一.三 サナムルアン


 左右田源一郎が、歓迎会をしてくれると言う店に着くと、先輩の佐々木と日本の合弁相手の亜細亜紡績の犬山が既に来ていた。

 店の名前は「パイブーン」と言い、高い天井に四枚羽の大型のファンが幾つかゆったりと回っている。

 山崎によるとこの店は華人の経営で、中華料理とタイ料理と海鮮料理が混じった様な料理で、味は抜群と言うことだ。店内は、少しでも涼しく見せようとしているのか、全体に薄い空色のペンキが塗ってあるが、壁のあちこちに湿気によるカビのしみや、あまりの湿気が水滴となって壁を伝って落ちてきた跡がいく筋もあり、その先端の溜まった部分が乾いてひときわ茶色が濃くなっている。

 広い店の奥のちょうど鴨居にあたる位置に、立派な金縁の額に入ったブミポン・アドゥンヤデート国王とシリキット王妃の御尊影に並んで、高僧らしい僧侶の写真が飾られている。

 その隣の部屋の角には、派手な神棚の様な祠が花数珠で飾られ、灯明のローソクの火が揺らいでいる。

「やあ、東京からの大切なお客さんをこんな汚い所に案内してすまん。だが、多少見掛けは悪くても美味しい方が左右田君は喜ぶと思ってね」

 左右田が久しぶりに会った亜細亜紡績タイランドの犬山社長と一通りの挨拶をすませて店内を見回しているのに気づいて、佐々木が弁解がましく言った。

 左右田にとっては、むしろこうした庶民的で現地の人が普段通うような所の方が、取り澄ました高級レストランなどよりはよほど好みであった。

「いやー、佐々木副社長のいつものお心遣いありがとうございます。せっかくタイに来たんですから、こう言うタイらしい所の方が嬉しいですね」

 かつての佐々木であれば、決してこういう所には連れてこなかっただろうと思いながら左右田は世辞を述べた。

 以前の佐々木は、瀟洒な気の利いたレストラン好みであったからだ。変われば変わったものだと思いつつも、まさかあの有名なオリエンタル・ホテルの高級レストランと言うわけにもいかず、駐在員宅以外で若造の自分を連れて来るには、こうした所しかないのかなと思った。佐々木は、単身赴任なので自宅でと言う訳にはいかない。

「しかし君は変わらないねー。僕なんかほら、熱帯での生活でこんなに髪が白くなってしまったよ」

 佐々木は、白髪の混じった自分の髪の毛を撫でながら言った。佐々木は副社長と言っても、本社ではまだ課長級である。彼は、同期の中では出世頭であったので、まだ四十才を少し回ったばかりだ。

 昔からなかなかのお洒落で、髪はポマードでオールバックにきちっと抑えている。今夜の出で立ちは、薄地の麻生地の開襟シャツと、マニラ麻の背広の上下、メッシュの茶色の革靴、それにパナマ帽と典型的な熱帯仕様だ。

 上着とパナマ帽は空いている隣の席に置いている。確かに佐々木の言うようにかなり白髪が混じり始めていた。ロマンスグレーなどという言葉がはやっていたこの時代、佐々木はむしろ自慢げに言ったのかもしれない。

「いやー、なかなか貫禄が出て来て、副社長が板についてきたようにお見受けしますよ」

 左右田はまたお世辞を言った。

 佐々木は嬉しそうに、「そうかなー」と相好をくずした。お世辞を言われて悪い気がする人はいないが、佐々木は特にこうしたお世辞を言われるのが好きなたちだ。非常に嬉しそうな顔をしながら、何となくいやしく物欲しそうな目つきをしているように見えるのが特徴である。きっと根が正直なのであろう。

 国立東都大出を鼻にかけた態度も見え見えで、社内ではこういう佐々木を毛嫌いするものもいる。左右田はあまり気にはならなかったが、あまり近寄りたいタイプでも無い。それは、こうした人間に接し案外すらすらとお世辞が言える自らの無節操さを恥じ、自己嫌悪に陥るのが嫌だからだ。

