中央アジアの高原にて
増田朋美
中央アジアの高原にて
中央アジアの高原にて
寒い日だった。とにかく、雨が降って、寒い日だった。こうあまりに寒い日と、春みたいに暖かい日が交互にやってきて、その落差が激しいので、体調を崩してしまう人も、続出していると、ニュースでやっていた。新聞にも、体調にはくれぐれも注意という記事が、盛んに乗せられている。どこかの国では、おかしな伝染病が流行っているというし、どうも最近の気候は、おかしくなっておりますなと、年寄りたちは、口々に言うのだった。
その日も、製鉄所では、水穂さんが、ブッチャーにご飯を食べさせてもらっていた。二口、三口までなら何とか食べてくれるのに、それ以上になるともういいと、顔をそむけてしまうのだった。
「またですか。」
ジョチさんが、様子を見にやってきたが、ブッチャーは困った顔をする。
「はい。どうしても、食べてくれないのです。俺、どうしたらいいんですかね。」
ジョチさんは、ブッチャーの顔をそうだな、という顔で見た。
「もう、水穂さん、毎日毎日、こうしてご飯を食べさせている、俺の身にもなってください。毎食のたんびに、こういう風に、ご飯を食べないんじゃ、俺は、どうしたらいいんですかねえ。」
返事の代わりに、水穂さんは、軽く咳き込んだ。もうブッチャーもこうなれば、何が起きるか知っている。急いで、チリ紙を出して、水穂さんの口元に当てた。やっぱり、チリ紙は赤く染まる。
「もう、必ずこうなっちゃいますな。やれやれ、いつものパターンだよ。」
ブッチャーは、水穂さんの顔についた内容物を拭きながら、そういうことを言った。
「そうですねエ。もうちょっと、食事をしてほしいという気になってもらいたいものですがね。ブッチャーさんの苦労、お察しします。」
ジョチさんが、実業家らしく、ブッチャーにそういっていたくれたけれど、ブッチャーは、ため息が止まらなかった。
丁度このとき、
「おーい、水穂、いるかあ?」
と、玄関先で太い男の声がきこえて来るのだった。
「あれ、誰ですかねエ。ちょっと、見てきます。」
ブッチャーは立ち上がって、玄関先にいった。
「どちら様ですか?」
と、ブッチャーが、玄関先に行くと、
「俺だよ。親友の広上だあ。」
と、コンダクターの広上鱗太郎が、そこに立っていたのだった。
ジョチさんは、水穂さんに薬を飲ませて、あおむけに布団に寝かせてやって、次は必ず、ご飯を食べてくださいね、なんて言っていた所であった。とりあえず、食べたのはたった少しか、と、ため息をついて、枕元の片づけをしたりしていると、
「頼むよ、五分だけでいいからさあ、俺にも話をさせてくれよ。本当に、困ったことが起きて、俺も困っているんだからさあ。」
と、どかどかどかと廊下を歩いてくる音がして、鱗太郎がブッチャーと一緒にやってきた。
「もう、広上先生。いくら偉い先生でも、安静というのは、守ってもらわなければなりません。もう、水穂さん疲れ切っているみたいですから、今日は寝かしておいてやってください。」
ブッチャーがそういっているが、鱗太郎は、それを無視して四畳半にやってきた。水穂さんは、そのうるさい足音を聞いて、目を覚ました。ジョチさんが大丈夫ですかと言ったが、水穂さんは、寝たままではいけないと思ったのだろうか、よろよろと布団のうえに座った。ブッチャーは、急いで水穂さんに半纏を着せてやった。
「水穂さんいいんですか?無理しないでくださいよ。もし、疲れたようであれば、すぐに言ってくださいね。」
ブッチャーが言うと、水穂さんは黙って、頷いた。
「よう、水穂。ずいぶんげっそりとやせてしまったじゃないか。それじゃあ、まるで棒みたいだ。お前きちんと食べてないだろう。こういうときは、食べることが商売だと思ってな、一生懸命食べるのが先決だ。でないと、周りの人たちに、申し訳が立たんぞ。」
と、鱗太郎はドカッと、水穂の隣に座った。
「なあ、一寸聞いてくれよ。音楽やってて、こういう事があってもいいのかどうか、俺、わかんなくなってきちゃった。」
