三.三  マイトリチット

 六月になって曇りがちの日が多くなり、雨がほぼ毎日の様に降り始めると、さすがにひと頃の厳しい暑さも和らいでくるが、一方で、いきおい湿度が上がり蒸し暑さで不快度が上がって来る。


 そんな曇りがちのある日、左右田恒久はラジャダムリ通りにある住井ビル三階の「タイ国住井物産」のオフィスの窓から外を眺めていた。

 オフィスは寒いぐらいに冷房が効いているが、ガラス飛散防止と暑さを遮る為の少しくすんだ色のフィルムが張ってある窓に顔を近づけると、外の炎暑が滲んでガラスの近くが燃えるように熱くなっている。

 通りを挟んだ向かい側に、ロイヤル・バンコク・スポーツクラブが大きく広がっており、通りに面したスポーツクラブの塀の頂には薄紫色のブーゲンビリアが這い伝っている。ブーゲンビリアの苞葉ほうようは一月頃に色が一番鮮やかになるようで、今の時期は確かに苞葉は少ないし何となく鮮やかさに欠けてみえる。

 スポーツクラブの楕円の競馬コースの内馬場に、手入れのよく行き届いた緑の美しいゴルフ・コースが設えてあり、数組がゆったりとプレーしているのが見える。このスポーツクラブは、百年程の歴史がある大変格式の高いクラブだ。東京で言えば例えば新宿御苑の辺りに、競馬場とゴルフ場とがでんと構えているようなもので、他にテニス、水泳プールなどの様々なスポーツ施設がある。クラブは会員制で、政財界の大物や大使でない限り会員になるのは至難の業であるようだ。スポーツクラブの向こう側は、タイでは一、二の名門大学のタイ様式の建物がいらかを競っている。

 この「富の象徴」のごとくの景色を見ていると、タイが抱えているあまりの格差をすっかり忘れてしまいそうになる。


 ≪それにしても何という巡り合せだろう≫

 恒久は、目の前のゴルフ・コースをぼんやりと眺めながら来し方を思い出していた。

 中学一年の時にタイ人の学生のサマート・ラータナワニットが下宿人として二階の恒久の部屋の隣に来て以来、自分の運命の歯車が回り始めた様な気がしている。いや、始めから自分に決まっている運命を単になぞって生きているのかもしれない。

 しかし、自分はこうしてタイに来る運命だったのだろうか。もし、父親がバンコクに出張に来ていなかったら、もし、父がユッタナー・ラータナワニットと仲良くなっていなかったら……。

 ともかく自分にとっては、ユッタナーの息子のサマートが家に下宿するようになって、色々話を聞いているうちに「タイ語」に興味を持ったことが、事の始まりだと思っている。

 衝撃的だったのが、タイ語には声調が五つあると言う事だった。始めは「声調」と言われて、実はなんの事かまるで意味が分からなかった。日本語でも「橋の端を箸をもって走る」と言う様に声調があると言うのを聞いてやっと何とか分かったような気がしたものだ。

 いくつかタイ語の単語を習っていた時に、「恒久君はタイ語の発音が本当に上手だねー。センスがあるねー」とサマートに褒められたのを切っ掛けにタイ語を勉強するのがどんどんと楽しくなって行ったのを覚えている

 大学時代は経済学専攻であったが、クラブ活動は「開発経済研究会」に入った。これも、タイやタイ語に興味を持った事が影響している。タイの様な途上国がどうしたら経済成長を持続させ、いずれはテイクオフ出来る様になるかと言うのが研究会の大括りの研究テーマだ。

 開発経済研究会の、恒久の「タイの経済開発の課題」と言う研究では、優先課題として「農地改革」、「税制改革による所得の再配分」、「工業化に向けての投資奨励策」を取り上げて研究した。自分なりに評価すると結論が月並みで、分析に深みが無かったと今更ながら反省している。

 このクラブ活動でのもう一つの「成果」は、恒久が三年生になった時に「大崎京子」が新入生で入って来た事だ。しかし、自分でも不思議なことに、京子を見た途端まるで金縛りにあったように、先輩後輩の枠に縛られ一歩も個人的な付き合いに至らなかった。従って、成果は「好きな人が出来た」だけである。

 自分でもほとほと呆れるほどの意気地なしだ。ただ、今度日本に一時帰国した時に京子に絶対にプロポーズしようと思っているが、実際その場になってみたら……。

 「意気地なし」と言えば、卒業旅行でバンコクに来た時だ。

 長髪、無精ひげ、ヨレヨレのTシャツに破れたジーンズと、姿かたちはすっかり流行りのバック・パッカーだった。安い航空券だったので、直行だと成田から六時間強だが、二か所ほど寄って、二十七時間もかかってやっとバンコクについた。

 強がって、サマートには空港への出迎えはいらないと言ってしまったので、バスをいくつか乗り換えながらやっとのことで、フアランポン駅近くの七月二十二日ロータリー地区にある、マイトリチット通りから横道に少し入った所にある安宿にたどり着いた。

