二.四 チョンブリー
一九八二年四月
この所、ライチーが徐々に市場やあちこちの街角に出回り始めている。タイでは、それぞれの果物に旬はあるものの一年中食べられる果物は多い。だがこのライチは市場に出始めてから長くてぜいぜい二か月か、三カ月ほどで出回らなくなってしまうのだ。この時期以外は冷凍か缶詰でしか食べられない。
四月も下旬になると、雨が降る日が若干増えて来るが、季節的にはまだ「暑季真っ只中」だ。
サマート・ラータナワニットが、妻のアリッサラと鯉が泳いでいる池にせり出したベランダで、好物のライチーを朝食後に食べていたところに、東京の左右田の息子の恒久から電話が来た。
出張でバンコクに来るので、久し振りなので会いたいと言う事であった。
恒久は、二年前の三月に卒業旅行でバンコクに来てサマートの結婚式に出でくれたが、その四月に晴れて住井物産に入社している。
サマートにとっては好都合な事に、恒久は新事業推進プロジェクト本部で海外の工業団地を担当する部署にいるとの事だ。ちょうどサマートは、バンコク郊外に工業団地開発のプロジェクトを立ち上げようとしているところで、工業団地への日本の企業誘致を担当してもらう日本の合弁相手先として、まずは恒久がいる住井物産にその話を持って行こうと思っていたところであった。
妹のナンタワンに恒久がバンコクに出張で来ると言うと、それは嬉しそうにしていた。そうでなくても彼はいつバンコクに来るのかと、会えば必ず聞いてきていた。彼女は、昨年、志望通りのチュラサート大学文学部日本語学科に首尾よく入学出来た。ちょうど一年が過ぎ、今は学年の間の休みの時期だ。結構、真面目に勉強しているらしく成績も良いようだ。
恒久が、父親のユッタナーの所に挨拶に寄った際に、サマートの新居の応接間でナンタワンを恒久と会わせるようにした。
ところが、ナンタワンはあれ程会いたがっていた恒久が実際に来ると、顔を耳まで赤くしてうつむき加減で、二言、三言日本語で挨拶をしたらもう後が続かないようであった。サマートが少し助け船を出していると、恒久も気付いて大学での勉強についてや、タイの学生はどんなことに興味を持っているのかとか、最近の大学生の対日感情などを尋ねたりして行くうちに、ナンタワンはやっとリラックスして話をするようになった。
サマートはいつもと違うそんなナンタワンを見て、不憫に思った。
しかし、あまりにも環境の違う二人をくっつけるような事をする気はサマートにはな無かったものの、一応気を利かせてちょっとの間二人だけにしておいた。
サマートがこの所、集中的に時間を割いて注力している工業団地の開発プロジェクトの話を恒久にするのに、中國仏教寺院の龍蓮寺(ワット・モンコン・カマラート)近くの潮州系華人のやっているレストランに招待した。四、五日は居るようなのでどうせタイ料理は何度か食べるだろうと思い、中華料理で彼が行ったことのない所にした。
ここは、東洋一と言われているバンコクの中華街のメイン・ストリートであるヤワラート通りから北東方向に少し行った辺りで、近くに中華食材や生鮮食品、雑貨などの市場や食べ物屋の屋台などが、これが混沌の極みの見本だと言わんばかりに雑然とひしめいている。
店のオーナーは広東省の潮州系だが隣の省の福建省の厦門に比較的長く住んでいたことから、「潮州料理」は勿論だが、「厦門料理」も結構得意のようだ。
恒久からの連絡が早かったこともあって、作るのに数日かかる料理も頼む事が出来た。
この店は、父親のユッタナーが昔、このあたりに住んでいた頃からの付き合いで、勿論フカヒレとツバメの巣の料理も得意だ。
サマート自身、十二才ぐらいの頃にシーロムに移るまではこの辺りで育ったので、勝手知ったる自分の裏庭のような気がしている。ここ中華街に来ると血が騒ぐのか、自分は華人系の人間だと言いう事を嫌でも思い出させられるのだ。
大東亜戦争を挟んで都合十二年強首相の座にあったプレーク・ピブンソンクラムの華僑・華人のタイへの同化政策(タイ国籍の取得、タイ語教育、利益のタイへの還元など)に呼応して、父親のユッタナーは早い段階でタイの国籍に切り替えたのだ。自分たちは、華人系だからと言う事での差別は全く受けずに、タイ人としてごく自然に育ってきた。ただ、自分が華人系だというのは折々に両親から意識させられてきた。今では、自分の周りの仕事の関係のほとんどは華人系だが、会話は全てタイ語で、普段は取り立てて華人コミュニティーの中にいると言う意識はほとんどない。だが、中華街に来ると自分の出自に気が付かされるのである。