と、鱗太郎はそういう。
「何があったんですか。広上さん。こういうことがあってもいいなんて、音楽バンドで何か、トラブルでもあったんですか?」
ジョチさんが、そう聞くと、
「理事長さんさすがですねエ。よくわかってくださいますな。実は、こういうこと何です。今年から、吹奏楽の指揮を任されましてね。ちょうど、前任指揮者が、老齢のため、俺が、後継者に指名されたんですが。」
と、鱗太郎は、落語家みたいに語り始めた。
「そうですか。しかし、市民の吹奏楽団というのも、色いろありますけれども、どこの吹奏楽なんでしょうか。」
と、ジョチさんが、相槌を打つ。
「ああ、富士の富士見台というところで活動している吹奏楽団だ。人数は、30人前後と、比較的少ない吹奏楽団なんだが。」
「ああ、あそこですか。確かに、僕もホームページで見たことがあります。そこは高齢者ばかりのバンドではなくて、比較的若い人も、多くいるバンドのようですね。」
「そうなんだ。アマチュアバンドというと、年寄りが暇つぶしにやってしまうという事が多いんだが、この吹奏楽団はまだ、現役のサラリーマンとかもいる。そういう訳で、なかなか個別の練習ができてなくて、なかなか全員合奏にすると、曲にならないという問題もあるが、、、。」
と、鱗太郎は、話を始めた。
「其れで、俺は、30人では碌な曲をやれないと思ったので、すぐに団をもっと大きくする必要があると思ったんだ。調べてみると、金管が多くて木管が比較的少ないので、それでは、有能な木管奏者を、募集しようという事になって、スーパーマーケットの掲示板とか、図書館の掲示板などに、奏者募集と描いたポスターを貼り付けて、募集したんだ。」
なるほど、つまり団員募集という訳か。
「そうですか。で、誰というか、楽器は何を募集したんですか?」
水穂さんが聞くと、
「ああ、特に、吹奏楽の華と言われている、クラリネットが、人数が足りなすぎるといわれるほど足りないので、クラリネットを緊急募集した。それはホームページを見ればわかると思うけど。」
と、鱗太郎は答えた。
「確かに、クラリネットは吹奏楽で言うと、バイオリンに相当しますからね。それが足りないとなると問題でしょうね。」
ジョチさんが、そう話をまとめた。
「で、そのクラリネットを緊急募集したところ、三日後にさっそく、入団希望者が現れたんだ。富士市内に住んでいる男性で、名前を、大山重行さんという人だ。」
さすがにインターネットだ。情報をすぐ出せば、そうやって、応募者がすぐに現れる。
「その、大山重行さんに、俺はすぐに練習場所である、富士見台公民館に来てくれるようにメールを送った。練習日は、土曜日だ。なので、彼は、指定した時間通りに、富士見台公民館にやってきてくれた。」
鱗太郎はそういう。
「で、何が起きたんですか?何かトラブルがあったとか?」
ジョチさんがそういうと、鱗太郎は一つため息をついた。
「ああ、ここからだよ。彼に公民館に来てもらって、俺は、入団の誓いのあかしとして、彼に、みんなの前で自己紹介するようにお願いしたんだ。大山さんは、今まで会社ばかりやっていましたが、何となく趣味が欲しくなり、学生時代にやってきた、クラリネットを持ち出してきました、と、自己紹介をした。俺が、みんなの前で、一曲吹くように言うと、彼は、へたくそだけど聞いて下さいと言って、ボレロのソロ部分を吹いた。」
「ボレロ?」
ブッチャーが聞くと、水穂さんがラベルのね、とそっといってくれた。
「其れがな、うまいんだよ。すごい上手でな。音大生も顔負けというくらいうまい。はああ、と俺も暫く、ものがいえなかったよ。」
と、鱗太郎は言った。確かに、素人ではありながら、ものすごいうまいという人物は、意外にいるものである。ピアノのサークルなんかもそうだけど、時折そういう事をやってくれる素人が現れてくれるときがあるのだ。