 途中雨が降り出してびしょ濡れになったり、大渋滞につかまったりした事もあって、八時間もかかってしまった。 

 宿の名は、「永大旅社」と言い、一泊二ドルと言う値段から相当ひどい所だろうなとは想像していたが、自分の想像力のあまりの無さに愕然とした。

 かつてペンキが塗ってあったであろう壁の、言ってみれば五十年ぐらい廃墟のまま放ったかしにされていたような部屋に、百年物の今にも崩れそうでガタピシする二段式のスチール・ベッドが置かれ、煮しめた様なマットレスに、擦り切れて向こうが見えるほど薄くなった、かつては柄物であったであろうシーツが敷かれていた。他には何もない。

 一人、恒久と同じような身なりの、日本人と思われる老人の様な若者が入口手前のベッドの下段で本を読んでいた。

 もっと最悪なのは、旅社の入口のロビーの、所々破れて中身が飛び出たようなソファーに、三人の年端もいかないような少女達がうつろな目で座っていた。ピンクの光沢のあるサテン生地のシミーズ姿だし、娼婦だと言うのは恒久にも分かった。まだ夕食前の時間帯なので、もっと遅くなれば彼女たちの仲間が増えてくるのであろう。この旅社に来る途中の道路にも、年齢層が上のその種の仲間らしい人たちがぽつぽつといた。

 その日の内に、サマートの結婚式に着て行くタキシードなどを、無くなると困るので、サマートの家に行って預かってもらった。サマート自身は夜に婚約者と食事に行っていないので、母に預けるようにと言う事であったのだ。

 サマートのお母さんは、いかにも仕事を持っている風の押し出しの良さそうな女性であった。空いている部屋があるからそこに泊まればいいのにと親切に言ってくれたが、丁寧に辞退した。チラッとそうしたいと言う思いが脳裏をよぎったが、まさか到着した日に「降参する」なんて事はみっともなくて出来なかった。

 実を言うと恒久は、この時点で既にすっかり怖気づいてしまっていた。ノミ、ダニ、シラミ、南京虫、ゴキブリの生息地域に足を踏み入れてしまったのだ。だが、まさか今更ギブアップなど出来ない。ともかく虫除けを体中にスプレーして寝るしかなかった。

 昼間は、中華街に行ってぶらぶらしたり中国風のカフェで暇つぶしをしたり、若干身なりを整えて、プルンチットのアマリン・プラザにあるそごうデパートやサイアム地区のマーブンクロン・ショッピングセンターやその一角を占めている東急デパートなどで時間を過ごしたりした。

 主だったお寺や観光地は、以前夏休みに来た時にサマートに連れて行ってもらっていたが、まだ行っていないお寺や舟でアユタヤなどに行ったりもした。

 旅社にシャワーはないが、共同の「水屋」がありバケツに溜めた水を手桶でしゃくって頭からかぶれば良いのでその点問題はない。時々ゴキブリに遭遇する程度だ。後は、虫除けを体中にスプレーして寝るだけだ。

 同室者は三人とも、どうやらいわゆる「沈没者」たちで、バンコクに長いらしい。恒久は朝「旅社」を出てから夕食のあとまで帰って来ないので、同室者との会話は殆どなかった。旅社を出る時は、彼らはぐっすりと寝ているし、帰ってきた時には彼らは出かけているか、居ても挨拶する程度だった。

 一週間ほどそんな生活を続けていたある朝、激しい雨が降り続いているので外出出来ず部屋で本を読んでいたら、ごそごそと相客の三人が起き出してタバコを吸ったりしていたので、やっと自己紹介をしたり、よもやま話に花を咲かせた。

 彼らによると日本を出てフラフラしてバンコクに着いたら居心地がよくてそのまま居ついているのだそうだ。こういった「旅社」が、居心地が良いと思えるとは羨ましい限りであった。

 そんな彼らの話を聞いていた所に、サマートが心配して来てくれたのだ。地獄に仏と言うと大げさだが、そろそろここから抜け出したいと思っていた所だった。サマートにはバック・パッカーの一応の理屈は言ったものの、ハッキリ言って降参だった。

 観念的には、永大旅社の同室者の様にああ言った所に「沈没」するような真似に対してある種の「憧れ」を持っていた。ただ一方で、自分はA型人間で、ああ言う真似は性格的には会わないのではと漠然と思ってはいたのだ。

 実際に、「えせ」バック・パッカーになって、憧れた「冒険」に足を踏み入れてみると、やはりこういう場所自体自分に合っていないし、そこはかとなく感じられる正体不明の危険と隣り合わせで、すっかり怖気づいてしまったと言うのが正直なところだ。

 そういう自分を、「生真面目」だからとか「慎重」なだけだからと言い訳をしてみるものの、正直「意気地なし」とか「臆病者」だと思っている。

 あの恐ろしい「旅社」を出て、サマートの家に寄宿させてもらう様になると、サマートの妹のナンタワンが時々遊びに来るようになった。家庭教師について日本語を勉強しているとの事だ。

