モノクロウィザーズ

不知火白夜

第1話 遭遇

 その日は朝から生憎の雨だった。

 朝の登校時に玄関から見上げた空の色は僅かに灰色がかっており、パラパラと小雨が降り注いでいた。薄暗い空を己の黒い瞳に映した五太代いたしろ佐京さきょうは、どんどん強くなる雨の中ひとり学校へと向かった。

 一日教室で授業を受ける最中もずっと雨は降り続けていて、午後になるにはゴロゴロと黒い空に稲光が鮮烈に走るようになっていた。

 教室から雷に対して驚きや悲鳴を上げる声が聞こえる。特に女子生徒の悲鳴がきゃあきゃあと響く。佐京さきょうは雷よりも悲鳴の方に驚きながら、苦い顔で雨の音を何となく聞いていた。


 下校する生徒や部活動に向かう生徒たちで賑やかな放課後。学生服姿の佐京さきょうは黒いショートヘアに生じた謎のハネを直しながら、別クラスの友人、恒良つねながと部活へと向かう。

 琴ヶ浜ことがはま恒良つねながは、所謂いわゆるキラキラ系とはまた違う珍しい名前をもつ幼馴染である。分かりやすい優等生の彼は、勉強だって部活だって殆ど手を抜かない、佐京さきょうとは全く違うタイプだ。

 そんな優等生な彼は、当初佐京さきょうにつられて美術部に入った。絵を描くことが好きな佐京さきょうとは違い、さほど絵に興味がなさそうな恒良つねながが入部したことは意外に思った。しかし生来の真面目さ故にか黙々と製作に取り掛かる彼は、次第に良きライバルができたように思っていた。


 二人で雑談をしながら複数の生徒とすれ違い、美術室の戸を開けた。そこにいたのは数名の女子生徒と、二年生の男子生徒。彼等は入ってきた佐京さきょう達に目を向け、それぞれ挨拶を口にしたり、視線を戻したりした。


「こんにちは、お疲れ様です」

「こんにちはー雨すごいな」

「よぉ五太代いたしろ琴ヶ浜ことがはま。ほんと、朝から雨すげぇよな」


 生真面目に挨拶をした恒良つねながと違い、佐京さきょうは、近くの席で絵筆とパレットを広げる同級生の男子に軽く声をかけた。続けて席に荷物を下ろし、スケッチブックを用意していく。少し離れた席に着いた恒良つねながも、自分のスケッチブックを取り出す。現在は市の作品展に向けてそれぞれ作品を制作しており、佐京さきょうは同級生と雑談をしながらも、描きかけのページに鉛筆を走らせた。



 それから数時間後。下校時刻であるという放送を耳にした部員達は、区切りのいいところで手を止め片付け始める。

 佐京もスケッチブックに滑らせていた鉛筆を置いて、大きく伸びをした。

 スケッチブックの紙面には、鉛筆で描いた下書きがいくつも並んでいる。まだ期間はあるため何度も描き直すことは問題ないのだが、こうもしっくりこないのは嫌になってくる。明日また頑張ろうと気持ちを切り替えた佐京さきょうは、鞄を手に恒良つねなががいたであろう席へ振りかえった。


「おーい恒良つねなが、一緒に……あれ、恒良つねながは?」


 ついさっき放送がかかったばかりなのに、もう彼の姿が見当たらない。あまりの早さに思わず驚きの声を上げると、近くにいた同級生が言葉を返す。


琴ヶ浜ことがはまなら、さっきスマホ見てめちゃくちゃ急いで出て行ったぞ」

「えっまたか。ならしゃーないか。ありがと。なら俺帰るわ」

「うん、じゃあな」


 教えてくれた同級生に礼と別れを告げて、佐京は一人で昇降口に向かう。

 以前もこういうことがあったな、とぼんやり思い返しながら靴を履く。

 ここ最近の恒良つねながは、何も言わずに勝手にひとりで帰っていることが多い。急いでいた様子という証言からなにか大事な用事でも入ったのだろうが、黙って帰られると少し残念な気もする。

――せめて一言言ってくれりゃいいのに……。

 何においても真面目である恒良つねながらしくないなと思いながら、佐京さきょうは傘を差し、大雨の中へ踏み出した。


 アスファルトの上に大粒の雨が降り注ぎ、道のあちこちに大きな水たまりができている。極力それを踏まないよう気を付けながら、自宅までの道を歩く。

 雨音、車道を走る車の音、通り過ぎる学生たちの話し声などをぼんやり聞き流しながら歩く。そうすると、頭の中は今現在プレイしているゲームのことでいっぱいになっていた。あの敵はどう倒そうか、どの武器を使えばいいのか、キャラは誰にすればいいのか……そんなことを考えているうちに、ふとおかしなことに気づいた。周りの音が消えているのである。