「其れで、文句なしに、大山重行さんは、このバンドに入団することが決まったんだ。俺たちは、彼のクラリネットの上手さを称賛して、彼に中央アジアの高原にてという曲の、ソロを吹いてもらうことになった。練習はうまくいっているんだけどさ。」
鱗太郎は、あーあ、とため息をついた。
「その大山重行と、クラリネットの奏者である女性で、白石英子という女性がいるんだが、これが、どうしても音色が合わず、いま困っているのさ。白石英子は、そのバンドで、最も音色が良いとされていて、評判のクラリネット奏者だったそうだが、彼女と、大山の音楽性が合わず、今、二人を合わせるのに、めちゃくちゃに苦労しているんだよ。」
鱗太郎は、また頭をかじった。
「まあねエ、人間は、どうしても嫉妬というものを持っていますからねエ。それが、人間の原動力になるって言った心理学者もいたんですよ。だから、しかたないことだと思うしかないじゃないですかね。」
ジョチさんが、鱗太郎の話にそういうが、鱗太郎はため息をついた。
「でも、音楽っていうもんはよ。バラバラじゃやっていけないんだよ。音楽は、誰でも一丸となってやるような姿勢でやらなくちゃ。そうでなければ、音楽ってのは出来ないんだ。」
鱗太郎がそういうと、
「まあ、プロのオーケストラとかそういうところでない限り、そういうことは起こるんじゃないですか。でも、完全にいじめだとわかったら、指揮者としてガツンと言ってもいいと思いますよ。指揮者というのは、オーケストラには最高のリーダーですからね。それだけ権力の大きな仕事だと思われますし。」
と、ジョチさんが、そういうことを言った。
「そうだよなあ、理事長さんありがとうございます。というか、水穂、お前も何か意見を出してくれ。同じ音楽家として、お前の意見を聞きたいんだ。俺は、そのために来たんだよ。」
鱗太郎はそういうが、水穂さんは、もう座っているので精いっぱいで、返答なんかできるはずがないのだった。
「おい、頼む、お前もなんか意見してくれよ。理事長さんばかりで、お前の意見はないのかな?」
鱗太郎が水穂さんの肩をたたくと、水穂さんは激しく咳き込んだ。ブッチャーが、あ、水穂さん、と、急いでその背中をたたいたりして、吐き出すのを手伝ってやったりする。ブッチャーが、急いで口にタオルをあてがうと、タオルは、朱い液体で染まってしまった。
「あーあ、こりゃだめかあ。水穂、お前も早く何とかしろ。今の時代だったら、暫く辛抱すれば、きっとなおしてもらえるよ。昔ほど、怖い病気ではないんだから。お前もすぐに、病院へ行くことだな。」
そんな、有様を見て、鱗太郎は、そういうことを言った。もし、本当にそういうモノであったらいいのになあ、とブッチャーは思った。でも、偉い先生であることは間違いないから、そういう文句は言えないなと思った。あーあ、俺も杉ちゃんみたいに、口がうまく成ったら、そういう事を言えるのになあとがっかりする。水穂さんを布団に寝かせるのを確認すると、鱗太郎は、じゃあな、と言って、四畳半を出て行った。
その数日後の事。鱗太郎が、さあ、練習を始めようか、と、田子浦公民館にやってきたときの事である。例のクラリネット奏者である、大山重行の姿がなかった。多分、電車かバスでも遅れているのではないですか、とみんな言っていたが、数分後二人の男性がやってきた。なんだか威圧的で、普通の人ではなさそうな人たちだった。二人はすぐに、警察手帳を見せたので、この人たちは刑事さんなんだと鱗太郎も、メンバーさんもすぐにわかった。
「一体何でしょうか。警察の方がなんの用ですかね。」
鱗太郎が、みんなを代表して、刑事さんにそういうと、
「はい、皆さんは、大山重行さんという方をご存知ですね。」
と、刑事さんは言う。
「はい、大山さんなら、最近うちのバンドに入ってくれた、クラリネットのメンバーですがね。」
と、鱗太郎が言うと、
「そうですか。実はですね、大山重行さんが本日、自宅で遺体で発見されました。遺書の類は見つかっていませんが、私どもは、部屋の状況から、自殺と断定しています。その動機を調べるためにこちらに来させてもらったんですがね。」
