一.二 ラムブトリ


 左右田源一郎は、バンコクに来て数日してから、現地スタッフの案内で東洋随一と言われるバンコクの中華街にある、サンペン街の繊維問屋を午後いっぱいかけて何軒か回った。これまでの顧客との顔つなぎと、新規の販路開拓の為だ。

 体にずしんと来るような慣れない暑さに閉口しながら、ホテルに戻ってシャワーを浴びた。

 水しか出ない。

 そもそもお湯用の蛇口の栓が無いのだ。左右田の長期滞在を気遣ってか、駐在員がお湯も出ない安いホテルを取ってくれたのかと思っていた。

 暑い土地柄、水道の水は生ぬるいが体に浴びるとなるとさすがに冷たく感じる。体に溜まっていた昼間の炎熱が急速に放散して行き、シャワーから上がる頃には少し肌寒くなって来る。何となく水が匂うような気がする。シャワー室自体の臭いかも知れない。

 コンクリート・ブロックが剥き出しの壁に囲まれただけの浴室は、ポツンとシャワーがあるだけでバスタブはない。天井の三〇センチほどの長さの、裸の蛍光灯が時々切れたり点いたりしてる。

 外壁に面しているブロックの壁の上部に、穴開きのブロックが使われていて天然のエアコンになっているが、部屋は三階なので左右田は建物の強度を心配した。

 窓は開けたままにしているが、夕暮れ時で風は凪いでおり、湿った空気が籠っている。スタンド式の扇風機は人の背ほどもある大型のもので、暑く湿気た部屋の空気を大きな黒い羽でただかき回している。

 部屋はツインベッドで二十畳ほどはあろうか。なかなかの広さである。壁は、ブロックに薄い灰色のペンキが塗ってあるだけのものだ。それでも、入り口のドアや家具・調度品にはチーク材を使っている。チーク材には彫刻が施されているが、ひどく粗削りで、建て付けがあまり良くないのが部屋全体の安普請の雰囲気になじんでいる。

 窓から外を眺めると、遠くに天に突き刺すような尖塔を頂いた寺院の屋根と、夕日に照らされて金色に輝く仏塔が見える。位置関係からすると王宮やワットプラケオ(エメラルド寺院)のようだ。

 下を覗くと涼しげに水をたたえた真っ青なプールがあり、プールの端に花数珠で飾られた身の丈ほどの真っ白な祠が祀ってある。これまで、プールで泳いでいる客を見かけたことが無い。

 扇風機にあたりながらベッドで横になっていると、昼間の疲れが出たのか気が付かない内に眠ってしまっていた。三十分ほど経った頃に暑かったと見えて汗びっしょりになって目が覚めた。

 今夜は、後輩のバンコク駐在員の山崎が迎えに来ると言っていたので、もう一度シャワーを浴びて身支度を整え始めたがもう汗ばんできた。

 ロサンゼルス時代に一緒に駐在していた、タイの現地法人である菱丸タイランドの副社長の佐々木が歓迎会をしてくれるとの事だ。


 左右田源一郎は、一九五三年に国立東都大学を卒業し大手貿易商社の菱丸商事に就職。入社からは十四年ほど経っており、海外駐在はロスアンゼルスを経て今や本社の繊維事業部営業第三課の係長で、タイでのポリエステル原綿の生産プロジェクトの担当をしている。

 今回の左右田のバンコク出張は、菱丸商事と日本の大手繊維会社とタイの企業との三社による合弁のポリエステル原綿生産工場立ち上げの進捗状況の確認、販売先との打ち合わせおよび新たな販路開拓の可能性を探ることなどのためで、十日ほどの予定で来ている。

 年度末に一週間以上の出張かと同僚に揶揄されたりしたが、課長からは「社運を賭けたとまでは言わないが、繊維の菱丸の名に傷がつかないようにしっかりと調べてきてくれ。我々と組んでいる亜細亜紡績さんも、競争相手の住井物産と組んでいる日本人絹さんに遅れをとりたくないと必死なんだ」と、叱咤激励されて送り出されたのであった。


 左右田がロビーに降りて待っていると、山崎が若いタイ人男性と連れ立ってやってきた。

「こちら合弁事業主体のTAP、タイ亜紡ポリエステル社のスイットさんです。東都大学に留学していたんで、左右田さんの後輩になりますね」

 山崎が、小柄のタイ人を紹介した。

「TAPのスイットと言います。ようこそバンコクへ。どうぞよろしくお願いします」

 紹介されたスイットは人懐っこい笑顔で、ワイ(挨拶の合掌)をしながら挨拶をして、「すみません左右田さん、事務所近くのホテルが取れなくて」と、言いながら恐縮した顔でお辞儀をした。