 最初は、考え事に没頭したせいで周りの音が聞こえていなかったのだろうと思った。しかし我に返り周囲を見回しても、なんの音も聞こえない。いや、それよりもおかしいのは風景だろうか。一見いつもと変わらぬ通学路だが、壁や道の色や形状が、普段とは大きく異なっている。ぐにょぐにょとうごめく地面に、歪な突起が生える壁。見上げた先はドーム状のように覆われており、雨は止んでいた。


「……なんだ、これ」


 突然怪しい場所に迷い込んだ佐京さきょうは、声を震わせながら、ひとまず傘を畳む。そして、最近見たアニメの異空間を連想し、まるで傘を剣に見立て遊ぶ小学生のように傘を構えてみる。


「……謎の世界に巻き込まれた主人公って、こんな感じか……?」


 恐怖にバクバクと心臓を高鳴らせながら、独り言ち、歩きにくい道を歩く。視界に妙なものが映る度に傘を下ろしたり構えたりしながら、震える足でなんとか前に進む。これは夢か現実か。夢ならなんてときに見ているのだと内心で自嘲した。

 それから数分後。相変わらず不気味に静まり返る異様な風景に囲まれながら歩いていた佐京は、背後より何者かの足音を耳にする。

 気がふれそうな程の静寂の中やっと聞こえた音は、まるで救いのように感じられた。すぐさま振り返った佐京は、その先にいた人物の姿に目を丸くする。

 何故なら、黒い袴を身に着け、オレンジ色の短髪を整えた一人の少年が、狼のような謎の動物を連れていたからである。ここがなにかのイベント会場ならともかく、普段、袴姿の少年なんてなかなか見ることはないだろう。髪色と傍らの妙な動物の存在も相俟って、まるでコスプレのようで、声をかけていいのか悩む。思わず、傘を持つ手に力が入った。

 すると、佐京さきょうの数メートル手前で袴姿の少年が足を止め、佐京さきょうに目を向けた。冷たい瞳が佐京さきょうを刺し、その場に足を縫い付ける。反射的に傘を構えた彼の前で、少年は視線相応に冷たい声を、異様な空間に響かせる。


「……お前、どこから入った」

「え、えっと、気づいたら、ここにいて……」


 びくりと肩をはねさせた佐京さきょうは、裏返ったような声でなんとか言葉を返す。

 それを聞いた少年は、そう、と小さく言葉を返し、続けて右の掌に煙を纏わせた。

 何をしているのか理解できない佐京さきょうの前で、少年はあっという間に黒光りする拳銃を形成し、両手で構え、目をつり上げる。


「……まぁいい。どこから入ったとしても関係ない。君にはここで死んでもらって、吉織よしきさんの勝利に貢献してもらう」

「は、はぁ!?」

「運命だと思って、諦めろ。いいじゃないか、吉織よしきさんのためになるんだから、光栄だろう?」

「……いや、誰だよそいつ……。つか、それ、下ろしてくれませんかね……? 偽物でも、なんか、怖いんですけど」


 傘を下ろし腕にかけ、恐る恐る両手を上げてか細い声を絞り出した。その言葉がかんに障ったらしい少年が、ピクリと眉をひそめ舌打ちをし、躊躇ちゅうちょなく軽く引鉄ひきがねを引いた。ダァンと激しい音がして、佐京さきょうの真横を通り抜け風圧で頬と髪を傷をつけた。思わず目を見開き息を飲む。


「っ……!?」


 少年の足元にはコロコロと薬莢が転がり、何故かゆっくりと霧散する。その様に一瞬で理解した。彼が持つ銃は決して偽物ではないと。空薬莢が消失するという怪現象は起きているものの、これは本物だと。

 突然突きつけられた現実に、サァ、と血の気が引いていく。衝撃と恐怖から腰を抜かし尻もちをつく佐京さきょうの前で、少年は冷淡に再装填し言葉を続けた。傍らでは狼のような動物が低い声を響かせる。


「偽物じゃなくて本物だ。分かっただろ」

与市よいち、魔力の無駄遣いをするな」

「悪い。でも、一発二発撃つくらいいいだろう。こいつで補給する」

「そうか、ならいいんじゃないか」


 長い尻尾を揺らした動物は、どうでもいいように呟き、与市よいちと呼ばれた少年から距離を置く。与市よいちは依然として冷たい目を佐京さきょうに向けて、再度銃を構えた。

――あ、これ、俺死んだわ。

 佐京さきょうは、目の前で起きていることがきちんと理解できている自信がなかった。目の前で袴を着た少年が銃を構えていることを目の当たりにしてはいるが、その傍にいる狼のような動物すら視界に入っていなかった。

