第二章 ラーチャプルク(ゴールデン・シャワー) 一九七七年~一九八六年
二.一 スクンビット・ソイ八
今から十年ほど前に、左右田源一郎がバンコク出張時に親しくなった、タナー財閥の総帥ユッタナー・ラータナワニットは、その後もタイの経済発展と軌を一にしながら、日本の商社やメーカーと組んで、ヒト、モノ、カネ、技術を上手に海外から取り入れ、繊維から日用品、電気製品などへと事業を順調に拡大させていた。
そうした中、ユッタナーの第三夫人パッサミーとの息子のサマート・ラータナワニットは、父親の親友である左右田源一郎の家に下宿をしながら、東京の慶明大学を卒業し、さらにアメリカのUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の大学院を卒業して、現在はタナー財閥を統括するタナー・エンタプライズ社で幹部候補生として父親から特訓を受けている所だ。
一九七七年十二月
そのサマートは、アメリカの留学から帰って来て以来この半年ずっと「あの話」を長兄のニポン・ラータナワニットにどの様に話そうか迷っていた。あからさまに非難や戒めは返って逆効果であることは分かっている。
ニポンがどうやら反日運動に裏で金を出していたらしいと言うのだ。結婚前に水を差すような話でもなかろうと思って本人に言うのを控えていたが、彼の結婚式も終り新婚旅行から帰ってきた頃合いを見計らって話そうと思っていた。
「その話」をサマートが聞いたのは、UCLAの大学院に留学していた時に、同級のチュラサート大学出のタイ人のパンヤー・ヌンサキットと言う留学生からだ。
この男はいわゆるタイ系(中国系でない)で、祖父の代からの警察一家の生まれだ。その彼が、彼の父親から聞いた警察内部の情報を話をしてくれたのだ。お互い彼の地で同郷と言う事ですこぶる打ち解けた間柄だった。特に大学院でのディスカッションは英語なのでどうしても気後れしたり、自信がなかったりで、発言出来なかったりする事が多く、フラストレーションが溜まってしまうのだが、タイ語で話す機会があったりするとつい話さなくてもいいような事まで話してしまうのだ。例えばサマートが妾腹の子である事などだが、そうした秘密を打ち明ける事で一層親近感が湧いたものである。
パンヤーも今は、既にロスからバンコクに戻ってきており、警察士官学校で他の大学と互換できない単位を取得した後に警察小尉に任官しており、現在は首都圏警察に勤めている。
あれは、南カリフォルニア独特の差すような激しい日差しの名残も消え、夜の帳の中で心地良いそよ風が窓から入ってくる時分であった。「ちょっと良いかい?」と言ってパンヤーがサマートの部屋に入ってきた。パンヤーの手にビールの缶が下がっている。二人とも学内の同じ寄宿舎の住人だ。普段は授業の予習や復習で息つく暇もないが、金曜日にたまにこうして飲むことが有る。
ビールが回ってきて口が滑らかになって来たパンヤーが話し始めた。
「この間親父が女を連れてロスに遊びに来たと言っただろう?その時に聞いたんだ。僕がユッタナーの息子と仲が良いと言うのは知っていての話だけどね。ほらチュラサート大にタイ学生会議と言う政治や社会問題を議論する組織があっただろう?そこに出入りしていた学生がいてね。そいつがおやじの知人の息子に話した話だと、お前の兄貴のニポンが日本の急速な進出を好ましく思っていない人たちと一緒に、どうやら学生たちの反日運動を裏で金を出したりして煽っていたらしいんだ」
パンヤーは、いかにも自分が直接聞いたような口振りだ。
「お前は日本にいたから知らないかもしれないけど、チュラサートの学生会議と同じような政治活動組織がカセカムヘン、タマロンコン、ラムカムサートなんかにもあってね。そうした各大学の組織を束ねた「タイ全国学生連合会」が、七十年代の始めから政治的な活動を始めていたんだ。
お前も知っての通り、タイは日本との貿易赤字が深刻で、街には日本品が溢れているだろう。ほら、〈日本人は、日本の飛行機で来て、日本車に乗って、日本の料理屋で日本食を食べ、朝起きたら日本製の歯磨きで歯を磨き、日本製の石鹸で顔を洗い・・・〉とかいう歌知っているだろう。タイを乗っ取りかねない勢いに不満を持っていてね。
その学生連合会が中心になって四年前の七二年十一月に日本品ボイコット運動や小規模だが反日デモをやったの知っているだろう?それから、七四年一月には日本の田中首相がタイを訪問した時に激しい反日運動起こしただろう?
