第9話
「なるほど、そんなに深刻なのね――」
――シャルロットの、寝室。
巡視から戻った夜、カナは風呂上りの主に報告すると、シャルロットはため息をこぼした。目に毒なことに、ラフなネグリジェ姿であり、湯上りの肌がなまめかしい。
それを意識しないように気を配っていると、シャルロットは眉を寄せる。
「どう、思う? カナは」
「専門家ではないので、言えませんけど――漠然とした違和感を覚えました。なんというか、流行り病っぽくないのです」
「そうなの? でも、テオドールは……」
そう言いかけて、ふとシャルロットは黙り込む。そして、小さく言う。
「流行り病、とは断言していなかったわね……」
「多分、テオドール様も、違和感を覚えていられると思います。だから、あんなに歯切れの悪い回答をしていた――とすれば?」
「一応、テオドールには意見を聞きましょう。その上で、また判断するのがいいでしょうね」
シャルロットはその考えを受け止め、真剣に言葉を返してくれる。
それを嬉しく思う一方で、湿った金髪が揺れるのが見えて、何となく視線を逸らした。
(濡れているだけで、こんなに色合いが、変わるものなんだな……)
不思議と、それだけで、どきどきしてしまうのだ。
カナはその動揺を押し殺しながら、頭を下げた。
「報告は以上です」
「うん、ご苦労様――紅茶、煎れてくれる? お湯、あるから」
「……はい、かしこまりました」
少しだけ戸惑ってしまい、返答が遅れてしまった。部屋の隅にある、ティーセットに歩み寄りながら、はて、と首を傾げる。
(いつもなら、休みなさい、か、下がっていいわ、と言われるのだけど)
「紅茶を飲むと、眠れなくなりませんか?」
「いいの。今日は夜更かししたい気分なの。付き合ってくれる? カナ」
「……構いませんが。珍しいですね」
「たまには、こういう気分になるわよ。そういえば、カナ――父さんが倒れた頃も、こうやってずっと付き添っていてくれたわよね」
「それは――シャル様が、眠られていなかったので。安心すればな、と」
「そうね。カナがいれば、安心できる。今も、そう」
紅茶が煎れ終わる。二つカップを持ち、シャルロットの方へと向かう。
彼女はちょこんとベッドに腰かけて待っていた。軽く肩に上着を羽織り、湯冷めしないようにしながら、紅茶を両手で受け取る。
カナが椅子を取り出そうとすると、シャルロットは首を振って手招きする。
「こっち。座りなさい」
自分の隣をぽんぽんと叩く彼女。カナは苦笑いを浮かべながら言葉を返した。
「昔とは違うのですから――さすがに、無防備ですよ」
「いいの。カナにだけ、無防備だから」
シャルロットはそう言いながらわずかに視線を逸らし、頬を染めて続ける。
「カナだったら――何をされても、私は、いいから……」
その言葉に、カナは思わず言葉を詰まらせた。かあぁ、っと顔が熱くなっていく。思わず立ち尽くしてしまったカナに、シャルロットは催促するように自分の隣を叩く。
それに引っ張られるように、ゆっくりと歩み寄る。気が付けば、隣に腰を下ろしていた。
シャルロットがそっと距離を詰め、肩と肩が触れ合う。
「ありがと。カナ。こういう口実じゃないと、今は勇気が出せなかったから」
隣からのささやきが、耳をくすぐる。どこか甘い香りが漂ってくるのを、カナは必死に自制する。そうしながら――カナは、口を開いた。
「突然、どうしたんですか? シャル様――まさか、変なこと、考えていませんよね?」
「ん? そうねぇ……もし、私がお金のために結婚する、とか言ったら?」
「そ、れは……」
ぐさり、と地味に堪えた。想像するだけでも胸が締め付けられる。
だが、次の瞬間、ふわりと笑い、とん、と肩に軽く何かが載る――シャルロットの頭だ。さらり、とカナの肩を髪が滑り落ちていく。
「冗談よ。ごめんなさい。でも、そういって言葉に詰まってくれて嬉しいわ」
「あ、当たり前ですっ、僕は、シャル様の使用人で……」
「うん、それで?」
その声は、穏やかだった。カナは口に紅茶を煎れ、唇を湿らせる。それから、その言葉をできるだけ自然に押し出した。
「大事な……人です。今も、昔も」
何故か、その言葉がもどかしく感じた。
間違ったことは言っていない。だけど、何一つ、伝えたいという気持ちを伝えられない。勇気が一歩、踏み出せない。
シャルロットは微かに笑みをこぼす。揺れた髪が肩口をなぞる。
「うん、ありがと。カナ。いつも一緒にいてくれて、感謝しているわ――だけど、それと同じくらい、今は怖い」
「怖い、のですか?」
「うん、これは、私のわがままなんだけどね」
そっと彼女は頭を持ち上げる。不意に肩が軽くなり、熱が逃げていく感触がする。
シャルロットは隣に並んだまま、紅茶を一口。そして、押し出すようにして言葉を続ける。
「貴方が、いなくなってしまう――そんな、未来が」
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