 山崎がタイ語で料理を注文している。

「山崎君は随分とタイ語が上達したじゃないか。顔つきと言い、その色と言いまるでタイ人並みだね」

「いやー、三年近くもいれば誰だって上手くなりますよ。と言うといかにも上手そうに聞こえますが、私なんかは正式に習ったわけではないので、ブロークンも良いとこですよ。特に、クラブのホステスなんかと話していて覚えた言葉が多いものですから、例えばくすぐったいとか、変な言葉ばかり語彙が多くて、まともには喋れませんよ。

 ですから事務所では一切タイ語は使いません。と言うか使えません。その点、「亜紡」さんの犬山社長はタイに来られてまだ一年ですが、来られる前と来られてからもずっと先生について習っておられるので本格派ですよ」

 そう言われた犬山は、人の良さそうな丸い顔をくしゃくしゃにし、額と禿げあがった頭の汗をつるりと手で拭きながら、「いやいや、まだ勉強中ですから上手くありませんし、山崎さんのように実戦で鍛えた人にはかないませんよ」と、いかにも楽しそうに言った。


 犬山倫行は、タイに来る直前まで愛知県にある亜細亜紡績(亜紡)の合繊紡績工場の工場長をしていた。

 もともと技術屋で、紡織の機械が専門であったが、綿紡と一部レーヨン中心の亜紡が一九五〇年代の終わり頃に、英国企業からポリエステル系の合成繊維の製造法の特許を導入して以来、合繊製造部門を歩いてきた。

 現在は一九六五年に設立された亜紡の現地法人の亜紡タイランド社の社長で、合弁のTAP(タイ亜紡ポリエステル)社の副社長である。

 親会社の亜細亜紡績株式会社の歴史は古く、明治時代に大阪において日本では有数の紡績会社として操業を開始した企業である。

 TAP社はポリエステル原綿の製造会社で、日本側は亜紡三十六%、菱丸商事十一%、タイ側はタナー・エンタプライズ社五十三%の日タイの合弁企業で、一九六六年三月に設立されている。社長がマジョリティーを握っているタナー・エンタプライズ社社長のユッタナー・ラータナワニットである。

 TAP社は現在、日本からの駐在員が犬山を含め四人と、工場建設、機械設備の設置関係の技術スタッフの長期出張者が十二名と、急ピッチで試験操業に向けて作業を進めている。

 工場は、ドンムアン空港から北に約二十キロのパトゥムタニー県クロンルアン郡に既に設立されている、「AST(亜紡シンテックス・タイランド)社」の工場の敷地内にある。AST社は、ポリエステルやナイロンなどの合繊の紡績、織布、染色加工の工場で、原料は日本から引いてきているが、TAPが本格稼働し始めるとポリエステル原綿についてはTAPから入れる事になる。AST は、タイ側がタナー・エンタプライズと羅起亜(ユッタナーの叔父の繊維卸商)および現法の菱丸タイ、日本側が亜細亜紡績と菱丸商事で、一九六五年に設立されている。

 タイは、一九六一年から始まる「第一次経済開発六カ年計画」をスタートさせ、一九六二年には「産業投資奨励法」を導入し、意欲的な工業化政策に踏み出している。

 この時期、タイ政府は繊維製品を始めとした消費財などの輸入関税を引き上げて輸入品を締め出し、税制面などで国内産業を保護する一方で、そうした製品を製造する海外および国内の企業のタイへの投資を奨励するという、いわゆる「輸入代替産業の育成」に乗り出した。

 即ち、それまで輸入で賄っていたものをタイ国内の生産で代替させることにより、国内生産の拡大を通じて経済発展につなげようという政策である。

 亜細亜紡績は、それまでポリエステル原綿を菱丸商事を通じてタイに輸出していて、その一部をAST社にも納めていた。だが、ポリエステル原綿の関税が引き上げられ、日本からタイに輸出していたのでは採算が合わなくなることから、それまでの市場を確保する為と、さらには将来のタイの繊維産業の成長を見越して、タイでの原綿の生産を考えたのだ。

 亜熱帯地方であるタイは、簡単な衣服で事足りることから、手織りの綿織物がほとんどで、繊維産業は綿織物が中心となって発達して来た。原料の綿花も国産で、五十年代半ばあたりまでは、ほぼ自給自足に近い状況であった。

