一.六 プルンチット
「
カフェドパリと言う高級なクラブがもう一つありますが、こちらはアメリカさんやヨーロッパの客が結構多いんですよ。
今夜は、ムーン・シャドーと言うクラブにご案内しますよ。例のロイヤル・バンコク・スポーツクラブの少し向こう側のプルンチット通りとラジャダムリ通りのラチャプラソンと言う交差点の近くなんです。まだボトルが残っていると思いますんで。ここは日本人の客が多いんです」
昼飯時に山崎が今夜はバンコクのディープな所を案内すると言うので、どんな所かと思っていたらナイトクラブに案内するというのだ。このあいだも夕食を付き合ってもらったし、奥さんに悪いだろうと断ろうとした所、今夜は社長の奥様の発案で奥さん同士の食事会があるので大丈夫とのことであった。
まずは腹ごしらえと、山崎の薦めでタイで「スキー」あるいは「スキヤキ」と言っているタイ風チャイニーズの鍋料理を食べた。日本のスキヤキとは似ても似つかない料理だ。
真ん中の穴が煙突になっているアルミの炭火鍋で、豚などのモツと白菜や空芯菜などの野菜とを煮込んだ、しゃぶしゃぶに近い鍋料理で、パクチーが刻み込まれた辛いタレにつけて食べるのである。ご飯は鶏ガラのだし汁ににんにく片を丸のまま入れて炊いたもので、両方ともなかなか美味い。
やや傾いたアルミの炭火鍋はあちこちがひどくへこんで、形は辛うじて円形を保っている代物だが、中身のモツ煮風の食べ物と妙にマッチしていた。
左右田はどちらかと言うと何でも食べる口で、多少のゲテモノでも平気である。直腸らしい部分は脂がのっていて軟らかくて美味いが、大腸と思われる部分はチューインガムのようでやや閉口したが味は良かった。
後に、左右田が八十年代半ばにバンコクを訪れた時に食べた「スキー」は、日本人の間では「タイスキ」と呼ばれており、具はモツの替わりにエビ、イカ、カニ、魚丸などの海産物が主で大変に洗練されていた。現地の人達は、モツも入れているようだ。
「このビール少しアルコール度が高くないかい?なかなか味が濃くって美味いけど、効きそうだね」
「そうなんです、日本のビールと比べるとかなり強いですよね。シンハー・ビールと言って、ブーンロート醸造社と言う所が戦前から造っているようです」
「このビールと鍋とが良く合うね。しかし、髪の毛が洗ったみたいにビショビショになってしまったよ。この暑さと湿気とタレの辛さで、頭の中から汗が吹き出て来てきたんだね」
左右田はそう言いながら、頭や顔を拭いて濡れたハンカチを広げて乾かそうとして、パタパタと振った。
「これが何でスキヤキなんでしょうね。モツ入り寄せ鍋と言った方が正しいような気がしますね。スキヤキって、何年か前に『上を向いて歩こう』と言う日本の曲が、『スキヤキ・ソング』と名前を変えて世界中でヒットしたその曲名からとったと言う説もあるんですよ。でも誰に聞いても本当の所は分からないみたいです」
汗をかきながら無心に食べている左右田に、ビールが入った山崎が特徴あるやや舌足らずの発音で楽しそうに解説した。
「所で、山崎君の所は一軒家と言っていたね。夫婦二人ならマンションの方が何かと便利で安心ではないのかい?」
「ええ、実は外国人が入るような西洋式のマンションは、スクンビット通りのソイ五十五、通称ソイ・トンローと言う通りにロイヤル・マンションと言うのが有るのですが、街中からはちょっと遠くて、その辺りの道路に牛や牛車が行き来していたりするんですよ。
で、
あ、ソイと言うのは大通りから左右に伸びている脇道とか路地の事で、スクンビット通りと言うのは、これから行くクラブの近くの交差点からプルンチット通りを一キロちょっと東に行った辺りを起点とした国道三号線の事で、スクンビットさんと言う第五代目の高速道路局の局長さんの名前にちなんで付けられたんだそうです。海沿いをずっと走って、カンボジアの国境まで続いているんです」
「そうなんだ。結構な幹線道路なんだね。所で、買い物なんかはどうしているんだい?」
「家のお手伝いさんはクロントイと言う市場に言っているようですけど、我々が行くようなスパーマーケットは、ソイ三十三にあるヴィラ・マーケットかトップスと言う所しかありませんね.でも、贅沢さえ言わなければ、そこで大体何でも揃います」
