六.六  シーラチャー

 一九八九年の「暦の上」での乾季が始まるオークパンサーの日は、十月十五日だ。実際に、バンコクで雨季が終わり、乾季が始まるのは十月の終わりから十一月の始め頃である。


 オークパンサーも過ぎて、十月もそろそろ終わりの、雨が殆ど降らなくなってきたある日の午後、バンドタイ工業タイランドの林社長が、左右田恒久の事務所に約束の時間よりも三十分以上早く現れた。

「すみません、ちょっと早すぎましたけど大丈夫ですか?今日は車が珍しく空いていたもんですから」

「いえ、私は大丈夫ですが、ちょっと太田さんに連絡してみます」

 恒久が同じビルに入居しているティプロの太田に連絡をすると、すぐ来ると言う返事であった。

「ホント、バンコクは渋滞を見越して早く出ると早く着きすぎたりする事が有ったり、時間が読めなくて困りますよね。こないだうちの本社の社長が出張に来て、商務省の次官の所に表敬に行ったんですけど、三十分ぐらい早く着いてしまったら、本社の社長がうちの鈴木社長に、お前どのぐらいかかるか時間も測れないのかってえらく怒ったらしいですよ。

 渋滞は全く予測できないと抗議したら、言い訳するなと、もっと怒られてしまったんですって。全く理不尽ですよね。ま、遅れたらもっと大変な目に合っただろうって言ってましたけどね」

 恒久は、鈴木社長に同情しながら言った。

「電話でお話しした工場のオープン記念パーティーなんですが」

 太田が来ると、さっそく林が話し始めた。武井の後任として昨年赴任して来た太田は、以前タイ語の研修生でバンコクに二年ほどいてタイ語を勉強していたことがあり、彼のタイ語は本物である。

 やや取っ付き難いと言う人がいるが、根は極めてまじめで人が良くサービス精神旺盛な男だ。

「来年の二月の初旬あたりにやりたいと思いまして。なにぶん初めてなのでどんな人たちを招待したらいいかと思って。それと、パーティー会場はやっぱりホテルですかね。予算もどのぐらい掛かるかなと思いまして」

「最近、日系企業が結構来ていて開所パーティーとかがやたらと多いですが、殆どの企業が大手の有名ホテルでやる所が多いですね。経費はどの位の客を呼ぶかに寄りますが、一人当たりですと大体料理で二、三千円出すと結構贅沢になると思います。例えば三百人呼ぶとすると来るのが七掛けで二百十人で、一人料理三千円とお酒を千円とすると八十四万円に税・サービス、招待状の印刷発送、プレスリリースなどの為のPRエージェント費などでしめてどうでしょう、大体、百数十万円程度だと思います」

 恒久は、計算機で計算しながら答え、また続けた。

「招待先は、会社によって色々で日系企業の人たちが多い場合と、タイの関連の役所や企業の人達が多い場合と色々ですね。日系企業の場合はバンコク日本人商工会議所のメンバーリストから選べばいいと思います。あと、企業以外ですと、大使館、政府関係機関やマスコミあたりでしょうか。

 タイ側は、役所関係だと工業省、商務省、タイ国投資庁(BOI)、タイ工業団地開発公社、税関などと林さんのお知り合いのタイのビジネス相手とタイのマスコミ関係者あたりだと思います。

 それで、実はティプロの太田さんに来て貰ったのは、太田さんがオープン記念パーティーに代わるとてもいいアイデアをお持ちなんです」

「これは単なるアイデアですから、そうしなくてはいけないと言う事では勿論ないんですが」

 いかにも真面目そうな太田が話し始めた。

「バンコク都知事のチャムチャイさんご存じでしょう、軍人出身ながらとても敬虔な仏教徒で、政治家としては非常に清廉潔白な方だそうです。

 こちらの人によると、毎朝早く自分の家の周りの道路を自ら掃いて清めていると言う話です。彼は、子供たちの教育にもとても熱心で、教材とかが不足していて特に地方の学校に寄付をしてくれると有り難いと、日系企業の幹部に言った事があるんです。

 そこで、うちの所長がある時チャムチャイさんにどんなものがあると良いかという質問をしたところ、柱時計とバリカン、ハサミ、櫛、鏡が沢山あると有り難いと言う返事だったんです。あと、野犬狩り用のピックアップトラックの荷台に金網の箱を付けた様な物があると嬉しいとの事でした。で車の方は、車屋さんが、さっそく2台寄付したそうです。

 都知事によると、バリカンやハサミなどは田舎の生徒たちがお互いに散髪をやるんだそうです。

 それで、さっそく現地法人開設パーティーをやる企業さんがあると聞いたので、パーティーの代わりに学校にバリカンとか寄付をしたら新聞で大きく取り上げて貰うようにするからとオファーをしたんですが、その企業さんからは、日本から社長以下幹部連中が来て大パーティーをやりたいのでと言って断られてしまったんです。

