六.五  アサクサ

 結婚してバンコクに戻った左右田恒久と京子が、ユッタナーとサマート・ラータナワニット親子を自宅に招待した時の事だ。


「ところで、今年の始め頃だったか、婚約したからと言って二人で来てくれた時に、京子さんを見た瞬間ある人の事をふっと思い出したと言ったことが有ったが覚えているかな」

 ユッタナーが、新婚の二人とサマートをそれぞれ一瞥しながら言った。

「はい、よく覚えています」

 京子が主役は自分とばかりに笑顔で答えた。

 ユッタナーは幾分お酒が入っていて饒舌で、はるか昔の青年時代を思い出しているせいか表情が若々しく見える。美味そうに京子の作った日本料理を突っつきながら、ぽつぽつと思い出しながら話し始めた。 

「あれは、大東亜戦争が始まる三年ほど前だった。確か一九三八年だったかね。アメリカに留学に行く途次に日本に三週間ほど滞在したんだ。主に東京にいたが、大阪、奈良、京都にも行ったよ。

 そう、関西から東京に戻って来て間もない頃に浅草に行った時の事だ。その人に会ったのは。

 その日は結構暑い日でね、汗を拭きながら浅草寺の境内で地図を広げながら辺りを見回していると、和服姿の若くて美しい女性がもうもうとしたお線香の煙の中から忽然と現れたんだ。

 煙は巨大な香炉に供えられたお線香からの煙で、その香炉の周りにいる何人かが煙を手ですくって頭や胸や足などに煙を当てていたよ。後で聞いたらそれは常香炉と言って、煙を悪い所にあてると良くなるんだそうだね。

 で、煙の中から思いがけずに現れたその女性を見た瞬間、わしは観音様の化身が現れたのではないかと思ったくらいだよ。慈愛に満ちた表情でこっちを見ながら微笑んでいたんだ。

 もっとも南伝上座部の仏教のタイでは北伝の中国や日本の様な観音信仰は無いけど、子供の頃から親しんできた華人系の寺院に観音様がいてね。こちらは半眼の観音様だったけど、彼女は切れ長の素敵な目を両方開けていたがね」

 ユッタナーは、冗談を言って自分で笑いながら、話を続けた。

 「わしは、見ず知らずの女性に道で出会って声をかける程、無謀な人間ではないが、この時は違ってね。何か目に見えないものに操られるかのように彼女に近付いて声をかけたんだ。

 その時彼女は、わしが地図を見ながら不安そうにキョロキョロしているのを見て、助けてあげようかどうかちょうど迷っていたところらしい」

 サマートは、「へー」と言う顔で興味深げに聞いている。

 ユッタナーは、恥ずかしげに笑いながらまた続けた。

「その人はシズコさんといってね、二人とも英語はそんなに得意ではなかったが、お互いの意思疎通には支障は無かった。始めのうちは多少ぎこちなかったけど、直ぐに打ち解けたね。あちこち東京は連れて行って貰ったよ。

 彼女は自分より二つ上の二十歳だって言っていた。わしは高等学校を卒業したばかりの初心な子供だったけど、そんな年の差なんかは感じなかったね。兎も角、一目ぼれでね、彼女の方もわしの事を好きになってくれていたのではないかと思うよ。

 残念ながら、彼女と毎日会うと言う訳にはいかなかったけど、それでも日本に滞在している間に六、七回は会う事が出来た。アメリカに出発するのがあと三、四日ぐらいになった時に、自分はもうすぐアメリカに行かなくてはいけないが、このまま別れたくない、手紙は勿論書くけど、来年の夏休みには一時帰国する、その時にまた東京に来るから会って欲しいと言ったんだ。

 いつの間にか彼女の事が自分でも驚くほどものすごく好きになってしまってね。

 シズコさんは、私も是非そうしたいけど……、と言ってそれはとても悲しそうな顔をしてうつむきながら泣いてしまってね。その時は、わしがアメリカに言ってしまうのが悲しいのかななんて自惚れていたんだ。その日、彼女は終始悲しそうにしていた。それやこれやで、その日は次にいつ会うのか決めないで別れてしまったので、次の日に彼女の家に電話をしたんだ。出発の前にどうしてももう一度会いたかったんだ。

