六.二  ヤワラート

 左右田恒久は興奮してあまり良く眠れなかった。嬉しさは勿論だ。結婚の申し込みを今日するかどうか迷っていたのだ。

 昨夜は、結婚して欲しいとはどうしても言えなかった。結婚を前提に付き合ってくれと言うワンクッション置いた言い方と、結婚してくれとずばり言うのとは、殆ど変らないとは思っているが、ずばり結婚して欲しいと言って断られるのが怖かったのだ。

 それに、これまでろくに付き合ってきたわけでも無いのに、いきなり結婚というのはいかにも唐突と言うか性急な気がしたのだ。とはいえ、勇気が無かったと言うのが正直なところだ。ほとほと自分は引っ込み思案と言うか腰抜けと言うか、駄目な男だと思う。

 京子は、結婚してくれと言って欲しかったに違いないのだ。もし、自分と結婚したくないと思っているのなら、結婚を前提にと言った時点で断られたはずだ。

《そうだ、絶対に今日は正式にプロポーズしよう》

 空が明るくなり始めた頃にやっと恒久は決心した。

 昨夜、恒久が握った手を解こうとすると、いたずらっぽく強く握って離さないと言う素振りで可笑しそうに笑う京子を思い出しながらテレビをつけた。

 何かの花の薫りのような京子の匂いがフッと蘇った。

 ニュースは、タイとラオスとの国境の村の領有を巡る銃撃戦がこの所激しくなって、タイ政府が今にも空爆を始めそうな勢いであると報じていた。局地的な紛争でバンコクにまでは影響は無さそうだ。

 恒久の住まいは、事務所からラジャタムリ通りを歩いてものの数分の所のソイ(脇道)を東に入ったコンドミニアムの三階にある。

 二LDKで、全体で一〇〇平米ほどの広さだ。始めは一人で住むには広すぎる気がしていたが、慣れてしまえば丁度心地よい広さだ。ラウンジと主寝室が東側に向いており、窓から見ると遠くにいくつか十数階建ての高いビルがみえる。

 ラジャダムリ通りと平行に走っているランスワン通り、トンソン通り、ウイッタユー大通り周辺は全体的に閑静な住宅街が広がっており、広い敷地に鬱蒼とした木々にかこまれた邸宅が立ち並んでいる。

 いつもと変わらない景色だが、今朝はなぜか木々の緑は色鮮やかで、普段気が付いていなかった白やピンクの花があちこちに咲いている。やや逆光だが緑の多い落ち着いた景色を眺めながら、マグカップでゆったりとコーヒーを飲み、身支度をしてからマンションを出た。

 京子が来るまでの何日かは曇りで雨が多く、湿気は高いが涼しめの日が続いていた。だが、昨日からは太陽が顔を出していて、気温はかなり高く蒸し暑くはなっているが、雨が降らないだけ行動はしやすくなっている。予報ではここ数日そんな日が続きそうだ。

 京子によると、この「蒸し蒸し」として「酷く暑い」のがいかにもタイらしくて良いのだそうだ。

 今日は、土曜日で仕事が休みなので、京子とヤワラートの中華街の粥屋でブランチを食べる事にした。来週の水曜日に日本に帰ると言っていたので、月曜日から三日間休みたいと思っているが、何せ急の事なのでグループ・リーダーの瀬山にどう言おうかと頭を巡らせている。   

 休日のラジャダムリ通りは車の通りが少なく排気ガスが少ない為か、中央分離帯のヤシの木の並木が心なしか生き生きとして見える。

 葉っぱがジャカランダに似た街路樹の火焔樹(鳳凰木)の葉は、所々黄色くなってあまり元気が無い。通りの向こう側の、ロイヤル・バンコク・スポーツ・クラブのコンクリートの塀の背を伝っている薄紫のブーゲンビリアも精彩を欠いている。

