一.十 ボーベー

「プラニー、来週日本に帰る。メナムで写真を撮ろう」

 ソーダー(左右田源一郎)が、三月の中旬過ぎになって、あらかじめ用意しておいたらしいメモを読みながら、カメラで写真を撮る仕草をしながら言った。左右田のタイ語の発音は抑揚が変であったが、言いたい事は大体分かった。

 チャオプラヤ川沿いの桟橋で、居合わせたファラン(白人)にシャッターを押すように頼み、二人で肩を寄せ合うようにして写真に納まった。

 写真を撮った後、ソーダーが昼を一緒に食べようと言うので屋台で買って川縁で一緒に食べ、午後いっぱい一緒に過ごした。日曜であったのでソーダーは仕事が休みであったようだ。

 彼が日本に帰る前日に丁度その写真が出来上がってきたらしく、「はい」と言って写真をくれた。写真を封筒に入れる時に、チラッと封筒の中にお金らしい物が見えたので、プラニーは、なに?と言う顔で彼を見たが、彼はニコニコしならが顔を横に振るだけで返事をしなかった。

「今度はいつ来るの?」

 プラニーは一番聞きたいことを聞いた。

「うーん、分からない」

 彼は首を振りながら残念そうに答えた。

 別れの言葉はなかった。お互い言いたいことは分かっている。

「ソーダー」はあの優しい笑顔を残して去って行った。


 四月になって、じりじりと気温が上がり一年の内で一番暑い季節を迎えた。日中の気温は四十度近くまで上がり、朝晩でさえ三十度前後から下がらない。雨は三月には月に数回であったのが、四月には五、六回とやや増える。

 スイカやマンゴーも甘さを一層増して来ている。タイの国花のゴールデン・シャワーが、黄金の滝のごとく見事に黄色い花の房を垂れ下げ始めている。

 そう、いよいよタイの正月、ソンクランだ。

《それにしても、家を出てから三ヵ月も経ってしまったわ》

 プラニーは、ソーダーと言う日本人が帰ってしまってからも、チャルンクルン通りのいつもの所で、流れる汗をふきふき果物を売っていた。

 ソンクランには一週間ほど果物売りを休んで、モンテワン叔母さんの所に残してきた娘のマユラとゆっくり過ごそうと考えながら、それにしても何時までもプンの世話になっている訳にはいかないとプラニーは思っていた。

 自分でアパートを借りるほどの収入はない。さりとて、ナコンパトム近くの叔母さんの所にいると、夫のプチョンにすぐ見つかってしまって、そのままズルズルとまた彼と暮らしてしまうかもしれない。別に彼の事が嫌いになった訳ではなく、ただ許せないだけだ。会ってしまえば許してしまうかもしれない。それではあまりにも悔し過ぎる。彼の事を思うと体が疼いてしまう自分を嫌悪すればするほど、ますます悔しさが募るのであった。

 世話になっているプンはいつまででもいて良いと言ってくれてはいる。

 どうやら、プンには日本人のパトロンがいるらしく、週に一度はアパートに帰って来ない。生活ぶりは、着る物、化粧品などプラニーには想像も出来ないほど派手で、食べ物も贅沢三昧である。

《やはり母親の姉であるシーロム地区にいるマライ伯母さんの所に娘のマユラと共に世話になるしかないかな……》

 プラニーは左右田との邂逅をきっかけとして、しばし彷徨っていた「異次元」から現実に舞い戻ってきた。

 伯母のマライは家計を助けるために十五才の時からバンコクの華人の金持ちの家でお手伝いさんをしており、給料から実家にかなりの額を仕送りをしてくれていたようだ。母と父が亡くなってからも、プラニーが中学を卒業するまでは自分の母親代わりの叔母のモンテワンに仕送りをしてくれていた。

 伯母の話によると、バンコクに出立ての頃の伯母の雇い主は、中華街のヤワラート通りに面した香辛料問屋の華人の女主人で、厳しい人ではあったが彼女を娘の様に優しく扱ってくれたそうだ。勤め始めて六年ほど経って、大東亜戦争が激しくなった頃にその女主人が亡くなってしまい、新しい雇い主の所に移った。厳しくもあり優しくもあった女主人が亡くなって悲しかったが、体に染み込んでしまいそうな様々な香辛料の強い匂いに閉口していたので、ホッとした部分もあったそうだ。

 新しい雇い主は、アメリカ留学から帰ったばかりの華人系の独身男性で、彼の仕事場に近いサンペン街に住んでいた。戦争が激しさを増すばかりの中、連夜の空襲で近くのフアランポーン駅の辺りまで爆撃を受けていたりしていて、繊維を扱っている商売は上がったりの様子ではあった。

 マライがその男性の所に住み込みで働き始めて直ぐに二人は関係を持った。

 所が、戦争が終わった翌年に男は親の薦めた娘と結婚し、ヤワラート通りから北に四、五分のクラング病院近くの一軒家に居を構えた。

 元々マライは、男とは身分があまりにも違いすぎるので結婚できるとは思っていなかったが、マライにとってはやはりショックで、お手伝いを辞めて他に行きたいと申し出た。 だが結局は引き止められて、近くに小さな家を与えられた。そこから男の家にお手伝いとして通っていたが、時々男はマライの所に泊りに来ていた。