 そうしたら、始めにお母さんが出て、次にお父さんが出て来てね。大変悪いがもう電話をしないでくれ、シズコは君とはもう会わないと言っているって、とても流暢な英語で言うんだ。始めは何と言っているのか分からなくてね。もう一度言ってもらったよ。言っている事は分かったけど、もう会わないなんて言う事が理解できなかったんだ」

 ユッタナーは悲劇の主人公の様な悲痛な表情で話を続けた。

「ひどく混乱して、頭が真っ白になってしまったけど、昨日の今日だしシズコさんが急にそんな事を言う筈は無い、きっとお父さんが二人の付き合いに反対しているんだと咄嗟に思った、それで全てを悟ったよ。目の前が真っ暗になってね。それでわしは気力を振り絞ってこう言ったんだ」

 ユッタナーは相変わらず悲しそうな顔で箸を置き、両手を膝に乗せた。

「分かりましたミスター・シバザキ、自分は今週末に留学の為にアメリカに行きます、最後に本当に一言だけでいいですから、「グッドバイ」だけを言わせて下さい、お願いします。その後一切シズコさんには連絡をしませんから、と言ったんだ」

 ユッタナーは、まるで恒久をシバザキに見立てたかのように、恒久に向っていかにもお願いする様な風情で言った。

「ミスター・シバザキ」とユッタナーが言った所で、京子が額に皺を寄せて「えっ」と言う顔をして、「シバザキ?」と、何か心当たりのある様子で小さく呟いたが誰も気が付かなかった。

「お父さんは、オーケー分かったそれではさよならだけを言いなさいと言ってくれたので、少し待っていると電話口の向こうからすすり泣くような声がして来たんだ。シズコさんの泣き声だと思った。

 わしがシ『シズコさん』と言うと、すすり泣く声が大きくなったんだ。そのすすり泣きを聞いてわしは確信したね。やはりお父さんが反対しているんだってね。で、『さようなら、とても楽しかった……、一生忘れないよ』と言ったら、シズコさんのすすり泣きが一層大きくなって、その内お父さんが何か言うのが聞こえてから、電話が切れてしまったんだ……」

 ユッタナーは、いかにも今、目の前でガチャリと電話を切られてしまったと言うような、悲しそうな顔をしている。

「シズコさんとは、それっきりでね。でも、恨んでいないよ。わしは日本人ではないし、大切な娘を思う親の気持ちは理解できるし、彼女のあの泣き声で彼女の気持ちも分かったような気がしてね。ま、その時はひょっとして嫌われたのではとも思ったりもしたけど、今では本当に良い思い出だよ。なにせシズコさんだけは僕の中であの時のままだしね。

 ただ、半年過ぎてからに大学気付けで、なんとシズコさんから手紙が来たんだ。親の決めた相手と十一月に結婚しました。男の人を愛すると言う事がどんなに素晴らしい事かを教えてくれてありがとうございます。あなたとの想い出は大切な宝石のように一生大切にします。さようなら、ってね。実は今でもその手紙は大切にしまってあるんだ……」

 ユッタナーは今にも泣きそうな表情をしながら、まだ何か言いたそうにしていたが、急に「いやあ、ソーリー、ソーリー。新婚さんに湿っぽい話なんかして」と笑いながら話を終えた。

 ユッタナーの破顔一笑で、その場は再び明るい雰囲気に戻った。

 サマートは、「お父さんそんな事があったんですね。始めて聞きましたよ。でも高校卒業したばかりでしょう?随分ませていたと言うかね」と恒久を見て笑いながら言うと、続けて「でも、お父さんもそういう人間らしさがあったと言うと失礼ですけど、センチメンタルな部分はあまり人に見せないので、意外でした」と言うと、「おいおい、それではわしがモンスター見たいじゃないか」とユッタナーが機嫌良く笑った。


 ラータナワニット親子が帰った後に京子が、「ねえ、シズコとかシバザキとかってラータナワニット(ユッタナー)さんが言っていたわよね。私の母方のおばあちゃんの名前って、柴崎静子というの。同姓同名なのよね。

