二.七 トンソン
一九八五年五月
ここ三日ほど雨が降らず、酷く暑い日が続くある夜、サマート・ラータナワニットが事務所で帰り支度をしていると、珍しく長兄のニポンから会いたいと電話で言って来た。
ニポンと会うのは、ラチャダーピセークの土地買収について不正取引があった件を教えに来てくれた時以来なので、ほぼ二年ぶりである。
電話では定期的に連絡をとっていた。時々、父親のユッタナーがやはり気になっているのかニポンの話題を出すので、情報収集の為もあって連絡していた。
「やあ!」
次の日、サマートが、言われた待ち合わせ場所のユニコーン・クラブの一室で待っていると、ニポンが快活に入って来た。
ここはニポンが経営しているトンソン通り沿いにある会員制のクラブで、会費が五万バーツ(当時のレートで約二十五万円)とバカ高い。
トンソン通りは、緑が多く外国公館やちょっとしたレストラン、ホテルが点在するウイッタユー通りと、ランスワン通りの間を並行して走っている通りで、通りの片側に、太い幹線運河のセンセーブ運河から枝分かれした、細い運河が残っていて、緑が多く雰囲気のある通りだ。西洋かぶれのニポンのお気に入りの通りで、この通りのどこかの館で非合法のカジノもやっているようだ。
「タナー・エンタプライズの社長になったんだってなあ、ダム(サマートの愛称)。おめでとう。やはりお前が社長になると思っていたよ」
「いや、ヤイがあんな事になってしまったから、こっちにお鉢が回って来たんじゃないか」
「馬鹿言え。始めから親父はそう決めていたんだよ。でなければ……、まあいいやそんな話。兎も角おめでとう」
ニポンは、心にもなくお祝いを言っている風には見えない。
「ありがとう。でも、社長と言っても、実質的には経営権を持った会長が今まで通り取り仕切るので、これまでと全く変わりは無いよ。僕はまだ若いしね」
サマート自身、まさかこんなに早く社長になるとは全く思っていなかった。まだ、三十三才だ。確かに、ロスから帰って直ぐに常務になり、数年して専務になったので昇進が早いなとは思っていた。だが、社長になるのは四十才ぐらいになってからだと思っていた。
ただ、父親は既に今年六十五才で、結構年をとったなあとは折々に感じていた。とはいってもまだまだかくしゃくとしており、全く歯が立つ相手ではない。
父は、おそらく自分がまだ第一線で働けるうちに社長を譲って自分を鍛えようとしているのだと思っている。
「ところで、お祝いを言う為に僕を呼んだ訳ではないだろう?」
サマートは、ニポンが自分に対する態度を含め微妙に変わってきたのを感じながら聞いた。
「ふん、相変わらずだな、ダム。兎も角コニャックでも一口飲んでまずは落ち着けよ。レミー・マルタンと比べるとこれは辛口だけど良いだろう?」
ニポンは、カミュのXOのオンザロックを自分とサマートに作りながら機嫌良く言った。
「このクラブもヤイが経営しているんだってね」
「おっ、良く知ってるねぇ。調べているんだろう、俺の仕事。ま、あんまり自慢できるようなものは無いがね。ここは、とびっきりの女を揃えているんだ。話が終わったら呼んでやるよ」
「いいよ、女は」
「お前、かみさんが怖いのか」
「ふふ、まあね。ところで、話が有るんだろう?」
「うん。それがさー助けて貰いたいことが有るんだ」
ニポンが低姿勢に言った。
「ちょっと待ってよ。ヤバイ話に巻き込まないでくれよ。そんな話なら帰るよ」
そう言って立ち上がろうとするサマートを制しながら、「いや、これは真っ当なビジネスの話なんだ。裏の稼業とは違うんだよ。とりあえず話だけは聞いてくれよ、嫌ならいいんだ。ま、今さらお前に頼みごとが出来るような筋合いではないけどね」と、慌ててニポンが言った。
仕方なくサマートが座り直すと、ニポンが続けた。
「実を言うと、スクンビットのソイ三十九の近くに資金手当て難で、三年ほど前から建築が途中でストップになっているコンドミニアムあるんだ。