 南北に走るラジャダムリ通りを南に向かってラマ四世通り方向に歩きはじめると、タイ住井の入っているオフィスビルがある。その向こう隣は空き地になっており、放置されていると見えて大きな木々にツタが天辺まですっかり絡み付いて、ジャングルの様になっている。

 その隣は大きな邸宅、米国留学生協会運営の語学学校、カンボジア大使館などが続き、その先にルンピニ公園があらわれる。公園には散歩をしたり椅子に座って読み物をしたりする人達の姿が見える。

 ルンピニ公園の角のラマ六世の銅像を過ぎほぼ東西に走るラマ四世通りに出ると赤信号で五分ほど待たされた。平日の夕方だと、この交差点を渡るのに十分やそこら待たされるのは常で、今日は比較的短かったが、京子が待っていると思うといつになく気が急いた。

 ドゥシット・ホテルのロビーに入ると、入口近くで京子が既に待っていた。白い幅広の帽子、ベージュに薄茶色の模様の入った薄手のワンピース、薄茶色のウオーキングシューズと言う控えめな出で立ちである。

 スタイルの良い白い足がひざ下までのワンピースからのぞいている。佳麗な京子が、嬉しそうに笑顔で足早に近付いてくるのを見た恒久の心は躍り、自分は何て果報者なんだろうと神仏に感謝した。

 どちらからともなく手を取って、ホテルからタクシーに乗り、バンコクの上野駅と恒久が呼んでいるフアランポン駅で降りた。

 駅構内のコンコースに入ると京子が、「本当だー、まるで上野駅ですねー」と感心するように叫んだ。椅子が端の方に申し訳程度に設えてあるが、殆どの列車待ちの客達が、広いコンクリートの床にぺたりと座ったり寝転んだりしている。暑いので、むしろコンクリートが冷たくて気持ちがいいのであろう。

 プラットホームは頭端式ホームで、日本にある様な改札が無い。この駅はタイの主要な幹線である東北本線、北本線、南本線、東本線の起点となっている。

 駅を出て、パドゥン・クルン・カセム運河を渡って、高さ三メートル、重さ五・五トンと言われる黄金の仏像が安置されている、中華街の入り口にあるワット・トライミット(黄金仏寺院)を右手に見ながら、ほぼ東西に走るヤワラート通りに入る。

 お寺見物は、恒久が会社に行っている間に自分で見て回るからと言うので、スキップした。グループ・リーダーの瀬山の顔がチラッと浮かんだ。休みたいと言えば、瀬山は許してくれると思う。だが、三日間も休むのは気が引けるし……。今夜、リーダーに電話しようと恒久は思っている。

 寺院の辺りからは、既に漢字の看板が主流になっている。ヤワラート通りに沿って南端から北西に向かってずっと中華街が広がっている。この界隈は、一階部分が商店の、二、三階建てのショップ・スタイルの建物が多く並んでおり、小売店と言うよりも、むしろ卸売店が多いように見える。機械部品を扱う店が多いようだ。

 建物は古びて、苔むした壁は幾筋も水が伝い落ちる部分が白い筋になっており、二階と三階の窓を覆う鉄柵は所々錆びて今にも落ちてきそうな所がある。

 時折、綺麗にリノベーションされたモダンな風情の建物があるが、時流に乗ってビジネスが成功したのであろう。

「あー、こういうちょっと古びて歴史を感じさせる街並みって大好き」

 京子は、恒久の手を引っ張りながらあっちを見たりこっちを見たり、立ち止まったりとこの上なく楽しそうで、足取りもスキップしかねない勢いだ。

 公衆電話ボックスの横で、野良犬と思しき大型の犬が、胸とお腹をペッタリと地面にくっつけ大の字になって寝ている。地面が冷たく気持ちが良いのだ。二人が近くを通ってもピクリとも動かない。