「こちらこそどうぞよろしくお願いします。いやいや、運転手さん付きの車で送り迎えをしてもらっているし、ついでに街中が見れて悪くないですよ。なんかそっちの辺りで会議があるらしいですね」

 確かにホテルと事務所の往復には結構時間がかかったが、左右田はまったく気にならなかった。

 左右田の泊まっているビエンタン・ホテルは、サナムルアン(王宮前広場)から北東に徒歩で十分ほどの、ラムブトリ通り沿いのバンコクでは中クラスのホテルで、取り立てて趣が有るわけではない。

 三階建てで、おおよそ五十程度の客室が真ん中のプールを取り囲むように建っている。

 この一帯は、後に「バッグパッカーの聖地」と言われるようになる「カオサン通り」を含めて静謐な住宅街が広がっている。

 菱丸商事のタイの現地法人、菱丸タイランドの事務所は、このホテルから南東方向に七キロほどの日系企業が多く集まるビジネス街にある。

「すみません、アセアンってご存知だと思うんですが、東南アジア諸国連合と言ってこの八月に設立総会みたいのをバンコクでやる予定なのです。その前の段階の準備会合とかでインドネシア、シンガポール、マレーシア、フィリピンの関係者が大挙して来ているんです。お陰で、事務所近くの道路の渋滞が益々酷くなって困っています。もし空いたら事務所近くのホテルに移っていただこうと思っています」

 上手な日本語でスイットが答えた。

「そうらしいですね山崎君がそう言ってました。でも、この辺りは王宮とか有名なお寺が近くて便利じゃないですか。そうそうこのホテルシャワーが水だけだけど、タイでは普通ですか?」

「えっ!すみません。タイは水だけと言う所が多いみたいで……」

 山崎は大きな体を小さくして謝った。やや舌足らずの話し方に特徴があり、体が大きく無骨なのと対照的で憎めない。

「左右田さん、すみません。お湯の出るホテルも無いことはないですが、殆どは水だけなんです」

 スイットも申し訳なさそうだ。

「いや、この暑さだもの水だけでも別に問題は無いよ」

 左右田はそんな事だろうとは思っていたが、なにせ東南アジアは初めてで、ただ話題として面白いなと思って聞いたまでであった。

 三人は一階の深紅の絨毯を敷き詰めたロビーを抜けた。

「このホテルは、五年前の一九六二年に出来た比較的新しいホテルなんです。王宮近くにあまり宿泊施設が無いって言うんで造ったらしいんですけど、客は西洋人が多いですね。最近はベトナムでの戦争が激しくなり始めているんで、米軍の関係者も増えて来ているようです」

 山崎が、ロビーのソファーに腰掛けている四、五人の観光客風のアメリカ人らしい年寄の男女を見ながら言った。

 アイロンのきいた真っ白なタイ式の詰めえり風の制服と、ひさしの無い白い帽子をかぶった十二、三歳ぐらいのドアボーイが開けてくれるドアを通ってロビーから外へ出た。

 ドアボーイは先に走って行き、山崎がホテルの前で待機させていたらしい車のドアを開けた。満面の笑みを浮かべ笑いかける少年の歯の白さと洗いざらした真っ白な制服が、日焼けしたその顔をきりりと引き立てている。

 左右田はこの少年にチップをあげようか一瞬迷ったが、山崎もスイットも全く気にかける風も無く、左右田に車に乗るように促したのでそれに従って乗りこんだ。


 太陽は既に仏塔の向こうに落ち、それまでひときわ輝いていた金色の仏塔は、赤紫の夕焼けを背景に影絵となっている。この時代のバンコクは高い建物と言えば「宗教」の象徴であるワット(寺院)だけで、現代の「経済」の象徴である高層ビルはまだ数えるほどだ。


「バンコクはほんとにそんなに良い所かい?」

 左右田は、昼間よりは幾分気温が下がった生暖かい空気に当たりながら山崎に聞いた。

「左右田さんのいたロスとは別の意味で良い所ですよ。物価は安いしアヤ(お手伝い)さんは二人、それに運転手、庭師、門番がいて生活には全く困りません。幸い、僕も女房も辛いものが好きでタイ料理も全く苦になりませんしね。

