第2話
「しかし、どう致しましょうか。当主が亡くなってしまえば、速やかにそれを申し出た上で、次の当主を決めねばなりません、が……」
その言葉に、全員が現実に意識を引き戻される。
それを告げた執事頭であるゲオルグだ。初老であるが、動きはきびきびとしている。ここの一番の古株だ。生やした顎鬚には白いものが交じり始めている。
その顎鬚を撫でながら、重々しくため息をつく。
その言葉と共に響くのは、シャルロットの啜り泣きだ。全員が重苦しい気分になる。侍女の一人、マリーが短い茶髪を揺らしながら、おずおずと手を挙げて訊ねる。
「少しだけ、待っていただく、というのは――」
「できますが、できるだけ避けたいですね。カナくん、その理由は答えられますか?」
ゲオルグが教師のようにきびきびとした口調でカナを指名する。カナは反射的に背筋を伸ばすと、反射的に答えた。
「領主が次期当主を正式に定めないまま、死亡した場合、三十日以内に爵位継承、もしくは爵位返上の申し出を、王都で行わなければなりません。できなければ、家は取り潰しの沙汰が降りる可能性があります」
「はい、正解ですが――不十分ですね。当主に子供があり、その子供が申請する場合は、特例で四十日まで日が延びます」
ゲオルグは容赦なく指摘してくる。そうだった、とカナは口を噤む。
これは、当主の子供の間で、相談するための時間を設けるため、少し長く決めている特例なのだ。一子でもいれば、これは適用される。
彼は仕方なさそうに吐息をつき、顎鬚を撫でながら言う。
「もっと明確に急がなければならない理由が、当家にはありますよね?」
「リチャード様、のことですね」
その言葉に、全員が重苦しくため息をついた。
リチャード――亡くなった当主レックスの弟。つまり、シャルロットの叔父にあたる。彼にはこのローゼハイム家を継ぐ権利がある。
「彼が勝手に申請を行ってしまえば、この家の権利が全て彼に渡ってしまい、ますね……」
「はい……彼が良き治政者であればよいのです。ですが……」
ゲオルグは口をつぐむ。それ以上は言うのがはばかれる。
何にせよ、当主の身内なのだ。悪しざまには言えないが、使用人は全員が全員同じ気持であるのは確かだ。
(リチャードにだけは、跡を継がせてはならない)
「と、いうわけで、一刻も早く、シャルロット様には当主を継いでいただかなければならないのです。分かりましたか? マリー」
「は、はい……でも、シャルロット様……おつらそう……」
マリーはきゅっと胸の前で拳を握りしめる。啜り泣きは、今も部屋から響いてくる。ゲオルグは小さく吐息をつき、首を振って告げる。
「今は、そっと致しましょう。サーシャ、お茶の支度を。お嬢様が泣き止まれたら、すぐにお出しできるように。テオドール様、ありがとうございました。ひとまず、お疲れでしょう。当家でお休みください。マリー、テオドール様をお部屋に。そしてカナくん――」
ゲオルグはてきぱきと指示を出していき、最後にカナを見つめ、ぽん、とその肩に手を置く。初老の執事は真っ直ぐにカナの目を見つめる。
「キミは、一番大事な――シャルロット様を、説得する係です」
「さすがに、責任が重いというか……」
心苦しいにもほどがある。だが、ゲオルグは首を振って言う。
「お嬢様の幼なじみである、貴方でしか頼めないことです。キミには私が自らいろいろな知識を叩き込んでいます。それに――キミは昔からずる賢かったですからね。何か妙案をきっと思いついてくれるに決まっています」
「そうだね、カナくんは、いつも悪知恵が働くし」
「さ、サーシャさんまでぇ……」
にっこりと微笑んでくる黒髪の侍女――姉貴分のサーシャまでそう言われてしまうと、ひどくカナとしては心外だ。だが、全員の信頼の籠もった視線が注がれ――改めて、ゲオルグに肩を叩かれて告げられる。
「――これは、貴方にしか頼めないことなんです。カナくん」
「げ、ゲオルグ様……」
「キミにならできる。できますとも。大丈夫です」
ゲオルグが目尻を和らげやさしく言葉を重ねる。その目で見つめられると――どうしても、逆らうことができず、こくんとカナが頷くと、ゲオルグは微笑んだ。
「その意気です。頼みましたよ、カナくん」
そう告げるとゲオルグは手を叩いて全員に合図を出す。
ばらばらに動き出す使用人たち。マリーとサーシャはすれ違いざま、カナの肩を叩いていく――それに励まされるように、息を吸い込み、そびえる扉に向き直る。
それを見るだけで思い出すのは、レックスの言葉。
意識を失う直前、熱に籠った手でカナの手を取り、彼は震える声でつぶやいていた。
『カナ……シャルロットを、頼むぞ……彼女を、必ず守ってくれ……』
「必ずや。旦那様」
そう呟きながら、そっと胸の前で拳を当てる。
そうして、彼女が出てくるのを――カナは、ひたすらに、待ち続けた。
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