最終章

最後の講義

 闇エルフの王国から中継地のリルガミン神聖帝国に戻ったマリアと静香はこの世界と現実世界が合に入る迄にやっておきたい事を列記していた。


 ラウルに学べるだけの神学を学ぶ事、ジュラールの遺族に彼の最後の様子を告げる事、“神殺し”桜花斬話頭光宗おうかざんわとうみつむねを返還すべきか神託を得る事――他の魔法装備もだった、ナグサジュの帰還祝いに出席する事――更に二人はある計画を温めていた。


 マリア達はラウル達と共に戦い始めてから普通の傭兵――腕の良い職人と同等の給料が貰える――と同じ額の給料を貰っていた。


 アリオーシュ討伐と他の邪神二柱を斃した事で追加の報酬を貰えるとの事だったがマリアと静香は遠慮しようかと考えていた。


 既に貰った物だけで十分過ぎる。


 金貨だけでも数百枚も有った。


 クラウン金貨――この世界で最も使われている金貨の一つだった――は同じく一般的なフローリン銀貨二十枚の価値が有る――一般的な労働者の日給が銀貨一~二枚なのだから三、四年は贅沢に遊んで暮らせる財産だ。


 他にも宝石や指輪等が沢山有る。


 衣食住にも困ってない――幾着ものドレス等を着飾っている訳では無いが質の良い布地の服は高かった――貧しい人達に分け与えたいという思いは二人に有った。


 救貧院や施療院も沢山有る――貧困に苦しむ人々はこの世界にも多かった。


 マリアと静香は既にかなりの報酬を寄付していた。


 現代日本と遜色の無い生活を送る事に罪悪感も有ったのだ。


 現地の人々とも交流する中で様々な社会問題がこちらの世界にもある事を痛感させられていた。


 全てを解決することは出来なくても少しの改善でも良いから行いたい。


 どうせ無駄だというシニシズムには二人は反発すら感じていた。


 偽善者と呼ばれても良かった――他者をあげつらう露悪的な態度で人に接するより遥かに好ましかった。


 二人は帰る前に全財産を寄付するつもりだったのだが、止められた――現実世界で役に立つ事も有る――どうしても寄付するならそちらにする方法も有るとラウルは説得した。


 魔法の品々も余程のもの以外は持って行った方が良いとも。


 この世界の人が納得して与えた贈り物を無下に蹴るのは失礼にもあたる――そう指摘されて流石に二人は引かざるを得なかった。


 二人は下町で食堂や酒場、菓子店や露店、古着屋――この世界ではオーダーメイドの服はとても高く、既製品を直して着るのが普通だった――等を覗くのを楽しみにしていた。


 商売人の活発な呼び込みや市場の喧騒が好きだったのだ。


 高級な店にも入る事もそれなりに有ったが、納得のいく物が有る店が主体だった。


 ホークウィンドやアリーナ、シェイラ、それに時々お忍びのアレクサンドラとシルヴェーヌ達と連れ立って街を散策した。


 馴染となった店などでは身分を明かす事も有ったが、大抵は旅の異国人で通していた。


 人が寄ってきそうな時には認識阻害の魔法を使う事も有った――何せアリオーシュを斃し世界を救った救世の乙女なのだ。


 聖都リルガミンは開放的で明るく、戦禍に見舞われていない事も有り二人の肌に合った。


 リルガミンでこの世界の唯一神――宇宙の全てを統べる神、それなら静香達の信じる神と同一だろうと二人は思った――の神託を聞き、皇国近衛騎士にして静香の師範だったジュラールの家族に彼の指輪を返す。


 その前にリルガミンの隣国エセルナート王国トレボグラード城塞都市で女騎士カレンに深緋の稲妻の鎧を返し、今回の顛末を報告する予定だった。


 ブラックドワーフの魔鍛冶師マジックスミスウル=ガレス=グレフにも礼を言いたい。


 やりたい事を全てやれるか不安も有ったが二人は充実感に包まれていた。


 そして不安は当たらなかった。


 二人にとって申し分ない結果がもたらされたのだ。


 *   *   *


「聞いてなかったわよ――深緋の稲妻の鎧ってラウルの奉じてる知恵と戦いの女神ラエレナの神器アーティファクトだったの?」静香が驚いて言った。


「どうして隠してたんですか――?」マリアも追い打ちを掛けた。


「女神が伝えてきたんだよ――余計な精神的圧力プレッシャーを与えるなって」ラウルはいつもの飄々とした様子だった。


 リルガミンの大緑海を見晴らすかつての皇宮――大地母神グニルダの神殿も兼ねていた――五十年以上の昔に魔人ダバルプスの叛乱で一部の建物を遺して崩壊し、今は市民の為の公園になっている――の露台で三人は神学について語り合っていた。


「女性が女性の権利の為に戦う――この世界にも蔓延る男尊女卑を覆すという使命――失敗は許されないなんて思われたら大変だからね」二人が再度質問する前にラウルが答える。


「貴方は現在形で言うのね――」静香は息をついた。


「話を戻すよ――唯一神が居て、それを支える神々――君達の宗教観なら天使――が居る」


「悪魔は居ない――信じられないですけど」


「人間が想像する様な悪霊がいる訳じゃないよ――未発達で他に迷惑をかける霊は居るけど――本人が呼ばない限り大した害はもたらさない。精神的な病気などで波長が合いやすくなってしまう人も居るのは事実だけどね」


