六.三  サンペン・レーン

 一八八九年二月

 チャオプラヤ川の船上で、大崎京子との結婚をやっとの事で決めることが出来た左右田恒久は、正月休みに日本に一時帰国し、自分の両親に報告するとともに、京子の家に行き彼女の両親から正式に結婚の了解をもらった。

 結婚式は、少し涼しくなったその年の十月の初旬に東京でする事とした。


 二月のバンコクは、乾季で日差しは強いが、雨は降らず空気は乾燥していて過ごしやすい。夜間は全くエアコンは要らない。

 そんな気持ちの良い日が続く二月のある日、京子は、バンコクに戻った恒久を追うようにして、また恒久のもとにやってきた。

 タイシルクなどの気に入った服地を中華街のサンペン・レーンやインド人街のパフラットで買って、バンコクで日本人の女性がやっている仕立屋さんにジャケットやブラウスなどに仕立ててもらいたいので、少し長めにバンコクに滞在したいとのことだった。

 電話で、「僕の部屋にはスペアールームがあるからそこに泊まっていきなよ」と言ったら、「えーそんなことしたら親に疑われちゃうじゃないですか」って言うので、「結婚するんだから疑われても別に構わないんじゃない?襲ったりしないから」と言ったら、「えー、もう知り合ってからかれこれ十年間手も握ってくれなかったのに、まだ何にもしてくれないつもりですか……、なーんちゃって」と言われて、恒久は頭にカーッと血が上ってしどろもどろで電話を切った。

 結局、京子は、恒久のコンドミニアムに泊まることになった。恒久は天にも昇る思いだ。京子が到着した日の夜、恒久は隣室にいる京子の所に行きたかったが、なかなか決心がつかずにうじうじしていると、京子の方からやって来た。結局、今回も京子の主動であった。

 それから二、三日した土曜日の午後、服地を買いにタクシーで中華街に二人してやってきた。

 タクシーを降りた道路わきで、目が不自由な女性が、首から下げた画板のような物に宝くじを並べて売っていた。すかさず京子が、「目が見えないのに宝くじなんか売っていて、お金なんかを誤魔化されたりしないんですかね」と言った。

「目の不自由な人から買うと、それがほどこしとでも言うのか、こちらで言うタンブンになって、善行を施せば見返りが期待できるから、一石二鳥なんだろうね。そういう事でタイでは宝くじ売りは、どこか体の不自由な人が多いんだ。

 そう言う人達に優先的に宝くじの販売権を与えているんじゃないかと思うんだ。で、きっと、誤魔化したりすると罰が当たって、宝くじには当たらないと思っているんじゃないかと思うけけどうだろうね」

 恒久は真面目になって解説した。

 バンコクは乾季とはいえ日差しは強く、京子が髪を簡単にピンでからげてアップにした首筋からもう汗が噴き出ていて、襟足からほつれて下がった後れ毛が首筋に汗で引っ付いたさまが何ともなまめかしく、恒久は体の内から熱くなるものを感じてあわてて目をそらした。

 暫くヤワラート通りを西の方向のラチャウォン通り方向に進むと、いかにも怪しげな「冷気茶室」と言う看板がかかっている店の前に、頬の所だけに白粉の様な物を丸くいかにも塗っていますと言う風の少女が立っている。

 年の頃十四、五才ぐらいであろうか、無表情の顔に世の中の難苦を一身に背負っているような、殆ど焦点の定まらない目で、ただ真っ直ぐ通りの方を見ている。冷房の効いた茶室かと間違えそうだが、実は見た通り怪しげな所である。このヤワラート地域にこういう店がポツポツとある。こうした店は、少しづつ減ってきているようだ。

 サマートからは何があっても近づかないように、必ずエイズかB型肝炎に罹るからと注意されていた。タイではここ数年、エイズ患者が爆発的に増加しているようだ。特にそう言ったサービス従事者の三割以上はキャリアーと言われている。

「あー、ここは……」

 さすがに京子にもどういう所か察しがついたようだ。

「イサーンにフィールド・ワークに行った時に、不作が続いて生活が困窮し、娘をほんの雀の涙ほどのお金で手放してしまう、と言う話を聞いたことが有りました。あの子まだほんの子供ですよね……」