と、刑事がそういう。こういう職業の人だからこそ、タンタンと言えるのかも知れないが、普通の人であれば、まず、口に出して言う事すら、難しいのではないかと思われた。
「ちょっと待ってくださいよ。遺体で見つかったって、どういうことですか。もうちょっと、詳しく教えてください。」
鱗太郎が急いでそういうと、
「ええ、自宅のカーテンレールで、ぬれたストールで首をつっているところを、家賃の支払いを催促に来訪した、マンションの大家が発見しました。特に、近隣に親戚が住んでいるわけでもないことは、マンションの大家により、明らかになっております。」
と、刑事は答える。すると、優しそうなフルートを吹いているメンバーが、
「まあ、あんなに上手だったのに、近隣に親戚などどこにもいなかったんですか。それでは、ずいぶんかわいそうじゃありませんか。」
といったのを皮切りに、大山さんのお別れをしたい、という声が次々に上がった。それほど、大山重行という人は、ものすごくクラリネットが上手だったという事になる。刑事が、大山がどんな人物だったか聞くと、すごく熱心で、かつ人にやさしい人だったとメンバーさんたちは、次々に答えた。
そして、あれよあれよとメンバーさんたちは、大山重行のお別れの会を開こうと、話をし始めた。刑事さんが、葬儀は親戚の方がすると言いかけると、せめてお線香でも上げようと言う。結局、クラリネットパートのメンバー全員と、吹奏楽を代表して鱗太郎が、大山重行の下へお悔やみに行くという事になった。
刑事さんから、大山重行の親族の家を教えてもらい、鱗太郎はクラリネットパートのメンバーさんを引き連れて、その家に行ってみた。もう、その日は葬儀も終わっていて、重行の遺影と位牌が仏壇に乗っているだけになっていた。重行の親族は、もう形見分けは済んでしまったが、このクラリネットだけは、周りに吹けそうなものもいない、誰か貰ってくれないかと懇願した。確かに、クラリネットはクランポンの高級品で、さほど古いものでもなく、処分してしまうのはもったいない。それなら誰かに吹いてもらったほうがいい、と、彼の親族はそう言った。まあ確かにそれもそうだなと思って、鱗太郎は、クラリネットパートのメンバーに、誰かほしい人はいないか、と尋ねたところ、メンバーは、ここは、不仲ではあっても、パートリーダーの白石さんがもらうのが一番だといった。そこで、白石英子が、そのクラリネットを、自身の物として、持ち帰ることになった。勿論、マウスピースだけは、自身のものを使わなくてはならないが、それはしかたないと、親族もわかってくれた。
そしてまた数日後、製鉄所に鱗太郎がやってきた。その日は何時もの堂々とした態度ではなくて、何となくしょんぼりした、悲しそうな感じだった。
「どうしたんですか。広上さんらしくありませんね、いつもなら、もっと強そうな顔をしているのに。」
と、とりあえず応答したジョチさんが、鱗太郎にそういうと、鱗太郎は大きなため息をついて、ドカッと縁側に座るのであった。
「い、いやあ。それがなあ、あの、俺が期待をしていた、大山重行という人が、なぜかわからないけど、突然逝ってしまって、、、。」
「そうですか。何か具合でも悪かったんですかね。それとも、交通事故とかそういことですか?」
鱗太郎は、ジョチさんに話すのも気が重かった。
「いや、そのどちらでもないんだ。なぜか、自ら逝ってしまうという。」
自殺という言葉は口にしたくなかった。どうしても鱗太郎はその単語は嫌いである。なぜかわからないけれど、容易くホイホイと口に出して言ってはいけない単語だと思う。
「なるほど。確かに、それは悲しいですね。広上さん、ずいぶん期待していましたものね。あの時、中央アジアの高原にてを吹いてもらうんだって言ってたし。」
ジョチさんと広上さんが、二人でそういう話をしているのを聞いて、薬で眠っていた水穂さんも目を覚ました。