「天使の方が少なくて悪魔の方が多い――私はそう思うけど違うの?」


「逆だよ、天使の方が圧倒的に多い――それに生まれ変わりの過程で人は何度も天使になった過去を持ってる――繰り返しているんだ、自分の望む自分になる為に――」


「人間は何になりたがってるんですか?」


「神だよ」ラウルは言葉を切った「全知全能の存在になる事――それが魂の究極の目標だよ」


「それじゃ無個性な神が量産されるだけじゃない?」


「神の在り様は一様では無いよ――イエスの様に人間の姿を保ったまま神になる者も居れば、天使として人を助けながら到達する者も居る――動物や植物でもその域に達する者も居るし無生物にさえ可能な事だよ」


「石や海にも知性が有るって事ですか?それは流石に――」


「君達の世界の科学では証明できない考えだからね――抵抗が有るのは分かるよ」


「でも――」


「神は全てに等しく、自分と同じ全知全能の能力を被造物に与えたんだ――神の説明として“完璧な愛”以上に的確な言葉が有るかい?」


「――無いと――思います」マリアは押し出す様に言った


「なら誰かや何かが他のものより尊いとかそういう事は無いし、神が自分をマリアさんより価値があると言わない事も分かるね」


「それは――でも私は自分に神と同じ価値が有るだなんて思えません」マリアは言葉を継いだ「それに私が神と対等なら全てを私が創り出した事になるじゃないですか――」


「そうだね」


「じゃあ、何でこんなに世界は苦しみにまみれて居るんですか――」


「ラエレナに聞いた言葉を覚えてる――集合的無意識が世界を造るって」


「私が全知全能ならそんな世界を変えれる筈じゃ無いんですか」


「マリアさんが自分が全知全能だと心の底から信じられたらね――マリアさんだけじゃなくナザレのイエスですら出来なかった、或いはやらなかった事だよ――彼が世界の苦しみを放置した訳は分かる?」


「いいえ――だから私は神様が嫌いです」


「こういうとマリアさんは怒るかもね――世界は有るがままで完璧だからだよ、皆がこうだと思う世界が創られる――世界から貧困や飢餓が無くならないのは、大勢がそれで困るのは自分では無いと考えるから。世界への無関心が現状を悪化させるんだよ――でも、それで良いんだ」


「良くないですよ」マリアはむっとする。


「前にも話したと思うけど、この世界で大多数が選択した事を一人が変えられる程、個人の意識は成長していないんだ」


「イエス様なら変えれたんじゃないんですか」


「多分ね――でもそうしなかった」


「完璧な世界を造るなら、暴力や病気を無くした筈じゃないんですか」


「完璧だというのは過程プロセスの事だよ――病気が不完全な事ならイエスはそれを無くしたろうね」


「病気が完璧な事なんて有るんですか?」


「全ては完璧だよ――自分の善にならない事は無いし、どんな出来事にも救いに繋がるものは有る。人は神になる為に全てを体験しないといけない――そうしないと全てに対して心からの共感は抱けないからね」


「共感――?」


「自分が体験すれば赦せないと思った事でも赦せる様になる――どんな人にも物事にも理由が有ると分かるから――子供のした事をたしなめる事と憎む事は違うのは分かるよね」


「それは――分かりますけど」


「他人に害を与える人が精神的な子供だという事を理解できれば、全てとは言わなくても一部は赦せる筈だよ」


「しなければならない事は何も無い――前にラウルさんはそう言いましたよね」マリアは言葉を継ぐ「なら、私が彼等を赦す必要も無い――そう言う事じゃないんですか?」


「勿論赦す必要は無いよ。――自分の感じた事を正直に表す事は誠実さの証だよ」


「だけど神様になる為には全てを理解しないといけない――二律背反じゃないですか?」


「いつかは理解する日が来るよ――無理に理解しなくても良い。これも前に言ったけど神とは到達できない存在では無く、不可避の存在だよ。誰もが最終的には神になる――全てが一体である事を理解すると言い換えても良いけどね」


「自分が神になれるだなんて、到底信じられないです」


「話が飛ぶように思われるかも知れないけど、“悟り”とは行くべきところもすべき事も無いし今の自分以外の何者にもなる必要は無いと理解する事だよ――努力してもしなくても全ては一体だし、その事実を知るのに努力する必要は無いって事」


「神とも一体って事よね――理解が力になるって事?」黙っていた静香が尋ねた。


「そう。今有るがままで完璧だという事は、他の全ても完璧だという事と矛盾しないよ」


「全てが完璧なら、何もしなくていい――でも自分の望む様にしても完璧さは損なわない――完全に自由だという事ですね」


「その通り」ラウルは微笑んだ。


「僕が伝えたい事はこれで終わり――神、生命、愛、無制限、永遠、自由――これらは全て同義語――そしてそこから外れるものは無い。何も不安に思わなくて良い。自分の生きたい様に生きて良い。他人を裏切らない為に自分自身を裏切る事は最大の裏切り」


「心配に意味は無いの?」


「心配する事で状況が良くなったり、望む結果に少しでも近づく事は有る?」


 静香は考え込んだ。


「無いと思うわ――頭では、だけど」


「心配は精神的エネルギーの浪費だよ。最悪の精神活動の一つと言っても良い、肉体をも傷つける負の活動――事態の改善にも自分自身の健康にも悪影響しか与えない感情だよ」


「感情の源には二つの極しかない。愛という極か、不安という極か――愛の側に立てば単に勝利する以上の事が可能になる――ですよね」マリアが以前の討論で聞いた事を繰り返した。


「それもその通り。生き残る以上の栄光を得る道だよ」


 海からの風が吹き流れた。


「ラウルさん――そろそろ時間です」エルフの治癒術士ヒーラーアリーナが三人を呼ぶ声が聞こえた。


「じゃあ、行こうか」ラウルはテーブルに置いてあったレモン水を飲み干すと立ち上がった。


 青い法衣ローブが揺れる。


 ラウルとの体系だった神学の討論はこれが最後になったのだった。

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