グイと山崎がビールを飲み干すと、すぐ近くで立って見ていた十四,五才位であろうと思われる給仕の若い娘が、すかさずビールを注いだ。
このタイ風中華飯屋は、菱丸タイの事務所に近いスリウォン通り沿いにあり、山崎に言わせると「ともかく安くて美味い」事から、事務所の若い連中同士で「一杯やろう」と言う時は良く来るそうだ。
何よりも、「ダンディー」な佐々木副社長は絶対に近寄らないので、好都合なのだそうだ。どうやらバンコクでも彼はあまり好かれてはいないようだ。
「日本の
「そうですね、でも私たちが良く行くのは、例のチャルンクルン通り近くの花屋、シーロムの菊屋とこの間行った大黒ぐらいですかね。フレンチ・レストランも結構あるんですよ。比較的有名なのは、シェ・セザンヌ、ニックス、ナンバーワン、メトロポリタンとかが有りますが私はあまり行きません。
佐々木副社長は西洋料理がお好きで時々行かれているようですよ。あっ、それからチャオプラヤ川沿いのオリエンタル・ホテルのノルマンディーは有名です。
あとこれから行くムーン・シャドーの近くのエラワン・ホテルと、シーロムにあるラマ・ホテルと言った高級ホテルにあるレストランがありますね。今度、あまり高くないニックスと言うフレンチに行ってみますか」
山崎は、すぐそばで見ている若い娘の方を向いて、人差し指でテーブルの上をグルグルとする仕草をしながら何か言った。「グルグル」はお勘定の合図のようであった。
ムーンシャドー・クラブは、ラチャブラソン交差点近くの、プルンチット通り沿いにあるこんもりした森となっている一画にある。山崎によると日本人の経営で、この場所で既に十年ほど営業しているようだ。
入口は古代ギリシャのイオニア式の柱模様で飾られ、一見豪華に見える。中に入ると、中央のステージで、フィリピン風の生バンドがラテン・ミュージックをゆったりしたリズムで奏でている。ステージの前にはダンス用のフロアーが設えてあり、ここだけはライトが当てられ明るくなっている。
二人が席に着くと、ボーイがテーブルの上の真っ赤なガラスの深い器に入ったローソクに火を点けに来た。赤いグラスの周縁の部分はローソクのススですっかり黒くなっているが、それでもテーブルはそれなりに明るくなった。
少し目が慣れてきて、ほの暗い店内を見渡すと、ローソクの炎にほんのりと赤く照らし出された2~3人の日本人駐在員らしい客が、既に二組いた。それぞれの席にラメの入ったえんじ色のドレス姿のホステスが客の隣に座っていた。
ボーイが山崎に何か問いかけると、左右田の方を頭で指しながら何か答えた。
「いえね、大切なお客だから飛び切り可愛いホステスを連れてくるようにと言ったんですよ。でもあまり期待しないでください。大体、売れない娘から連れてくるんですよ。嫌だったら代えて貰いますから」
ホステスと言葉が通じるわけでも無いので、左右田は別に期待はしていなかった。ただ、ホテルに帰り、暑さの中で扇風機に当たりながら一人で酒を飲むよりは気がまぎれるし、それなりに楽しめるのではと思ったのである。
ボーイに連れられてホステスが二人やってきた。山崎がホステスたちに何か言ったところ、彼女たちは首を振って何か言った。
「左右田さん、すみません。可愛い娘とは言ったんですが、日本語が出来る娘とは言わなかったのでこの娘達たち日本語は出来ないんですって。代えて貰いましょうか?」
山崎は済まなそうに言った。
「いや良いよ。どうせ多少通じたって会話は五分と持ちやしないから」
左右田は、多少日本語が出来ると言ってもあまり話す事もないと思った。
左右田についたホステスは「プン」と言った。二人はあれこれ会話を試みたがそれも長くは続かず、顔を見合わせて仕方なげにニコニコするだけであった。
楽しそうにタイ語で談笑している山崎たちを手持無沙汰そうに見ていると、慌てて「あっ、すみません通訳します」と、左右田が退屈しないように山崎が気を使ってくれるが、それも長続きしない。
終いには、「ダンスはどうですか?」とすすめてくれるが、他に踊っている人もいないし、ダンスは苦手だし二人だけで踊るには勇気がいるので断った。
結局、山崎には悪かったが、無粋ながら山崎と仕事の話を始めてしまったのである。日本人同士で話を始めると、待ってましたとばっかりにホステス同士で話を始めた。こうなると彼女らの独壇場で、客の存在を忘れたかの様に話に夢中になってしまっている。