どうやら、この二つの反日運動にニポンが加担したらしいと言うんだ。ただ、七三年の「十月十四日政変」でタノーム政権が崩壊しただろう?その件にはどうやらニポンは関与していなかったらしいんだ」
パンヤーは、ビールが効いてきたせいもあるが、タイ語で話せるのが嬉しくて仕方がないと言った風で、英語の時とは打って変わって雄弁であった。
「へー。で、そういう情報をもたらした学生って言うのはどういう奴なんだい?」
「それはいくらなんでも親父は教えてくれないよ。警察のやる事だ、だいたい想像がつくだろう?」
「そうだね。でも噂なんだろう?本当の所はわかんないよな」
サマートは、困惑しながら言った。
「でも、いくらユッタナー一族が有名だからと言って、ニポンと言う名前が出てくると言うのはやはり何らかの関係はあるんじゃないかな」
「そうだねー。親父に知れたら大変だ。警察の方から親父の耳に入ると言うような事はないだろうね」
「いや、それは無いと親父は言っていたよ。警察には色々と派閥みたいなのがあってね、その派閥同士の駆け引きがあるらしくて、この件は外には出ないだろうって。だからこの話はお前だけにしておいてくれよ」
パンヤーは得意気に新しい缶ビールを開けた。
「勿論言わないよ。でもニポンにそれとなく知っていると言う事を匂わすぐらいは良いだろう?それにしてもやってくれるよな。僕が丁度、東京の大学に留学していた時の事だろう?当時は結構日本の学生たちに苛められてね。
おいサマート、そんなに日本が嫌いならタイに帰れとか言われてね。ま、そういう連中は、大体あまり勉強もしない連中が多かったけどね。でも中には、助けてくれたり仲良くしてくれたりした学生も結構いたよ。クラブ活動で英会話研究会に属していたんだけど、研究会の同じクラスの女の子達が、授業のノートを貸してくれたりして助かったよ。それに親父の知り合いの日本人の家に下宿させて貰っていたおかげで総じて楽しい学生生活だったけどね」
あのタイでの激しい反日運動がテレビや新聞で大々的に報道されていた中で、サマートは確かに日本の大学では苛められたことはあったが、左右田の家では一切そういう雰囲気は無かった。
左右田源一郎の長男の恒久に至ってはタイ語を習いたいと言って、熱心に勉強していたのだ。彼はまだ中学生であったがテレビで反日デモの様子を見て知っていた筈だし、その頃タイ語を習おうという日本人は極めて珍しかった。
そもそも、サマートが左右田源一郎の家に下宿させて貰う事になったのは、一九六七年に源一郎がバンコクに出張して来た際にサマートの父親のユッタナー・ラータナワニットとすっかり意気投合した事が発端となっている。
その後、ユッタナーが東京に出張に行く度に源一郎の家に一日、二日ほど泊まって行くようになり、サマートが留学と決まった時に左右田の家に下宿する事が、どちらが言うとは無しに自然に決まったようだ。
サマートとしては、マンションかアパートでの一人暮らしの方が気が楽だとは思ったが、結果として左右田家の暖かさに包まれた四年間は、サマートにとっては終生かけがえのない思い出となったのだ。
左右田の家族は、お父さん、お母さんに息子の恒久と娘の香菜の四人家族で、日本の中流家庭の典型の様であった。家は日本風に言うLDKにベッドルームが五部屋とお座敷があり、平均的な東京のサラリーマンの家よりはかなり大きいようだ。ただ、慣れてしまえばどうと言う事はなかったが、始めはバンコクの家と比べるとものすごく小さいので驚いた。
左右田のお父さんに言わせると、土地は親からの遺産で建物は自前で新築したが、住宅ローンを抱えているので十分な事をしてあげられなくて申し訳ないと言っていたが、家賃も食費も一切受け取らないばかりか、至れり尽くせりで、とても快適な学生生活を送る事が出来た。
