二.二 七月二十二日ロータリー

 一九八〇年三月

 先月の終わりごろに、左右田の家の息子の恒久から電話があり、卒業旅行と称してまたバンコクにやって来るとサマート・ラータナワニットに言ってきた。宿泊先はバンコクの中央駅のフアランポン駅の近くに宿をとったらしい。

 三月下旬に予定しているサマートの結婚式にちょうど都合よく恒久が出席してくれる事になった。


 恒久は慶明大学のサマートの六年後輩にあたり、昨年十月頃だったかに大手商社の住井物産から就職の内定をもらえたとの事であった。

 実は以前、サマートは恒久に「うちに来て働く気はないか」と聞いたことがあった。恒久はその話にかなり興味を持ったようであったが、タイで、タイ人の会社で、タイ語で、タイ人の様にして働くと言うのがどうしてもイメージできないし、自分は結構臆病な性格でそういう事に一歩踏み出す勇気が無いと言う事であった。

 勿論それは十分に理解できるし、タナー・グループはタイではそこそこの財閥だが、言ってみればタイは途上国で、タナー・グループ自体は近代的経営とは程遠い同族会社の集まりだ。一方の住井物産は、アジアの雄、先進国日本のトップクラスの大商社だ。恒久が住井に行くのは至極当然だとサマートは思っている。

 恒久がこの四月から勤める住井物産は、父親の源一郎の菱丸商事の最大のライバルの商社だ。恒久が菱丸に入らなかったのは、父親のコネで入ったと思われたりするのが嫌だったのかなとサマートは思ったが、お互いが何となくやりにくいのではと思っただけらしい。

 サマートが大学時代に左右田家に下宿させて貰っている時は、恒久はまだ電子ゲーム好きの、中、高校生で、サマートに懐いていて一緒にあちこちついてくることが多かった。

 始めのうち恒久はタイと言う国がどこにあってどういう国なのか全く関心を示さなかった。ただ、日本語の発音が面白いお兄ちゃんが二階の自分の部屋の隣に来た程度であったようだ。ところが、少ししてタイの写真や八ミリの映像を見せたり、どんな人たちなのか、どんな生活をしているのか、どんな言葉なのかと言った事を少しずつ話したりしていると、恒久が「タイ語」に食いついて来たのである。

 そこで、タイ語の文字や発音、簡単な単語の意味を教えていたら、じゃー、数の数え方はとか挨拶はとかに始まり、遂には正式にタイ語を勉強したいと言い出した。サマートは勿論タイ語を勉強してくれるのは嬉しいし教えてあげたいけど、外国語は英語の勉強があるし高校受験もあるから、お父さんが良いと言ったら教えてあげると言った。すると左右田のお父さんは、興味のない物を勉強しても身につかない、興味があるのならやりなさいと言ったと言うのでタイ語の勉強を始めたのである。

 サマートは、恐らく途中でそこそこ数が数えられ、挨拶が出来る様になれば飽きてしまうであろうと高を括っていた。所が、サマートが左右田家に下宿している間は、高校受験の最後の追い込みの時以外は結構熱心にタイ語を勉強していた。サマートがロスのUCLAに行く頃には家族内で簡単な通訳が出来るまでになっていた。恒久は二才から七才までロサンゼルスで現地の幼稚園と小学校に通っていたことが有り、外国語や異文化に対する免疫が恐らく出来ているようで、英語はそれほど勉強している風には見えなかったが結構成績は良かったようだ。

 二年ほど前の夏休みにバンコクに遊びに来た時に久し振りに恒久のタイ語を聞いたが、どうやらその後もタイ語の勉強は続けていたようで、かなり上手くなっていたし、今回電話してきた時にもさらに上手くなっているように聞こえた。

 ほぼ百八十センチと、恒久はサマートと肩を並べる程の上背があり、サマートが最近かなり太ってきたのと比べると、まだまだほっそりとしているが、当時の童顔も今やすっかり一人前の大学生の面構えになっている。笑うと白くて大きな門歯が特徴的で、人懐っこく、かつ人を安心させるような笑顔でいつも穏やかそうに見える。日本では普通だが色白でその笑顔と共にタイに来たらきっとモテるだろうなとサマートは思っていた。


 サマートが、この三月に結婚の予定をしている相手というのは、アリッサラと言う父親の友人の娘だ。アリッサラとの結婚話を父親が持ってきた時には、サマートはまだ二十七才になったばかりで、全く結婚の事は考えていなかった。将来的には出来れば日本人の女性と結婚したいと思っていたし、もし結婚するのなら左右田のお母さんのような優しくて思いやりの深い女性が良いと漠然とは考えていた。