時折話の合間にプンの方を見やると、左右田の方を向き「うん、何か?」と言う顔をした。まだ擦れていない証拠である。山崎の相方のホステスは、話に夢中で山崎が見ても反応なしで、山崎の膝の上に置いたままの手が「貴方の事は気にしているのよ」と言った仕草のように見えた。
プンにはそんな芸当はまだ出来ない様に見える。
プンはかなり色黒の方で、マレー系の血が入っているのではないかと思われた。座った当初はうす暗闇の中に隠れてしまい表情が見えにくかった。出身はナコンパトムと言う所だそうだ。どこかで聞いたような地名だが思いだせなかった。
左右田は知る由もないが、実は左右田がチャルンクルン通りで出会った果物売りのプラニーが旦那に浮気をされてナコンパトムの家から飛び出して転がり込んだ先が、この「プン」のアパートだったのである。
左右田は、《なんて黒いんだろう、バンコクに来て少し経って「色の黒さ」に慣れてきているはずなのに。ホステスにしてはともかく黒いな》などと、思ったりしていた。
暗さに目が慣れてくると、プンの表情が良く見て取れた。年の頃は二十歳を少し過ぎたところであろうか、小柄だがメリハリの利いた体に、やや幼く見える顔立ちで愛嬌があった。若干しもぶくれの所が顔全体の印象を軟らかくしていた。化粧は赤い口紅をつけただけで、笑うとつぶらな歯がきれいに並んでいた。
《可愛いけど、それにしても山出しだな》と、左右田は思った。
それでも、一時間半ほどは店にいた。正直、気苦労と言う程ではないが少々疲れてしまった。
山崎が退屈そうな左右田の様子を見てとってか勘定をした。
「えーっ、もう帰るの?」とお決まりのお世辞顔のホステスたちに見送られて、店を出た。山崎がホステスたちにチップをあげたらしく、丁寧なワイ(合掌)を返された。山崎にチップ代を払おうとしたが、大した金額でないのでと言って受け取らなかった。
店の中は程良く冷房が効いていた様で、夜の九時だと言うのに熱い空気が体に浸み込んできた。
店を出た先に、プルンチット通りが目の前を走っており、通りを渡った左正面にはアマリン・ホテルがある。アマリン・ホテルもムーン・シャドーと同様に日本人の経営で、日本からの出張者の宿泊客が多く、日本の新聞社や商社などの駐在員事務所兼長期滞在先にもなっている。
右正面には政府系のエラワン・ホテルがある。このホテルの一画のラジャダムリ通りに曲がる角の所に、大きな祠が、ゆらゆらと揺れるローソクの明かりとお線香の煙に包まれているのが見える。
「あれはエラワン寺院と言われています。神社と言う人もいて、ヒンズー教のシヴァ神、ヴィシュヌ神と並ぶ三神のひとりであるブラフマー神が祀られている祠です。仏教に取り入れられて日本では梵天と呼ばれているそうです。エラワン・ホテルを建てる時に悪霊を鎮めるために作られたそうで、なかなか霊験あらたかと言うか、ご利益があるらしくてバンコクでも有名な祠の一つです。
そうそう、左右田さんが初めに泊まられたビエンタン・ホテルのプールの端っこに祠柱みたいなのがあったでしょう。あれはヒンズー教の神様ではなくて、『ピー』と言って精霊を祀っているんです。タイの
ピーを祀ってある祠はエラワン神社のように誰もがお参りをするものではなくて、その家やその村の人達だけがするようですよ」
山崎が、先程のホステスの前で見せた顔とは打って変わった真面目顔で説明した。
「すると、店の中のちょっと派手な神棚みたいなのとか、道祖神や小さなお社みたいなのがタイではそのピーとやらを祀っている祠なんだね。タイも日本と同様で神仏習合とでも言うのかな、仏教が入る前から土着の信仰が未だに併存あるいは共存していると言うのは興味深いね。
仏教、は唯一神のユダヤ教やキリスト教、イスラム教のような、他の宗教や信仰に対する排他性が弱いからなんだろうかね」
敬虔な仏教徒でありながら、そう言った日本の民間信仰にも似たものを持っていて、いかにも「ほどほど」で「寛大」でアジア的なタイ人に左右田は親しみを覚えた。
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