 大分お金を使ったみたいで、その企業さんのパーティーの模様がタイ字紙には載っていませんでしたが、英字紙二紙にちょこっと小さくは出てはいましたけどね。

 それでと言う訳ではないのですが、林さんの所で、パーティーで使う分を柱時計やバリカンなんかを寄付したら子供たちがとても喜ぶと思うんです。

 百万円分買うと相当な量が買えると思うんです。それを、工場の開所に合わせて工場で簡単に開所式をやって、そこでチャムチャイ知事に来て貰って寄付の目録を渡すようにすると良いと思っているのです。

 開所式には、日本からおたくの社長さん、日本の大使や日本人商工会議所の幹部連中とタイ側も工業省や商務省、税関の幹部などで、おおよそ四、五十人ぐらいで、出すものはソフトドリンク程度。後は希望者の工場見学と言った所で、お金は殆ど掛かりません。

 プレス対策ですが、PRエージェント経由でのプレスリリースと、どこか英字紙一社とタイ字紙一社を食事に呼んで寄付についての「取材」をして貰えばいいと思います。出来れば、後日談で生徒たちがお互いに散髪をしている写真付きの記事が出ればなお良いですよね。タイの記者たちは私が親しくしている人達を紹介します。

 実は、清廉潔白なお人柄の都知事に直接お渡しすると言う所がミソで、他のルートですと途中でどこに行ったか分からなくなる心配が無きにしも非ずなので」

 太田の話を聞いている林の表情がみるみる変わってきて、大きく頷きながら聞いていた。

「太田さん、ありがとうございます。いやーとても良いお話で。是非そう言う形でやりたいと思います。うちの社長もあまりパーティーとか形式的な事が嫌いで、この話をしたら大喜びすると思います。一応、社長には仁義を切っておきます。

 ティプロさんや住井さんには何から何まですっかりお世話になってしまって、我々みたいな小さい所はやはり海外でどこか取り付く島があると言うのは本当に有り難い事です。これからもひとつよろしくお願いします。ところで、日系企業が最近結構出て来ていますね」

 林はぬるくなった日本茶をすすった。

「確かに、結構最近日系企業の開所パーティーの案内が多いですよね」

 ティプロの太田が話を引き取った。

「それでも、こちらのタイ国投資庁(BOI)の長官はまだまだ少ないって不満らしいですよ。

 うちの高橋次長の話しですと、長官は日本の企業は視察や調査ばかりで毎日何件もBOIにも来るけど全然実際の投資に結びついていないではないか、日本企業は決定が遅すぎる。

 台湾企業などはすぐその場でBOIの認可申請書を書いていく人がいる位だ。それに日本の調査団は、BOIに来ては、自分と写真を撮った上に団員全員が一人一人名刺交換とくるので、最近は名刺を入り口において置き勝手に持って行ってくれと言っているって。

 で、うちの高橋からは、日本の企業は下から徐々に上にあげていく経営方式なんで時間はかかるけど用意周到で、一旦決まったらそこからは動きは早い、今これだけ調査に来ている人が多いと言うことは、いずれ進出してくる企業がどっと来るから心配しない様にと長官に言っておいたそうです。

 確かに訪問企業が増えて来ていますけど、今の段階はまだまだ調査研究段階の企業さんがごまんといますんで、これからどっと日本からの投資が増えるんでしょうね。

 うちの高橋もお客さん攻撃で倒れてしまうんではないかと心配です。あまりにバンコク事務所に対する便宜供与の依頼が多いので、東京本部の方で時々自主的にストップしているみたいです。次長も真面目なもんですからこちらから止めてくれとは言わないんですが、さすがに本部も多すぎると思ったんでしょうね。それでも、この暑さの中で土日も含めてほとんど毎日ですから……」

 太田は、いかにも疲れたと言うような顔だ。

「ティプロさんは公的機関なので、一つ何かお客さんに対して手違いがあったりすると、鬼の首をとったようにほれお役所仕事だからと、監督官庁やマスコミ辺りは総攻撃でしょうからね」

 林は同情する様に呟いたかと思うと、「そう言えば安山さんどうされました?あの事件以来お会いしていないですが」と恒久に聞いた。

「ついこないだ東京に帰られました。あの女性問題以降は比較的大人しくされていましたよ」

「そうですか…。女性問題と言えばちょっと小耳にはさんだんですが」

 林は、笑いを堪えるようにして話し始めた。

「ほら、あのプラスチックの射出成型をやっている所あるでしょう?あそこの技術屋さんなんですけど、随分長く、七、八年ぐらい単身赴任でバンコクにいたんですが、タニヤの牡丹と言う店のホステスと好い仲になってしまいましてね。