 もっともタイは狂犬病が多いと聞いているので、君子危うきに近寄らずだ。恒久は京子の手を引いて足早に遠のいた。

 京子には、卒業旅行の時に、勇躍「バックパッカー」としてこの近くの南京虫やダニ、ゴキブリなどの巣窟の「安宿」に泊まった話はしたが、実は一週間もしたらギブアップして、サマートの所に移ってしまったと言う話は恥ずかしくて出来なかった。

 ヤワラート通りに入りしばらく歩いていると、強烈なスパイスの匂いが漂って来る。

「わー、漢方薬みたいな、カレーみたいな匂い。横浜の中華街をちょっと思い出すって言ったら馬鹿にします?」

 京子は、相変わらず嬉しそうだ。香辛料の匂いを発している店は数軒先に有った。

 様々な香辛料や乾物の卸売商で、真っ赤な振りの良い乾燥唐辛子、何種類もの粉唐辛子、八角、陳皮、白胡椒、黒胡椒、花椒、桂皮、丁香などのスパイスや干し椎茸、木耳などの乾物が山と積まれ、奥の棚にはフカヒレや、ツバメの巣が入った大きなガラスの瓶が並んでいる。

 立ち止まって店を覗くと、髪の毛を頭の天辺でくるりと団子の様に巻いている、分厚いレンズの眼鏡をかけた老女が、中国語の新聞を読みながら店番をしている。

 二人が物珍しそうに店頭の唐辛子の山を見ていると、老女は眼鏡越しにチラッと二人の方を見やったが、何事もなかったようにまた新聞に戻った。

 同僚に書いてもらった地図を頼りに、そのまま暫く表通りを歩き、やや広めのソイで右折して、排気ガスで真っ黒にすすけた三階建ての駐車場がある手前のお粥屋に入った。

「お腹か空いたー」

 京子が笑いながら言った。

「ゴメン、歩かせすぎちゃった?」

「いえ、いえ、まだまだ歩けます」

 聞くと京子も朝はコーヒーだけであった。

 この店は、以前、会社の同僚のタイ人スタッフのタリンが美味いお粥屋があると言って、地図を書いて教えてくれた店だ。

 細長い店内は、淡いブルーのペンキで全体が塗られているが、すっかり煮しめたような色に変わってしまっている。入口に六人掛けの丸テーブルが二卓、左手は壁に接して四人掛けのテーブルが四卓、右手はオープンの調理場を囲んだ十人ほど座れるカウンターがあり、カウンターの目の前に出来上がった貝の炒め物や焼いた魚、野菜がそれぞれ四角いアルミ製の大型のトレーに山盛りになって並んでいる。

 煮物や炒め物の強い匂いがする。

 天井から吊り下げられた蛍光灯の周りをハエが何匹か飛んでいる。蛍光灯の傘から下がっているハエ取り紙に、何十匹ものハエが引っ付いていて、中にはまだ引っ付いたばかりらしく動いているのが見える。

 壁には何台かの扇風機が備え付けられているが、まだ回っていない。

 恒久は動いているハエを見て京子が気持ち悪がるかなと思ったが、それどころではなかった。京子は立ち上がって、出来あいの料理をみたり、貝類や野菜の材料の入った籠を見たりと忙しかった。

 タイでお粥と言うと、通常はドンブリにお粥を入れた上に、塩漬け卵やルークチンプラー(魚丸)、豚、鶏肉など好みの具を乗せて食べる事が多いが、タリンに教わったように料理は料理で頼んで、お茶碗に盛ったお粥のオカズとして食べる事とした。

 カウンター越しの料理人に、新鮮な殻付のアサリのバジル炒めと、やはりアサリをナンプラーであっさりと炒めたのを注文した。

 野菜はもやし炒めだが、始めに叩いて潰したニンニクを油で炒めてから、ほぐしたプラー・ケム(塩蔵の魚)少しを入れて炒め、さらにもやしを入れてさっと炒め、最後にゴマ油を入れて仕上げて欲しい、後の味付けはお任せするとコックさんに言うと、一瞬考える風であったが、ニコッとして頷いた。

