第5話
リヴェル工房は、ローゼハイム家がここに移ってきたとき――つまり、三代に渡って、懇意にしている工房だ。三十人の弟子を抱え、信頼のおける良き彫師たちがいる。
その棟梁、初老の職人、ウーノ・リヴェルは腕組みをして目を丸くした。
「作って欲しいものがある、とゲオルグから聞いていたが……金、だと?」
「正確には、地方通貨――ここ、ハイムで利用できるお金なの。カナ」
工房に交渉へ来たシャルロットは、傍に控えるカナに視線を向ける。
カナは頷くと、メモを取り出して広げて見せる。
「大きさはこのサイズ。表にはローゼハイムの家紋、裏には5銀貨という文字をお願いしたいです。大体、こんな感じになりますね――名付けて、ハイム通貨です」
「ふむ、なるほど――これだけ仕様がはっきりしていれば、作れるが……なんでまた、こんなものを作ろうと? ジャンから、財政が厳しいと聞いていたが……そのせいか?」
「ええ、隠し立てはしないわ。リヴェル工房長。私たちにはお金が必要よ」
シャルロットは隠し立てしない。素直に認めると、リヴェル工房長は少しだけ驚いたように目を見開き、厳つい顔をしかめて先を促す。
「そうやってお金を作るのは、安直かもしれないけど……これは、街のみんなにも、悪い話ではないのよ。貴方たちにとっては、この木彫り細工の宣伝になる。通貨が出回れば、景気もよくなる。そして――これの真価は、外に出たときに発揮されるの」
「外、か? だが、これは地方通貨だろう?」
「ええ、でも物珍しいし、すごく素敵なものだと一目でわかるでしょう? だから、アクセサリー代わりとして、買っていく客もいるはず」
木彫り細工で、アクセサリーを作れば、せいぜい、銅貨数枚の稼ぎにしかならないはずだ。だが、これに貨幣という付加価値をつけることで――ぐっと価値を高められる。
「ただのアクセサリーとして売るよりも、高く売れて、なおかつ目新しい地方通貨として、多くの人の目に留まるようになる。そうすることで、ローゼハイムの木彫り産業が、もっとこのウェルネス王国中に広まる――それって、素敵じゃない?」
シャルロットの屈託のない笑みを見て、リヴェルはつられて笑顔を浮かべた。
「そうだな。確かに面白い話だ。全く、昔からお嬢ちゃんは、そういう夢物語を話すのが、大好きだったな」
「ふふ、リヴェルおじさまも、よく付き合ってくれたわよね」
「あはは、そういうのが嫌いじゃねえんだ……よし、分かった。やってみよう。カナの坊主、ちっとメモを見せてみろ――ふむ」
リヴェル工房長は、ごつごつした大きな手でメモを持ち上げ、目を通す。
「――ちと、細かいな。サイズや寸法まで決まっているのか」
「ええ、これは偽造防止のためよ。さらに、この緻密さをアピールすることで、もっと木彫り細工に焦点を当てることができる」
「なるほど、お嬢ちゃんの夢物語にしては、よく詳細が詰められているな……さては、坊主、お前の入れ知恵か」
「今回は、ゲオルグ様も一緒に考えましたよ……」
「あははっ、お前さんはいつも悪知恵を働かせるからな。だがまぁ、おかげで助かっているさ。あれのアイデアのおかげで、ずいぶん、助けられている」
「カナ、おじさまにも何か知恵を貸したの?」
「いえ、知恵って程ではないですけど……」
リヴェル工房長は、物事に集中するとテコでも動かなくなる。
外が明るいから、と仕事に没頭していると、あっという間に陽が暮れて、他の仕事に手がつかなくなる、と言っていた。
「だから、小僧は、日時計、っていうのを作ってくれたんだ。ほれ」
リヴェル工房長が中庭を視線で示す。そこには、中庭の中心に立つ、一本の木がある。周囲を取り囲むように、数字が書かれている。
木から影が伸び、その数字の一つに影がかかっている。
それを見て、リヴェルは口角を吊り上げた。
「おっと、もうすぐで昼飯時――と一目でわかるようになった。便利だな、ありゃ」
「毎日、同じ時間に日が昇り、日が暮れる習性を利用しただけですよ」
「その知恵がすげえんじゃねえか。なるほどな、通し番号まで振るのか」
「ええ、徹底的に偽造を取り締まります。三の倍数を振る形になりますね」
「三の倍数以外の通貨が出てきたら、それは偽造ってことになるな。ほう、よく考えている」
「それで、今から工房を使って――どれくらいになるかしら」
シャルロットが気になったように口を挟む。リヴェル工房長はふむ、と頷いた。
「木を伐り出すのを小僧共にやらせて、それを俺たちが急ピッチで彫る。一日で一人10枚は彫れて、それがまあ、今手が空いているのが15人いるから――このハイム通貨は、一日で150枚以上は作れるだろうな」
「分かったわ。それを、1枚あたり、銀貨1枚で買い取る」
「ほう、大判振る舞いだな。そうなると、一日金貨が5枚の計算になるが?」
「それで、ひとまず500枚分お願いしたいわ。報酬は、銀貨500枚ね」
「それで、お嬢ちゃんたちがそれを流通させるのか……ふむ」
そこでリヴェルは少しだけ考え込み、やがて口を開く。
「いや、報酬はいらねえ。その代わり、500枚分のうち、100枚を俺たちで使わせてほしい。んで、400枚をお嬢ちゃんに納品する」
「え――っと?」
「このハイムで、この通貨が銀貨5枚分として使えるようになるんだろう? なら、そうした方が手っ取り早いじゃねえか。それに、俺たちもこの通貨を使って、流通に協力できる」
「――いい、のかしら、工房長。まだ、通貨に信頼がないのだけど」
シャルロットはおずおずと訊ねる。
通貨は、人々が使って初めて価値が生まれてくる。まだ一度も使われていない――むしろ、作られていない通貨だ。まだ、価値すら生まれていない。
だが、工房長は自分の腕を叩いて豪快に笑う。
「この通貨に価値が生まれなかったら、そのときは俺たちの腕が悪かっただけだ。それなら、このお嬢ちゃんたちが丸儲けするだけの話だ。逆に、もし上手くいったら、これからも生産の方を、俺たちでやらせてほしい」
「それについては明言できないけど――そうね、そうなってくれれば、私も嬉しいわ」
にっこりとシャルロットは微笑む。両者をカナは見つめながら、ほっと一息つき、契約書を取り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます