第6話

「そう、やっぱり徐々にだけど、病気が広がっているのね」

 その日の屋敷の応接間にはテオドールとノーム農協組合長がいた。

 就任パーティーから一週間が経ち、意見を聞くべく、シャルロットが二人を呼んだのであった。ええ、と頷き、テオドールは厳しそうな表情を見せる。

「街の中でも少しずつ広まっているのか、私の診療所にもそういう症例の患者が増えております。ただ、こうやって私のところに来られるのは、ごく一部でしょうな」

「ええ、農村部では深刻な場所もあります。この前行った場所では、村の三分の一が病に倒れており、よろしくない状況かと――」

「農村部は医者もいないし、第一、お金もないですからね……」

 ノームの言葉に、カナは頷く。シャルロットは眉をひそめ、少しだけ唸る。

「こうなると――本格的に、流行り病なのかしら。テオドール」

「……医師の観点からすれば、そう申し上げたいです。ただ、ひどい風邪という症状の見方もあるので、何とも申し上げづらいです」

 テオドールは曖昧な言い方をする。いや、そうせざるを得ないのだろう。

 大げさに言えば、街に損益を与える話なのかもしれない。しかも今は、ただでさえ、収穫前の大事な時期なのだ。商人がいなくなれば、大変な損益だ。

 シャルロットは頷き、ノームの方に視線を向ける。

「ノーム農協組合長。貴方の意見は?」

 曖昧な問いかけだったが、ノームは聡明な顔つきで一つ頷く。

「……農民の間では、まだひどい風邪、という認識ですな。ですが、徐々に感づいてきている人もいます。また――商工の事情には明るくないですが、そちらでも徐々に流行が来ている様子です」

「――そう。なるほどね」

 シャルロットは真剣な表情で頷き、二人に質問を重ねていく。

 それに真摯に受け答えするテオドールとノーム。それをカナは後ろから見守りながら、ふと、頼もしく思う。

(ますます、シャル様は、領主らしくなっている……)

 だんだん、困難を乗り越えるうちに、自信をつけてきたのかもしれない。

 それでいて、彼女はしっかりと聞くところを聞き、自分で判断するところを判断する。少しずつ、彼女は頼もしくなっていた。

「分かったわ。貴重な意見、ありがとう」

 二人の言葉を聞き、シャルロットは微笑んで頷いた。

「その意見を参考にするわ。ありがとう――カナ、二人を見送って差し上げて」


 意見交換会が終わり、シャルロットは執務室を戻り、ふぅ、と吐息をつく。

「――流行り病。どうにかなればよかったのだけど、こういうときに限ってどうにもならないのね」

「起きてしまったことは仕方ありません。お嬢様。紅茶を、お煎れしましょうか?」

「お願い――ごめんなさいね。カナ。またこき使ってしまって」

「いえ、それがお役目ですので」

「ううん、できれば貴方には早めに休みを回したかったのだけど……」

 シャルロットは申し訳なさそうに眉を寄せる。カナは首を振って笑う。

「僕としては、シャルロットお嬢様の傍でお控えしていたいですから。たとえ、休みの日だとしても」

「……そう? じゃあ、今度の休みの日に一緒にお出かけ、する?」

 ふと、不自然な間の後に、ぎこちない声で小さく訊ねてくるシャルロット。カナは手元のティーセットに集中しながら言葉を返す。

「いいですね。お荷物持ちでもしますよ」

「あはっ、ありがと……よかったぁ」

(そんなに安心しなくても、いつでも買い物ならご一緒するのに)