 おばあちゃんは今年古希と言ってたから七十才よね。計算すると年格好はラータナワニットさんが言っていた人と同じぐらいなの。

 でも、偶然過ぎるわよね。おばあちゃんとラータナワニットさんとがそんな仲だったなんて、あ、そんな仲って言うのは言いすぎよね、二人が知り合いだったなんて」と、興奮気味に話した。

「いくらなんでもね。ナリサさんと僕とが腹違いの兄妹同士かもなんて言う話もあったりするしね。いくらなんでも話が出来過ぎだよね」

 恒久もまさかそんな偶然はありえないと思っていた。

 ところが、従妹の結婚式に出るために三月初めに東京に行って来た京子が言うには、ユッタナーの言うシバザキシズコと言うのは、なんと京子の祖母に間違いないと言うのだ。

 恒久は、まだ半信半疑であった。

「まさかとは思ったんだけど、念のためおばあちゃんに、若い頃にタイの人に会った事があるかどうか聞いてみたの。すると、タイって昔はシャムって言っていたわね。

 会った事はあるけどなんでって言うから、お義父様と恒久さんが親しくているタイの人が私の事を見てフッと昔会った事のある『シバザキシズコ』と言う日本人の事を思い出したなんて言うもんだからって言ったの。

 そしたらおばあちゃんが、へー、柴崎静子って言ってたんだ、私とおんなじ名前だねって。所でそのタイの方なんて言うお名前なのって聞くから、ユッタナー・ラータナワニットさんって言ったの。そしたらね、おばあちゃんはひどく驚いた様子で、エッ、その人ユッタナー・ラータナワニットって言う人なの?って言ったまま暫く目を閉じながら、時々頷くようにしていたの。

 それからおばあちゃんが、昔会ったことがあるって何時頃の話しかしらねって言うから、大東亜戦争の少し前って言っていたと思うと言うと、おばあちゃんは、『そー』と言ったまましばらくボーッとしていたの。

 少しして、その人上背が百八十センチぐらいで、日本に来た後アメリカに留学するって言っていなかったかいって言うから、そうね背は高いしアメリカに留学に行く途中だって言っていたし、その半年後に結婚したってシズコさんから大学気付けで手紙を貰ったって言っていたって、言ったの。

 そしたら、そうなんだ、ラータナワニットさんね、あー驚いた、心臓が止まるかと思ったわよ。間違いないわ。そのシズコって私の事よ。いや驚いたわねー。あれから何年経つんだろうねえ、って。

 それにしても京子がラータナワニットさんに会うなんてねえ、たいそう不思議な巡り合わせだね、きっと仏様がお導きになったのかねえ、って。彼の事はたまに思い出して、どうしているのかなと思ったりしたことがあったわよ、でも最近はそう言う事は全く無くなったわね、って。

 恒久は、意外な話の展開が信じられずに、「でもさあ、京ちゃん俺を担いでいるんじゃないよねえ」と言うと、「ね、信じられない話しでしょ。でもまだ続きがあるの」

 京子は笑いながら続けた。

「で、おばあちゃんが彼は今は何をしているんだろうって言うから、これこれこういう人で、タイでは有数の財閥を一代で築いた人で、今やタイでは彼の事を知らない人はいないぐらいだと伝えたわ。

 すると、そうかい、それは良かった、そんなにすごい人だったんだねって。元気にしているんなら結構な事ね、って。

 私がね、初めて会ったのが浅草だったらしいわねって水を向けたら、きっと懐かしかったんでしょうね、おばあちゃんがポツポツとラータナワニットさんとの話をしてくれたの。ちょっと衝撃的な話までね」


 柴崎静子が孫の京子に話したユッタナー・ラータナワニットとの出会いと悲しい別れの話はこうであった。

 静子はその日の事を今でもとてもよく覚えている。それは、その年末に結婚する事となっていた一九三八年の六月二日の事だ。初めてラータナワニットと出会った日で、静子にとっては終生忘れえない日だからだ。

