七.二  イサラヌパープ

 十月は、雨季から乾季への季節の変わり目の時期と言う事もあって、一年の内で九月に次いで雨量の多い時期だ。朝夕辺りに激しい雷雨に見舞われることも多く、一気に道路が冠水したりする。ただ、月末に近づくにつれてだんだんと雨が降らなくなってくる。

 日中の日差しは殊のほか強いが、陽が落ちた後や朝方は徐々にではあるが涼しくなって気持ちの良い季節の到来を感じさせる時期だ。

 この時期、旬を迎える果物は少ないが、ソムオー(ザボン)やソム(みかん)が食べごろだ。


 そんな十月のある週末、左右田恒久は京子と娘のさなえを連れて、久しぶりに「サムリット爺さんのお粥屋」で昼を食べようと言う事で、二〇〇四年に開通した地下鉄のフアランポン駅で降りてから歩いて中華街のヤワラート通りまで来た。

 ヤワラート通りの北側の歩道の幅は一メートルほどで、四角い敷石があちこち沈んだり、盛り上がったりとデコボコで、気を付けて歩かないとつまづいてしまいそうだ。

 足元に気を付けながら歩いていると、建物と建物の間のせいぜい二メートルほどの幅の横丁の入り口で、中年の男性が木の台にお尻を半分ほど乗せて寄りかかりながら、新聞名が赤で印刷されている中国語の新聞を広げて読んでいる。

 その隣では、美しいモデル嬢の顔がプリントされている、薄手のコットンのワンピースがはち切れんばかりの巨漢の中年女性が、どうやらお金の計算をしているようだ。すぐ奥には幾つかの大きな青いポリバケツに、洗い終えたのかこれから洗うのか、皿やドンブリが溢れている。

 恐らく夫婦で屋台の食い物屋をやっており、女房が昨夜の売り上げの勘定でもしているのであろう。亭主に任せておいたら勘定を誤魔化されて、女にでも貢がれてはたまらないと言う顔で、肩から下げたポーチバッグに入れてあるお金を数えながら何やらメモをしている。

 その横丁のずっと奥には、大小の鉢植えの木が立ち並んでいる。何本かのハイビスカスが植えられていて、赤や黄色、橙色の花が咲いているが、細い横町で日当たりがあまり良くないせいか、何とはなしに元気が無いように見える。更にその奥には緑に囲まれた住み心地の良さそうな二階建ての木造の民家が見える。

 ヤワラート通りをそのまま少し歩いた先の、イサラヌパープ通りを越えて少し行ってから右折した奥に、恒久と京子が何時の頃からか「サムリット爺さんのお粥屋」と呼んでいる店がある。

 店内に入ると、恒久は一瞬、タイムスリップして昔の店に迷い込んでしまったような気がした。

 今から十九年前に日本に帰るからと言って、京子と二人で挨拶に訪れた時と寸分違わないのだ。すっかり煮しめたような壁の色、カウンターの前の四角いアルミ製の大型のトレーやバットに山盛の貝の炒め物や焼いた魚、野菜、そして蛍光灯の傘から下がっているハエ取り紙に、引っ付いたばかりのハエが動いているのまで同じであった。

 だが、一つだけ違っている事があった。サムリット爺さんがいない事だ。

 大分年を取って、さらに恰幅の良さが増したサムリット爺さんの娘によると、今から七、八年前に取り立てて何処も悪くは無かったのに、それこそロウソクが燃え尽きるが如く、ふうーっと消える様に、大往生で亡くなってしまったそうだ。

 亡くなったのは丁度、恒久達がロンドンに駐在していた頃だ。

 爺さんが子供の頃に傷の手当をしてくれた日本兵の「河岸勘太」さんは、後に、タイ住井のOBでナリサの祖父である佐藤が調べてくれた所、終戦間際に米軍の爆撃にやられて戦死してしまったようだ。

 がっかりするといけないので、戦死の件はサムリット爺さんには伏せておいた。

 サムリット爺さんの「息子」の作るあさりのバジル炒め、揚げたプラー・チャラメット(マナガツオ)の甘酢唐辛子ソースがけ、恒久特注のプラー・ケム(塩蔵の魚)とニンニクで味付けしたもやし炒めなどは以前と変わらず絶品である。

「ねえママ、この揚げたお魚に山の様にかかっている真っ赤な唐辛子って食べるの?」

 さなえが、赤い唐辛子を箸で除けて魚の身を取り分けながら聞いた。

「そう、そのかかっているのだけ食べるのではなくて、そうやって少し除けてお魚と一緒にほんの少し食べればいいのよ。唐辛子の他にニンニクに玉ねぎと、パクチー(香菜)なんかが刻み込んであって、タマリンドのジュースとお砂糖が入っているので、甘酸っぱくて美味しいわよ。ほら日本でアジの南蛮漬けってあるでしょう、あれのタイ版みたいなものかな」