源一郎は、当時アメリカ向けの繊維担当で、アメリカへの繊維製品の輸出規制の為の繊維交渉に、日本の役所や輸出組合などと共にインボルブされていて、帰るのは何時も深夜で、サマートもあまり会う事は無かった。当時、日本の高度成長は源一郎の様な人たちが支えているんだなとサマート実感したのであった。
左右田のお母さんは、「うちは日本の典型的なサラリーマン家庭で、夫は居るけど実際は母子家庭みたいなものよ」とよく言っていた。それを聞くと、そんなので日本人は幸せなんだろうかと思ってしまった。だが、そうした境遇の中で息子の恒久と娘の香菜と左右田夫妻はいつも笑いが絶えず明るくとても幸せそうに見えたのだ。
お母さんはそれはとても優しい人で、サマートにタイ料理を習って週に一度はタイ料理を出してくれた。タイの食材があまりなくて日本の物で間に合わせないといけなかったが、何種類かの唐辛子のペーストを持って来ていたり、父親が日本に来る時に色々と食材を持って来てくれたので美味しいタイ料理が食べられた。
その頃、日本人の一般家庭では肉をまだあまり食べなかったようだが、彼らがロスに駐在していたせいなのか、サマートに食べさせようとしてくれたせいなのか、左右田家は肉料理が多く若いサマートは殊のほか嬉しかった。さらに、夜中に勉強していてお腹が空くだろうと夜食まで用意してくれたのだ。
日本の料理はタイと比べて味が薄いが素材の味が生きており何でも美味しく大好きだが、時々狂ったように辛いタイ料理が食べたくなったものだ。左右田のお母さんには悪かったが、時々みそ汁に唐辛子をいっぱいかけて飲んでいた。
「そうかー。あんな状況の時に日本にいたんじゃ、それは苛められただろうね」
パンヤーは他人事ながら心配顔だ。
「実を言うと親父に内緒なんだけど、僕も七四年の反日デモに参加したんだよ」
パンヤーは、ビールを旨そうにゴクリと飲んで続けた。
「貧しい学生はお金に釣られて来ていた連中も結構いたよ。でも、中に過激なのがいてね、エラワンホテルに入ろうとしていた田中首相が乗った車の日本の旗をもぎ取ったり、田中首相を模した人形を焼いたりしてね。僕は危ない所にはさすがに近寄らなかったけど、座りこみをして日本の経済侵略反対なんて叫んだりしていたよ。いずれ僕はタイに帰ったら親たちに倣って警察に入ろうと思っているけど、群集心理の怖さを身を持って体験したよ。そういう意味では有意義だったがね」
パンヤーは楽しそうに笑った。
「そうそう、日本では国旗もぎ取り事件や人形焼き事件として新聞やテレビで大々的に報道されていたよ。当時は本当に肩身が狭かったよ。タイ人は植民地化されたことが無いせいかプライドが高く日本の経済進出に敏感で、対日感情が悪いとか書かれてね。それで日本人のタイに対するイメージが一気に悪くなってしまったんだ。それに日本の新聞、テレビを見ているとバンコク全体が反日デモで危険な状態の様に見えてね。実際は、エラワン神社のあるラチャプラソン交差点を中心にした、せいぜい半径数百メートルの範囲位のものだろう?」
サマートは眉間にしわを寄せ当時の事を思い出しながら言った。
「そう、マスコミ報道はその部分しか映さないし、他はこのように平穏ですとかってやったら報道的には迫力も無いし絵にならないからね。日本からの投資が増えて来て、日本の品物が溢れているのを良く思っていない連中、特に君ら華人系の連中はそれまで培ってきた既得権益や経済的影響力を、日本人に取られてしまうと思っている人達がいるのは確かだ。日本企業とつるんで儲けているのも癪に障るんだろうね。それにしてもさ、お前の兄貴も変だよな。解せないのは、お前の親父の所は日本企業とそれこそつるんで儲けているんじゃないのかね。それなのにその邪魔をしようってのはどういう了見なんだろうね。親父さんに知れたら大変なんじゃーないかね?」