 二種類のアサリの炒め物が出てきた後に、ニンニクを炒める良い匂いがして来た時に、店主らしい老人が少し体を右側に傾けながら奥から出て来て、恒久を見ながら、しわがれ声で「日本人」かと聞いた。

 老人は顔中皺だらけで、ひどく老けて九十才位に見えた。

 恒久が怪訝そうに「そうです」と答えると、老人は、「バジル炒めは辛すぎないか?そちらのご婦人は大丈夫かね」と聞いた。

「確かに少し辛いけど、美味いです」

 恒久は瓶からミネラル・ウオーターを京子のグラスに注ぎながら言った。

 京子は、ニコニコして大丈夫と言う顔で頷いた。この程度の会話は分かるようだ。

「日本人は辛いのに弱いからね」と老人は断定するように言った。

「ところで、タイ語が出来る様だが、『フェァアン・カンタイ』を知っているか?」と言い、勘定書きに使う小さく切ったわら半紙に、上手な漢字で「河岸勘太」と書いて見せた。華人系なのであろう中国語風の発音であった。

「いや知りませんねー」

 恒久は、いきなりこの爺さん何を言い出すんだろう、急に河岸勘太だなんて知るわけはないじゃないかと思いつつ、即座に答え、京子に「このお爺さん、この河岸勘太と言う人の事知らないかって聞いているんだ」と伝えた。

「日本語で何と発音するのか知らないが、名前が書いてある白い布が胸に縫い付けてあったので覚えているんだ、カンタイは日本の兵隊で、わしの命の恩人なんだ」

「日本の兵隊って。いつ頃の話ですか?」

 恒久は、出来上がって来たもやし炒めをフウフウしながら一口食べてから聞いた。もやし炒め如きで何が違うのか分からないが、よその店に比べて塩加減も絶妙で、鶏ガラスープを入れたのか「あん」に絡まってとにかく美味い。ゴマ油の香りがうっすらとしている。京子も、ふうふうとしながらすこぶる幸せそうに食べている。

「うん、前の大戦の終わりごろでね。あれは、二四八八年(西暦一九四五年)頃だったよ。

 フアランポン駅の近くのクロン(運河)のほとりで屋台のお粥屋を親父と一緒にやっていた時に、アメリカのB二四爆撃機が何機か来てね。四発の大型の飛行機で格好良いなーと呑気に眺めていたんだよ。

 そしたら、いきなり爆弾や焼夷弾を落として行ってね。まさか近くに落とすとは思わなかったよ。幸い親父は何ともなかったけど、わしは脇腹に爆弾の破片が当たってね、ほらこの傷痕だよ」と、言ってジャツをまくり上げ、十センチほどの傷跡を二人に見せた。

「ポー(お父さん)!」

 中年の女性が店の奥から覗きながら呆れた顔で言ってから、恒久と京子の方を見ながら申し訳なさそうな顔で頭を下げた。さっきからカウンター越しで料理をしている料理人はどうやら老主人の息子らしく、奥の女性と顔を見合わせ「またか、しょうがないね」と言う顔で笑った。

 恒久は「いや大丈夫」と言う顔で首を横に振りながら笑顔を二人に向けた。

 今の話を恒久が京子に通訳し終えたとみるや、老主人は娘と思しき女性の注意など全く意に介さずに続けた。

「ここに刺さったんだよ。何人かやはり破片でやられたけど、その時直ぐに死んだ人はいなかった。アメリカ軍は、医薬品や食糧を落として行ったんだが、どうやらそういう医薬品を日本兵も拾っていたんだね」

 カウンターの目の前では、先程から威勢よく中華鍋と中華お玉とをぶつけたり擦ったりする音を響かせ、一メートルもの火柱を中華鍋から立てたりと、ともするとやや小声の老主人の声が聞こえ難いほどであった。