 その向こうには「金行」が立ち並んでいる。タイ独特の金行はまさに金を売ったり買ったりする所で、多くはネックレスやブレスレット、指輪などに加工された金製品を売買している。毎日当日の金(二十三金:通常九十六・五パーセント)一バーツ(十五・一六グラム)当たりのレートが店頭に表示されており、金取引所の役割を担っている。ヤワラート通り沿いの金行は、ソンサワット通りとマンコン通り間の数百メートルほどの辺りに多く集中している。

 午前中だと言うのに店内は客で溢れかえっている。壁や飾り棚などの調度品の真っ赤な色の布張りが特徴的だ。赤地に金文字は中国の新年のお祝い事に使われるが、「金」が最も映えて見えるのが赤との対比なのかも知れない。

 壁棚一面に掛けられた長短太細のネックレスが、これでもかと黄金色に輝いており、客と店員たちは、指輪やブレスレットが並べられたガラスのショーケースの上の四角く切ったわら半紙とソロバンを挟み、大声で怒鳴り合うようにして商談をしている声が歩道まで響いている。

 金行の店員と客は押しなべて華人系だが、客の中にはタイ系の人達も混じっている。金行にいる脂ぎった顔をした人達と、すぐそこの冷気茶屋の虚ろな目をした少女との対比が、貧富の差の大きいタイの現実を如実に表している。まさに天国と地獄が隣り合わせになっているのだ。

「貧富の差」と一言で言ってしまえば簡単ではあるが、育ちざかりの少女が食べたいものを我慢して、死ぬ思いをして貯めた寸毫のお金を、トライミット寺院に全てタンブンし、来世ですぐそこの金行の客になれるほど裕福では無いにせよ、少なくともこの苦界で働かされなくても良い程度の身分になりたいとお祈りするしか、貧富の間に隔たる過酷なまでの「落差」を埋める手立ては少女には無いのである。

 重い気持ちを引きずりながら現世の不条理の様を通り過ぎて、ヤワラート通りを左折してラチャウォン通りに入り百メートル程先のワニット一(ワン)と言う小路に入る。この小路がいわゆるサンペン・レーンと言われている通りだ。

 このヤワラート通りに平行したサンペン・レーンを中心とした一帯は、サンペン街と呼ばれる繊維の問屋街である。国産品、輸入品を問わずタイの殆どの繊維品がこの問屋街を通ると言っても過言ではない。

 繊維品と言ってもここでは衣類の類は少なく殆どが生地類である。生地の他、ボタンやビーズ、ブローチやペンダント、アクセサリー類などの服飾、装身具も豊富だ。ここへ来れば、身に着ける品物の殆どが手に入る。

 恒久は、父親が初めてバンコクに出張で来た時の話しで、よくサンペン、サンペンと言っていた事を、ここへ来る度に思い出す。当時父親は繊維の仕事で来ていたので当然であろう。彼から聞いて想像していた小路の雑踏と、目の前の風景とはほとんど変わっていない。

「サンペン・レーン」とも呼ばれるようにまさに小路(レーン)で道幅は、本来四、五メートルほどはあるようだが、通りの両側の店頭から道にはみ出してそれぞれが、商品台や棚にカバンや衣類などの商品を積み上げたり、ハンガー掛けに洋服や帽子を吊るしたりで、実際に通れる道幅は人がやっと擦れ違えるぐらいしか空いていない。

 しかも時折、その狭い所を天秤棒の果物売りや、リヤカーを改造したようなタイ式麺の屋台、焼きバナナ、焼き栗売り、甘そうな蒸し菓子売り、納品用の布地をうず高く積んだ荷車や、オートバイなどが通ったりするものだから、なかなか前に進めない。

 その上、京子にとってはどの店も珍しいらしく、迷子になってはならじと恒久の手をしっかり握りながら、全ての店を覗かないと気が済まないとばかりに、左右を見ながらなのでなかなか進まない。

 時折、気に入ったような服地を見つけると店に入り眺めたり手に取ったりしているが、なかなか決まらない。

 通りから横道に入っても布地屋が並んでいるが、こちらはほとんどが卸売専門の店や繊維商社などが多いようだ。

 とある一軒のタイシルクの生地屋で、京子は、緑と青と紫色の糸を織り込んだタイシルクの服地と、綺麗な薄ピンクのタイシルクの服地を根気よく値切って買い求めた。京子はタイ語だけで丁々発止と値下げ交渉をするほどではないが、日本語と英語とタイ語を混ぜて「ノーノー、ペーン(高い)・マクマーク(もの凄く)ね、あのねもう少しロッㇳダイマイカ(安く出来ませんか)?お願いこの通り、プリーズ、OKナカ?」とワイ(合掌)までしながら楽しそうに、しかし粘り強く交渉して、結局はそこそこ値引きして貰えばそれで満足していた。

