第2話 素質

 耳が痛くなるほどの絶叫を響かせた恒良つねながは、気づけば異空間の片隅で佐京さきょう達に背を向けて丸くなっていた。飛永ひなが光廣みつひろが呼びかけてもまともに返事をせず、佐京さきょうの言葉には人違いだと返す始末。

 恒良つねながからすれば、友人に会いたくない場面で佐京さきょうに会ってしまったのだろう。そう考えれば佐京さきょうにも今の彼の気持ちは推察できる。恐らく穴があったら入りたいといった気持ちか。しかし『恒良つねなが』と呼ばれて返事をしただけでなく、佐京さきょうの名前を呼んでおいて人違いは無理がある。

 恒良から少し離れた位置に立ち尽くす佐京は、恐る恐る声をかける。


「お、おーい恒良つねなが……そろそろ普通に喋ろうぜ。そのー、いつまでも丸まってんのは……良くないんじゃないかな?」

「人違いだ! 俺はあんたの言う琴ヶ浜ことがはま恒良つねながじゃない!」

「えっ、俺、苗字で呼んだっけ」

「あ」


 自分の首を絞めるような言動に、しまったと表情を強ばらせた恒良つねながは、数秒後顔を伏せる。

 恒良つねながの味方のようなメンバーも、どうしたものかと困惑する。恒良つねながに声をかけ、励まし、フォローすることで彼に立ち直って貰おうとするが、効果の程は感じられない。

 そして、少し離れた所でそんな様子を見ていた与市よいちは、眉間に皺を寄せ舌打ちをすると冷たく言い放つ。


「……冷めた」

「へ?」


 声を聞き取った佐京さきょうは自然と与市よいちに目を向ける。その先ではひどく冷ややかな色の目をした与市よいちが、手にしていた銃を煙のようにくゆらせて消滅させた。更に服装を着物からブレザーに変化させて、鮮やかなオレンジ色の髪を落ち着いた黒へと変化させていく。

――変身した? いや、戻ったのか?

 佐京さきょうは、まるで妹が観ているアニメの変身シーンような光景に思わず目をみはり、つい短く驚きの声を上げた。

 どこにでもいる学生の姿へと変身した――いや、戻った与市よいちは、そんな佐京さきょうの声に反応することなく、ただ軽蔑したような目を恒良つねながに向けた。


「バカみたいだな、そいつ。知り合いに見られた如きでそんなことになって。ほんと、愚図だ。白側の魔法使いは……皆そんなやつなのか?」

「……それは言いがかりだ。上桝谷うえますや与市よいちくん」


 苦々しく吐き出された与市よいちの言葉に、飛永ひながが不満げに言い返す。いざという状況に備え槍を構え、変わらぬ戦意を向けていた飛永ひながだったが、当の与市よいちは彼の意思を無視して傍らの狼へと声をかける。


「……帰ろう、ネグロ」

「おいおい、吉織よしきの為に一人くらい殺しておいたほうがいいんじゃないのか?」


 狼が口にした『殺す』という単語に、一瞬飛永ひなが達の空気が重くなった。佐京さきょうもただならぬ空気を感じ取り息を飲む。ここでようやく狼の存在に気づいた佐京さきょうだったが、存在にも話していることにも驚いている場合ではないことを感じ取り、溢れかけた声を抑え込む。

 一方で、狼――ネグロの言葉に一瞬動揺した与市よいちだったが、振り返ることもなく言葉を続ける。


「……流石に、4対1は厳しい」

「ほう、それは確かに」


 与市よいちの反応に頷いたネグロはあっさりと同意して、徐に歩く相方の後を追う。一人分の靴音と一匹分の足音が遠ざかり、五人の中にそれを引き止める者はいない。ただそれぞれ複雑そうな面持ちで与市よいちの背を眺めていただけだった。

 姿が見えなくなって数秒、徐々に空気が緩み、佐京さきょうを除く四人の服装と髪色も次第に変化していく。白い上着や派手な髪色から見慣れた学生服や落ち着いた髪色へと姿を変え、手にしていた武器は一旦消えたあと傘に形を変えた。

 場所も、妙な異空間から街並みへと変化し、今立っている場所は通学路の途中にある公園だと理解する。馴染んだ場所に戻れたことに、静かに安堵の息をいた。

 いつの間にか雨足はかなり弱まっていた。パラパラとした小雨で、人によっては傘を差さずとも良いと判断するような降り方だ。空の薄暗さなどから、予想以上に時間が経っていた可能性を考えたが、時間よりも先に気にするべき事を思い出し、慌てて飛永ひながたちに頭を下げる。