《――パンヤーの言うとおりだ》とサマートは思った。
《ニポンはいったい何を考えているんだろう……》
ただ、サマートには一つだけ思い当たることが有る。小さい頃から、自分にも分かるぐらいに、父親が微妙に自分の肩を持つ事が多かった。そのせいか、ニポンは自分のやることなす事にケチをつけ、反対の事をやることが多かったのだ。小学校の頃から、ニポンには英語の、自分には日本語の家庭教師が付いていた。いつの頃からか、ニポンの自分嫌いはもとより「日本嫌い」が始まったのだ。
ニポンの場合なにか政治的思想からではなくて、自分への当て付けなのではないかと思ったのである。それが証拠に、いわゆる「十月十四日政変」にはどうやら手を貸していないらしいと言うのだ。
学生たちが対日批判の余勢をかって汚職の糾弾などタノーム軍事政権批判を始め、それに対する政府の学生に対する締め付けが強化された。一方で、そうした事を契機に一般市民をも巻き込んだ政府批判へと事態がエスカレートし、遂にデモ隊に大量の死者や負傷者を出してしまい、結局タノーム政権が崩壊するに至った一九七三年の事件が、後に「十月十四日政変」あるいは「血の日曜日」と呼ばれている。警察や政府は対日批判に対しては比較的寛容だが、政権転覆につながるような動き対しては勿論厳しい。ニポンが取り立てて問題視されていないのは、そう言った政治的な動きには距離を置いていたからではないかとサマートは踏んだ。
「やあ!ヤイ(ニポンの愛称)、ヌット(ニラモンの愛称)お帰り。グレート・バリアー・リーフってサンゴ礁がきれいなんだってね」
サマートは、鼻の頭が日焼けした新婚旅行から帰ったばかりの、腹違いの長兄のニポンと新妻のニラモンに声をかけた。二人は父親の所に新婚旅行から帰って来た旨の挨拶に来たのだ。土曜日で仕事は休みであったが、サマートがユッタナーに仕事の報告をしての帰りに、ちょうど母屋の前で二人にばったり出会ったのであった。
「うん、僕は行ったのは三度目だったからね、でも彼女はとても喜んでいたよ」
ニポンは、ニラモンを見ながら嬉しそうに言った。ニラモンはいかにも楽しかったと言わんばかりに「うんうん」と頷きながらニポンにしな垂れかかった。
ニポンは、一九六六年から四年間ANU(オーストラリア国立大学)に留学していた事もあって手慣れたオーストラリアを新婚旅行先に選んだようだ。
「結婚したらこのシーロムに家を建てて住むのかと思っていたよ。スクンビットにしたんだってね」
シーロムの邸宅は、あと数軒は家を建てても狭くは感じさせない広さである。この敷地には既にユッタナーの住む母屋に客用の離れの他に、第二夫人と第三夫人の家の四軒が建っている。
「うん、親父が去年買ったソイ八(幹線道路のスクンビット通りから入った脇道八番)の家を綺麗にしたんで、取り敢えずそこに住んで、その隣にこれから新居を建てるんだ」
ニポンは長男で跡継ぎなので、サマートにしてみればニポンがこのタナー財閥のいわば本拠地を離れるとは思っていなかったのである。
「いつも怒られていたし、あまり親父の顔を見ていたくないと思っていたら、親父がソイ八の所に新しく家を建てたら良いと言うので、そうさせて貰うことにしたんだよ」
「親父はヤイに期待しているから、ヤイに厳しんだよ。ま、いずれこっちに帰ってくるんでしょう?」
ニポンにしてみれば、何かと言うとサマートの代わりに自分が叱られて来た事を当てこすったつもりで言ったようだが、サマートは気にしない風を装って言った。
実際、二人で喧嘩したりすると必ずニポンの方が叱られた。サマートの方が悪い場合もだ。親父にしてみれば、長男のニポンに何れは後を継がせようと言う積もりだろうし、妾の子に対するある種の「引け目」もあり、ついニポンの方をきつく叱ってしまったのだろうとサマートは思っている。
「悪いけどヤイ、後で寄ってくれないか?一人で」
「うん、親父に挨拶したら来るよ。早く帰る口実になるしね。じゃあ、ヌットは先に帰ってもらうよ」
「ありがとう、それじゃあヌットはムーに送らせるよ」
サマートは、彼らが一時間以上は親父の所にいると踏んで、ユッタナーからの指示を部下に電話で伝えてから、すこし書類でも整理しようと思っていたら、母屋の方から池のくびれた所に架かっている橋を渡ってニポンが戻って来た。橋の下には色とりどりの錦鯉が泳いでいる。
「あー、お待たせ。話って何だい?勝手にムーに言ってヌットを送ってもらったよ」
ニポンは三十分もしない内に戻って来た。
この家はサマートと母親のパッサミー(ユッタナーの第三婦人)とが住んでいる西洋館風の建物である。サマートは、冷房が効いている応接間にニポンを通した。
「うん、ちょっと言いにくいんだけどね」
サマートは、冷たいウーロン茶を持って来たお手伝いさんが出て行くと話し始めた。
「七十二年の日本製品のボイコット運動と七十四年の日本の首相がバンコクに来た時の激しい反日デモがあったでしょう?」
サマートが話し始めると、ニポンは目を細めサマートを睨みながらタバコに火を点けた。
サマートは吸わない。
「で、どうやら日本製品の進出を快く思っていない連中が、ボイコット運動やデモを裏で煽っていた連中がいたんだって。お金で学生を焚き付けたりデモの人を集めたりしたみたい」
サマートはニポンの目をハッキリと捉えながら続けた。ニポンもこいつ何を言い始めるのかと言う目で睨み返した。
「そういうお金を出した人たちの中にヤイ(ニポンの愛称)がいるって言う噂を聞いたんだ。僕は、ヤイに限ってそんな事をするはずがないと、そういう噂を話してくれた奴にきつく言ってやったんだよ。でもね、ヤイ、そういう噂が親父の耳に入ってしまうときっと大変な事になってしまうと思うんだ」
「悪い冗談だな。そんな噂、嘘に決まっているだろうが。親父に言ってないよな?誤解されたくないからな」
ニポンは、日焼けして赤くなった顔をさらに赤くしてわめいた。長くなったたばこの灰が、ソファーの肘掛の上にポトリと落ちたのも気が付かない。僅かにたばこを持つ手が震えている。
「勿論親父に言う訳ないよ。僕には嘘か本当かどうか分からないよ。でも、悪いけどヤイを信用したことが無いからね……。ヤイも僕の事をそう思っているでしょう?」
サマートにハッキリ言われたニポンは、たばこを灰皿で消しながら立ち上がったが、思い直すようにまた座って、「ああ、俺もお前の事は信用していない」と吐き捨てるように言った。
「別に信用しなくても良いけど、僕の口から親父に言う事は無いよ。それだけは言っておく。でも、親父に内緒で変な事だけはしない事だね」
「変な事?何にもしていないじゃないか。何が変な事だ!反日デモだかボイコットだか知らないけど俺には関係ないね」
そう言い残して、ニポンは席を蹴って出て行った。
サマートは、恐らく裏でニポンは金を出していたのだろうと思っている。ただ、こうした事は、本人が言わない限り決して表に出てこない。ニポンには一応くぎを刺しておいたので、この件はこれ以上詮索しないで放っておくこととした。
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