 ところが、ある時父親に連れられてシーロムの家に遊びに来たアリッサラを見た瞬間、この娘となら結婚しても良いかもと思った。彼女の両親は共に潮州系で、父親は石油の流通関係の会社を経営している。高校時代にはロンドンに留学し、帰国後国立マヒドン大学でリベラルアーツ(一般教養)を学び、現在はタイの商務省で働いている。親と言い、本人と言い申し分のない経歴と経済的バックグラウンドを持っていたが、それよりも何よりも色白でやや華奢な日本人的な可愛さとお淑やかさを持ち合わせていたのであった。

 何度か会っているうちに、サマートはすっかりアリッサラに参ってしまった。持ち前の美貌もそうだが、話す内容から教養が感じられるが、決して教養をひけらかしたりせず、興味の幅が広く相手の興味のあることにそれとなく話題を持って行ったりするなど、とにかく聞き上手だ。気が付くといつの間にかサマートが興味を持っている話を一生懸命話していたりすることが多かった。

 三度ほど会った時点でサマートは彼女と結婚したいと強く思うようになっていた。

 始めのうちは、アリッサラが自分の事をどう思っていたのか、サマートには皆目見当がつかなかった。勿論、結婚を前提とした付き合いになっている事は彼女も知っているので、第一印象で嫌なら早い段階で断ってきていたであろう。

「えっ」、と思ったのは、初めて会った日に二人きりになって、今度映画でも見に行きましょうかと誘った時に「どっちでも」と言うのが彼女の返事だった。後で考えて見るとこの一言がサマートの狩猟本能に一気に火を付けたのだろうと思っている。その時の返事が「はい」であればそれはそれで自然に次に続いたのであろう。だが、「どっちでも」と言われた時に、あれっ自分の事に興味が無いのかな、それとも何でも良いのでお任せしますと言う意味だったのかななどと頭を巡らせた。映画にでも行きましょうかと言うオファーに「どっちでも」と言う返事自体おかしい。二者択一ならどっちでもとと言うのは良いが……。サマートは、ともかく否定はされていないと思い、次の週末に映画を見に行くことにしたのだが、「よし、何が何でも彼女を手に入れるぞ」と、その時から思うようになったのだ。

 その後もアリッサラは決して彼女の方から、ああしたいこうしたいと言う事は殆どなく、例えば、「夕食何食べたい?」と聞くと、「私は何でも良いけどあなたはなんか食べたいものは無いの?」と、逆に聞かれてしまう。初めのうちはこの人なんだか意志薄弱と言うか、自分の意見が無いんじゃないかなどと思ったりしたが、全くちがった。要は、ともかくサマートが好きなことをしてそれで幸せならそれが一番で、自分の事は二の次と考えていたようだ。

 左右田のお母さんがそうだった、自分の事は二の次で家族の事が最優先の人だった。


 恒久がバンコクに来てフアランポン駅近くのホテルと言うので、あの辺りにちゃんとしたホテルなんて有ったのかなと思って良く聞いてみると、なんと一泊二ドルの「永大」と言う安宿にいると言うので、サマートは心配で見に行った。

 空港出迎えもバスを何度か乗り継いで市内に入るから不要との事だった。サマート自身はバンコクでバスなんかに乗るなんて言う事は殆どなかった。子供の頃から運転手のついた車で送り迎えしてもらっていたからだ。そういう意味では、日本に留学していた時は電車通学だったので貴重な経験ではあった。

 恒久は家庭教師のアルバイトをしていたと言うのでお金が無いわけではないはずだ。

 安宿と言うだけあってなるほどみすぼらしい「旅社」であった。どうやら、バックパックを背負ってこういう「安宿」に泊まって世界各地を「放浪」するのが、この時期の若者たちのいわば流行りらしい。バンコクはそうした若者たちの格好の「沈没先」のようだ。

 恒久もバッグパッカー気取りなのであろう、部屋まで行ってみると二段ベッドが二台の四人部屋で、長い髪で無精ひげの見すぼらしい格好の男たちに交じって、同じような格好をした恒久がいた。ただ、恒久は背が高いという事だけではなく、何か他の男たちと違っていた。無精ひげで長髪ながら、しっかりとした体躯で、血色が良く健康的なのだ。

