第7話
その後、一週間ほどは使用人一同、ハイムの街の中を奔走した。
農協、商工、騎士団、全ての組織に根回しを進め、地方通貨の発行を宣言。告知のビラを配ることで関心を振りまいていった。
商工も新しい試みに好意的で、流通の協力を申し出てくれた。
それの中、ついに完成された地方通貨が、ハイムの街の中で使用が始まった。
その中で――シャルロットは、別の作業に忙殺されていた。
「ふうぅ、やっとこれで十通目――」
「お疲れ様です。紅茶を煎れたので、休憩にしましょう。お嬢様」
ぐったりと机に突っ伏す主に、カナは優しく微笑みを浮かべながら、その前に紅茶を置く。彼女はうう、と呻きながら少しだけ顔を上げ、その紅茶を突っ伏したまま飲む。
「――お行儀が悪いですよ」
「カナまでそんなこと言わないで。サーシャのお小言だけで充分。それに、昔、一緒に厨房で盗み食いした仲じゃない」
「まあ、それは昔ですから――お手紙、失礼しますね」
それ以上、小言は言わずに、彼女が書き上げた手紙を取り上げる。
それは辺境伯就任のパーティーの招待状だ。こつこつと葬儀の後から書いて送っていたが、まだもう少し量があるのだ。
「残りは――あと十通ですね。今日中に終わらせてしまいましょう。お嬢様」
「楽に言ってくれるわよねぇ」
「申し訳ございません。ですが、まだやることはありますので」
調度品のリストのチェック。仕入れる品のルート。臨時の料理人や給仕の手配。パーティーに向けて、まだまだやることはたくさんあるのだ。
半分、机に突っ伏すようにして、ずずず、と紅茶を啜るシャルロット。
それを横目に見ながら、仕方ない、とカナは少し苦笑いを浮かべる。
「シャル様、少しだけ身体を起こして下さいますか」
「ん? いいけど」
呼び方が変わったので、お小言でないことを察したのだろう、シャルロットは背筋を起こす。カナはその後ろに回り込み、その肩に手を添えた。
そのまま、親指で優しく小さな肩をほぐしていく。
「あ、ああぁ……いい、それぇ……」
「ん、やっぱり凝られていますね」
「ああぁ、カナのマッサージ久しぶりぃ……」
固く凝り固まった肩の筋を、力を入れすぎないようにほぐしていく。掌で温め、指先で何度も指圧するようにして、ゆっくりとほぐす。
次第にシャルロットは、背もたれにぐったりと体重を預け、目を閉じて吐息をつく。
その顔がどこか色っぽくて、何となく視線を逸らしていると、シャルロットがぼんやりした声で訊ねてくる。
「ねえ、カナ、今、ハイム通貨ってどんな感じなの? 上手く流通している?」
「はい、よく出回っています。サーシャさんも、市場に出て行って使用されているのを確認していました。想像以上に、街のみんなから受け入れられていますね」
「そう、よかったぁ……あっ、そこっ、もっと強くぅ」
「はい、ここですね?」
首筋に指を当て、ぐりっと押し上げると、ぞくぞくと彼女は身震いする。
「あああぁ……気持ちいい……んっ、それで、予算の方は……」
「はい、きっかり銀貨が2000枚分確保――金貨が66枚くらいですね。税金分を引くと、金貨65枚弱にはなりますが……それでも、十分な予算が確保できています。産業推進の意味もかねて、ハイム通貨の増刷を、ゲオルグ様と協議しています」
「そう……それは、ゲオルグもいるときに聞こうかしら。んっ、そこ強め……ああ、いいわ……ちなみに、何枚くらい増やすつもり?」
「そうですね、急に増やすと、インフレの可能性もあるので、200枚くらい、という意見で一致しています。もっと増やしてもいいかもしれませんが、ゲオルグ様はさすがに慎重ですね」
「本当に、頼りになるわ。二人とも」
ちなみに200枚増やすだけでも、金貨33枚ほどの予算が確保できる。もちろん、物価が高騰しないように補助金などを適宜出して、調整を行わなければならないだろうが。
