一.八 ルンピニ
「左右田さんもう今週末ですね、帰国されるのって」
山崎が、素っ頓狂な声で言った。
「いやあ山崎君にはすっかり世話になってしまったね。ありがとう」
「とんでもない、なんだかんだあって、あまりお構いが出来なくてすみません。ムエタイ(タイボクシング)はまだでしたよね、タイ亜紡ポリエステルのスイットさんが晩ご飯をご一緒して、ムエタイにでもお連れしたいと言っていますので、今夜はスイットさんにお任すると言う事で良いですか?」
「悪いね。ありがとう」
左右田は、忙しいのに山崎が仕事以外の所についても、いろいろと気を使ってくれるのに恐縮していた。
日が落ちて多少は気温が落ちたとはいえ、ルンピニ・スタジアムは昼間の熱気をたっぷりと含み、笛や太鼓、小型のシンバルの軽快なリズムが、その熱気をいやがうえにも煽っていた。左右田が、スイットに連れられてルンピニ・スタジアムに入ると既にムエタイの試合が始まっていた。
二人は天井桟敷と言うほどではないが、リングが下の方に見える、かなり上の方の見物席に座った。スイットが気を使って安い席を取ってくれたのであろう。
良く見ると、どうやら客席は等級別に、腰あたりまでの高さの金網でいくつかに仕切られている。
平日の為か、客の入りは見渡したところ、全体で半分程度だ。ただ、リングの近くのスチールの折りたたみ椅子が並べられているあたりは、殆ど観客で埋まっている。一方、リングから離れた左右田たちのいる木製のベンチ席はがらがらだ。
ムエタイの試合は火曜日、金曜日と土曜日の週3日間開催されているようだ。
「スイットさん、あそこだけなんか騒然としているけど、あ、お金持っていますね」
2階席辺りの座席の一か所が、背の高さを超える金網で動物園にある「檻」のように仕切られており、その中で立ったままで、上にかかげた手を手話の様にひらひらとさせながら、何か叫んでいる一群がいる。
「そうなんです。賭けをやっています。タイでは競馬以外は賭博禁止なんですが、ムエタイ賭博は歴史が有って……」
スイットの歯切れの悪さから何となく想像が出来、左右田は「分かった、分かった」と言う素振りをした。
菱丸タイランドでも仲間内で麻雀をやるが、本来は賭け麻雀は警察に届け出をしない限りは禁止されているので、誰かに告げ口されないように、注意してやっていると山崎が言っていたのを思い出した。
開場は夕方五時四十五分からで、実際に試合が始まるのは六時を結構過ぎてからだ。全体で一晩に八試合あり、始めの五試合は前座的なもので、最後の三試合がメイン・イベントとなっている。左右田たちが入ったのが丁度前座の三戦目が終わった所であった。
新しい取り組みが始まると、音楽に合わせた相撲の仕切り直しと、お祈りを合わせた様に見える、勇壮かつしなやかな踊りが始まった。
「スイットさん、あれは何をしているのですか?」
「そうですねー、あれはワイクルーと言って、戦いの前の感謝と勝利を祈ったりする踊りなんです。頭に被っている太い紐に後ろに飾りがついているものは、モンコンと言ってほら日本の相撲で化粧まわしって言うんでしたっけ、意味合いは違うとは思うんですけど、僕はあれと同じ様なものだと思っているんです。」
「なるほど、歴史が古くて昔からの何か神聖なものなんでしょうね」
「そうなんです、選手のランクによって色が違うみたいですけど、私は良く知りません」
二人は、近くの拡声器から流れる音楽に負けないぐらいの大きい声で言った。
今度の取り組みは百六ポンド(約四十八キログラム)同士の対戦である。二人とも見るからに華奢でまだ少年の面影を残しているようにも見える。一体にタイ人は手足が長く、腰高で全体的にバランスのとれた、スリムな体格をしている所為であろう。
やがて試合が始まる。五ラウンド制である。一、二ラウンド目は、いかにも小手調べの様に淡々と進んでおり、音楽も二人の動きに合わせてなのかゆったりとしている。か細そうに見えるが、鍛え上げたしなやかな体から繰り出される足を使った強力なパンチは、ガードをしている上からであっても相手をぐらつかせている。
三ラウンド目以降は、ラウンドを追うごとに徐々に試合が白熱化して行く。
第四ラウンドの後半、赤コーナーの選手が、手や足からのパンチを出しながら相手をコーナーに追い詰め、両ひざを交互に使って脇腹を何度か激しく蹴り上げると、たまらず青コーナーの選手が崩れ落ちた。
賭けをやっている区画の人達の動きが一瞬停止した。同時に観客の轟きが飛び交った。
カウント七でようやく青コーナーの選手が、苦しそうに荒い息をしながらよろよろと立ち上がると、賭けコーナーの手の動きと大音声は、それまで以上に激しさを増した。