 その日は珍しくとても暑い日であった。それまで比較的過ごしやすい日が続いていたのにその日だけ急に暑くなって、次の日からまた気温が下がったのだ。後で考えたら、彼がバンコクから一緒に炎暑を連れて来たのではないかと思ったほどだ。

 その日、静子が女子高等師範学校時代の友人と、浅草の雷門近くの鰻屋でお昼を食べた帰り、一人で浅草寺にお参りに行った時に、境内で日本人離れした大柄の男が地図を見ながらキョロキョロしていた。

 困っている様子なので声を掛けようかどうか迷っていたら、相手の方が近づいて来た。彼が言うには自分はユッタナー・ラータナワニットと言うシャム(現在のタイ)人で、ニューヨークの大学に留学に行く途中に観光で日本に寄ったと言うのだ。

 彼が、ホテルで貰った地図だけでは細かい通りまで載っていないので困っていると言うので、その時は一時間半ほど浅草を案内した。

 第一印象がとても明るく誠実そうであった事と、静子が小学生の頃に父親の仕事の関係でインドネシアのジャカルタに4年ほどいたことがあって東南アジア風の外国人に対する抵抗が少なかったからだ。

 彼が別の日にまたどこか案内して欲しいと言うので、二日後に銀座を案内した。もし彼の方から言ってこなければ、自分から案内をかって出る所であった。

 銀座にはデパートが幾つもあって、洋品店や大きな時計店、フルーツパーラーや喫茶店やレストラン、劇場など彼にとってはどれも珍しく驚きの連続であったようだ。

 静子は、師範学校を出て花嫁修業中と言う事もあって、親が外出に関しては煩く言うので、あまり頻繁に外出出来なかった。その上、静子にはその時すでに婚約者がいて半年後に結婚する事が決まっていたのだ。

「見合い」とはいうものの、その結婚は親が決めたもので否も応も無かった。相手は海軍の軍人で、その人の勤務先が広島の呉にあったのでまだ二度しか会っていなかった。

 職業軍人だからか、礼儀正しく真面目な人であったが、初めの内はあまり心を惹かれることは無かった。

 ラータナワニットとは彼が東京にいた間に六、七回ほど会ったが、彼に会うたびに強く魅かれて行く自分に気が付き驚いた。彼はともかく大柄で、そのせいもあってか人を包み込むような雰囲気を持っていて、誠実そうで頼りがいがありとても優しく朗らかで、彼の前では自分をさらけ出すことが出来る様な気がしていた。

 彼は必ずしもハンサムではなかったが、鉢の大きな頭が知性を感じさせ、時折厳しさが垣間見えるもののいつもはとても優しそうな目が静子を安心させ、そしてやや頑固そうに一文字に結んだ口から出る言葉が静子を優しく撫でた。

 普段、静子はその時ほど頻繁に外出したことが無かったし、時々帰りが少し遅くなってしまったこともあって遂に親に怪しまれてしまった。

 それで、正直にこれこれこういうシャム人をあちこち案内していると言ったら、父親は婚約者がいるのになんだと言って物凄く怒って、今後一切合わないように釘を刺されてしまった。

 確かに父親の言う事は正しかった。婚約者がいるのに親には内緒で別の男の人と頻繁に会っている。怒られても仕方がない。頻繁に会っているだけならまだしも、彼と会っていると実に楽しいのだ。不道徳のそしりは免れないが、彼に心を寄せる気持ちだけはどうしようもなかった。

 勿論、ラータナワニットとどうなるものでもないのは分かっている。彼とはもう会わない方が良いとは思うものの、やはり会いたかった。

 静子の心は揺れた。

 次の日、父親は会社に出ていて家になかった。ラータナワニットとは既にその日会う約束をしていたので出掛ける事にした。母親は止めなかった。

 母親自身も親の決めた結婚だったので、娘の気持ちが痛いほどわかってくれたのかとも思ったが、恐らくは親の決めた通りの元のさやに結局は納まると思っているからであろうと思った。