 母親の京子が時々タイ料理を家で作ったり、ロンドンではタイ料理レストランがあちこちにあって、家族で時々食べに行ったりしていたので、さなえはタイ料理に対して全く抵抗感はないが、初めて見た山盛りの刻んだ唐辛子には驚いたようだ。

「本当だ、甘酸っぱくて辛くて美味しい。それに、お粥が柔らか過ぎず、かた過ぎずで、ちゃんとお米がしっかり残っていてお米の味がしてこれ美味しいわー、パパやママの言う通りだわ。ここは本当に美味しい」

 さなえは「美味しい」の連発である。

「それに、このアサリのバジル炒め、何だろうコクが違う。アサリも新鮮だけどオイスターソースが効いているのかな」

 さなえは、小さい頃から味にうるさく、硬すぎる、軟らかすぎる、しょっぱい、甘さが足りないと生意気な事を言う子供であった。自分の舌と鼻には自信を持っている。要するに料理の味にはうるさい方で、常々京子に、貴方やお義父さんによく似ているわよねと言われている。

 パパ、さっきここへ来るときに車から見ていたトゲトゲのあるドリアンを売っていたけど、食べてみたいな。生のドリアンはきっと臭いかもしれないけど、ダメ?、ドゥアンチャイさんにこの間連れて来てもらった時にドリアンの味の月餅を食べさせてもらったけど美味しかったの」

 興味津々の顔で、さなえが聞いた。

「ダメじゃないけど、ドリアンはもう時期がすっかりすぎてしまっているし、この店には無いよ。ドリアンは臭(くさ)いと思うと臭いし、臭くなくて良い匂いと思うと良い匂いに感じるんだよ。それと、ドリアンは「におう」ものではなくて、食べて味わうものだよ」

 恒久が、さなえの臭(くさ)いと言ったのに反応して言うと、「うん、その話って、何度も聞いた。だから、食べて味わいたいの」と、さなえ。

 恒久は、さなえが「何度も聞いた」と言うのに苦笑しながら、サムリット爺さんの娘に、この辺りでドリアンをまだ売っている店があるかか聞くと、彼女は、旬は大分過ぎてしまったけど美味しいのを売っている店が近くにあるから買ってきてあげると言って、中ぐらいの大きさのモントーンと言う種類のドリアンとマンゴスチンを買ってきてくれた。モントーンは香りもマイルドで、日本人向きだ

 カウンターの所で、爺さんの娘は、「ドリアンは四月ごろから七月ぐらいが食べ頃で、値段も一番安くなるんだよ、死んだお父さんが好きでね。マンゴスチンはまだ美味しいよ、ドリアンと一緒に食べると良いんだよ」と、言いながらトゲトゲの皮をタオルで覆って抑え、実が入っていそうなふくらみの頂点に包丁を入れて押し広げ、上手に実を全部取り出してくれた。

 果物の王様と言われるドリアンは体を温め、果物の女王と言われるマンゴスチンはそれを冷やしてくれるので、一緒に食べるのが良いのだそうだ。

 包丁を入れて開き始めた頃からドリアンの匂いが漂い始めている。

「あー、この匂い」

 さなえが目をつぶって、鼻をクンクンとさせながら必死で匂いを嗅ぎ分けようとしている所に、もっこりとしたドリアンの実がお皿に乗って出て来た。

 京子は、如何にも「美味しそう」と言う顔をお皿に近づけて匂いながら、ニコニコしてている。

 さなえが目を開けて、むかれて出て来たドリアンの実をじっと見つめ、「写真で見るよりグロテスクかもね」と言いながら、フォークで小さめの房を自分の皿に取った。

 薄い黄色のドリアンの実は、見ためは確かにお世辞にも美しいとは言えない。

 しばらくさなえは、フォークで突いていたかと思うと、房の端の方をびくびくしながら食べた。また、目をつぶって今度は口の中で味わいながら、「本当だ…。なんだかマンゴーとバナナと何か良い匂いの果物を混ぜた様な、とてもフルーティーな香りがして美味しいわ」と言い、如何にもおいしそうに食べている母親を見ながら、うんうんと頷いた。