「そうなんだよ。さすが理事長さんはよく覚えていられますな。まあ、そういう事なんです。ところが、その、中央アジアの高原にてが、お流れということになってしまって。」
と、鱗太郎はそんな事を言い出した。
「あら、後任のソリストを、見つけられなかったんですか?」
と、ジョチさんが聞くと、
「ああ、一応パートリーダーの女性にやってもらうという事にしたんだがね。彼女が、大山さんのクラリネットを使って、吹いてもらうという事にしたんだが。」
と、鱗太郎は、一寸変なことが起きたという顔をした。
「何ですか?」
ジョチさんが聞くと、
「其れが、その彼女、白石英子さんの演奏が、余りに下手過ぎるんだ。白石さんは、絶対にそんな事はないというが、俺はどうしても、あの曲の雰囲気に合うソロを吹いてもらう事は、彼女にはできないと思った。彼女は楽器が悪すぎる、クランポンより、ヤマハの方が、私には合うと主張したが、ヤマハのクラリネットが、クランポンのクラリネットに勝るという事は、俺は今まで見たことがないので。」
と、鱗太郎は言った。確かに、クラリネットの代名詞的な楽器メーカーはクランポンだ。確かにヤマハという楽器メーカーでもクラリネットを製造していることはしているが、ヤマハの楽器では、音量でも音色でも、クランポンには勝てない。だから、ヤマハのクラリネットで始めた者は、大体が数年後にはクランポンに買い換えてしまうことが多い。
「そうですか、クランポンなら、確かにヤマハに負けることはありませんね。逆にそれを吹きこなせないと、一流奏者とは言えません。」
と、ジョチさんも知識人らしく、そういうことを言う。
「そうだろう。他に、あの曲のクラリネットソロを、上手に吹きこなせるものは、クラリネットパートのほかの誰かを探しても見つからなかったし、そういう訳で、中央アジアの高原にては、演奏はしないという事になってしまったんだ。あーあ、俺、あのバンドには本当に向いている曲だと思ったので、やりたかったのになあ。」
鱗太郎は、また大きなため息をついた。
「たぶんきっと、」
と、水穂さんが細い細い声で言った。
「きっと、クラリネットが、その人に復讐したんじゃないですか。僕も文學に詳しいわけではないですけれども、グリム童話なんかにも、遺体の一部から故人のメッセージが流れて、自身を殺めた犯人に復讐をするという話がよくありますから。」
ジョチさんと鱗太郎は、水穂さんの声を聞いて、後を振り向いた。
「今回は楽器ですけれど、楽器だって、体の一部だと、表現する人はいくらでもいますから。」
ジョチさんが、水穂さんは何を言い出すのかと、変な顔をしたが、
「いや、俺もそう思っている。その線が一番濃厚だと思う。だって、白石さんがあまりにもならないならないと言っていたので、ほかのやつに吹かせてみたが、何も壊れているところはなかったというから。」
と、鱗太郎は言った。ジョチさんはそんな超常現象みたいな話、本当にあるのかなと言ったが、鱗太郎は、きっとそうなっていると思った。人間は生きているんだもの。死んでも、ほかの者の中で生き続けるという言葉もあるくらいだから、きっとそういう事もあり得るはずだ。
「もしかしたら、そのグリム童話のように、彼を自殺に追いやったのは、白石さんだったかもしれないな。」
「いや、そう決めつけてしまうのはどうか、僕は分かりませんが、何か、その大山という人の、メッセージなんじゃないかなと思うんですよね。それだけの話です。」
水穂さんは静かに言った。鱗太郎も、なにか納得した顔をする。今まで一番痞えていたものが、やっと取れたという顔をしていた。ただ、彼女を責めるのはやめておこうと決めた。彼女だって、彼女なりに一生懸命だったのは疑いないのだから。
その日も、想像を絶する寒い日だった。きっと、大山さんも、一人で逝ったとき、こういうくらい寒い人生だったのを嘆いていただろうか。
中央アジアの高原にて 増田朋美 @masubuchi4996
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