 ところが、洋風文化が農村にまで波及するようになると、それまでのサロン(一枚の布を身体に巻きつける様な物)などから、シャツ、ズボン、スカートといった「洋服」が普及し始め、織物自体も色々なな品種の需要が生まれ始めるようになった。

 また、所得が上がるにつれてさらに衣服の多様化が見られるようになって、繊維の需要も綿から合繊へと拡大して行った。また、量的にも拡大し、それまで繊維を国産で賄っていたものが、輸入しなくてはならなくなってしまったのである。

 TAP社の工場設立により、タイでは初めてポリエステル原綿の生産が開始され、合繊原料は自給体制がへと向かう事となったのである。


「こちらに来て直ぐに工場を見させていただきましたけど、大分進んでいるようですね」

 左右田が、天井のファンが送る料理のにおいの混じった風に、タバコの灰が吹き飛ばされないように灰皿の位置を変えながら、犬山に尋ねた。

「先日はすみませんでした。ちょうど日本に帰っていてお相手できなくて。昨日こっちに戻ってきました。そうですね、若干工期は遅れていますが、今年の末ごろには試験操業開始となっていまして、ほぼ予定通りと言っても良いのではないかと思っています。三年後の一九七〇年には本格生産に入る体制で進んでいて、原綿の生産量は、七一年には一万トン、七三年にはさらに増産体制に入れると思いますよ。

 原料のテレフタル酸とエチレングリコールの輸入の方は、まだ少量で済んでいるので特に問題はありません。

 工場の設立許可を取るのに工業省との関係で若干手間取りましたが、TAPの社長をして貰っている、合弁相手ののタナー・エンタプライズ社のユッタナー・ラータナワニット社長が、工業省のプラマーン局長と懇意で、上手く話をつけてくれたので割合早く許可がとれました」

「はあー、何か問題でも?」左右田はこれが山崎の言う「問題」かと思いつつ、メモを取り出し犬山の話に耳を傾けた。

「いや、うちとしては後で公害問題なんかを起こしたくないんで、相当厳しい基準でやっているんですが、公害防止機器が複雑なせいもあったり、工業省側はナイロン工場の許可の経験があったりしたもんですから、それと比較したりで結構うるさいことを言っていたんですよ。

 折角良いものを造ろうというのに、おそらく担当者は『何か』を期待していたのではないかと思いますね。それにしてもユッタナー社長は顔が広いし、さすがですね。やはり、彼をタイ側のパートナーにしておいて良かったですよ。

 ユッタナーさんが話をつけておいてくれたお陰で、局長の所にお伺いをした時に、担当課長を呼び何やら指示をしていましたが、その後数日して許可が下りたんですよ。担当課長はあまり嬉しくなさそうな顔で聞いていたので、無理して指示をしたんでしょうね」

 犬山は仕事の話になるといつも雄弁である。

「へー、頭越しでやって、日本の役所みたいに後で担当から意地悪されたりしないんですか?」

 左右田は、ビールを一口飲み、聞いた。

「そう、課長には今度、飯でもオファーをしようと思っています。部下を何人か連れてきて、部下の前で良い顔をさせてあげれば彼の面子も立つでしょうから。でも、その影響なのかも知れませんが、今日も山崎さんと工業省に行ってきたんです。担当が排水設備の設計図について説明してくれって言うもんですから。

 担当は一応分かりましたと言ってはいましたけどね」

 犬山は、同意を得るかのごとく山崎の方を時々見ながら言った。

「そう言えば、ユッタナー社長ってどう言う人ですか?来週お会いする予定になっているんですが……」

 左右田は、玉のような額の汗を真っ白なハンカチで拭いている佐々木に聞いた。

「うん、実は担当が違うということもあるんだが僕はあまり良く知らないんだよ。まー、やり手の華人系タイ人ってとこかな。ユッタナーについては山崎君が良く知ってるよ」

 佐々木は、ややつっけんどんに言った。

 佐々木は、笑顔が人懐っこそうなので第一印象は悪くはないが、普段の仏頂面と、話をしているうちに偉そうで、人を見下したような態度が見え隠れしてしまうのを、ユッタナーが見逃さなかったに違いないと左右田は思った。