数年前のコンドミニアムの建築ブームに乗って建築を始めたんだけど、その後あまり景気が良くないのに政府が金融引き締めをしたので動きが取れなくなったらしいんだ。貿易収支の赤字が膨らむのが嫌だとか他にも何か言っていたけど、兎も角金融を引き締めてしまったんだ。日本との貿易赤字のせいだよ」
ニポンは、ニヤッとしてサマートを見ながら話を続けた。
「それで、そこは立地も良いし、海外からの投資も少しづつ来ているので、海外駐在員も増えてコンドミニアムの需要が増えるんではないかと思ってね。で、それを買って建築を再開しようと思っているんだけど、投資を当てにしていた人が俺の裏の稼業の事を知ってビビってしまってね。降りると言って来たんだよ。でもこれは全くまともな事業なんだ。実は、出来れば少しづつでもまともな仕事にシフトしていきたくてね」
ニポンは真剣であったし、結構裏付けの調査もしているようであった。最後の「まともな仕事にシフトしていきたい」と言うくだりにサマートの心が動いた。
「それじゃー、取り敢えず計画書だけは見せて貰おうか?そのビビってしまって投資を止めてしまった人は正解だとは思うけどね。親父と相談するけど良いかい?」
サマートは努めて興味なさそうに言った。
「いや、親父には迷惑を掛けたくないんだ。お前の裁量の範囲があるだろう、何から何まで相談するのか?」
「て、言う事は僕なら迷惑を掛けてもいいと?」
「いや、そう言う意味では……」とニポンが言いかけた所に、体の線にぴったりした濃い赤紫色のロング・ドレスを着たホステスと思われる女が、微笑みながらニポンの肩に手を置き「あら、お客さん?お酒作りましょうか?」とニポンに聞いた。
その口振りからニポンの女だと直ぐに分かった。
「いや良いんだ、今は仕事の話をしているから後でな」
ニポンは家族には見せた事のないような優しい顔で囁くように言った。
「そういう意味でないのは分かっているさ」
サマートは女が席を離れると笑いながら言って、話を続けた。
「それで、計画書は今あるのかい?確かに建築中のコンドーがまだ幾つかあるよね。安く買えれば、儲けが出せるかも知れないね。ソイ三十九辺りなら日本人やファラン(白人)の需要があると思うよ」
「ダム(サマートの愛称)がそう言うんなら間違いない、安心だね。ありがとう。それでは、週末に計画書を持って行くから、飯でも食おう。時間と場所は連絡するよ。
ところで、中央部の米の播種は終わった頃だけど、俺のやっていたARS(アジア・ライス・シンジケート)の方はどうだい?トゥイ(ニポンの実弟のトンチャイの愛称)が面倒を見ているらしいけど、この所アメリカとの輸出競争が激しくなっているらしいね」
やはり、ニポンは自分のやっていた仕事に未練があるのだろう。
「そうそう、でもタイ全体で輸出が四百万トン弱だったのが、この所四百万トンを超えているって言っていたよ。うちのタイの輸出全体に占める割合も少しずつ増えてるってトゥイが言っていたから、そんなに心配することないんじゃないかな。やっぱり気になるんでしょう?また、戻って来たいんじゃない?」
サマートが水を向けると、「馬鹿言え、それは絶対有り得ないよ」と、まんざらでもない顔で即座に否定した。
確かにそれは有り得ない話である。
次の休日の昼、二人はニポンが経営する高級クラブにほど近いトンソン通りにあるフランス料理店で落ち合った。ニポンは西洋料理がことのほか好きで、外食と言えばフランス料理かイタリア料理に決まっている。日本料理はもっての外だ。
かつてサマートが日本料理屋に行こうと誘ったことが有ったが、全く興味が無いと断られてしまってからは誘っていない。
「大体、魚を塩で焼くかシーユ・ジープン(日本の醤油)で煮るか天ぷら位しかないじゃないか、何が美味いんだ」と言って