料理は、前菜に豚と鴨の香味醤油煮、後は福建省福州発祥と言われているファッティウチョン(佛跳墙―干しアワビ、干し貝柱、干しナマコ、フカヒレ、鶏、豚、アヒル、干しシイタケ、干しエビ、するめなどそれぞれ好みの食材を壺に入れたスープで、作るのに数日かかる高級料理)、土旬凍(サメハダホシムシの煮凝り)、小芥菜(からしな)炒め、福建省厦門風牡蛎の揚げ物と厦門風焼きビーフンを注文した。
ビールが来たので乾杯をして、サマートはボチボチ本題に入ろうと思っていた所、恒久が、「実はもし僕が週末にまだバンコクにいて、時間が空いてるのなら日本語の勉強にもなるからどこか案内してあげましょうとナンタワンさんが言うんで、そうしてもらう事にしたんですが良いですか?」と、事後承諾になって申し訳ないと言った風情で聞いた。
「へー、あのナンタワンが恒久君にそんな事を言うとは驚いたよ。勿論、僕にそんなことの許可を求める必要なんかないよ。二人とも子供じゃないんだしね。
いやね、普段のナンタワンと恒久君の前のナンタワンとはそれは「雲泥の差」って言うのかい?方や女王様、方や借りて来た猫と言う感じかな。恒久君の前の、あんなにしおらしくしているナンタワンを見るのはそれこそ生まれて初めてだよ。
周りの男たちはナンタワンを必死に追いかけるんだけど、彼女は無情にも洟もひっかけないんだよ。親しくしている男友達は居るんだけど、まるで彼らを召使扱いしていてね」
サマートは、苦笑しながら言った。
「はー!そうなんですか、でも日本語の勉強になるからって言うもんだから」
恒久は、当惑顔だ。
「いや、良いんだよ、良いんだよ。日本語の勉強と言うのは、真面目なナンタワンの事だから嘘ではないよ。でも、恒久君の事をもっと知りたいとは思っていると思うよ。ま、いずれにせよ勉強の為と思って付き合ってやってあげてよ」
「はい……、分かりました……」
恒久が相変わらず戸惑った顔で言った。
「所で、話は変わるけど、実を言うと恒久君と仕事の話が有るんだ。おたくは親子で住井と菱丸とライバル会社同士に勤めていてややこしいからね」
「はい、でも一応お伺いを立てておかないと。大切な妹さんですから……。そうそう、そう言えば電話で僕と仕事の話があるって言ってましたね。と、言う事は親父に知られたくない話って事?」
恒久は、怪訝そうに聞いた。
「いやそれ程ではないんだが、まず住井に先に話をしてみようかと思っている話があるんだ。まだ、こちらの住井タイの林社長さんにも話していないんだよ。
実は、バンコクから南南東に百三十キロぐらいの所のチョンブリー県のシーラチャーと言う所に工業団地を造ろうと思っているんだ。パタヤって言うリゾート地知っているだろう?そこへ行く途中にあるんだよ。うちの親父も賛成してくれていてね。恒久君も見に行くと言っていたチャオプラヤ川の河口近くの「バンプー工業団地」は五年前に出来ているけど、既に一杯になりそうだし、今年は工業省傘下の工業団地公社がここから東に三十キロほど行ったところのラートクラバーンに新しく工業団地が出来たんだけど、まだまだそれ以上に需要はありそうなんだ」
サマートは、前菜を恒久に取ってあげながら話を続けた。
「タイは今、海外から工場を持って来て貰って、タイからの輸出をしてくれる企業にどんどん来てもらいたいんだよ。それには、ある程度インフラの整った工業団地が有れば来てもらいやすいのではないかと思ってね。何も無い田舎にポツンと工場を建てると言うのは難しいしね。手続きも個別に色々とやるのは大変だから、入居企業に対して我々が色々サポートが出来る体制を整えておけば企業も楽だと思って。あ、恒久君は海外の工業団地を担当しているからそんなこと知っているよね。
ただ、タイは、特に今年から始まる第五次経済社会開発五ヵ年計画でチャチャンサオ、チョンブリ、ラヨンの三つの県をカバーする「東部臨海工業地帯開発プロジェクト」がいよいよスタートするんで、チョンブリにあるシーラチャー辺りに工業団地を造ればバンコクにも近いし、シーラチャーには将来レムチャバン港が計画されているので、輸出の為の物流拠点としても利点があるしね。ま、ちょっと大げさかもしれないけどタイの工業化に少しでも貢献出来るのではないかと思っているんだ。