「かなり親日的な人だとは聞いているけど」

 左右田は、改めて山崎に向いて聞いた。

「うーん、親日的かどうかというのは正直分かりません。ただ、日本のビジネスのやり方を随分良く研究していて、本人も言っていましたけど、素晴らしいと高く評価していました。よくうちの佐伯社長の所に来て日本的ビジネスについて議論していましたよ」

「やはり、華人系だからかね。利にさといと言うか、商売上手と言うか。潮州系だって聞いているけど。タイには多いのかい潮州系の人は」

 左右田は、とびっきり辛いトムヤムクンで舌が麻痺しているのを我慢しながら聞いた。

「ユッタナー社長は潮州系と言われていますが、佐伯社長に対しては、ユッタナー一族はもともと中国の安徽省は黄山の呈坎(テイカン)村の出身で、十七世紀中頃にバッタや旱魃の被害から逃れて、潮州市の池湖村に移り住んだと言っていたみたいですよ。

 社長のタイの名前は、「ユッタナー・ラータナワニット」ですが、漢字では「羅兪戴」と書くみたいです。ですから、タナー・グループを、羅一族と言う事もあるんです」

 メモ魔の山崎は手帳を見ながらユッタナーの来歴の話を続けた。 


 羅一族の祖先がタイに移り住んだのは十八世紀後半で、トンブリ王朝のタクシン王の頃であった。タクシン王の父親が潮州人であった事から、当時潮州人優遇政策をとった経緯があり、今やタイにいる華人系の半数以上が潮州系と言われており、特にバンコクで金持ちと言われる華人の多くは潮州系と言っても過言ではないようだ。

 ユッタナー自身はサラブリ県の生まれであり、父親はサラブリで精米業をやって財を成し、地元ではかなりの有力者であった。

 太平洋戦争が始まる数年前にユッタナーは、ニューヨークにあるコロンビア大学のコロンビア・カレッジに留学し、戦時中に卒業して帰国した。当時は太平洋戦争の真っ最中で、簡単に米国からタイに帰れるような状況ではなかったが、「自由タイ運動」のルートでヨーロッパ経由で帰国する事が出来た。

「自由タイ運動」は、当時の駐米タイ大使のセーニー・プラモートが、アメリカへの留学仲間と始めた「抗日レジスタンス運動」である。ワシントンの在米タイ大使館にいたユッタナーの高校の時の先輩から、抗日運動に参加するよう勧誘があったが、ユッタナーは参加したがらなかった。

 タイの元領土であったフランス領インドシナの一部の返還を巡って、一九四〇年から四一年にフランス軍と武力衝突にまで発展した紛争があったが、日本の介入のお蔭で領土が回復出来たとユッタナー考えており、日本には恩義があるからと言うのが表向きの理由であった。

 もっとも当時回復出来た領土は、後にラオスおよびカンボジア領になってしまっている。

 だがその先輩は、ユッタナーが帰国して日本軍による占領にも近い祖国の状況を見れば、翻意して運動に参加してくれるかもしれないと思い、自由タイ運動のヨーロッパ経由のルートでユッタナーを帰国させたのであった。

 しかし帰国してからもユッタナーは、運動には最後まで直接には参加せずにいた。代わりに父親に事情を話して結構な金額の「寄付」を自由タイ運動にして貰うことで、帰国させてくれた事に対して報いたのであった。

 自由タイ運動の活動費は幾らあっても足りない所に、ユッタナーからの寄付は大変に有り難がられた。

 後にユッタナーは、抗日運動に誘った先輩を、自分の興した会社の役員に迎えている。


 山崎は、それまで見ながら説明していた手帳をワイシャツの胸ポケットにしまうと、「そうそう、ユッタナーさんがアメリカ留学前に日本に寄った時に日本の女性との悲恋物語があったみたいで、その女性のせいで親日的になったと言っておられたようですよ」と、言って山崎が嬉しそうに長い話を締めくくった。