実の所、サマートはニポンのコンドミニアムのへの投資話を、父親のユッタナーに相談していた。
「真面な仕事にシフトしていきたい」と言うニポンの話を前面に押し出して話したこともあったが、逆に父親からは、「最悪、投資なり融資なりした金が回収出来なくても良いと言う覚悟でやってくれ。悪いがうまく行くように助けてやってくれるとありがたい」と言われたのである。
勘当したものの、そこは可愛い息子であり、何せ嫡男である。まっとうな事業であれば、自分は表に出ないが、裏では助けたいと思っているのだ。
二人がコンドミニアムを巡る最近の動向について話しをしていると、サマートにはバラマンディのレモングラスとニンニク風味のムニエル、ニポンにはイトヨリダイのムニエルにきのこクリームソース添えが運ばれてきた。何れの魚もシャム湾(タイランド湾)で獲れた新鮮な素材だと言う触れ込みである。
「この案件は大丈夫だよ」とニポンはメインコースの皿に鼻を近づけて匂いを嗅ぎながら満足そうに笑顔で言い、コンドミニアムの投資案件の書類の入った封筒を人差し指でポンポンと叩いた。
「俺も馬鹿じゃないからね。この案件はANU(オーストラリア国立大学)の時代の友達から紹介して貰ったんだ。彼はオーストラリア人なんだがイギリスの大手不動産会社に勤めていてね、僕がこんな世界にいる事は知っているんだけど、何故か俺の事を信用してくれていると言うのもあるんだが、キチット金さえ払ってくれれば誰とでも商売するって言うんだ。ま、ユダヤ人だからなんだけどね。デイビッド・ソロモンって言うんだけど、いかにもユダヤ人らしい名前だろう」
ニポンは、美味そうに魚を食べながら機嫌良さそうに続けた。
「ところが、前にも言ったけど一緒にやろうとしていたタイ人の出資者が俺の事を調べたらしくて、急に出資を取り止めてしまったんだ。どうやら違約金を払った方が、俺とやって投下資金を全額無くしてしまうリスクよりは良いと言うらしいんだ。
これには俺も堪えたよ。やはり一度ああいう世界に入ってしまうと、なかなか抜けられないと言う事も実感したよ」
サマートはニポンの悔悟ともとれる述懐が彼の本心かどうか量りかねたが、ニポンの「少しずつでもまともな仕事にシフトして行きたい」と言う言葉に賭けてみる事にした。また、それが父親の希望でもあるのだ。
「物件評価もそのユダヤ人の所がやったの?」
サマートは、メインのバラマンディを食べ終えナプキンで口を拭いながら聞いた。
「うん、エリック・ゴードンと言うロンドンにある大手の不動産会社の本社の評価部門から、わざわざ人を派遣して調査してくれたんだ。これが結果だ」と言いながらニポンが「評価結果」と書いてある書類をサマートに手渡した。
サマートは暫く見ていたが、「うん、かなり綿密に調べているね。イギリス人がやったんだね。評価を。配筋検査もやっているし、地盤調査を基にした基礎構造も適切のようだし、これまでは手抜きも無く建築仕様書通りやっているようだね」と、強面の顔に似合わず心配そうなニポンに言った。
「そうだろう?こんなにいい物件を建て始めた人が金が続かなくて途中で売却せざるを得なかったなんて不運だよね。逆に我々にとってはもっけの幸いだがね」
ニポンは既にサマートが資金手当てをしてくれるものと踏んでいるかのように言った。
「そうだね、後はパートナーとしてのヤイの信用の問題だけのようだね」
そうサマートが言うと、ニポンは一瞬顔をひきつらせたが、思い直したように笑顔で取り繕った。ニポンにしてみれば自尊心を曲げてサマートに頭を下げているのである。
「ゴメン、ゴメン。この際ヤイの信用問題は横に置いておかないとね。この物件は確かに問題なさそうだけど、形式的に必要なのでこちらでも専門家にこの物件を一応調べて貰ってからになるけどね。それで幾ら必要なんだい?それから、融資と言う形にするのか出資にするのかも決めないとね」