 かなり入れあげてしまったらしいんです。その人がいざ帰任という事になって、日本に帰ったら妻と離婚してからバンコクに戻って来るので待っていて欲しい、戻って来たら一緒に暮らそうと言って、一緒に住むアパートを買うお金を置いて日本に帰ったんですって」

 林はここで意味ありげに微笑み、二人を見ながら話を続けた。

「それで、日本に帰った彼は妻とも離婚をし、二年ほどして勇躍バンコクにまた戻って来たんだそうです。途中ではアパートの改装にお金がかかるだの、家具を買いたいだの、母親が病気だのと言われかなりの金額を送金したりもしていたんだそうです。

 ところが、バンコクに戻る少し前から連絡がつかなくなっていたので不審に思ってはいたが、まさか彼女がと思いながら、そのホステスを探したらしいんですが行方は一向に分からずで、やっと騙されたと確信したのがバンコクに戻って来てふた月も経ってからだったそうです」

 林は一息ついた。

「奥さんとは別れ、家も処分してしまって、今さら日本に帰る事も出来ずで、自殺も考えたそうですが、今は何とか立ち直って現地の人の給与に毛の生えたような金額で日系のアパートの管理人をやらせて貰っているようですよ。

 私は、直接はその方を存じ上げませんけど、知人によると一時は廃人のようだったと言っていました」

 一同、うーんと考え込んでしまった。

「でも思うんですよね」と、言いながら林が続けた。

「そう言う物悲しい物語が出来るのも、その可哀そうな人や私の様な単身赴任者が織りなす物語なんですよね。実は笑ってはいけないし、非難してもいけないのかも知れません。当然ながら、多くの我が国企業の海外展開は、彼や私の様な寂しい単身赴任組によって支えられているんです。

 途上国では、日本の企業は技術書などのマニュアル化をしてくれないので、技術移転が欧米系企業のように進まない、或いは技術を隠していると言った批判を良く聞きますよね。でも、少し逆説的な言い方ですが、特に欧米人は単身赴任は通常まずありえないので、工場を移す時や技術移転をするときはマニュアル化せざるを得ないと言う事があると思うんです。

 日本の場合は単身赴任者や長期出張者に支えられながらなので、マニュアル化しないでもやって来れたし、マニュアル化の必要が無かったと言う事も出来ると思うんです。勿論、日本人が業務分析による標準化、マニュアル化が下手だと言う事を否定する訳ではありません。分析能力は訓練によって向上しますが、あまり必要性を感じなかったのかも知れませんね。

 ま、工場文化、モノづくり文化が日本とは違うと言えば違うんですね、と言うか日本が他の国と違うと言った方が正しいのかもしれません。

 日本では、メーカーの社長もエンジニアも工場長も、自からナッパ服を着て現場に入ってテクニシャンと共に機械油にまみれて仕事をするのが大切と考えていますが、海外の上級エンジニアは冷房の効いたオフィスでマニュアルを読み解いて、テクニシャンに伝えるだけと一般的に言われています。全てとは言いませんがそう言う傾向があると言う事です」

 恒久と太田は全く言葉が無い。

「すみません、すみません、つい持論を披露してしまいました。いえね、タナーナコンでは、今はちょうどエンジニアが日本に一時帰国してしまって日本人は私一人なんで、なんか話し出したら止まらなくて」

 林は薄くなった頭をつるりと撫でながら謝った。

「とんでもない、林さん。とても参考になりました。そう言えば太田さん、おたくの高橋次長さんと国策会社の中小企業ベンチャー育成会社から出向して来ておられる井出山さんとで主宰している、バンチョン会と言うのがありますよね、私も独身ながら参加させていただいているんですが、林さんにも声をお掛けしたらどうかと思いますがどうでしょうか?」

 恒久が太田に聞いた。

「そうですね、次長の高橋と井出山さんに言っておきます。これって、バンチョン会とか言って、バンコク・チョンガーの会を短くしたものを愛称で呼んでいいますが、正式名称は単なる『勉強会』なんです。実は目的が二つあって、一つは寂しいチョンガーが月に一回集まって飲みながら、お互い寂しい身の上を慰め合う事。

 もう一つは、夜に飲むその日の午前中に各社持ち回りで会社の概要およびその業界の状況、投資上の問題点や悩みなどの発表・意見交換、あるいは工場の場合は工場見学と工場の概要のブリーフィングなどをする事になっているんです。

