第8話
ローゼハイム領は、七割が平原という、実に農作に向いている土地である。
気候も温暖湿潤であり、ハイムの街の周りには、三十以上の農村が点在している。大体、暮らしている人は十人から二十人ぐらいだが、村々の交流も盛んである。
その間で、連携を取り持っているのが、農協組合――それの長であるのがノームである。
「いやぁ、カナくんも巡視に加わってくれるとはありがたいです。収穫時期と、その見込みを計算しなければなりませんからねぇ」
「ええ、こちらの用事が済んだら、お手伝いはしますよ」
ノームの操る荷馬車に相乗りさせてもらいながら、カナは頷いて応じる。
品のいい笑顔を浮かべたノームは、うんうんと頷く。
「カナくんは、本当に優秀ですからねぇ。商工組合ばかりではなく、私たちにも知恵を貸してもらいたいものですよ。キミの知識は、農業に役立てるべきです」
「あはは、残念ですが、辺境伯様にお仕えしているので」
「全くつれませんねぇ……まあ、いいです。見えてきましたよ、カナくん」
ノームは御者台から前を指さす。へぇ、とカナは視線を上げる。
目に入ったのは、小さな村だ。建物の五件ほどしかない。集落、といっても過言ではないかもしれない。傍には広い畑が広がっている。
今回の巡視は、街に近い村々だ。元々、領地も手狭で、横断するのに半日もいらないのだが、それでも早い。
「いい馬を、使われているのですね」
「分かりますか。いやぁ、さすがはカナくん。ウチの秘蔵っ子です」
「急ぎの用事でもあったのですか?」
「いえ、他の馬の調子があまり良くなくてですね。そういえば、騎士団の馬も、あまり調子がよくないそうですが――この子は、いい管理をしているので、しっかり馬力を出してくれているのですよ」
「へぇ――」
馬を見やる。確かに、毛並みがいい。元気に荷馬車を引いている。
「蹄も徹底管理。月に一度はテオドール先生に診てもらっております。その上、餌まで一級品を用意。いざというときは仰ってください。この馬を貸してあげます。その分、お代はいただきますが」
「あはは、商売上手ですね」
そんな会話をしながら、荷馬車が村の手前で止まる。カナとノームが降りると、畑の方から、年若い青年がやってくる。
「やぁ、ノームさん」
「こんにちは、アーサーくん。収穫の日程の話に来たのだが、いいかい?」
「ええ、もう十分な実りですよ。来週あたりに収穫したいですね」
「結構、じゃあ、この日程でどうでしょう?」
「おっす、了解しました。人を集めておきますね」
「こちらも人足を送ります――では、検地を始めましょうか。カナくん、手伝ってくれますか?」
「了解です」
カナは荷馬車から竿を何本か取り出して頷いた。
検地とは、収穫予定量を計算することだ。大体、畑の大きさで予定値は分かっているものの、それを詳細にするために、こうやって竿を使いながら確認をする。
カナは畑周りを駆け、竿を手際よく立てていくと、ノームはそれを見て紙にメモを走らせる。
「ふむ、ここの面積でこれだけだから、総面積で――」
竿の位置と、作物の高さを見比べ、さらさらとノームはメモを書いて頷く。
「はい、カナくん、大丈夫ですよ。竿を回収してください」
「了解しました――しかし、早いですね。どうやっているのですか?」
「この品種の麦は、腰から上に穂を実らせます。下の高さが分かっていれば、上の高さを測れば、自然と分かるものなのですよ」
さすが、この道何年のプロである。さらさらとメモを書き、ノームは微笑んで見せる。
メモをちぎり、それを青年に渡しながら、彼はさりげない口調で訊ねる。
「そういえば、貴方のお父様、風邪で倒れられていましたね。体調はよくなりましたか?」
「ああ、全然ですよ。おかしいっすね、長引いちまって。それどころか、ウチの家内まで最近、体調が悪くて――」
「おや……?」
ノームがちら、と視線をカナに向ける。カナは手早く竿を片付けながら訊ねる。
「やはり、下痢や嘔吐ですか?」
「ん? ああ、そうですね。あと、熱も高いです」
「――見せていただいてもよろしいですか?」
「いいっすけど……ノームさん、この方は?」
「辺境伯様の使用人です。今回、視察に参加されていまして」
「ああ、そうなんすか、じゃあ、この件も辺境伯さんに伝えてもらえますか?」
「分かりました――ノームさん、後片付けをお願いします」
「はい、では、アーサーくん、案内して差し上げてください」
「了解です。こちらですわ」
青年はそう言いながら、家の方に歩いていく。それに案内され、カナは村の中を歩いていく。村は木造りの小屋が立ち並んでいる。
最近、商人が来たのか、商人が使う木箱が置いてある。
「あれ、商人が来られたのですか? 先売りですか?」
「ん? ああ、違いますよ、道具とあと、安い穀物があったので買っただけです。えっと、クロッツェ商会、だったかな?」
(ん? クロッツェ?)