サマートは少し安心顔に戻ったニポンに聞いた。
「うん、あとどうしても一億バーツ(約九億円)必要なんだ。とりあえず来月中に二千万、今年末までに三千万、それから完成時の来年の十一月までに残りの五千万バーツと言う勘定なんだ」ニポンは柄に似合わずおずおずとして言った。
「分かった。相当な金額なんだね。ヤイの出資分は手当がついているんだね」
「うん。大丈夫だ。親父から貰った分は真っ当な世界で運用しているからね。このコンドミニアムには、裏の世界の金は一切使わないつもりなんだ」
ニポンは真面目な顔で言った。
「うん、何とかなるよ。それでさぁ……」
サマートは少し言いよどんでから続けた。
「実を言うとこの話……、親父に話を通してあるんだ」
「えっ!言っちゃったんだ。で、何て言っていた?」
ニポンは顔を赤くして驚いた顔で聞いた。
「ヤイが、少しずつでもまともな仕事にシフトして行きたいからと言っていたと言ったら、分かったと言っていたよ」
サマートは父親のユッタナーの言葉をニポンに正確には伝えなかった。
「そうか、要は金を出しても良いと言うんだな」
「うん」
「そうかー。有り難い。ありがとう。助かったよ。親父に知れて反対されたら困るなーとは思っていたんだ」
ニポンは、好物のデザートのクレームブリュレの、硬いカラメルの表層を匙で割りながら嬉しそうに言った。
年が明けて一九八六年三月。
原油価格が昨年の十二月辺りから、それまで一バーレル当たり三十ドルを行ったり来たりしていたのが急に大きく下落し始めて、この三月になって遂に十ドル近辺まで下落しているので、サマートはニポンの事が気になっていた。原油の価格調整役のサウジアラビアが長期にわたる減産から増産に転じたことが原因だ。
たしか、ニポンは親父からもらった財産の一部を石油関連で運用していると言っていた。昨年の七月ニポンに会って以来一、二回電話では話したが、気にもなっているのでそろそろニポンにまた連絡をしようと思っていた矢先に、彼から電話があった。また、お願い事があるのであちらから出向くと言ってきた。だが、いくら昔に虐められたからとは言え彼は長男だし、偉そうにお願い事を聞いてやるから待っているというのは嫌だった。ましてや彼は勘当された身だ。
ニポンも、いくら何でもそれでは申し訳ないのでと言うやり取りはあったが、結局はサマートが出向くことで落ち着いた。
徐々に暑さが増し、街角の果物売りの屋台にマンゴーやドラゴンフルーツ、まだかなり高いがドリアンなどが並び始めたある日、サマートがニポンの言うマンションを訪ねた。
「悪いね、わざわざ来て貰って。そっちで俺がウロウロしていて、悪い噂でも立つと良くないしね」
ニポンは、殊勝な事を言ったが、どうやら本心のようだ。
「いや、そういう意味で僕の方がこっちに来ると言ったんではないよ」
と、サマートが慌てて言うと。
「ごめん、分かっているよ。わざわざありがとう」
ニポンはあくまでも神妙だ。
サマートが出向いたのは国道三号線はスクンビット通りのソイの五十五、トンロウと言うソイ(大通りから入る脇道)近くにあるニポンの妾宅であった。ここに来るのはサマートにとって初めてである。お手伝いさんに応接間に案内されると、ニポンと、まだ生まれたばかりの様に見える赤ん坊を抱いた若い女性が一緒に入って来た。女は、赤ん坊は女の子でシーリンと言い、自分はアラヤーだと自己紹介をすると出て行った。
「子供がいるんだ。上手く育てないと、ヤイみたいに横道にそれちゃうよ」
サマートは、冗談めかして皮肉を言った。
「おいおい、皮肉はよしてくれよ。これでも一生懸命横道から本道に戻ろうと必死なんだから。娘のシーリンの事は、お母さんからオヤジにはそれとなく伝えてもらっているんだ。オヤジは嬉しそうだったってお母さんが言っていたよ」
ニポンは真剣な顔で続けた。
「しかし、それにしても一度横道にそれてしまうとなかなか戻れなくてね。それこそ利権が絡んでしまっているからね。