 その日彼は、アメリカなんかに行かずに日本にいて静子さんとすっと会っていたい、でも残念ながらそうもいかないので、アメリカから手紙を出すけど、来年の夏休みに日本にまた来るのでその時はぜひ会って欲しいと言われた。とても嬉しかったが、その時正直に「自分は既に婚約していて半年後には結婚する予定だ」と言う事をどうしても言いだせなかった。ただ悲しくて涙が止まらなかった。

 実は、今まで誰にも話したことが無かったが、その日彼のホテルに行って結ばれた。

 静子の方から彼を誘った。

 彼の方はやや遠慮気味で、本当に良いのかと何度か聞かれたぐらいであった。そうした彼の気持ちが嬉しかった。

 今考えてみるとそうした行動は、自分の人生が勝手に決められてもがき苦しんでいたので、それに対するせめてもの抵抗であったのかも知れない。また、自分にとって初めての男は、好いた相手でなくてはと漠然と考えていたからだろう。

 彼がふしだらな女だと思わないか心配ではあったが、兎も角その時は必死であった。その日はずっと沈んだ顔をしていて涙が止まらなかった。

 結局、それが彼との最後の日になってしまったのに、もっと朗らかにしていれば良かったと後悔することしきりであった。

 次の日、彼が電話して来た時に、「彼にさよならだけを言いなさい」と父親に言われたが、その時は悲しくて何も言えなかった。彼とはそれっきりになってしまった。

 分かり切ってはいたが、地獄や煉獄があるとしたらこん風なんだろうと思った。

 その年の十一月に静子は父親の決めた田中弥平という海軍少尉と結婚し、田中の勤務先の広島県の呉に移り住んだ。

 静子は、電話口でラータナワニットに何も言えなかったのが残念だったので、彼が行くと言っていたニューヨークのコロンビア大学気付けで、「十一月に父が決めた相手と結婚した、あなたの事は大切な思い出です。さようなら」と言ったような内容の手紙を書いた。

 彼の宿泊先が分からなかったので大学気付けで出したが、宛先不明で戻って来なかったので届いているのではと思っている。返事は勿論欲しかったが、実際に来ては困る事になるので自分の住所は、HIROSHIMA PREF.JAPAN(広島県、日本)としか書かなかった。

 親の決めた人と半年後に結婚したと言う手紙を出した理由は、既に結婚が決まっていたにも拘らず「あの時」彼と結ばれたのは、それ程彼の事が好きだったからと言う事を伝えたかったからだ。

 ただ親への抵抗に彼を利用したのかと当時聞かれたら、いや、純粋に彼の事が好きだったからだと断言出来たが、今になってみるとわからない。そう言う側面があったことは否定できない。

 そう言った意味では彼に申し訳なかったが、自分にとっては彼と過ごした日々はまるでキラキラ光る宝石のように大切な思い出だ。

 次の年の十月に京子の母親である和子をもうけたが、田中は一九四二年にガダルカナルで戦死してしまった。田中と一緒にいたのはほぼ二年だけだった。

 始めのうちは慣れなかったが、実直一本やりであまり面白味は無かったが、素晴らしくいい人で静子をとても大切にしてくれた事もあって、徐々に田中の事を夫として愛する様になっていた。

 既に覚悟をしていたものの、田中が戦死してしまって喪失感に襲われたが、そう言う時代だと諦めた。

 田中の死後、静子は娘の和子を連れて自分の母の実家のある山口県の小郡に疎開していたので、呉の大空襲や広島の原子爆弾に会わないですんだ。あのまま、呉に居たら空襲がとても酷かったようなので、生きていたかどうか分からない。

 戦後、静子は両親に再婚を勧められたが、二人の男を失って恋とか結婚はもう十分と思って、再婚もせずに東京で中学校の教員をしながら、京子の母親を育てたのであった。


 京子は、祖母の静子の話を聞きながら、若かりし頃の燃え上がるような愛の軌跡を宝石のように大切に心にしまいつつ、女手一つで娘を育て上げてきた祖母の逞しくも可憐な側面を知ることによって、京子にとって単に「優しいおばあちゃん」の中に、全く別の女性としての人格が潜んでいたのを見たような気がしたのであった。