 しかし佐京さきょうは直感する。自分はここで撃たれて訳も分からず生を終えてしまうのだろうと。立ち上がって逃げようにも体に力が入らない。血の気が引いて体がガクガクと震えた。胸の内では明るい調子で言っているが、同じような口調で言葉にする余裕は全くない。

 ただ、なんとなく家族や友人のことを思い浮かべ、これが走馬灯かなどと漠然と考えながら、全てを受け入れるように強く目を瞑った。

 直後、大きな音が聞こえて終わったと確信した佐京さきょうだったが、いつまで経っても痛みは来ない。動揺しながら恐る恐る目を開いた先には、自分を守るように、円形のなにかが展開されていた。

 

「……は?」


 理解できぬ光景に目を丸くする。ひとまず自分は助かったらしいとは分かったが、この円形のものが何なのか、何故それの手前で弾丸が止まっているのか。なにも分からない。正面では与市よいちが悔しそうに顔をしかめており、佐京さきょうの背後から複数人の足音と声が耳に届く。


「みっちゃん! どう!? 間に合った!?」

「大丈夫だよ、ひーくん! さっきの子は無事みたい!」


 名前を呼び合いながら慌てた様子でやってきたのは、中学生くらいの男子二人。鋭い目つきとオレンジの髪が特徴的な少年と、青い髪をもつ童顔の少年は、白を基調としたジャケットを羽織って佐京さきょうの傍らに立つ。続いてオレンジの髪の少年は、手にしていた長い槍の柄で軽く地面を叩き、佐京さきょうの前に広がっていた円形のものをドーム状へと変化させた。


「みっちゃん、この子怪我してないか見てあげて。俺は、そいつを何とかするから」

「分かった! えっと、君、大丈夫? ちょっと待っててね」

「あ、あぁ……はい……」


 みっちゃんと呼ばれた青い髪の少年は、薙刀のような武器の柄で床を叩き、何かを書くように指先を動かした。途端にドームの外に青い光が広がって、頬の怪我があっという間に治っていく。


「これで大丈夫。ちょっとそこで見ててね」

「……はい」


 穏やかな声に押されて自然と頷いたが、佐京さきょうの脳内は相変わらず混乱していた。

 とりあえず命の危機を脱したことは理解したが、だからといって落ち着けるわけもなく。槍や薙刀を持った少年だとか、今自分を覆うドーム状のなにかとか、正直ついていけない。夢なら覚めろ、謎のコスプレ会なら帰らせてくれと考える佐京さきょうの前では、ひーくんと呼ばれていた少年と与市よいちが火花を散らす。

 放たれた銃弾や投擲とうてきされた槍をそれぞれ円形や四角形の板のようなもので防ぐ。荒っぽい言い争いなんかも展開され、あの二人は決して友好関係にないのだと理解し始めたその頃。新たに耳に入った声と名前に、佐京さきょうは驚いた。


飛永ひながさん! 光廣みつひろさん! 無事ですか!」

恒良つねながくん、よかった、君も無事だったんだね……」

「はい、俺も、加勢します!」


 聞き馴染みのある声に、よく知った名前に思わず目を丸くする。恒良、ツネナガと彼は呼ばれた。武将や中高年以降の男性のような名前だが、力強く言い切った声は幼く、佐京さきょうがよく知る友人を思い起こさせる。

 恐る恐る目を向けた先には、装飾の多い白いジャケットに緑のスラックス、そして何故か髪が緑色になっている少年がいた。手に輪の様な大きな武器を持つ彼は、どう見ても、数十分前まで同じ美術室で部活動に励んでいた恒良つねなが本人だった。

 

「…………あ、つ、恒良つねなが……?」

「えっ?」


 驚愕するままに喉を震わせると、緑髪の少年が佐京さきょうへと振り返る。その相手はやはりどう見ても恒良つねながで、佐京さきょうに気づいた彼は、わかりやすく硬直する。


「やっぱり、恒良つねながだよな? …………えっと、なにしてんの……?」

「……えっ、さ、佐京さきょう……?」


 佐京さきょうの名前を口にした恒良つねながは、直後ハッとして顔を逸らすと、徐に何歩か後ろに下がり始めた。同時に妙な空気が二人の間を支配する。

 戦闘していた与市よいち飛永ひなが光廣みつひろと呼ばれた少年二人、恒良つねながの後を追ってやってきた黄色の髪と眼鏡が印象的な少年も、この空気に気づいたか足を止め、妙な空気の根源に注目する。


「あー、もしかしてその子、恒良つねながくんの友達? だったの?」


 飛永ひながが恐る恐る問うと、青い顔を晒した恒良つねながは、まともに返答もせず耳をつんざく悲鳴をあげる。

 それは、飛永ひながの問いを肯定しているようなものであった。

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