俺が抜けると勢力バランスが崩れて、得する奴と損する奴がいてね、俺は丁度そのバランスの中点辺りにいるんだ。俺が抜けると損する奴が怒るし、得する方も得はしてもそれは一時で、損した奴が取り返そうと抗争が起きてしまうんだ。
それとこれに警察が絡んでいるから厄介でね。と言うか警察とのジョイント・ベンチャーみたいなもんかな。俺は麻薬はやらないからあまり儲けは無いけどそれでも結構上の方とも繋がっているから……」
「じゃあ、誰かニポンの子分に縄張りっていうのか利権って言うのか知らないけど、渡してしまって足を洗えば良いじゃないか」
「いや、ほかのうちみたいな組織や警察とか政治家なんかとは俺の個人的な繋がりになっていて、簡単に子分に組織を渡して自分は抜けたって訳にはいかんのだよ。それにどこかよそに引き取ってもらえば俺の組織は雲散霧消して俺の事も忘れてしまうだろうけど、誰かにそのまま子分に引き継ぐといつまでもアイツの組織と後ろ指差されるからね」
ニポンは苦悩の表情をしている。
サマートはヤクザ家業がどんなものか想像もつかないが、なかなか抜けられないで悩んでいるニポンを見て同情を禁じ得なかった。
「ところで、何かお願いごとが有るって言っていたけど何だい」
「うん悪いな、実は困った事になってしまったんだ」
ニポンは居心地悪そうに話し始めた。
「ほら、去年の暮れ辺りから原油価格があれよあれよと言う間に三十ドルから十ドルにまで下がってしまっただろう。実は、あれに引っ掛かってしまたんだ……。お前の所から借りた五千万バーツは既に払ったんだ。だが、もう五千万バーツを俺の金で別途払わなくてはいけなかったんだけど、原油関連で運用していたものだから大きく目減りしてしまってね。
事情を話して支払いを今月末まで待ってもらっているんだが、どうしても金策が出来なくてさ。なので、悪いが四千万バーツ貸してくれると有り難いんだ。もっと早く売ってしまえば良かったんだが、ちょっと欲をかいてしまってタイミンクを逸してしまったんだ。勿論、裏稼業の金を回せば何とかなるけど、一緒くたにしたくなくてさ」
ニポンらしくなく小さくなっている。
「うん、うちも大分やられはしたけど、直ぐに売るわけでも無いし少し我慢して持っていればまた何時か戻ると思っているから。そう、月末までに四千万ね。分かった、用意できると思うよ」
サマートは、父親の顔を思い浮かべながら答えた。親父に言えば用立ててやってくれと言うに決まっている。
「そうか、ありがとう助かるよ」
ニポンは短くなったタバコを、大きいガラスの灰皿でもみ消しながら礼を言った。
《それにしても、ニポンは変わったな…》
サマートは、ニポンを見ながら考えていた。
子供の頃のあの悪ガキの面影はその顔つきに若干残っているが、態度は今やすっかり毒牙を抜かれたコブラの様だ。
彼の自分に対するいじめは、父親の愛情を独り占めしたい事から来る嫉妬の表れだと思えば哀れではあったが、少なからず自分の心にトラウマとして残った彼に対する恨みの気持ちはなかなか消えない。
それにしても、あのニポンが父親の妾の子の自分に頭を下げる気持ちはいかばかりであろうか。今こうして自分の目の前で土下座せんばかりに助けを求めているニポンを見ていると、彼に対する恨みの気持ちが少し和らぎ、哀れさがさらに増していく気がしている。
ニポンは、またタバコに火を点けて美味そうに吸いながら、「このコンドミニアムの計画が上手く行ったら、そっちに最優先で返済して行くようにするよ。どうせこの件も親父に言うんだろ?よろしく言っといてくれよ。俺としても、早く裏稼業から抜けるように頑張るつもりでいるから」と、真顔で自らに言い聞かせるようにきっぱりと言った。
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