 恒久が随分タイ語が上手だねと言うと、ええ私のは、ジャパタイグリッシュって言って、日タイ英の混合会話になってしまって。タイ語だけでやろうと思うと緊張してしまって、気楽に日本語とか英語とかを混ぜてやっても、結構タイでは通じるみたい、と楽しそうだ。

 気に入ったタイシルクが買えたので、「それでは、パフラットに行きましょうか」と、京子は精力的である。

 パフラットは、インド人の街だ。サンペン・レーンをともかくずっと真っ直ぐ歩いて行き、ロップクルン運河を渡りチャクラペット通りを越えると、サンペンと同様に繊維の生地や装身具が中心だ。インドからの輸入品が多いようで、生地はサリーに使うものや、装身具もインド風のものが多い。

 ここパフラットでも京子は物珍しげに、道幅一メートル歩かないかの小路をあちこちと見て回り、何軒かの服地屋を当たっていたが、黒いターバンを巻いた顔中髭だらけのインド人のオジサンの店で、気に入ったシャツ用の服地が見つかったらしく、ここではタイ語抜きのジャパングリッシュで交渉して買った。

 黒ターバンのオジサンは訛りの強い英語だ。ここのインド人はタイ語で育っている人が多いようだが、英語も出来る。もっとも、英国帰りの帰国子女である京子の英語は本格派だ。

「喉が渇いたのでチャイを飲みたいですね」

 京子が弾むように言ったと思ったら、次の瞬間「この辺りでチャイが飲めるお店がありますか?」その店の黒ターバンの髭面に聞いていた。

「そこの角を右に曲がって少しするとあるよ」

 なるほど、言われたとおり行ってみるとインド風のお菓子を並べた店があり、店頭のベンチでチャイを飲んだ。

「甘くて美味しいー。生き返るようですね」

 京子は、隣の店のインド料理店の店先で薄い煎餅の様なものを網にのせ炭火で焼いて、プクッと膨らんだら出来上がるのを興味深そうに見ながら呟くように言った。

「カレーの匂いも良いね。ちょっと食べてみる?」と、恒久が聞くと、「良いですか?お腹はいっぱいなのにちょっと食べてみたいです」

 京子が、好奇心の塊のように隣のレストランを指差す仕草をしていると、チャイを出してくれた店の人が、何か隣から持ってきましょうかと聞いた。

「野菜カレーとプクッと膨らんだあの……」と恒久が指差すと、「チャパティーね」と言って隣から持って来てくれた。

 美味しそうにチャパティーをカレーにつけて食べる京子を見て、恒久は幸せであった。

「お腹かいっぱいなのに……」

 見るからに美形の京子は首をすくめて、そう言いながら楽しそうに笑った。

「そう言えば、この間のサムリットって言うおじいさんが言っていた『勘太さん』の消息って、調べられないでしょうか?」

 カレーが辛かったのか、持ち歩いているペットボトルのミネラル・ウオーターを飲みながら訊ねた。

「そうだね。日本の領事館に聞いて分かるかどうかだね。実は、どうしようか考えていたんだけど、ちょっと心当たりがあるんだ。残留兵って分かる?」

「残留兵?戦争が終わってもタイとかに残っている元の兵隊さん?」

「そう、佐藤さんという残留兵がタイ住井に以前勤めていたんだ。タイ住井がこれほど大きくなったのはその佐藤さんのおかげらしいんだけど、一度その人に相談してみようとおもっているんだ」

「何かわかると良いですね。で、その佐藤さんと言う方……、あっ!お店が随分混んで来ましたね。出ましょうか?長居しても悪いから」

 京子が主導権を握っている。

 チャイの支払いをしている恒久に、「隣のカレー屋さんのお勘定は私が」と、さっさと行って払って来て、「それで、その佐藤さんと言う方って何でタイに残っちゃったんですか?」と好奇心に満ち満ちた表情で聞いた。

 二人はトリペット通りを南下して、チャオプラヤ川を走るエクスプレス・ボートの、サパーンプット(メモリアル橋)船着場に向かって歩いている。京子にプロポーズをした時に舟をチャーターした桟橋だ。