 さなえは、今度は大きくガブリと食べてから、「少し繊維質があってこのドロリとした舌触りが駄目な人がいるかもね。私は美味しいと思うわ。この強烈な匂いの中の、馥郁として芳醇なフルーツの濃厚な香りが何とも言えないわね」と、一人前の口振りだ。


 このドリアン、タイ人の全てが好きなのかというとどうもそうではないらしい。恒久の自家用車の運転手の東北タイ出身のタイ系のカンパーンが言うには、自分も嫌いだが、華人系以外はタイ人でも好きではないと言う人は多いとの事だ。

 ドリアンはどちらかというと高価な食べ物なので、金のある中国系は子供の頃から食べていて親しみがあるが、所得が低目のタイ系の人達は馴染みが無いということなのだろう。

 タイ人のカンパーンでさえ嫌いなんだから、馴染みのない日本人にとって、嫌いな人がいても不思議ではない。

 ドリアンの匂いに触発されて、やれクサヤだの、シュール・ストレミング(塩漬けニシンの缶詰)だの、ウオッシュタイプのチーズのマンステールやリヴァロだの、とお決まりの「匂い談義」をひとしきりした後で、三人はお粥屋を後にした。

 女性群が少し歩いて見たいと言うので、反対側のやや広い方の歩道を西の方向に歩いていると、漢方薬の匂いがした。ちょうど風向きが店舗の裏口から表通りに向かって吹いていて、店内のあらゆる漢方薬が混さった匂いを運んで来たのだ。

 さなえは興味深そうに近寄り、立ち止まって見ている。店の看板には「陳玄発薬行」とある。

 ヘビ、トカゲ、サソリなどのアルコール漬けが棚の上に並んでいて、それぞれ漬けた年代が違うのかアルコールの色が茶色がかった物から薄い物まである。壁には十センチ四方の薬の入った引き出し棚がずらりと並んでおり、それぞれの引き出しの前面に漢字で薬の名前が黒い字で書かれている。

 さなえが熱心に店内を見ていると、白衣を着た中年の女性が、「何か?」と言う顔をしたが、さなえが「別に」と言う顔で頭を左右に振りながら微笑むと、「そう」と言う顔で薬草を秤で量りながら薬の調合に戻った。

 さなえが関心を示したのは、漢方薬自体ではなく、ズラリと並んだ薬の入った「四角い引き出し」棚であった。今や多くがコンピューターに取って代わられてしまったが、図書館の検索用の図書カード目録入れにも似た所がある。

 店の一番奥の壁に面している棚は相当に年季が入っていると見えて、全体がいぶされ、いかにも使い込まれた旧家の大黒柱の様に茶色く光っており、それぞれの引き出しのおもて面には直接墨汁で薬の漢字名が旧式の繁体文字で書いてあるが、それもやや薄れかかっている。入口近くの引き出し棚もかなり使い込まれた様子ではあるが、奥と比べると比較的色が薄くこちらはラベルさしに、漢字の薬名が簡体文字で書かれているラベルがさしてある。注文で作らせたものか、引き出し棚はいずれも同じサイズで整然として見事なのがさなえの目を奪ったのである。

「わー素敵。私こういうのって大好き。ああいう風に引き出しがいっぱい有って何が入っているか書いてあるのがクールだわ」

 さなえの顔がほころんでいる。さなえは、母親の手を引っ張りながらあっちを見たりこっちを見たり、立ち止まったりとこの上なく楽しそうで、足取りもスキップしかねない勢いである。

「タイ語って面白いわよね。渋滞の事をロッティットって言うんだってね。ロットがティットする、車が引っ付くって言う意味なんでしょう?確かに車同士が引っ付いているよね」とさなえが面白がって言っていると、渋滞の道路の中央あたりで華人と思われる黒っぽい服を着た小さな老婆が、ソロソロと動き始めようとする車を手で制しながら、運転手を怖い顔で叱りつけながら横切ろうとしていた。

 さなえがそれを見ながら「アンタ!私が渡ろうとしているのに何で動こうとするのよ、危ないじゃないのよ!全く近頃の若いもんは、年寄を何だと思っているのよ。そこでじっとしていなさい!」と、実況放送さながらに、車の運転手に向かって老婆が言っていると思われるセリフを身振りを交えて言い、京子を見ながら「良く聞こえないけどタイ語ではなくて中国語みたいね」と笑った。

「うん、中国語みたいだけど、確かにさなえが言っているみたいに聞こえたね」

 京子は娘の台詞回しがあまりにも上手なので大笑いをしながら言った。

 恒久は、そんな二人を見ながら、結婚前に京子とヤワラートに来た時の事をフッと思い出した。

 まるでデジャブの様だ。

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