「いやありがとう。なんか筋を通す厳しそうな人のようだねー。それで、一般的にタイ人は日本や日本人の事をどう思っているんでしょうかねぇー」

 左右田は誰にともなく呟いた。トムヤムクンの辛さがまだ口の中に残っていた。

「どうだろう、我々が普段付き合うタイ人は心の中ではどう思っているのか分からないけど、少なくとも反日的ではないような気がするよ。新聞なんかでは、日本人駐在員はタイ人と溶け合おうとしないとか、日本の技術者は技術をタイ人に教えようとしないとか、日本からの輸入が多すぎて対日赤字が大きく片貿易が問題だとか騒いではいるけどね」

 佐々木は仕事以外では全くと言って良いほどタイ人と付き合うことがなく、タイ語はもとよりタイの文化や伝統にも殆ど興味を示さないせいか、事情に疎そうであった。

「いやー、確かに我々がビジネスで付き合うタイの人達は礼儀を知っているし、そこはビジネスライクにあからさまに反日感情を表には出さないと言うのもあるし、もともとが寛容と言うかマイペンライ(気にしない)の国なんでね。でもですよ、同じアジア人のくせして、金があるからと言って威張りくさった尊大な態度を不愉快と思っている人は結構多いんじゃないかと思うんですよ。スイットさんの前だけど、一般的に言って対日感情はあまり良くないのではないかと思うんですよ」

 犬山は、スイットの方を見やりながら言った。

「うーん、一般的に対日感情は良いかと言われれば、そうですねー、確かに犬山社長の言われるように、あまり良いとは言えないかも知れませんね。戦時中の日本軍がタイのほぼ全域に駐留していたことや、五十年代後半から日本の消費財が大量に流れ込んで来たことや、六十年代になって急に日本人駐在員が多く目立つようになって、中にはお行儀の悪い人も目に付いたり、裕福そうに見える日本人に対して多少やっかみみたいなものもあったりとかだと思うんです。

 やはり、そういう状況だとナショナリズム的な気持ちが出てくるのはしようがないのではないでしょうか」

 スウイットが、やや遠慮がちに言った。

「それにしても、タイはこの先どうなるんでしょうね。日本は既に一九六四年にオリンピックを東京でやり、再来年の六九年には大阪で万国博覧会を予定しているでしょう?タイはいったい、いつテイクオフしてオリンピックや、万博が出来るようになるんですかねー」

 暑さと料理の辛さで、薄くなった頭や顔中から噴出した大粒の汗が首筋に伝い、白い開襟シャツの襟を濡らしながら、自問するかのように犬山が呟いた。

「ええ、当分は難しいでしょうね。」

 トムヤムクンのスープを碗によそいながら佐々木が話を引き取って続けた。

「この所のベトナム戦争特需にも、産業基盤が脆弱で十分に乗り切れているとは言えないしね。ご存知のように日本は一九五〇年代の初めの朝鮮戦争の時の特需のおかげもあって、戦後の荒廃から立ち上がる切っ掛けを掴んだんだが、元々繊維産業や機械産業の基盤がかなりしっかりしていたからだと言えるよね。

 タイはその点、繊維産業でさえも必ずしもまだ満足行く状態ではないしね。米軍の一時帰休兵用のアパートやバーなんかは繁盛しているみたいだけどね。

 ま、基本的にタイはまだまだ農業国で、国内総生産に占める農業部門の割合は三割強だし、就業人口の八割もが農業部門にいるという状況だからね。

 日本の場合は農業の国内総生産の割合は一割程度だし就業人口に占める割合は二割強だから随分と違うんだよね。それに、ここで経済を握っている中華系は商業資本中心で、右から左に短期的にすぐ儲かる商売をしたがる傾向があるんで、なかなか製造業が育たないんだよ。それを外資に期待しているんだろうけどね」

 さすが経済学部出の佐々木らしく基本は出来ているようだ。

「そうですね。日本のように繊維産業を基盤にして、発展して行くと言うモデルは、この国ではなかなか難しそうですね。今の政策はこれまで輸入に頼っていたのを、国産で賄おうと言うんでしょ。