「あ、それとステラさん経由で、ルカ様からのご要望で――ハイム通貨を欲しがっておられるそうです。為替で、金貨三枚いただいたので、ハイム通貨を送らせていただきますね」
「うん、いいわよ……ありがたいわね、こういう形で支援してくれるのは。ルカ・ナカトミ辺境伯は、書状でも私のこと、気にかけてくれていたし……あぁ……」
背中の方に手を当て、背骨に沿って指圧すると、彼女は色っぽい吐息をつく。
「あとは――辺境伯就任のパーティーを無事にこなせばいいだけです……ふぅ」
少しだけ吐息をつくカナ。最近、働き詰めのせいか、疲れが出てきている。
だけど、シャルロットの気持ちよさそうな顔を見ていると、手は抜きたくない、と思う。しっかりと丹念にもみほぐしながら訊ねる。
「どうですか? 仕事できそうですか?」
「うーん、もう少しだけ……あぁ、気持ちいい……もっと強く……」
「刺激が強いんじゃないですか? こんなにぐりぐりしたら」
「いいの、もっと激しくしてぇ……ああ、効くうぅ……」
「これが終わったら、仕事してくださいね?」
「いじわる言わないでよぅ……ここまで来てぇ? 私の身体は、カナなしじゃ生きていけなくされているのに……ケチ。意地悪」
「じゃあ、揉んで差し上げますので、仕事を一緒にやりましょうか」
「いいわね、それ。カナを味わいながら、お仕事できる、なんて……あふぅ……」
シャルロットは少しだけ視線を直しながら、ペンを取り――ふと、遠慮がちなノックが響き渡る。視線を上げ、彼女は訊ねる。
「どうぞ、入って頂戴」
「し、失礼します……だい、じょうぶですか?」
おずおずと入ってきたのは、サーシャだった。何故か頬を赤らめ、中を伺うようにしている。カナはシャルロットの肩から手を放し、首を傾げる。
「何がでしょうか。サーシャさん」
「いや、二人のお邪魔していないかなぁ……って」
「別に、特段何も……?」
カナとシャルロットは顔を見合わせる。サーシャはつんつんと人差し指を突き合わせながら、まだ顔を赤らめている。
「その、お嬢様の気持ちよさそうな声が、外まで漏れていたから、その……」
「……え? あ、あれはただのま、マッサージよっ!」
シャルロットは泡を食って言うが、サーシャは控えめに微笑み、首を振って言う。
「気にしなくてもいいんですよ。お嬢様。特殊なマッサージでも、別に」
「さ、サーシャ!」
「……サーシャさん、からかうのもそこまでに」
「あら、残念。シャルちゃんのかわいいところ、もう少し見たかったのに」
くすっとサーシャは笑って朗らかに言う――やっぱり、からかっていたようだ。
ううう、と顔を真っ赤にして唸り声をあげるシャルロットを流し見て、サーシャはなだめるように頭を撫でて微笑む。
「でも、シャルちゃん、声は控えめにね。マリーが貴方の声を聞いて、顔を真っ赤にしていたわよ? 『お嬢様とカナさんが部屋でイケナイことしています!』って――」
「……今すぐ誤解を解きに行くべきね……」
シャルロットは頬を赤らめたまま、ため息をこぼす。つられて、カナも赤面しそうになり、顔を伏せていると――ふと、サーシャは首を傾げた。
「ん? カナくん、少し顔色悪くない? 疲れている?」
「あ、私もそれ少し思ったのだけど、大丈夫かしら。カナ」
「大丈夫ですよ。まあ、確かに少し疲れているかもしれませんが……お役目は、全う致します」
「そう? 無理はしないようにね」
「かしこまりました。お嬢様」
カナは笑いながら軽く一礼する。そう受け答えしながら――そのときは思いもしなかった。
まさか、このときには次のトラブルが忍び寄っていた、なんて。
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