知っていると思うけど、タイは歴史的に見てベトナムやミヤンマーがある意味怖いんだ。彼らが今みたいにモタモタとしている内に、経済面でどんどん先に行って、彼らが付いてこれない位に水をあけておきたいんだ。でないと彼らは結構優秀なんでタイは負けてしまうからね」
サマートは、「タナーナコン工業団地プロジェクト」と英語で書いてある資料の中の、「東部臨海工業地帯開発プロジェクト」についての詳しい資料を開いて見せながら、タイ湾で採れる天然ガスをラヨン県のマプタプット地区へパイプラインを引いて、マプタプット工業団地に石油化学工業や鉄鋼業、発電所などを誘致する。チョンブリ県シーラチャーにレムチャバン深海港を建設し、隣接地に軽工業の為のレムチャバン工業地帯を建設する。また、バンコクに一番近いチャチュンサオ県にも軽工業用の工業地帯を建設し、それぞれをバンコク東部外環状道路の建設や国道三号線の整備を行う事により連結させる計画などを、口頭で簡単に恒久に説明した。
折から「土旬凍」が来た。土旬凍は厦門名物と言われているようだが、サマートの大好物だ。海辺にいるミミズとナマコを掛け合わせたみたいな見た目で、お世辞にも美味しそうには見えない虫だが、食べてみると大変に美味いので、是非恒久に食べさせてみたかったのだ。
「恒久君、これ土旬凍と書いてトースータンって言うんだけどぼくの大好物なんだ」と言いながら、海辺にいる虫の一種で煮ると煮凝りになると言うような説明をしていると、恒久は、興味深そうな顔をしながらパクリとかぶりつき、目をつぶってじっくりと味わってから、「確かに見た目はあんまりだけど、ぷりぷりして美味しいね。ちょっと唐辛子とニンニクとかが効いた醤油味のタレも良いね」と、言いながらもう一口ほおばった。
「それでね、海外の工業団地の事業については、菱丸より住井の方が先行しているみたいだし、住井で恒久君が工業団地関連のセクションにいると言う事もあって、まずお宅に打診してみようと思っていたら、ちょうどタイミングよく来てくれたんで東京に行く手間が省けて良かったよ」
サマートは、恒久が上手そうに土旬凍を食べているのを見ながら話を続けた。
「左右田のお父さんは、今は電気機械部長さんで工業団地とはあまり関係は無さそうだしね。お宅の小伊田常務とか何人かの幹部連中とは仕事上の付き合いはあるし、ここの住井タイの社長の林さんとは一緒にゴルフをしたりする仲なんだけど、日本企業のやり方って案件を上からズドンと下すより、下から少しずつつみあげて行く方が上手く行くらしいので、取り敢えずは恒久君と相談してみようと思ってね。
で、一つ聞いておきたいのは住井がタイでの工業団地プログラムに興味を持つ可能性があるかどうかなんだ。団地の造成、建設などはうちがやるけど、主に日系企業の誘致を住井にやってもらえればと思っている。タイでは工業団地は一九七一年にナワナコンに出来ていて、七十七年にはバンプーに出来、今年はラッカバンに出来る予定だ。だから「サバイ、サバイ(簡単な)」なプロジェクトではなくて、ある程度競争は覚悟しているよ」
サマートが一気に説明したところに、厦門風牡蛎の揚げ物が来た。
一通り、牡蛎の揚げ物を食べ終わると、恒久が話し始めた。
「実を言うとこの間のうちの部内での会議では、タイでの工業団地の話が出たんです。どの位の日本企業がタイへの投資に興味を持っているか調べてみようと言う事になったんです。ですから、上は興味を持っていると思うんです。電話で話したけど今回僕がバンプーとラートクラバーンを見に行く事になったのもその証拠です。
この所、資源や一次産品の価格が低迷していて少し元気がないですけど、マレーシアが結構注目されて来ていて、タイはその陰に隠れてしまっているような気がしているんです。特に去年登場したマレーシアのマハティール首相が「ルック・イースト」とか「日本に学べと」か言って結構宣伝上手で、相変わらず人気があるようです。
でも、タイも堅実な経済運営とマレーシアとほとんど変わらない外資導入政策があるので、むしろ日本の企業がタイに注目しないのは不思議な気がするぐらいです。僕なりに考えたんですが、日本人の間に恐らくタイでの七十年代の反日・日貨排斥運動のトラウマが残っているのと、マレーシアはタイと比べ英語が通じやすいからかなと思っています」