どこかで聞いた名前だ。思考を巡らせ、ふと思い至る。
関所の書類から、シャルロットが見つけ出してきた商人の名前だ。
「あ、でも、ノームさんには内緒でお願いしますよ。あの人、農協の息がかかっていない商人の取引にはうるさくて――」
「ああ、まあ……それは、仕方ないですね」
クロッツェ商会は、商工組合に所属している。
農協組合は、そうではないフリーの商人に主に卸し、ハイムの街には自分たちで売りに行く。その辺の融通を利かせれば、多分、お互い儲けが出ると思うのだが――。
やれやれ、とカナと青年は揃ってため息をこぼした。
「全く、年上の意固地には困ったもんですね」
「まあ、年長者を立ててやって、自分たちの代になったら変えていきましょう」
「そうっすね――ああ、ここです。執事さん。親父、帰ったぜ」
青年は家の扉を開け、中に入っていく。その中に入ると――饐えた匂いが鼻をついた。青年の後に続き、土間から部屋を覗き込むと、中では一人の男性が寝たきりになっていた。
やせ細ってしまい、小さく震えている――大分、衰弱しているようだ。
その傍にいた、若い女性が視線を上げ、微笑む。
「貴方、おかえりなさい――あら、その方は?」
「辺境伯の使用人さんだってよ。体調を悪くしているから、見舞いに来てくれたんだ」
「すみません、失礼します――どうですか、調子は」
「……あまり、よくありません。今朝から、あまり食事も喉を通らなくなって――」
「そう、ですか」
息を少しだけ止めるようにして、傍に寄る。唇は渇いており、震えが止まらないようだ。大分、重症である。頷きを一つし、視線を青年に向ける。
「下痢や嘔吐は?」
「今は落ち着いているっすけど……物を食べると、戻しちまって」
「そうですか。ひとまず、水だけはしっかり飲ませてください。飲めなくても、唇は渇かないように濡らして差し上げるだけで、大分違います」
「分かりました。そう致します――けほっ」
そう答えた女性の顔色も悪い。軽く咳き込んで、頭を抑える。
青年は気遣うように傍に屈み、背中をさすった。
「休んでいろ、って」
「ですが、貴方、もうすぐ収穫ですよ……?」
「大丈夫だって、ノームさんも人をよこしてくれるから」
二人の会話を聞きながら、重苦しい気分になる。
この時期で体調を崩すのは、死活問題になりうる。収穫が間に合わなければ、農作物の納品も間に合わず、収入が激減する可能性もある。
(いや、それどころか――冬に入ったらここも寒くなる。体力が持つかどうか……)
そういう意味でも、この問題は早めに解決せねばならない。
それを決意しながら、カナは頭を下げる。
「すみません。お邪魔致しました――この件は、必ず辺境伯にお伝えします」
「ああ、頼んだぜ。執事さん」
「よろしくお願い致します――」
その若き夫婦の言葉を聞きながら、カナはその家から辞していった。
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