「あ、あの、助けてくれて、ありがとうございました……! すみません、ちゃんと言わなくて……」


 本来ならば恒良つねながの様子に言及するよりも先に助けてくれた礼を言わなければならなかった。彼等のおかげで与市よいちに殺されずに済み、頬の怪我も治っている。決して小さくない罪悪感を胸に、純粋な礼と謝罪が遅れたことを合わせて、飛永ひなが光廣みつひろに対して深く頭を下げた。

 対して飛永ひなが光廣みつひろは何でもないことのように微笑んで言葉を返す。


「あぁ、いいんだよ別に。あれが俺たちの役目なんだし」

「そうだよ。助けられて本当によかった! まぁ、君がまさか恒良つねながくんの友達とは思わなかったけどね」


 そこで言葉を区切って、光廣みつひろは丸く大きな瞳で恒良つねながを見た。その先では顔を隠すように傘を差す恒良つねながが立っており、話しかけるなと言わんばかりのオーラを発している。彼に何かを言おうと口を開いていた光廣みつひろだったが、その空気に気圧され苦い笑みとともに口を閉じた。

 続いて凛とした声を発したのは、手持ちスマートフォンで時間を確認していた飛永ひながだった。彼は、ポケットにスマートフォンをしまって佐京さきょうへと向き直る。


佐京さきょうくん、だったっけ」

「あ、はい、そうです」

「今回は大変な目に遭ったし、怖い思いもしただろう。でももう大丈夫だから、今回のことは忘れてほしい」

「あ、あぁ、はい……」

「簡単に忘れられないって思うかもしれないけど、深く考えなくてもそのうち忘れるから安心して。もうわりと遅いし、気を付けて帰ってね」

「……はい」


 飛永ひながの言い方に、どこか違和感を抱きながら、佐京さきょうは言われた通り公園を後にしようとお辞儀をしてから身を翻す。恒良つねながとは全く話せていないが、今はそっとしておくべきなのだろう。ここで無理に話さずとも明日学校で普通に話せたらよいのだから。

 そう思って歩き始めたその時、足に何か柔らかいものが当たったことに気づく。同時に聞こえたのは『イタッ』という甲高い声。もしかして遊んでいた子供にでもぶつかってしまったかと不安をよぎらせつつ足元を見てみると、そこにあったのは丁度サッカーボールくらいの大きさの、丸いもこもこした白い塊だった。

――なんだこれ。

 佐京さきょうが首を傾げていると、その塊からにょき、とひづめが飛び出す。白っぽい足を地面につけて、塊から小さなヒツジの顔を突き出した。そしてつぶらな瞳を瞬かせると、佐京さきょうを見上げてかわいらしい声で喋りだす。


「なにをするの、イタいじゃないか!」

「……は?」

「ちょっと! 『は?』じゃないよ!」


 憤慨する塊が発した声は、先程聞こえた甲高い声と一致する。ならさっきの声はこの塊が発した声ということだろう。足元にいる塊はヒツジのマスコットのように見える。それなのに喋ったという状況に目を丸くした佐京は、恐る恐る確かめるようにそれを掴み上げる。


「な、なんだこれ、だ、誰かのおもちゃか……?」

「おもちゃ!? シツレイな! ボクはおもちゃじゃないよ!」

「えっ……!? しゃ、喋った!?」

「しゃべるオオカミはほぼスルーしてたのに、いまさらボクにオドロくのかい!?」

「えっ!? あっ、あれは、その、気を回す余裕がなかったというか……」


 両手で持ち上げたヒツジが、可愛らしい目をつり上げて手足をばたつかせる。その光景に更に目を見開いたり、しどろもどろに返答したりする佐京さきょうに慌てて飛永ひながが声をかけた。


「ブラン! ごめんごめん、びっくりしたよねふたりとも。えっとな、佐京さきょうくん。その子はおもちゃじゃないんだ」

「えっと、じゃあ、これ、なんです?」

「俺たちのことを助けてくれる友達、だな」

「友達……」


 飛永ひながの言葉を繰り返しながら、佐京さきょうは持っていたヒツジ――ブランを手渡した。それを優しく受け取った飛永ひながが白い頭を優しく撫でると、ブランは表情を柔らかく崩す。しかし数秒後、丸い瞳をはっとさせたかと思うと、手をわたわたさせながら声を上げた。


「――って、ナでられてるバアイじゃなかった! ダメだよヒナガ! カッテにカエらせたら!」

「なに、もしかして佐京さきょう君……」

「そう、そうだよ! カレはボクたちのナカマになれるソシツがある!」

「えっ、本当に!?」

「そうなの!?」


 慌てた様子のブランの声に、少し離れたところにいた光廣みつひろもついつい反応する。声には出さなかったが、眼鏡の少年が驚いたように佐京を見て、俯いていた恒良つねながも顔を上げた。四人の視線が一心に集まり、佐京さきょうは少しの居心地悪を感じながら、ブランの言葉を思い出す。

――仲間? 素質? よくわかんねぇけど、俺もさっきみたいな格好して戦えるかもしれないってことかな……?