サマートは、反日運動と聞いて、長兄のニポンの事をチラッと思い出した。
そこに、それぞれの壺に入ったフッティエウツォン(佛跳墙)と言うスープが来たので、話の途中で悪いと言いながら、何日もかかって作るスープの説明をすると、恒久は、「おー」と感嘆の声を上げ、少しづつふうふうして口に運びながら、コラーゲンがめちゃくちゃ多い感じでトロトロですね、日本で一度東銀座にある台湾料理屋で食べたことがあります、と言いながら幸せそうに食べている。
サマートは、笑顔で快活に話す恒久の話を聞きながら、中学、高校時代と比べると随分成長したなと思ったのと同時に、やはり初めに恒久に相談して正解だったなと思っていた。
「あ、それと僕の個人的な興味からいえば、是非タイでの工業団地への日本企業の誘致なんかやってみたいですね」
恒久は仕事がらみの話になったせいか、普段の兄に対するようなくだけた言葉使いではなく、改まった口振りで言ったのでやや可笑しかったが、その成長ぶりが頼もしくもあった。
恒久との会話はいつもサマートがタイ語で、恒久が日本語であったが、気が付いてみると恒久は、仕事に関する話でやや難しそうな話でもタイ語で話していたのだ。
「恒久君、随分タイ語が上達したね。僕の日本語よりずっと上手いじゃないか」
「うん、ありがとう。サマートさんの日本語ほどではないけど、サマートさんのお蔭です。最近、仕事で使う単語を勉強しているので使ってみたくって」
恒久は、嬉しそうに答えた。
サマートは、「ところでこのプロジェクトだけど」と言って、先程恒久に東部臨海工業地帯開発プロジェクトの説明の時に渡したタナーナコン工業地帯開発プロジェクトと書いてある資料の表紙をポンポンと叩きながら話し始めた。
「このタナーナコンのナコンと言うのは都市と言う意味で、タナーは親父の愛称なんだ。だから英語で言うとタナー・シティーとでも言うのかな。来年二月にはタナーナコン工業団地開発株式会社を設立する予定でね。
取り敢えずうち百パーセントで設立するけど、住井が出資してくれると言う事であれば後で増資手続き出来る様にしようと思っている。
タイ工業団地公社との合弁も考えたんだが、まずは民間だけで始めてみようと思っている。工業団地の予定地は全体で5千ライ(八百万平米)で、第一開発区はその十分の一の五百ライ(八十万平米)の予定で、第一開発区は一九八六年二月に完成したいと考えている。
団地内には勿論ゴルフ場は作るけど、学校やクリニック、日本やタイのレストランも作ろうと思っているんだ。それと日本をはじめとした海外からの駐在員用のコンドミニアムと、工業団地で働くタイ人向けのアパートもね。
カラオケ・クラブやタイの古式マッサージ店なんかは、いずれ近くの街に来てくれると思うんだ。そうすると、日本人駐在員はわざわざバンコクまで週末に行かないで済むからね」
ここまで、説明して資料から恒久に目を転じると、恒久は心なしか考える風をしていた。サマートの想像通り、恒久は住井で工業団地のセクションにいるとは言え、まだ入社して三年弱の若輩である。こんなに大きなプロジェクトを急に持ち込まれても困るであろうことは予測していた。
「どうして良いか困っているんじゃないかい」
「うん。なんとかサラリーマンにも、会社と言う所での物事の進め方、上司、先輩、後輩達との距離感にも少しづつ慣れてきた所なんで……」
「うん、それでね」と、言って、サマートはプロジェクト・ペーパーの始めの部分のエグゼクティブ・サマリーの所を恒久にさし示し、「恒久君はこの要約の部分を日本語に翻訳して、このプロジェクト・ペーパーに添付し、日本に帰ったら課長さんにこう言うタイの会社があってこう言う工業団地プロジェクトを提案しているが、日本に説明に来るので是非会って見てくれと言ってくれれば良いのではないかと思っているんだ。
住井タイの林社長には私から話をしておくし、東京に行って課長さんに直接私から説明するから。それと英語だけどここにプロジェクトの概要を説明したビデオもあるから恒久君が説明する時に課長さんにでも見て貰えると有り難いな」と、これからの手順を説明しておいた。
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