第6話

「上手く行ってよかったです。お嬢様っ」

「ええ、ありがとう。マリー。あとは、ハイムの街のみんなの協力次第よ」

 リヴェル工房との契約を済ませたシャルロットは屋敷に戻り、ささやかながら祝杯を挙げていた。とはいえ、ゲオルグとサーシャは、商工や農協に根回しに行っている。

 カナとマリーは食堂で、シャルロットをねぎらうためにお菓子と茶菓子を出していた。

 マリーは紅茶を煎れながら、わくわくした目つきでカナを見る。

「それで、どれくらいの儲けが期待できるのですか?」

「まあ、一週間ほどでハイム通貨が入荷されます。それが400枚で、これを銀貨5枚の価値として流通させていきますから……銀貨は2000枚。金貨が66枚と銀貨2枚の儲けになりますよ。マリー」

「わあぁっ、それなら、税金分を収めたとしても十分手元に残りますね!」

「何より、ローゼハイムの領内で取引が行うから、運送費用などもかからない。これも地味に美味しいわね……これでもっと予算を確保できないかしら」

「……それは、おやめになられた方がいいと思います。地方通貨とはいえ、これは一応、お金ということになります。それを増やしすぎると――巷にお金があふれて、お金の価値が下がっていくのです。そうなると、物価が高騰していく……インフレ、という現象が起きます。そうなると、逆に民の首を絞める結果になってしまいますので」

「……確かに。ここで調子に乗ってはいけないわね。ひとまず、この500枚で様子を見て、ニーズがあるようなら、量産していく……そんな感じでどうかしら」

「はい、慎重に、慎重を重ねるに越したことはないと思います――通貨として流通させるには、まず人々からこのハイム通貨は銀貨5枚の価値があると、信頼させる必要がありますから。それからでも、話は遅くありません」

 為替や紙幣が、お金として流通できるのも、つまるところその信頼があるからだ。

 この紙切れにいくら、という保証を国や商人がしてくれるからこそ、人々はようやく安心して、その通貨を使用することができる。

 案外、お金というのは、扱いが難しいのだ。

 シャルロットは神妙な顔つきで、うん、と頷いた。

「カナがそこまで口を酸っぱくして言うのだもの。気をつけるわ」

「そうしていただけると――何ですか、マリー。その生温かい視線は」

「失敬ですねっ、カナさんっ、微笑ましい視線と言ってください」

 にこにこと笑って見つめていたマリーは、ぷんぷんと腕を振り上げる。だが、すぐに軽くウェーブのかかった茶髪を揺らしながら首を傾げる。

「そういえば、シャルロットお嬢様とカナさんはなんでそんなに仲がよろしいのですか? 幼馴染、みたいなことは伺っていたのですが」

「ああ、マリーは新参組だから、分からないか」

 シャルロットは軽く手を払い、貴方たちもくつろぎなさい、と合図する。

 それに応じて、マリーは嬉々としてシャルロットの隣に腰を下ろし、カナはそれを見守るように、一歩離れた位置で椅子に腰かける。

「それで、それで、何故なのでしょうか、お嬢様っ」

「慌てないの――話していいかしら。カナ」

「ええ、マリーは信頼のおける子です。どうぞ、お嬢様のお好きなように」

「ありがとう。カナ」

 二人で視線を交わし合い、微笑み合う。きょとんと首を傾げたマリーに視線を向け、シャルロットは思い出すように目を細めて言う。

「カナはね、孤児院から引き取られてきた――いわゆる、孤児なの」

「え……そうだったのですか?」

「ええ、マリーにはあまり話していませんでしたが、そうやってこのお屋敷に入ってきた者です。レックス様には、返しきれない御恩があります」

 その意味では、マリーも同じなのかもしれない。

 マリーも少し特別な事情があり、この屋敷に奉公しに来ている。少しだけ申し訳なさそう顔をしたマリーに、カナは優しく笑いかける。

「気にしないでください。マリー。僕は、この屋敷に来れて、お嬢様のお傍にお仕えできて心から幸せだと思っています。それに、かわいい妹みたいな後輩もできて、嬉しいんですよ?」