 所で左右田さん、昨日の午後はアポが無かったですけど、どうされたんですか?すみません、ローカルのワイ君に任せっきりで。ちょっと問題が有ったものですから」

 左右田はどんな問題か気になったが、今夜は日本の合弁相手の現地法人の社長も来ると言っていたので、後で聞くことにした。

「いや、ワイ君が案内してくれると言ってくれたんだが、ホテルのレセプションで貰った地図を見ながら王宮やワットプラケオ(エメラルド寺院)を一人で見て回ったんだよ。いやはや結構暑かったけどね。

 ほら、メナム川って言うのかい、サナムルアンとワットプラケオの間の道を真っ直ぐ行った所に桟橋があって、渡し船みたいな船が発着していてね。

 いかにもタイの物流の大動脈と言うだけあって、様々な荷物を運ぶ船がゆったりと行き交っていたけど、見ているだけでとてものんびりとした気分になれたよ。

 そうそう、そのサナムルアンって言う大きい広場で凧を揚げている人たちや、何人かが円陣を組んで、籐で作ったみたいな直径十センチちょっとくらいのボールを、蹴鞠の様に蹴って、五メートルほどの高さの玉入れみたいな籠に入れたりする競技をしている人たちがいてね。籠に入らずに外れた球を地面に落とさず結構器用にまた蹴り上げて、籠に入るまで続けていてさ、つい見とれてしまったよ」

「はい、それはフープと言ってセパタクロー(籐製のボールを蹴ると言う意味)の一種ですね。週末になるとサナムルアンではサンデー・マーケットが開かれるんですよ」

 スイットが、助手席から嬉しそうに解説した。

「そう言えば桟橋から川沿いに少し行った辺りで、布切れを胸の所まで巻いた女の人が川に浸かって頭を洗っていてさ、僕が珍しそうに見ていたんだろうと思うけど、その人は水浴びが終わると僕を見るとなんとニコッと挨拶をして、何食わぬ顔をして階段を上って家に入って行ったんだよ」

「そうでしたか、川の水を沸かして飲んだり、顔を洗って歯を磨いてと言うのは、水辺では普通なんです。日本ではメナム川と言っているみたいですけど、正式にはメナム・チャオプラヤと言うんです。

 左右田さんがご覧になられたあの広い川の部分は、実は十六世紀の半ば頃に掘った運河なんです。当時、チャオプラヤ川は今の川向うのトンブリ地区全体を取り囲むように西に大きく蛇行していてあの広い川の辺りは地続きだったんですって。

 ちょうど耳の形の様になっている耳の根元の二キロあまりの所を運河を掘ってつないだんです。よく自然現象で本流同士がつながってしまって、蛇行した部分が半月湖として残るというのを日本でも教科書で習ったと思います。

 ここでは、人工的に残されたトンブリ側の半月部分はだんだん土砂で埋まり細くはなってしまいましたが、今でもまだまだ重要な交通網となっているんです。私はそのトンブリに住んでいるんですよ」

 スイットの日本語は時々発音が変になるが、きわめて正確で、舌を巻く上手さだ。

「そうかー。スイットさんはそうすると船で通勤しているんですか?」

 左右田は助手席のスイットに聞いた。

「ええ、バスでチャオプラヤ川まで行って、船でワット・アルン(暁の寺)の近くのバンコク・ヤイと言う運河に入って少し行った所に両親と一緒に住んでいます」

 スイットは嬉しそうに答えた。


 スイットは比較的裕福な華人の家の出で、バンコクの高校を出てから日本の文部省の奨学金試験に合格し、国立東都大学で電気工学の修士をとった。ちょうどスイットの帰国と軌を一にして、亜細亜紡績のタイでのポリエステル工場立ち上げ計画が具体化し始め、亜細亜紡績から是非立ち上げに協力してほしいと依頼されたのだ。

 結局スイットはお国の工業化のためと思いタイに帰国後、タイ亜紡ポリエステル社に入社したのであった。

 彼は、タイ人スタッフの中で唯一日本語が出来る事から、タイ側と日本側の間に立って通訳もこなしたり、若いながらもタイ人スタッフを取りまとめたりと大忙しである。


 ホテルを出て十分もすると日はとっぷりと暮れ始め、車は暗いクロン(運河)に沿って走っている。橋のたもとで店をひろげている食い物屋の屋台のアーク灯が、大鍋から出る湯気の中で揺れていた。

 バンコクの夜は暗かった。

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