 カナは内心で苦笑いを浮かべながら、丁寧に紅茶を二人分煎れる。それを持ってシャルロットに差し出す。彼女は受け取ると、一口つけてから言う。

「カナ、貴方も少し休憩にしなさい――ゲオルグの代わりに、いろいろ見ているから疲れたでしょう?」

「いえ、ゲオルグ様が休みの前に仕事を終わらせていただいたので大丈夫ですよ」

 今日はゲオルグが公休を取っている日だった。

 レックスの死後以来、ばたばたして使用人たちは休みを取れなかったので、順番に休暇を回しているのだ。

 シャルロットの言葉に甘えて、カナも紅茶を飲んでいると、彼女はため息をこぼして背もたれに背を預ける。さらり、と肩の上を長い金髪が滑った。

「しかし、流行り病ね……領主としては、どういう対応が取るのがいいの?」

「基本的に、領主から領民に通達し、注意を促す、というのが一般的な流れです。疫病などになると、騎士団などに要請し、隔離などを行ったりします」

「――あまり、直接的な手段は取らないのね。医者を手配するとか、薬を配るとか」

「そういう前例はありませんね。特効薬が発覚していれば、それを手配することもありますが、基本的に民間頼みの動きが多いです」

「……そっか。別に、それを悪く言うつもりはないけど……」

 釈然としないように、シャルロットは小さくため息をつく。

「各々注意を促すだけで、行政機関としては何も手を打たない、というのは何か筋違いじゃない? 私たちとしては、民を守らないといけないのに」

「仰る通りです。ただ、予算がかかりすぎてしまうのです」

 カナはカップを置くと、シャルロットの後ろに回る。彼女は軽く頷き、お願い、と小さく告げる。カナは頷き返してその肩に手を置いた。

 その凝り固まった肩をほぐしながら、言葉を続ける。

「一度、ある都市で流行り病が流行したとき、女王は騎士たちに命じて人々を隔離。その上で、医者を手配して検診を行わせました。そのときに使用された金貨は千枚以上と言われています」

「せ、千枚……っ!?」

「その都市は経済特区で、万人規模で人がいましたし、動員された医師も百人以上いたそうです。その速やかな政策により、流行り病は未然に抑えられました。それに、金貨千枚程度であれば、国家規模ならすぐに賄えてしまうのです。それに、この大規模検診のために、女王は貴族に協力を要請していましたから」

 予算の半分以上は貴族や商人による寄付で賄えたらしい。

 その一年後には、しっかりと税を多めに徴収しているので、抜け目のない話だ。

 だが、それは大規模な都市や国だからできる話なのだ。

「このローゼハイム領は、都市が二つ。一つはグラムの街、そこが500人ほど。もう一つがここ、ハイム。これが900人。そして、各村集落が点在して600人――数が少ないです。その上、一か所に固まっていない」

 一か所に固まっていなければ、もちろん、病は広まりにくい。

 だが、医者が診ることが同時に難しくなってくるのだ。

 カナはシャルロットの肩をほぐしながら、少し考え込んで告げる。

「そう、ですね。少なくとも、グラムに10人、ハイムには20人、各集落を回る医師が20人として、せめて50人の医師を手配しないといけません。その助手も含めれば最低でも100人。彼らを一か月雇うとして、金貨が50枚は必要になります。その上で、道具代、場所代、運送代、薬代、隔離が必要になればその人足代――金貨はおよそ100枚必要になると考える必要があります」

 もちろん、これはどんぶり勘定で、ざっと考えただけだ。

 抑えるところを抑え、計算し直せば、多分、直観だが80枚くらいには抑えられるはずだろう。だが、実際、それでも莫大な資金だ。

 それを担うことをしっかりと考えなければならない。

「テオドール様の見方でも、ひどい風邪の症状、と捉えることも可能だと仰っていました。ここで大袈裟にすれば、逆効果になり、街から人がいなくなる可能性もあります」

「そうね……あ、首、もう少し押してくれる?」

「はい……ただ、シャル様」

「ん? 何かしら」

 少しだけ迷う。この言葉を、言ってしまっていいのだろうか。

 シャルロットは、カナに全面の信頼を置いている。だからこそ、カナは無責任な言葉を言ってはならない。しっかりとわきまえるべきだ。

 だけど――それでも。

(シャル様は、僕に『ただの使用人』ではないと言ってくれた)

 だから、カナは息を吸い込み、はっきりと告げる。

「どんな選択をしたとしても、僕はシャル様の道を応援します――たとえ、どんな選択肢でも、止めたりはしません」

「……ふふっ、ありがと。そう言ってくれると、気が楽になるわ」

 少しだけの沈黙の後に、シャルロットは嬉しそうに言葉を返す。ほのかに朱に染まった耳から視線を上げ、肩を優しく揉みほぐしていく。

 そうして、しばらくの静けさの中で――小さく、シャルロットは告げる。

「ねぇ、カナ」

「はい? なんでしょうか」

「今、このときにも、病気に悩んでいる人たちが、いるのよね?」

「そうですね。苦しんでいる人たちがいます」

「――なら、私の選択肢は、一つだわ」

 シャルロットの言葉に、カナは手を止める。その手に、そっとシャルロットは手を載せ、はっきりとした言葉で告げる。


「大規模検診を、行うわ」

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