「英語で書いてあったのでアメリカが落として行ったものだと思うよ。それを『カンタイ』が持って来て、わしの脇腹の傷の手当てをしてくれたんだ。日本軍の施設や主だった鉄道の駅が、次々とアメリカの飛行機に爆撃されていたんだが、その空襲の合間を縫って来てくれたんだ。

 焼夷弾であちこち随分やられていたよ。日本の軍人だって随分やられたはずなのに、わざわざ来てくれたんだ。わし以外にも何人か手当をしてもらってね。

 その内の五、六才ほどの男の子が空襲から四日目に死んでしまってね。カンタイは目を真っ赤にして泣きながら手当をしてくれたよ」

 老主人は、思いだすかのように上を向きながら、溢れそうな涙をしわしわで血管が浮き出た手の甲でそっと拭いた。

「傷が癒えて来るに従って手当に来るのが一日おきになり、そのうち二日おきになって、ある時パタッと来なくなってしまったんだ。

『カンタイ』は、わしの命の恩人なんだよ。お礼も言ってないんだよ。

 空襲が激しかったけど彼が死んてしまったとは思えないんだ。あんな親切な仏様の様な人は爆弾でやられるはずないよ。爆弾だって仏様は避けるに決まっているんだ。

 で、彼が来なくなって半年位してから終戦になったんだ。きっと、今も日本のどこかで幸せに暮らしているに違いないと思うんだ。本当に『カンタイ』の事は知らないかね?」

「すみません、聞いたことがありません。あの、日本ではカワギシ・カンタと発音します」

 恒久は申し訳なさそうに言った。

 二人がアサリの炒め物をうまそうに食べている横顔をジーッと見ながら、「そうか、カンタイではなくカンタと言うんだな。わしはサムリットというが君たちの名前は何というのだね」と聞いたので、二人は恒久と京子だと答えた。

「そうか、この店は表通りから少し入った所にあるので、日本人はあまり来ないんだよ。何年か前に日本人の夫婦が来たが、言葉が通じなくてね。その前に日本の領事館に手紙で問い合わせたんだよ。命の恩人のカンタイと連絡を取ってお礼を言いたいって。

 先ずは生死を知りたい、そして生きているのなら住所を知りたいってね。そしたら丁寧な返事が来たよ、要は終戦時にタイ全土で約十万人もの日本の兵士がいて、探すことは難しいってね。日本人は優秀な民族なんだから、そのぐらい分からないのかとも思ったが、負けた時の混乱できっと資料を紛失したか、廃棄したかしてしまったんだろうね」

 サムリットと言う爺さんは、爆弾の破片が当たった辺りの脇腹を擦りながら残念そうな顔をした。

 恒久は一瞬「領事館にでも聞いてみましょうか?」と言いそうになったが止めた。安請け合いをして、見つからなければ余計ガッカリさせることになると思ったからだ。

 その店にはその後、また京子が来た時やバンドタイ工業の林社長などと何度も食べに行ったが、行くと毎回サムリット爺さんは奥から出て来て「命の恩人のカンタイ」の話をしては、娘に怒られていた。

 実は、恒久はサムリット爺さんが話し掛けてきた時に、ちょっと面倒だなと思った。何せこの後に、京子に結婚の申し込みをしようと思っていたので、気もそぞろであったのだ。

 食事が終わり、お腹をさすりながら店を出て、ヤワラート通りに出ると渋滞がひどくなり始めている。日差しは強く、気温は三十度を超えている。

 恒久は、何時何処でプロポーズしようか考えていたが、船を借り切ってと言う、我ながら素晴らしいアイデアを思い付いた。

「ねえ、これからタクシーでチャオプラヤ川まで行って船に乗ろうよ、きっと気持ちが良いよ」

 そう言われた、京子は何かを感じたかのように一瞬緊張した顔で恒久を見たが、「うれしい、とてもロマンチック」と言ってにっこり微笑み、手を繋ぎながら恒久の肩に頭をもたれ掛けると、香しい京子の薫りが恒久を虜にした。