「あ、ははっ、カナさんには本当に適わないです。じゃあ、お二人は幼馴染、みたいな感じなのでしょうか?」

「まあ、そうなるわね――最初の頃は、すごく仲が悪かったけど」

「まあ、昔の話ですし、それがあったから、お嬢様とは今、これだけ仲良くさせていただいております。それもいい経験だったかと」

「私からしてみれば、汚点なのよねぇ……恥ずかしいわぁ……」

 シャルロットは思い出しただけで、少し頬を染める。きょとん、とマリーは首を傾げ、意外そうな口ぶりで言う。

「お二人、仲が悪かったんですか?」

「というより、私が一方的に突っかかっていたのよ。初めて、年の近い子と一緒に暮らすことになって――サーシャも前からいてくれたけど、それは本当にお姉ちゃんって感じで」

「今も、お姉ちゃんですけど。サーシャさんは」

「ふふっ、そうね。あの頃のサーシャにはいろいろと面倒をかけさせたわ」

 そういいながら、シャルロットは紅茶を一口飲み、懐かしむように続ける。

「カナは大人しい子でね。いつも書庫で本を読んでいて、どちらかというと礼儀正しい子だったの。それが何となく気に食わないし、だけど、気になっちゃって、いろいろとちょっかいを出しに行っていたの。私、今はこうやってお淑やかだけど、昔はおてんばだったから」

「今はこうやって――」

「お淑やか?」

 カナとマリーは思わず首を傾げてしまう。

 もし、お淑やかだったら、組合長たちを騙したり、勢いだけで行動しないはずだが――。

 そう考えた二人を見つめ、シャルロットはにっこりと笑う。

「お給料、減らされたい? 二人とも」

「マリー、シャルロットお嬢様ほどお淑やかな方はいらっしゃいませんよ。謝りなさい」

「そそそそ、そうですね、カナさんっ、私の目が節穴でしたっ!」

 慌てて震えあがるマリーを見つめ、少しだけシャルロットは苦笑いをこぼす。

「まあ、でも昔の私がおてんばだったのは事実よ。カナに構って欲しくていろいろなちょっかいを出して――でも、カナは愛想が悪くてね」

「それは大変、申し訳ございませんでした」

 ただ、その当時としては、シャルロットに遠慮をしていたところがあるのだ。

 カナは平民の孤児。それに対して、シャルロットは貴族の淑女だ。

 友人として付き合いには、気兼ねをしてしまっていた。そうやって、二人の気持ちがすれ違う中、あの事件が起きてしまった。

「木登り事件が、きっかけ、でしたね」

「う……あまり思い出させないでよ」

「でも、僕たちのことを語るには、欠かせない内容です」

「カナさんっ、木登り事件ってなんですかっ?」

 食いついてきたマリーに苦笑い交じりにカナは答える。

「シャルロットお嬢様が、木に登ったまま、降りられなくなったのです」

「――それを、カナが助けてくれたの」

 飛び降りた彼女を受け止めたカナは、幼いながらに思ってしまった。

 この人の傍に、一緒にいてあげたい――と。

「それから、カナもいろいろと構ってくれるようになって、二人でよく遊んでいたのよ」

 シャルロットは懐かしそうに目を細めて声を弾ませる。その昔話に耳を傾けながら、ふと思う――もう、こんなに経ったのか、と。

(シャルロットお嬢様も、十六歳になられる……)

 普通なら、婚約者ができていてもおかしくない年だ。

 レックスは特段決めず、縁談もまだ早いと蹴っていたが――。

 そろそろ、彼女にもそういう縁があっても、おかしくはない。

(いつか――お嬢様も、お婿様を取られたりする……のかな)

 そう思うと、じくり、と胸が痛んでしまう。ふと、シャルロットの視線がカナの方に向き、少し心配するように眉を寄せた。

「大丈夫? 何か暗い顔をしていたけど」

「……いえ、大丈夫ですよ。お嬢様」

 カナは笑顔を向ける。心の奥の、痛みを押し隠すようにして。

(……僕は、使用人だ。お嬢様がどうしようが、それを応援する……それだけ……)

 自分で言い聞かせるようにしながら、カナは椅子から腰を上げる。

「紅茶のお代わりをお煎れしますね」

「ありがとう。カナ。いつも、世話をかけるわね」

「いえ――僕は、お嬢様の使用人ですから」

 にこりと笑って厨房の方に向かっていく。そうしながら、何となくカナは重苦しい気分でため息をつくのであった。

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