「それがさぁ、小説みたいな話が有ってね」

 京子の目がますます輝いた。

「戦時中に佐藤さんが、ナコンパトムの日本軍の兵站病院の警備隊長をしていた時に、地元のある女性と恋に落ちてね。その後、佐藤さんはビルマに行ったんだけど、インパール作戦と言う作戦が失敗して敗走中に大怪我をしてね。

 戦争が終わって兵士たちは続々と帰って来たんだけど、佐藤さんは重傷と赤痢かなんかで動けなくなってなかなか帰って来られなかったんだ。

 佐藤さんがビルマに発つ前の晩に二人は初めて結ばれたんだけど、その時子供が出来てね。佐藤さんは自分の子供が出来たと言うのは知らなかったんだ。

 子供を産んだその女性は、佐藤さんを必死に探したんだけど、ある時佐藤さんは死んでしまったと日本の兵隊に言われたんだ。その兵隊はジャングルの中で大怪我したのを置いてけぼりにしてしまったんで、死んだと思ったんだろうね。

 結局、その女性は悲嘆に暮れるあまり体を壊して、その時一才だった佐藤さんとの子供を残して死んでしまったんだ。

 所が、佐藤さんは九死に一生を得てタイに戻って来ていたんだ。ただ、元日本兵だと分かると捕まえられて日本に帰されてしまうと思ったらしいんだけど、佐藤さんはその女性のいるタイを離れたくなくて、ほとぼりの冷めるまでと、チェンマイの近くで潜伏していたんだって。

 その時は、敗戦やら、赤痢やら、銃創で大怪我やらで、精神をどうやら病んでしまっていたらしいって言うんだ。

 かなり経ってから、その女性の消息を尋ねてナコンパトムに行ったら、その女性は既に亡くなってしまったと言われてね。その時、子供が出来たと言う話は誰もしてくれなかったんだそうだ。でも、佐藤さんはその女性が死んでしまってもタイを離れる気がしなかったんだって」

 京子は、目に涙を浮かべながら聞いていたが、学校と思われる塀の際にちょうど座れる場所が有ったのでそこに腰を下ろしてしまった。ちょうど街路樹があり日陰になっている。

「すみません。ちょっと悲しくて……」と京子は言って、ペットボトルから水を飲んでから「続きがあるんですか?」と赤い目をして聞いた。

「うん、その先がまさに事実は小説より奇なりなんだ」

 恒久は、腰を落ち着けて話し始めた。

「話が長くなるからかい摘まんで話すと、うちの工業団地のテナントになる予定の、日本でほらテレビとかオーディオ製品で有名な、ジャストって言う会社があるでしょう?そこの駐在員事務所にナリサさんと言う、タイ人女性スタッフがいてね。そのナリサさんのお祖父さんの写真があって、それに佐藤孝信と書いてあってね。見せて貰ったんだ。

 それで、そう言えばうちにいた元残留兵の佐藤さんって、なんていう名前だろうと思って調べたら、なんと佐藤孝信って同じ名前なんだ。

 余計な事かも知れないと思ったけど、佐藤さんに聞いたら、そういう女性がいたけど子供がいたとは聞いていないって言うんだ。でも、佐藤さんの名前が裏に書いてある軍服姿の写真は、その女性に渡しか渡していないので、ひょっとしたらと言うので、ナリサさんと彼女のお母さんと会ってもらったんだ。

 当時の話を聞いて、いろいろと話が符号したみたいで、佐藤さんはナリサさんのお母さんは自分の子供に間違いないと言うんだ。だから、ナリサさんは自分の孫だって。

 僕も半信半疑だったんだけど、まさかと思ったよ。

 ほら、日本兵との間に子供が出来て、戦後何年かたって相手が見つかってあなたの子供だから認知して欲しいとか、養育費が必要とか言われたけど、既に日本には家族がいるので、そう言われても困ると言う話があるでしょう?佐藤さんの場合は自分の方から父親だと名乗り出たんだ。

 ナリサさんのお母さんにしてみれば、亡くなったって聞いていた日本人の父親が、突如現れてそれはびっくりしていたよ。勿論ナリサさんもね。それにしても、もの凄い偶然でしょ。両方から感謝されたよ」

「そうでしょうね。でもほんとに嘘みたいな話ですね。それにしても、佐藤さんもナリサさんたちも良かったですねー。とってもいいお話」

 京子はほとほと感心した声を出した。

「でもね、実は別のもっともっと驚く話が有るんだ……」

 恒久は一呼吸おいて京子を見ると、えー、ホントにと言う顔をしているが、構わず続けようとすると、京子が、「えーっ、これ以上まだ小説みたいな話なんてあるんでしょうか」と、大きく切れ長の目を丸くしてまじまじと恒久を見た。