 本人は日本に留学したいらしいが、ユッタナーが許さないらしい。目の届かない所で変な虫が付いたら大変だからだそうだ。

 この時ナンタワンは、高校三年生とはいえ、上背は一七〇センチほどで、すらりと伸びた手足がまぶしかったが、さすがにあちこちに幼さを残していた。

 住井物産に入社してから、時折バンコクに出張するようになったが、正式にバンコク駐在員になる八五年の十月までは、ナンタワンともそれほど会うことは無かった。

 ナンタワンがチュラサート大学日本語学科に入学してから、バンコク出張時に彼女に会う機会があったが、なんと街で時々見かけることがあった高校生の様な制服を彼女が着ていたことがあった。

 あれ、大学に進学したはずなのにと思って、後でサマートに聞いたら、タイでは大学生にも制服があるとの事であった。長すぎるベルトの端が垂れ下がらないように黒のダブル・クリップで止めているのが可愛かった。

 チュラサート大学では、女子は、白の半袖ブラウスに紺または黒の膝下の長さのプリーツ・スカートに、茶色または黒のベルトにヒール無しの靴で、男子は白の長袖または半袖のシャツに黒のネクタイ、黒または濃紺のズボンだそうだ。他の大学も概ねチュラサート大学の服装規定を参考に導入しているようだ。もっとも、大学によっては体にピタリとしたブラウスにミニのタイトスカートもあるようだ。

 ナンタワンは育ちの良さがそのおっとりとした挙措に表れているが、大学の程よく体の線を秘し隠す制服姿と、普段日本語の勉強の為と言ってあちこち案内をしてくれる時の、成熟度を誇示するかの如くの、目のやり場に困るほどに体の線を際立てたTシャツとジーンズ姿とのあまりの乖離に戸惑いを覚える事しきりであった。

 恒久が正式にバンコク駐在員として赴任する直前に、ナンタワンはBOI(タイ国投資庁)に就職したが、さすがに政府機関での勤めとなると、幾分ゆったりした柄物のブラウスに膝下までの丈のスカートあるいはワンピースと、今や穏当な出で立ちに首尾良く変身している。

 しかし、それでも優形は隠しようも無く、人の心を明るくする微笑と共に見るものを魅了してしまうのだ。

 恒久とて健康な男子である。魅惑されない訳はないが、ユッタナーのお嬢さんと言う事と、サマートの妹と言う事が無意識のうちにある種のブロック現象を起こさせ、端から恋愛の対象と

 は見ていなかった。

 ナンタワンはBOIで日本からの企業誘致の担当窓口のジャパンデスクで働き始めたが、どうやら初日から残業をしなくてはならないほど忙しかったらしい。

 恒久は、時々日本からのに顧客に同行してBOIに行くことがあってナンタワンを見かけ

 るが、さすがにお互い仕事中で目礼を交わす程度の事が多かった。

 最近になって、恒久が担当する日本からの大手のメーカーの役員クラスの工場長が、BOIにインセンティブなどについて聞きに行きたいと言うのでBOIにアポを入れたら、ちょうどナンタワンが応対してくれる事になった。ナンタワンは入庁して既に一年が経っていたせいか、驚くほど的確に制度の説明をしてくれた。その上、トップのバンポット長官がもし空いていれば名刺交換でもどうかとナンタワンが提案してくれ、その場で彼女が長官秘書に電話するとちょうど手すきのようだったので、長官と名刺交換をした上に一緒に写真まで撮ってくれると言うサービスまでしてくれたので、顧客は大満足で、恒久の株もすっかり上がったのであった。

 いつぞやバンポット長官は、日本から大人数の投資ミッションが来てくれるのは有難いが、メンバーの一人一人が名刺交換をしたがり、かつ一緒に写真撮影までしたがる。合同の写真撮影は良いが、名刺交換は時間ばかり取られるので、最近は出口の所に長官の名刺を置いておいて自由に持って行ってもらっていると言う話をしていた事がある。

 大人数のミッションはまだしも、「長官」が世界中から来る一企業の訪問者にいちいち会ったりすることは、よほどのことが無い限りあり得ない。

 今回はナンタワンが特に長官に頼んでおいてくれたたのであろう。そこに、ナンタワンの恒久に対する思いがこもっているのが感じられたが、その思いに答えることが出来なくて申し訳ないと思えば思うほど、逆に大崎京子の事が気になってしまうのだ。

 今にも日本に帰って京子に告白したいと思うが、この所チームの仕事は手いっぱいでそれこそ猫の手も借りたい状態なので、いくら人の良い瀬山リーダーにお願いしてもきっと取り合ってくれないだろう。

 ぼんやりと目の前のスポーツクラブのゴルフ場を見ながら、そんな事をつらつらと考えていると、どうやら東京からの客らしく「左右田さんとアポイントが」と言う声が入口の方から聞こえて来た。

 シーラチャーのタナーナコン工業団地に案内する予定の客だ。

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