 今は井出山さんの所の投資先企業さんが中心で、十社で十数人がメンバーになっています。勿論妻帯者でも参加出来ます。それと、ふた月に一回ほどは週末にゴルフ大会もやっていますが、結構真面目な勉強会なんですよ」

 太田は、いかにも真面目そうに答えた。

「それは面白そうですね、許可が下りたら是非参加したいものです」

「いや、許可とかそんな堅苦しいのではなくて、基本的に来る者拒まずで楽しくやっているんで、一応連絡はしておきます。来月は、藤丸ラテックスさんの工場見学です。藤丸さんはここでは医療用の手袋を作っています。

 誰だか、おいコンドームは作っていないのかって言っていたら藤丸の片倉さんが、バンコクでは作っていませんが、当日各人一グロスずつ差し上げますって。

 そしたら、そのコンドームは作ってないのかと聞いた人が、バカヤロー単身赴任者にコンドームなんて必要ないだろう、日本に一時帰国する時だってせいぜい二、三個もあれば十分じゃないかって。

 そしたら片倉さんが、いやこれは悪くなるもんであはりませんし、あって困るもんでもないでしょうから差し上げますよ、実は本社にこういう勉強会が有るので送って欲しいと言ったら、三十グロスも送って来たもんですからって。

 皆で大笑いです。それから、来月はその週の土曜日の二十七日にゴルフがあるんです。フアマークで朝九時十一分スタートです。まだ枠はあるって片倉さんが言ってましたからエントリーしておきます」

「ありがとうございます。お話を伺っていると楽しそうな方が多そうですね。ぜひよろしくお願いします」

 林は、住宅こそバンコクに有るものの、仕事場はシーラチャーの田舎でそれもまだあちこちに空き地だらけの広大なタナーナコン工業団地の中で寂しく過ごしているので、そうした会に入る事は如何に息抜きになるか、また情報ソースが精々英字新聞、テレビのCNNニュース、ティプロの日刊の貿易弘報誌ぐらいしかないバンコクで、それぞれが悩み、あちこち頭をぶつけながら会社を運営している人達との機微に触れる情報交換は、いかに貴重な機会なのかを切々と訴えて帰って行った。

 

 年が明けてマンゴーの花が咲き始める二月の初旬―――。

 いよいよタナーナコン工業団地での、バンドタイ工業タイランドの工場のオープン記念式典が開催された。

 式典の会場は、工場の入り口に近い芝生を植えた広場に大型の屋根だけのテントを張った場所で、大型の扇風機が何台か回っている。

 主賓はチャムチャイ都知事で、淑やかで聡明そうで美しい奥様同伴でお越しいただいている。二人とも正装として使われる藍染のやや厚手のコットン製の襟の少し立った半袖のジャケットにズボンと言う出で立ちである。

 タイ人の招待客はこぞって丁寧なワイをしながら二人に近寄り挨拶をしている所を見ると、いかに都知事が尊敬を集めているかが推し量れた。  

 バンドタイ工業がワッシャーや皿バネを仕入れているリン・ワッシャー・インダストリー社の社長のウタイ・リンウィラワン(林午添)も知事に挨拶をしている。

 バンドタイ工業の本社の社長が、柱時計二百、バリカン、ハサミ、櫛、手鏡をそれぞれ三百の寄贈目録を恭しく渡すと、チャムチャイ知事は演説台に進み英語でスピーチを始めた。概略はこうであった。

「バンドタイ工業は、タイで結束機械を生産し、輸出すると聞いている。タイで物を作る事によってタイ人の働く機会を増大させ、タイ人の技術を向上させ、輸出する事によってタイの外貨を増加させる事になる。

 また、今回地方の小学校に対し多大なる寄付を頂いた。柱時計はタイの田舎の子供たちに時間の観念を植え付け、バリカンやハサミ、櫛、手鏡は身なりを整えるだけでなく子供たちの心も整える事になろう。そして、こうした子供達が立派に育ち将来タイ日関係を必ずやより一層緊密化させてくれるであろうことを確信している」

 ティプロの太田の仕掛けが上手く行ったようで、次の日バンコクで発行されている殆どの新聞にPRエージェントに作らせたニュースリリースに沿ったベタ記事が載った。

 また、個別にインタビュー記事を仕込んだ英字紙とタイ字紙にはチャムチャイ知事夫妻、バンドタイ本社社長、駐タイ日本大使、工業大臣、商務大臣、バンコク日本人商工会議所会頭などの集合写真と、バンドタイ工業の工場建屋の写真が大きく載っており、記事はバンドタイ工業タイランドの会社概要と寄付の内容、チャムチャイ知事のスピーチの概要、さらにはタナーナコン工業団地の紹介も掲載されていた。

 本社の社長は至って大満足の様子で、林は自分の株が大いに上がったと大喜びの体であった。

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