 この頃には、お手伝いと言っても自分で直接何か仕事をするのではなく、何人かの若いお手伝いや庭師、門番などの使用人に指図するだけで、いわば現場監督みたいな立場にあった。プラニーが小さかった頃、伯母はその家の使用人と思っていたが、実は、その家の主人の第二婦人、即ちミオノーイ(妾)であったのだ。

 伯母のマライの相手の男の名は、ユッタナー・ラータナワニットと言い、プラニーがチャルンクルン通りで出会ったソーダーと言う日本人と、このユッタナーとが知り合いであると言う事は、プラニーは知る由もない。

 

 プラニーがプチョンと結婚した年に、伯母の主人一家はシーロムにある広大な屋敷に引っ越し、第二夫人である伯母と、もう一人の妾の第三夫人は、その屋敷の敷地内にそれぞれ一軒家を与えられたのであった。

 子供の頃からプラニーは、年に何度かは伯母の所に遊びに連れて行ってもらっていた。伯母の所に行くと、いつも美味しいお菓子を沢山食べさせてくれたり、帰りにはお小遣いまでもらったりしていた。

 プラニーが、ナコンパトムを飛び出して直ぐに伯母の所に行かなかったのは、小さい頃からあまりにも世話になり過ぎていたからと言う事もあったが、母親代わりの叔母と比べるとやはり若干は遠い存在であったからだ。

 しかし、他に道はない。


 プラニーはソンクランの休みをとった後すぐに、意を決して伯母の家を訪ねた。その家はシーロム通りから細いソイ(主要な道路の脇道あるいは横道)をサートン通りの方に向かって入った所にある。フェンス越しに覗くと、広い敷地に何軒かの建物が鬱蒼とした森の中に建っているのが見える。門を入った左手には土地神の祠柱が設えてあり、オレンジ色の瓦屋根の大きな洋館が門奥の正面に殿と建っている。

 引っ越してくる前のヤワラート通りの近くにあった家もかなり大きかったが、ここはさらに大きなお屋敷で、プラニーは気後れしながら門番に来意を告げた。母屋らしい正面の立派な洋館を右に見ながら進んで入った左奥に、伯母のマライのいる家がある。その家は母屋やほかの棟とは違い、タイ風の独特な破風飾りのある純然たるタイの高床式の木造家屋である。

 家に上がる階段の前辺りで、お手伝いの若い女性が、平らな広い「ざる」に真っ白で甘い芳香のするジャスミンの花を乾かすために広げていた。声を掛けようとした所、その女性はプラニーの事を覚えていたらしく微笑みながらワイ(合掌)で挨拶をして、階段を上がって行った。何時頃からだったか、伯母さんにお手伝いさんが二人ついていた。すぐにマライ伯母さんが、交通事故で両親を亡くしてしまったナンタワンと言う四才になるユッタナーの養女の手を引きながら出てきた。伯母がナンタワンを手元に置いて育てていたのである。

 その訪問から数日してから、ボーベー市場近くのプンのアパートを出て、叔母のモンテワンの所から娘のマユラを引き取り、シーロムの伯母の所へ移ったのであった。

 プラニーは、左右田に出会う少し前に、荷物の整理のために何日か自分の家に泊まった事があった。プチョンはひと際やさしく、必死に引き止めようとした。ふっと、許して帰って来てもいいかなと思ってしまった事があったが、友達のグゥンに聞くとなんと相手の女とはまだ続いているようで、未練はあったが結局本当に別れる決心をしたのだ。

 男はお金が出来ると女を作るのは当たり前で、自分の生活さえ保障されているのであれば、一人や二人の妾や愛人を持つのはむしろ男の甲斐性だと考える人は多いが、自分は嫌であった。だが、嫌だと思ってもお妾さんの身である伯母に頼ろうとしているのだ。プラニーは矛盾の中に飛び込んだ。だが、それはそれで毎日の生活の中で矛盾が風化していった。

 プラニーは、伯母のところに移ってもチャルンクルン通りでの果物売りを続けていた。何から何まで伯母の世話になる訳にはいかないので、果物売りは続ける必要があった。相変わらず同じ場所で商売をしているが、あのソーダーと言う男がまたふっと現れそうな気がしていたからであった。

 伯母は、「果物売りなんかしなくたって良いのに」と言いつつ、プラニーが仕事に出ている間、二才になるマユラを快く預かってくれた。伯母が娘の様に育てているナンタワンの良い遊び相手でもあったのだ。

 ソンクランが明けると、食べごろを迎える果物の種類がさらに豊富になって値段も下がって来る。果物売りにとってはいよいよ書き入れ時だ。

 とは言っても、来月には世話になった叔母のモンテワンの所にも田植えの手伝いに行かなくてはいけないし、下旬のヴィサカブーチャ(仏誕節)には、叔母の家の近くのお寺にも行かなくてはと思い始めていた。

 ところが、四月の半ば過ぎ頃になって、伯母の家の真ん前に植わっている鳳凰木(火焔樹)が緋色の花をつけ始めた頃、ツワリが始まった。初めは胃でも悪くしたかと思ったが、違った。

《しまった、あの時だ》

 プラニーは愕然とした。堕ろそうとも思ったが、結局彼女には出来なかった。妹が出来ればマユラは喜ぶだろうし、何よりもおばさんたちが喜んでくれた。

 その年の暮れに女の子が生まれた。

 上の娘のマユラと違い色白であった。

 名前をナリサと付けた。

《あの人の子だわ……》

 プラニーはひとりごちた。

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