「実は、それがあるんだ。で、その佐藤さんの写真と一緒に、大事そうにしまってあった別の写真があってね」

 と、恒久は言って、ニヤニヤした。この話を京子が聞いたら本当に驚くだろうなと思い、笑いを堪えられなかった。

 すると京子は、「ほらー先輩ったらー」と、言って叱るような顔をした。恒久がニヤニヤしたので、嘘を言っていると思ったのであろう。

「ねえ、所でいい加減その先輩って言うの止めてくれないか」

 恒久が口を尖らせて不満顔で言うと、

「じゃあ、左右田さんで良いですか?」と、京子。

「うーん、なんかそれも他人行儀だね」

「では、恒久さん?」

「うん、そうだね。でも、何か面映ゆいけど……」

「すみません。ちょっと恒久さんとは、なんかまだ呼べません。やはり左右田さんで」

「うん分かった。それでさー、その大事そうに一緒にしまってあった写真なんだけど、どんな写真だと思う?」

「エー。だって、そんな写真なんて無かったんでしょう?本当に別に写真があったんですか」

 京子はいかにも疑っているような顔だ。

「確かに、嘘みたいな話なんだ。実はね、ナリサさんのお母さんと、うちのオヤジとが一緒に写っている写真をナリサさんに見せられたんだ。写真の裏にオヤジの名前が書いてあってね。親父の字で左右田源一郎って」

「またー、嘘でしょう?話を面白くしようと思っているのではないですか」

 京子は、本当に呆れ顔をしている。

「いや、嘘ではないんだ。そのナリサさんの家に、彼女のお母さんの手料理を頂きに行ったんたんだ。お母さんが、僕が帰ってからその写真の男と僕が似ていると思ったらしいんだけど、その写真を取り出して見ていたらしいんだ。

 でも、その時、彼女のお母さんは、「別に誰でもないよ。昔、果物売りをしていた時にちょっと知り合った人だよ。捨てても良かったんだけどまだとってあったんだねー」って言ったんだって。

 で、ナリサさんは、お母さんには内緒で僕にその写真を見せてくれたんだ。

 ナリサさんが言うには、その頃彼女の両親は既に別居し始めていたので、自分はそれまで父親と思っていた人の子では無いのではないか、一方、自分の年と、生まれ月を計算すると、その写真の裏に書いてある日付の時期とぴたりと合うんだって。

 だから、自分はその写真の人の子供なのではないかって。

 と、言う事は、彼女は僕と兄妹ってことになるんだ。もしそうなら、なんかちょっとお恥ずかしい話だけどね」

「えーっ、で、お父様は何て仰っているんですか?」

 京子は、真剣な顔で聞いた。

「いやまだ聞いてないけど、何れ機会が有ったらオヤジに聞いてみようかと思っているんだ。でも、なんか聞き辛いよね。オヤジもなかなかやるなーって感じだけど。本当だとするとお母さんが可哀そうだしね。なかなか重い話でしょう?僕にタイ人の兄妹がいるかも知れないなんて」

 恒久は、その写真と一緒に入っていた古いお札で二百バーツ有った話を敢えてしなかった。単なるお金だけの関係で有れば、当時ではそんな大金を大切そうに取って置くようなことはしないであろう。恒久は、ハッキリするまで無用な誤解を避けておきたかったのだ。

「ふふ、そうだとするともし左右田さんと結婚したら、腹違いだけど私にタイ人の義理の妹が出来るという事ですね。なんか楽しい。でも、そのナリサさんとは恒久さん何もなかったの?もしそう言う事が有ったら、近親何とかになっちゃうわ」

 京子は、嬉しそうであった。

「もし結婚したらって……、もしではなくって本当に結婚してくれるよね?」

 恒久は半分冗談めかして言いながら、「ナリサさんはまだ大学一年生で、まさに兄妹みたいな関係でね。勿論全く何も無いよ。今度紹介するよ」と付け加えた。

 恒久は、この話をするともう少し京子が、ナリサに対して焼きもちを焼くかと思ったが、全く焼いている風に見えないので安心したのと同時に、多少期待外れな気もしないではなかった。

 京子にはサマートの妹のナンタワンの話もいずれしておく必要があると思ってはいるが、これも別にやましい事ではないので結婚後でもいいかなと思っている。

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