 まだなにも詳しいことは教えられていないのに、そんなことを考えて僅かばかりの羞恥心を抱きながら、またブランの声に耳を傾ける。


「うん、サキョウはきっとリッパな『白い魔法使い』になれるよ! だから、もしよかったらハナシだけでもきいてほしいんだ!」

「…………ア、ハイ」


 笑顔のブランに気圧されて頷いた佐京さきょうは、とりあえず場所を変えようと言った飛永ひながの提案を受けて、彼の自宅に移動することにした。

 その前に、まだ誰も正式に名乗っていないことに気づいた光廣みつひろが声をあげる。


「ちょっとまって、まだ誰もちゃんと名前言ってないよね? 移動する前に一応名前くらいは言っとかないと」

「あぁ、そういやボクもちゃんとナマエいってなかったね。ボクはブラン、よろしくね」

「あ、五太代いたしろ佐京さきょう……です。惣塚そうつか中の二年です」


 ぎこちなく名乗った佐京さきょうに続いて、光廣みつひろが右手を差し出しながら溌剌はつらつとした笑顔で口を開く。


「改めまして、僕、格由かくゆい光廣みつひろっていいます。光廣みつひろでいいよ! 君と同じ惣塚そうつか中の三年で、さっきは青い髪だったんだけど、覚えてるかな。よろしくね!」

「は、はい、もちろん覚えてます。怪我治してくれてありがとうございました」

「いいよ別に、気にしないで!」


 光廣みつひろに合わせて佐京さきょうも右手を差し出すと、細腕の割に力強い握手をされ、そのままぶんぶんと大きく手を振られた。元気な人だなと思いながら手を離す。続いて、ブランを抱えたまま飛永ひながが口を開く。


「あ、俺は仁藤佐にとうさ飛永ひなが。俺も惣司そうつか中の三年。さっき槍持ってて頭オレンジだったやつね。そんでこの子が――」


 光廣みつひろ同様、先程の特徴を合わせて口にした飛永ひながは、話に入れず見ていただけの眼鏡とそばかすの少年をちらりと見やる。視線に気づいた少年は、びくりと肩をいからせたあと、まるで何かに怯えるように小さな声を絞り出した。


「…………自分は、その……江流えりゅう由衛ゆえ……です。一年、です。…………黄色、です……」

江流えりゅうくん、か。よろしくな」

「……はい」


 にこりと笑みを向けた佐京さきょうの言葉にこくりと頷いて、由衛は少し距離を置く。人見知りな性格なのだろうか。視線も足取りもうろうろさせながら、やがて飛永ひなが光廣みつひろの後ろにつく。

 とりあえず彼の名前が分かったからいいかと考えながら、佐京さきょうは未だに離れた場所にいて、またも傘で顔を隠している恒良つねながに足を向ける。『話しかけるな』と言わんばかりの空気感はかなり収まっているように見えたため、緊張感を胸に声をかけた。


恒良つねなが。……なんかよくわかんねぇけど、俺も、なろうと思えば仲間になれるんだって」

「…………そうだな。無関係じゃなくなった」

「だからその、えーっと、そろそろ普通に喋ろうぜ。変なこと言ってたならそこは、謝るからさ」


 まだ薄暗い空の下。小さな雨粒が頭に当たるのを感じながら、ゆっくりと彼に声をかける。

 見られたくないところを友人に見られた恒良つねながの気持ちは察するにあまりあるが、あれからだいぶ時間も経過した。彼も も冷静さを取り戻したことだろう、そろそろ普通に言葉を交わしたい。

 佐京さきょうの気持ちは通じたのか、顔が見えるように傘の位置を調整した恒良つねながは、気まずそうに言葉を発する。


「別に……謝られる必要はない。……それに、その、謝るのは俺のほうだ。……人違いだのなんだの、騒いで悪かった」

「別にいいって。逆の立場なら俺もめちゃくちゃ恥ずかしくて騒ぐだろうし」

「……そうか」


 佐京さきょうの返答に恒良つねながは僅かに表情を緩めると、同時に彼が纏っていた空気が一変した。ほっと胸を撫で下ろしたのは佐京さきょうだけではない。飛永ひなが光廣みつひろ由衛ゆえも安心した様子で二人を見ていた。

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