 チャオプラヤ川のサパーンプット(メモリアル橋)桟橋で、屋根つきの七、八人乗りの観光ボートをチャーターして、ゆっくりと川上の方にいったん北上してからまた戻り、二時間ほどでオリエンタル桟橋で下して貰うようにした。

 この船でプロポーズをしようと思っている恒久の心臓は、いやがうえにも高鳴っている。

 サパーンプットの桟橋を出て暫くすると、独特な大仏塔のワットアルン(暁の寺)が左手に見えてくる。さらに進むと、今度は右手にタイの建築様式を主にして様々な海外の建築様式を取り入れた、壮大な王宮とワットプラケオ(エメラルド寺院)が見える。

 川風に吹かれて髪の毛を後方に揺らしながら、気持ち良さそうに船縁に手を添えて、楽しそうにあちこち見ている京子を見ながら、恒久は意を決して遂に結婚を申し込む事にした。

「ねえ、京ちゃん。昨日結婚を前提に付き合ってとお願いしたけど……」

 京子は恒久を見てエッと言う顔をしたが、恒久は続けた。

「僕と結婚して下さい。お願いします。学生時代からずーっと京ちゃんのことが大好きだったんだ」

 恒久はやっとの事で、言おうとしていた事の半分も言えなかったがプロポーズをした。

 京子は、泣き笑いの顔でじっと恒久を見ながら、ただ一言「はい」と言って涙をぬぐった。後は、言葉は要らなかった。

 二人の乗った船は、スピードボートに追い抜かされて行く度に、上下左右に揺れながらゆっくりと北上し、ラマ六世橋辺りで引き返した。

「さっきはビックリしました」

「え、何で?」

「だって、昨日結婚を前提に付き合ってとお願いしたけど……って、そこで一呼吸置くもんだから。それに続けてやっぱり止めようって言うのが普通でしょう?でも、その反対だったから良かったです」

 京子は、また、恒久の肩に頭を預けた。

「ゴメン。本当は昨日始めから結婚してって言おうかと思ったんだけど、どうも意気地なしでね」

「そうですね、私も先輩の事が学生時代からずーっと好きだったんですけど、先輩はなんか見向いてもくれない感じだったし、実は住井に入ったのは先輩を追って入ったんですけど、入社してからも先輩・後輩って感じだったでしょう?

 そして、遂にバンコクに行っちゃって、私すっかり諦めてしまっていたんです。でも、両親に煩くお見合いの話しをされて、やっぱり先輩の事が諦められない事に気付いたんです。

 それで今度バンコクに来て、私の気持ちをハッキリと言おうと思っていたんです。それでも駄目なら諦めてお見合い結婚でもしようかなと思って。

 でも、先輩が私の事がズーッと好きだったなんて。そんな素振りも見せないで……、少し恨んでいます先輩の事」

 京子は、目に涙を浮かべていた。

「―-ゴメン、何故か京ちゃんの前だと緊張してしまって。それだけものすごく好きだって事だと思うけど」

「でも、嬉しい」

 京子の笑顔に恒久は救われた。

 次の日、恒久は、上司の瀬山に京子と婚約した話をして、三日間の休みを貰った。

 二人でお寺を見たり運河巡りをしたり、恒久が赴任して来た頃に完成したマーブンクロン・ショッピングセンター(MBK)や、サイアムスクェアーで買い物をしたりと、夢の様な時を過ごした。

 恒久はこの正月には一時帰国して、京子の両親に結婚の了解を貰う事にした。

 京子が帰ってしまうと、ぽっかりとどこかに開いた穴から寂しさが忍び込んでくるようであったが、京子の手の温もり、頭を自分の肩に預けた時のシャンプーや石鹸にまじった京子の匂い、そして京子の笑顔を思い出すと、心にぽっかりと開いた穴が少し塞がった気がした。

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