音楽は、リードを使った管楽器の独特な節回しに、高音と低音の太鼓と小型のシンバルで拍子をとるもので、試合の進行に合わせて、選手たちを鼓舞するかのように、大詰めに向かってだんだんと激しくテンポが上がって行く。
最終ラウンドになって、二人の動きも音楽も激しさを増した。選手の繰り出すパンチに合わせて、左右田とスイットの体が左右に微妙に動いている。
先程苦しそうにマットに崩れた、肌の色がより浅黒い方の選手の放った足からの鋭いパンチが、相手のガードの隙から首筋をパチンと強打した。首筋を打たれた赤コーナーの選手は、右腕をリングに持たれ掛けなんとか体勢を保とうとしたものの、マットに膝をつきそのままあおむけに倒れた。
周りの観客につられて、左右田も立ち上がった。
優勢であった赤コーナーの選手が、てっきり勝つものと思っていた所が、青コーナーの選手の鋭い切っ先の剣を思わせる長くしなやかな足の先端が、目に留まらぬ速さで相手の首の辺りをビシッと射止めたのである。
レフリーが試合をストップすると同時に、それまで怒涛のごとく囃し立てていた音楽が、一瞬の静寂が訪れたかのようにぴたりと止んだと思ったら、観客のざわめきが地鳴りの様にスタジアムに轟いた。
「実は、ムエタイではノックダウンは珍しいんです。選手の体はお互い商売道具ですから、貧しい家の出の選手たち同士、それなりに怪我させないように気を付けてはいるようですよ」
第六戦目からの三試合は、メインイベントのようだが、スイットが言う様に相手に怪我をさせないようにしている為かノックダウンは無かった。
だが、さすがに老練同士で、例えば柔道で言えば絵に描いたような一本背負いを髣髴とさせる様なタイボクシングの神髄を思わせる、鮮やかな回し蹴りを要所要所で見せてくれた。
その晩、左右田は眠りにつこうとしていたが、エアコンのブーンブーンと地鳴りのようなうなりを上げる音に混じって、先程のムエタイの独特なリード楽器と、太鼓と小型のシンバルとが奏でる軽快で、時に激しさを増す音楽が頭の中をぐるぐると回って寝付けないでいた。
ホテルは、バンコクに着いてから何泊かした王宮近くのビエンタン・ホテルから、菱丸タイランドに近いスリウォン通り沿いのトリコロール・ホテルに既に移っている。この時代のバンコクの高級ホテルと言えば、チャオプラヤ川沿いの世界的に有名なオリエンタル・ホテル、ラジャダムリ通りとプルンチット通りの角のエラワン・ホテル、それとシーロム通りのラマ・ホテルぐらいだ。トリコロールはそれらほどではないものの、れっきとしたインターナショナル・クラスのホテルで、お湯は出るし各室にうなりは上げるがエアコンもついている。
左右田は寝付けないまま、先日の夜、菱丸タイランドの現地スタッフのワイ・パーニットグンが、タイダンスに連れて行ってくれた時の事を思い出した。
外国人の左右田には、ムエタイの試合中に演奏される音楽と、タイダンスの伴奏曲の違いを容易に聞き分けることが出来ないが、ムエタイの音楽は「勇猛」、タイダンスの音楽は「甘美」といった違いぐらいは分かる。
タイダンスに行く予定の日の昼間に、ワイに、「今夜タイダンスに連れて行ってくれるんだってねよろしく」と、いうと、「はい山崎さんから『タイの伝統舞踏』にお連れするようにいわれています」と、ダンスといわずに「伝統舞踊」と言う所に力を入れて返事をした。簡単にダンスなどと言わないで貰いたいと、言わんばかりであった。
ワイは、かれこれ三十分近く約束の時間を過ぎてからやっと迎えに来た。「タイダンス」などと、まるで芸術性の無い様な言い方をした事に対する、腹いせではないかと思ったりした。
山崎によれば、「いやー、こちらの人は待ち合わせの時間になったら、やっと家を出るんですよ」と言っていたが、それはそれで気楽で良いと思う反面、左右田には到底真似出来ない「荒技」と映った。ロビーにでも行って待っていようかと思い立ち上がった所に、ドアをノックする音が聞こえた。
「遅くなってすみません」
ワイは、口では謝っているが、顔は次の会話を暗示していた。
「急がないと伝統舞踏が始まってしまいますよ」
自分が遅れたことを棚に上げて左右田を急かした。
ワイは、菱丸タイランドの現地スタッフだが、日本語が出来るせいで日本から出張者が来ると、通訳兼観光案内役をさせられる。どうやらそれがワイの「癪の種」のようだ。聞くところによると、名門のチュラサート大学で日本語を勉強した様で、観光ガイドとは格が違うと思うのは当然であろうし、チュラサートに行く位なのでそれなりに裕福な家の出なのであろう。