 部屋は、壁のペンキは殆ど剥がれ、いかにも南京虫やダニでも出そうであまり清潔とは言えそうもない。それに、甚だ不用心そうだ。どうりでバンコクに着いた日に結婚式に着る服などが入っている荷物を預かって欲しいと言ってきたわけだ。だが、一泊二ドルのこの旅社はこの手のところの中ではそれでもまだ良い方のクラスらしい。楽宮大旅社と言うホテルに至っては一泊一ドルちょっとらしい。

 フアランポン駅近くの中華街の一角を占める「七月二十二日ロータリー」地区は麻薬もかなり蔓延しているらしく、UCLA時代からの友人でいまは警察に勤めているパンヤー・ヌンサキットに聞いたところ、麻薬もそうだが病気持ちの娼婦や泥棒も多く危険極まりない所のようだ。

 恒久にそのことを話し他の安全な所に移るようにすすめたところ、そう言う所だと言うのはよく知っていて、そう言う所だからこそそれなりの冒険心も満足させる事が出来て面白いんだとか、豊かな世界や大人の世界に対するアンチテーゼだとか、お仕着せの観光旅行ではなく本物の旅行だとか、一応の理屈を言っていた。

 しかし、恒久はもちろん危ない事には手を出すつもりは全くないので心配はいらないと言いつつ、実を言うとあまりにも退廃的で無軌道かつ放逸な世界に、自分はどっぷりと浸かる勇気も無いし、意気地なしで何かと怖がりの自分は、宿泊者の中でもちょっと浮いた存在になっているのを自覚している。従ってそろそろ「まっとうな」世界に戻ろうと考えていた所だったとの事であった。

 結局、恒久はその日のうちに「永大旅社」を引き払い、残り十日ほどをシーロムのサマートの家の空いている部屋に泊まることになった。


 恒久がサマートの家に泊まるようになってから、妹のナンタワンが足繁く遊びに来るようになった。

 勉強の為に日本人の恒久と話したいからと言っていたが、ナンタワンの恒久を見る目がこれまでの他の男に対するのとは全く違っていた。いつもは、取り巻きの男達の前ではまるで女王様の様に振る舞っていたが、恒久の前ではまるで借りてきた猫の様であった。

 高校三年生のナンタワンは、家庭教師について日本語を勉強していて、大学はチュラサートの日本語学科を狙っていた。勿論、真面目で勉強熱心なナンタワンの事だ、、日本語の勉強の為と言うのはその通りであることに嘘はないが、彼女にとっては勉強以上に恒久本人に相当興味を持っているのが見て取れた。

 兄の自分から見てもナンタワンは掛け値なしで容姿端麗の見本のようで、学校での成績も良く、男友達や女友達たちに常に取り囲まれていたが、これまでナンタワンの方から男たちに興味を持った様子は一度もなかったのだ。

 ナンタワンは一歳の赤ん坊の時の交通事故で、後部座席で若いお手伝いさんに抱かれていて、軌跡的にかすり傷程度で助かった。だが、前部座席にいた両親はその場で即死してしまったのだ。

 それは、ユッタナーの第二婦人のマライ・クンサラワニットが、その年の暮れにオープンした日系デパートの大丸ラジャダムリ店に買い物に行った帰りに、目の前で偶然に起こった事故で、赤ん坊は身寄りが全くないことから、ユッタナーとの間に子供のいないマライが引き取ってユッタナーの養子とし、若いお手伝いはそのまま子守として雇ったという経緯がある。

 サマートが十二歳の時であった。

 サマートは何不自由なく育ったものの妾の子で、一方のナンタワンは「もらわれっ子」で育ての親が妾と言う境遇で、お互い小さい頃から何となくではあるが肩身の狭い思いをしてきた。そうした事からサマートは、ナンタワンの事をことのほか可愛がり、兄としてまた時には父親のように見守って来たのだ。そのナンタワンが、恒久にどうやら思いを寄せ始めている様子を見てサマートは心中複雑であった。

 しかし、かたや一流商社マンとは言うものの、日本のいわば中流サラリーマンの家庭の出で、かたや養女とは言え富豪の娘だ。失礼ながらサマート達には考えられないほどの安い給与でやりくりしている左右田のお母さんの様に、ナンタワンが上手に家庭を切り盛り出来るとは正直考えにくい。

 ナンタワンを見ながらそんな事を考えていたサマートは、「二人はまだ会ったばかりなのに」と、あまりの取り越し苦労にひとり苦笑してしまった。

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