 でも何せ所得が低いので、言ってみれば国内の市場規模自体が小さすぎるんですよ。それには人口の多い農村部の所得を上げなければいけないのですが、それもなかなか上手く行きそうにないみたいですね。

 所得の再配分の機能がワークしていないですしね。農地改革とかが必要なんですかね。ただ、感心するのは、お寺で寺子屋式に読み書きを教えているらしくて、識字率がかなり高いらしいんです。八割ぐらいあるみたいで、これはかなりこれから期待できる点ですよね」

 犬山は佐々木にビールを注ぎながら誰に聞くとはなしに呟いた。

「それにしても、タイの人達はこれで幸せなんじゃーないかな?ねえスイットさん」

 佐々木が、先程からにこにこしながら話を聞いているスイットに水を向けた。

「そうですね、農地改革の話は色々とこの国のシステムのあり方の議論になってしまうので、あまりお話しする事が出来ませんね。王室との関係もありますし。で、タイ人が幸せがどうかですが、失礼かもしれませんが今の日本人のようにあくせく働くよりは幸せなんではないでしょうか。私自身は日本の仕事のやり方にすっかり慣れてきてしまって、自分でもあくせくと働いていないと不安になる気がしますが……」

「ハハハハッ、タイ人がみんなスイットさんみたいに働き者だと、直ぐに先進国の仲間入りだね。でも、やはりこの暑い気候も開発が遅れている原因の一つなんだろうね。

 暑いから、勤労意欲がそがれると言うのもあるけど、田舎に行けばバナナやパパイヤ、パイナップルやスイカは一年中採れるし、川ではそれこそ魚が良く獲れるし、着る物もそれほど必要はないしで、いわゆる絶対的貧困が無い分、タイはゆったりとしているんだろうね。

ある意味うらやましいよ。スイットさんもそんなにあくせくと働かなくったって良いんじゃないかい」

 佐々木がスウイットを如何にも揶揄するように言った。

「はい。それから、繊維産業ですけど……」

 スイットが笑いながら続けた。

「確かに、国内の市場が狭いので、繊維産業だけではなくて他の産業もですけど、輸出で稼ぐ必要があるんです。でも、輸出となると相当に国際競争力が必要ですが、タイにはそれだけの技術力が不足しています。

 香港、台湾、韓国の輸出品に太刀打ちするにはもう少し時間が必要だと思います。今は何でもかんでも消費財は日本からの輸入品です。対日貿易赤字が年々拡がって来て結構危険水域にまで近づいて来ています。少しでも輸入品で無く、国産でと思うのは自然だと思いますよ」

 愛嬌のある笑顔でスイットが答えた。多少耳の痛い事を言っても、スイットのにこにこ顔によってそれが相殺されてしまうようであった。

「ところで、僕はバンコクが今のまま変わらないでいて欲しい気がするがね。だって、街中に張り巡らされたクロン(運河)を、ゆったりとボートであちこち巡るなんて言う贅沢が出来るんだもん。ニューヨークのように高層ビルが建ち並んでしまっては、風情も何も有ったもんじゃないよね」

 佐々木は、形勢が不利と見たか話題を変えた。

「確かに……」

 左右田が話を引き取った。

「でも、昨日時間が空いたのでにホテルの近くを少し見て回ったんですが、サナムルアン(王宮広場)をぐるりと取り囲む浅いクロンも一部が埋まってしまっていましたよ。街の中のクロンの命運やいかにってとこですかね。

 近代化の波で少しずつクロンを埋め立てて道路にしているって言うじゃないですか。会社の近くにあるシーロム通りも、クロンが埋め立てられたばかりらしいですね。もっとも、エキゾチックさと言うか異国情緒がだんだんと失われていくのは寂しいですけど、それは外国人の勝手な言い分で、そこに住む人達にとって不便なら変えていくしかないですよね」

 左右田は少し酔ってきたせいか反論めいた口調になった。

「しかし、それにしても四、五十年もしたらタイはどんなになっているんでしょうね。その頃までもし生きていたら見てみたいもんですよね」

 佐々木が右の口の端を一瞬微妙に引きつらせたのを見て、左右田は慌てて無難な話題に切り替えた。

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