日はとっぷりと暮れているが、昼間の炎暑をたっぷりと含んだ熱気が地面から立ちのぼり、建物の壁や四角い形の電柱さえも、近づくと熱が感じられる。しかし、植木の茂った広い屋敷に差しかかると、やや冷やりとした空気が一瞬感じられ、夜になれば少しは涼しくなる予兆かといった期待を持つのはよそ者だけである。この時期のバンコクは、雨が降らなければ夜中の三時でさえも三十度を下ることは少なく、ようやく日の出直前に二十七度ぐらいに下がるのだ。
ワイは、ホテルの前に止まっているタクシーには乗らずに、チャルンクルン通りに出てダイハツ・ミジェット(一九五七年からダイハツ工業から発売された三輪自動車)を改良したような「サムロー」をつかまえた。運転手と値決めをしているのか、二言三言話をしていたが。合意したのか、「オーケー」と言うと、左右田に乗るように促した。
「乗り心地は悪いですが夜はこの方が涼しくて良いと思って。ここから十五分ほどの所です」
ワイはサムローの強烈なエンジンの音にかき消されないように大きな声で叫んだ。
確かに、天蓋しかないこの乗り物、夜風に直接あたって気持ちは良いが、耳を聾するばかりのエンジン音は夜の静寂を破り、辺り構わず灰色の排気ガスをまき散らして走るのはいただけない。
真っ黒に日焼けしたサムローの運転手の左頬の黒子から、三、四本のひげが七、八センチほどに伸びている。そのひげを伸ばしたままにしておくことにより、何かのげんを担いでいるのであろうか。左右田には分からなかったが、急に運転手に親しみを感じた。心なしか不機嫌なワイが隣にいたためなのかもしれない。
サムローが、金色に輝くタイ風の独特な破風飾りのある建物の入口の前で止まった。入口に差し掛かっている屋根は、いかにも地方色豊かな藁ぶきにしてある。
演目はまだ始まっていなかったが、楽器演奏が既に始まっていた。始めは硬い音の木琴と軟らかい音の木琴、長短の縦笛によるやや物悲しいメロディーで始まり、途中から大小の太鼓と、弦をバチで叩くキムと呼ばれる楽器が加わり、次第に緩急のあるリズムからコロコロと転がるように軽快なリズムが続く。主に五音音階を使った旋律は、東洋的で独特なムードを醸し出している。
始めの演目は、どうやら東北地方の踊りで、日本の盆踊りの様な物で男性と女性とが向かい合って踊ったりする微笑ましいダンスである。衣装も地味でつつましやかだ。幾つか甘くゆったりとした音楽に合わせた踊りや、剣の入った激しい戦闘の踊りが続き、いよいよ主演目のコーンと呼ばれる仮面舞踊劇が始まった。
ワイが耳元で解説してくれている。さすがに何度も出張者に説明していると見えて、要所要所で邪魔にならない程度の簡潔な説明だ。
仮面舞踏劇は「ラーマキエン」と言って、インドを発祥に東南アジア一帯に広まった、「ラーマーヤナ」と言う一大叙事詩の、タイ版「ラーマ王子の物語」を題材にしている。
王室の守護寺のワットプラケオ(エメラルド寺院)の回廊の壁画に、ラーマキエンの百七十八場面が描かれているが、一言でいうと、アユタヤ国のラーマ王子が、ランカ国の魔王トッサカンにさらわれた美しいお妃シータ姫を、途中で出会った西遊記の孫悟空のモデルと言われる、白い猿のハニュマーンと猿の軍団を引き連れて、ランカ国から救出して再びアユタヤ国に帰ると言う話である。
ワイは、日本人が好きな孫悟空を引き合いに出したり、桃太郎の話しにも似ているなどと喜ばせたりと、観光案内などさせられて不満ながらも、一応真面目にはこなしている。
目の前に繰り広げられている舞踊劇は、まさに猿の軍団を引き連れたラーマ王子がシータ姫を助け出すシーンで、衣装は金糸や銀糸で刺繍が施され、至極豪華絢爛だ。ラーマ王子とシータ姫は、宝石が散りばめられた先端の尖った仏塔の形の冠を着けており、王子と姫以外は仮面をかぶっている。緑色の衣装を着けているのが魔王トッサカンで、白はハニュマーンである。
戦闘場面は剣を持って戦うが、タイ舞踊独特な緩急を織り交ぜた様式美を追求した柔軟かつ優雅さに溢れていて娯楽性が高い。
次に始まった「シータ姫の火渡り」は、魔王トッサカンから救出されたシータ姫が、彼女の純潔を証明するために火渡りをするシーンだ。姫は難なく火を渡り、貞操が守られた事が証明されるという話である。姫の悲しみ、慈しみ、憐み、歓び、王子への愛などを、歌うような語りと、木琴、笛、太鼓、シンバルなどが奏でる音楽にのって、反らせた手や指と、腰を落とした姿勢とで、しなやかにかつ優雅に表現しているのだ。
左右田は、甘美な舞踊劇を思い出しながら、あれだけ繊細で芸術性の高い文化を持っているタイは、いずれ文化的、社会的のみならず経済的にも世界に確固たる地位を築くのではないかなどと考えているうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。
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