「当然すぎる事なんだけどおばあちゃんにも若い青春の時があったのよね。私なんか、恒久さんの事を何年待っていたのかなあ。何かあんまりおばあちゃんの様に燃え上がらなかったような……」

「おいおい、またその話かい。京ちゃんがバンコクに来なかったら、僕が結婚しようと言うまでにあと何年かかった事かって言いたいんだろう。だから、ゴメン、ありがとうって何度も言っているじゃん」

 恒久は、あわてて京子の口封じにかかった。

「まあいいですわ。それでですね、おばあちゃんの事をラータナワニットさんに話して良いかどうかって一応聞いて見たんです。そしたら勿論良いって言ったんだけど、彼が会いたいって言ったらどうするって聞いたら、彼の事は心の宝石箱に大切にしまってあるので、会いたい気持ちは無論ない訳ではないけど、会わない方が良いって言うのよ。お互い年を取った姿を見たくないし見せたくないでしょってね」

 京子が改まった口調になったので、いつものように機嫌が悪くなったかなと思ったが、途中から普段の口調に戻ったので恒久は安心した。

「それにしても、世の中ってあちこちでなんか少しずつ繋がっているんだね。それにさあ、あの時にユッタナーさんが京ちゃんを見て、昔会った事のある日本人の事を思い出したなんていう話をしなけれそのままだし、何よりもその人の孫とたまさか会ってしまうなんて、偶然と言うにはあまりにも不思議で奇想天外な話だよね」

 恒久は、あまりにも奇妙奇天烈な巡り合わせに、京子の祖母が言うように仏様の気配を感じざるを得なかった。


 恒久がユッタナーに、京子が「シズコさん」の消息を知っていると電話をしたところ、早速聞きたいので事務所の方に来て欲しいと言うので、恒久と京子は南サートン通りにあるタナー・エンタプライズ社の会長室を訪ねた。

 ユッタナーは待ちきれなかったと言う風情で、「京子さん、シズコさんの消息が分かったってツネヒサーが言っていたが」と、お茶が出てくるのも待てずに聞いた。

「はい、結論から申し上げますと」と、京子が言うと、ユッタナーは「おー、皆がそうして結論から言ってくれると有り難いね。年をとると気が短くなってね。あ、悪い、悪い、話の腰を折って」と、余計な事を言ってしまったと言う顔で京子に話の続きを促した。

「いいえ、実はラータナワニットさんの言われていたシバザキシズコと言うのは、私の祖母だと言う事が分かったんです」

 京子が、断言する様に言った。すると、それまでニコニコ顔で聞いていたユッタナーは、「えっ」と、言ったまま口を開けて京子を見ていたが、その内何か言おうとしてか暫く口をパクパクしていた。

「すみません。急に驚かせてしまって。実を言いますと、私の祖母の名前が柴崎静子と言うんです。で、我々が婚約の報告にお邪魔した時に、ラータナワニットさんがシズコさんとかミスター・シバザキとか言っておられたので、この間日本に帰った時に祖母に聞いてみたんです。祖母もラータナワニットさんの事を良く覚えているって言ってました」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。そうすると、京子さんはシズコさんの孫と言う事なんだね」

 ユッタナーは、相変わらず信じ難いと言う表情で聞いた。

「はい、そうなります」

「で、シズコさんは元気なんだね」

「はい、元気にしています」

「そうか、良かった。いやね、彼女からの手紙が広島からだったので、原爆とかでやられてしまわなければいいがと思っていたんだよ。しかし、京子さんがシズコさんのお孫さんだとはねえ。いやはや、それにしても驚いたよ。きっと、仏様か観音様が慈悲深く導いてくれたのかねえ」

