラパンにどう連絡したものか逡巡している所に、彼からからメールが来た。夏休みはバンコクへ帰省しないようだ。
「さなえ様
試験はいかがでしたか?私は、一つの学科を除いて比較的良く出来たと思っています。
さて、ご迷惑でなければ、試験も終わった事ですし「打ち上げ」を二人でしたいと思っていますが、如何でしょうか?八月の上旬は京都、奈良方面に行く予定にしていますので、出来ればその前にと思っています」
いつも二人の会話は英語で、交わすメールも英語であったが、今回は日本語であった。それも、しっかりした日本語である。彼はどちらかと言うと会話は得意だが、読み書に苦労していて、必死で外国人には難しい丁寧語や謙譲語を勉強している。時々使い方が正しいかどうか聞かれる事が有るが、聞かれると自分自身も正確に認識していないことが多く、これを機会にそうした言葉使いの本を買って勉強を始めた次第である。
「プラパン様
メールありがとうございます。「打ち上げ」良いですね。明日、午前中に大学に行く用事があるのでもし良かったら、十二時にチャペルの前でお会いできますか?打ち上げの打ち合わせをしましょう。十二時以降なら私は何時でも大丈夫です」
さなえは一刻も早く会いたくて、取り敢えず明日会う手筈をまずは整えたかったのだ。
結局、試験の「打ち上げ」は、京王井の頭線の高井戸にあるさなえの家で、プラパンがタイ料理の腕を振るう事になった。ナンプラーなど基本的なタイの食材は、母親の京子が時々タイ料理を作るので揃っているが、新鮮なパクチー、スィートバジルや足りない食材を、二人で東新宿のさなえの母親御用達のタイの食材店で調達した。
流石にプラパンの母親の直伝と言うだけあって料理は激辛であったが、本場の味そのもので、「ご馳走様。とても美味しかったわ。ところで、プラパンさん時々うちに来て料理を作ってくれないかしら?」と、母親が言うものだから、「プラパンさんはコックさんじゃーないわよ」と、さなえは釘を刺しておいた。
だが、それを口実にもっとうちに来てもらえるかしら、とさなえは思ったりもした。プラパン自身も料理をするのが好きらしく、「では代わりに日本料理を教えてください」と、さなえに向かって聞いたので、「勿論」と、答えたものの、料理をしたことのないさなえにとっては、日本料理の習得という課題が、また一つ増えてしまった。
「ところで、プラパンさんはバンコクのどのあたりに住んでいらっしゃるの?」
食事の後でお茶を飲みながら、京子が聞いた。
「はい、オンヌットってご存知ですか。スクンビット通りを真っ直ぐ東南に行ったスカイトレインのオンヌットと言う駅の近くです」
「あら、そうなんだ。プラッカノン運河を越えたところでしょう?私たちのお友達もオンヌットに住んでいるのよ。ちょっと大通りからソイに入ったりすると緑が多くて良い所よね。そうそう、そのお友達のお祖父さんが日本人なのよ」
「はあ、私の母のお祖父さんも日本人です」
「あら、そうなの?」
「それじゃー、日本人同士ならお互いお祖父さん同士、顔見知りかも知れないわね」
「そうですね。でも、五年ほど前に亡くなってしまいましたし、近くに日本人のおじいさんがいたと言う話は、聞いたことが有りません」
「まー、オンヌットと言っても広いからね」
「そうですね」
さなえは、京子とプラパンのやり取りを、卓球の試合を見る様に交互に見ながら聞いている。
「ところで、お宅のおじいさんのお名前は何ておっしゃるの」
「佐藤と言います」
「えっ?佐藤さん?佐藤さんっておっしゃるの?」
「はい、佐藤です」
「私の知っている人も佐藤さんって言うの」
「……」
交互に左右を見ていたさなえの頭の動きが止まった。
「ちょっと待って、お母さんのお名前何ておっしゃるのかしら?ナリサさん?」
今度は、プラパンを見たままさなえは動かない。
「はい……」
「あなた、チューレン(あだな)はトンさん?」
「はい…」
「あなた、ひょっとして苗字はワイタラーポットさん?」
京子は矢継ぎ早に聞いた。
「はいそうです。と言う事は、お母さんたちの知っている人と言うのは、僕の母とひいおじいちゃんの事ですか?」
「そうみたいね。プラパンさんは、中学からずっと寄宿舎に居たから、会わなかったのね。それに、ナリサさんはいつもあなたの事を、トンってあだ名で呼んでいたからね」
三人は不思議な物でも見たようにお互いのキョトンとした顔を見合わせた。
さなえは、親同士が昔からの知り合いということで、一層彼の事を身近に感じるようになって、嬉しかった。
京子にしてみれば、ナリサが初めからプラパンを紹介してこなかったのは、ナリサの気持ちの中に、兄妹かも知れない恒久の娘に、プラパンを近付けたくないと言う気持ちが潜在意識下に有ったのかも知れないと疑った。
ただ、京子は、確証もないのにそんな話をさなえや、ましてやプラパンに言えるはずはないと思った。
まずは、バンコクにいる恒久に電話をしなくてはいけない。
京子は焦った。
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