「はい、祖母もその様な事を申しておりました」

「そう、それで元気にしているんだね。結婚したって手紙にあったけど……」

「はい、その年の十一月に結婚して、次の年の十月に私の母が出来たんです」

「ほう、わしと会った年の十一月に結婚して、次の年の十月に京子さんのお母さんが生まれたんだね」

 ユッタナーは、確かめる様に聞いた。

「はい」

 京子は、二人が結ばれた話には触れなかった。

 恒久と京子は、ユッタナーが確かめたのは、京子の母親がユッタナーの子では無いかと心配していたからではないかと思っていた。

「それで、私の祖父にあたる人は祖母と結婚して二年ほど後に戦死しました。祖母は、その後ずっと独身で東京の中学校の先生を定年になるまでしていました。

 今は、私の両親と一緒に住んでいます。私が生まれた時には既に一緒に住んでいて、私はどちらかと言うと祖母に育てられた様なものだと思っています。

 それにしても、まさか祖母がラータナワニットさんと昔会ったことがあるなんて本当にびっくりしました」

「全く信じがたい話で、わしも本当にビックリしたよ。でもこんな嬉しい驚きは何度あっても良いが、めったにあるもんではないがね。ありがとう京子さん。

 それに、ツネヒサーが京子さんと結婚してくれなかったら、こんな嬉しいことは起こらなかったんだから、ツネヒサーにも礼を言っておくよ、ありがとう。

 それで、何時か会いたいがどうだろう。やはりやめた方が良いかな」

 ユッタナーが遠慮がちに聞いた。

「はい、祖母は会わない方が良いと言っていましたが……」

「そうか、会わない方が良いって言っていたか」

 ユッタナーが自分に言い聞かせるように寂しそうに呟いた。

 恒久はその話を聞きながら、自分ならどうしただろうかと自問した。きっと、当時の美しい思い出が一層美化され、相手を思う気持ちが膨らんでしまっている状態で会った途端、時の経過と言う残酷な現実に打ちのめされることになるんだろうと思った。

 道は三つだ。一つは会わずに美しい思い出のままでいる。もう一つは、会って美しい思い出が打ち砕かれてしまう。あと一つは、会って、時の経過で古木が風雪に耐えて味わいが増すかのように、年相応に円熟した相手に惚れ直すかだ。

 京子の祖母は第一の道を選んだのであろう。

 所が、その三か月後、恒久にユッタナーが日本に出張で行くのでやはりシズコさんに会いたいと言って来た。恒久は、京子の祖母が会わない方が良いと言っていたようだが、念のため話だけは繋いでおこうと思い、京子に連絡を取ってもらった。

 ところが、意外にも会っても良いと言う返事であった。


 後日談として、静子から京子に電話があった所によると、日本庭園が見えるホテルのカフェーで昼食をとった。

 始めはラータナワニットだとは気がつかない程変わってしまっていたが、話している内に昔の面影が少しずつ戻って来た。

 物腰の柔らかさはさらに洗練され、静子の一挙手一投足に気配りをし、かといって煩すぎず、人の気をそらさない会話など、さすがに一代で財閥を築いた男だと感心した。

 しかし、タイ語なまりの英語はアメリカに留学していた割にはあまり変わっていなかった。

 彼に会ってがっかりするのではと言う恐れは杞憂に終わり、むしろ立派な老紳士になって尊敬の念を抱くようになった。

 静子の彼に対する気持ちは変質して、今や、仲が良かった昔の同窓生のように懐かしい存在となっていたようだ。

 それで、彼の奥さんに失礼になるので、会うのは今回限りにしようと言って別れたそうだ。


 一方、ユッタナーが日本への出張から帰って来てから、恒久に電話で取り敢えず報告と言って来た。

 おかげ様で、シズコさんと会って来た。いずれ、食事に招待するが、京子さんにはくれぐれもよろしく伝えて欲しい。

 時の移ろいは勿論多少感じたものの、シズコさんは相変わらず美しく、観音様のようにすべてを包み込むような雰囲気は昔のままであった。

 やはり会って良かった。

 消息が分かっているのに会わなければやはり吹っ切れないし、思いが募ってしまったと思う。これで、長い間の胸のつかえがとれた様な気がする。

 シズコさんが、会うのは今回限りにしようと言うのでそうする事にしたが、京子さんのお蔭でまた一つとても素晴らしい思い出が出来た、ありがとうと伝えてほしい。

 ユッタナーの声は、まるで青年時代に戻ったかのように若々しく弾むようであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る