闇エルフの族長ブラッドホイール
「まだ我らの神は降臨なさらぬのか――公爵よ」長い髭に長い髪の年老いた外見の
「そう慌てなさるな。あと少しで門を開く鍵が出来る」応えたのは
敵対する一族――モルナシレレンローテ王女の連れて来た一行だけでも手に余るのに、更に
神を召喚するしか他に生き残る道はない。
そもそもアリオーシュが
人間如きに惚れて自滅するとは所詮アリオーシュも元は人間だったという事か――闇エルフの族長は楽しそうに公爵を睨みつける――半ば本心、半ば演技でだ。
闇エルフは地下に王国を築き、複数の氏族が競い合う――殺し合いも含めて――形で繁栄を謳歌してきた。
二週間――仇敵七瀬真理愛と澄川静香が地下王国に入ってから経った時間だ。
それまで密偵から一切の連絡は無かった。
人生なる様にしかならぬな――族長は今迄の人生を振り返って思った。
物事が予想通りに進んだ事等数える程も無い。
手持ちの奴隷の内、
奴隷達には我々は滅ぶが彼等は解放すると嘘をついて召喚の行われる深奥に一塊に集めていた。
モーラ、モルナシレレンローテ王女の通称――がこちらの里を襲いに来ると連絡が有ったのはつい先程の事だった。
急遽迎撃の体勢を整える。
数の上では互角に近いが向こうには“神殺し”と“死神の騎士”、そしてそれに勝るとも劣らない戦力が十人以上も居る。
アリオーシュにガタノトーアを斃した相手に敵う筈も無い。
そしてそれ以上に驚いたのが<死>の女王モルエニが降臨した事だった。
直接人間やエルフに手出しする事は神々の協約で無理な筈だ。
新たに奉じようとしている邪神は不死の筈だが何か勝算が有るのか――。
こちらには不利な事に星辰が整っていない――召喚には相当な無理がかかる筈だった。
公爵のお手並み拝見といったところか――族長はティール公爵、今は召喚魔法を唱えながら次々と生贄を神に捧げている小男を見ながら、召喚が成功しようが失敗しようが自分達の運命――そして全ての命にはどの道絶望しかないのだと思いくつくつと笑った。
闇エルフに生まれた事自体が既に呪いなのだ――絶体神と敵対する等どだい勝ち目の無い戦だ。
<死>を避け得る生命が無いのと同じ事だ。
全知全能の相手に勝てると考える――その無知ぶりは最早罪とさえいえる。
悪魔や邪神等と言うものは所詮その程度の知能しか持ち合わせない。
それに頼らなければ命を長らえない我らは――度し難い。
その度し難さの果てに見るのは――地獄以外の何物でもあるまい。
「敵が我が領内に侵入――前線は突破されました!」族長の思考を中断したのは伝令の報告だった。
「分かった、近衛の者にも伝えよ、私も出る」族長は短く言うと公爵に皮肉な目を向けた。
視線と視線が交差する。
公爵の目にも族長と同じ色が有った。
「御武運を、闇エルフの長ブラッドホイール」公爵は真剣な目で言った。
「これが恐らく最後の貴殿との会話だろう――互いに勝利の女神が微笑む事を祈ろう」族長ブラッドホイールは右手を軽く上げて応える。
族長の後ろに旗本が続く。
願わくば魂を震わせるような一戦を――ブラッドホイールは祈った――何処にいるとも分からない神に。
* * *
「アトゥーム君、そっちに精霊使役師が――」
魔界の戦馬との混血馬“スノウウィンド”に跨ったアトゥーム――“死神の騎士”は目線で“分かった”と伝える。
ナイト・オブ・デス――死神の騎士の剣“ツヴァイハンダー”又の名を“デスブリンガー”が
魔力を持たない武器では傷つける事すら敵わない相手だ。
精霊使役師を倒せば精霊界に帰るのだが――敵もそれを分かって後衛に徹している。
邪神の召喚を可能にする星辰の位置が揃う前に攻撃を掛けたのだが、思いの他抵抗が激しい。
後続が来る前にこの部隊を突破したい――だが先ずは目の前の部隊を片付ける事だ――一度に一つずつ、それがアトゥームが戦場で学んだ事だった。
敵の数は多くは無いのだが精鋭揃いだ。
アトゥームと並んで戦う
同じく古吸血鬼のアレトゥーサが水系魔法の超高圧水流で敵の胴を真っ二つに切断する。
龍の王国ヴェンタドールの女勇者シーナとその守護龍ヴェルニーグの炎の
敵は降伏する事を考えていない――それどころか普通の人間なら士気が崩壊する様なナグサジュやアレトゥーサの一撃を見ても怯みもしない――ここで戦って死ぬ気だ。
恐るべき覚悟だった。
アリオーシュ戦の様に数で押すことも出来ない。
邪神召喚を阻止する為とは言え人間の王国で闇エルフを公に手を結ぶ事を認める国は数える程だった。
ホークウィンド達を派遣する事を許可されただけでもマシと言えた。
敵を引き付けて転移魔法で敵拠点迄飛ぶ作戦を
敵深奥で召喚の儀式をティール公爵が行っている事は密偵の働きで分かっていた。
“神殺し”の静香とマリアが居るとはいえ神が召喚されれば勝ち目は危険な域に下がる可能性が有る。
それまでに決着を付けねばならない。
幸い敵はこちらの作戦に気が付いていない様だ――或いは知って罠を張っているのか――。
敵の本陣が出て来たら、その時静香とマリア、モーラ、ラウル、アリーナ、そしてナグサジュは敵召喚拠点に転移する。
シーナ――ヴェルニーグが説得する事で邪神召喚を阻止する働きに加わる事になった――、ヴェルニーグ、ホークウィンド、シェイラ、キリル、キリカ、カーラム、アレトゥーサ、そしてアトゥームは外の本陣を叩き次第マリア達を追う。
本陣が外に来る事を計算した布陣だった。
静香達が召喚拠点に跳ぶのは邪神が復活した時の為だ。
百パーセントとは言い難いが召喚の呪文を唱えた所に邪神が出現する確率が最も高かった。
召喚されてすぐなら邪神が力を発揮する前に斃せる――召喚される前にティール公爵を倒してしまうのが理想だったが。
一般的な召喚魔法は魔物――この場合は邪神だが――を呼ぶ儀式を行っている最中が弱点だ――魔法陣を消すとか、生贄を救出するとか、召喚の呪文を唱えられなくするとかだ。
“義兄さん。敵の増援が来る――恐らく近衛だよ”ラウルが
その時、空気が震えて地面が揺れた。
少しの間を置いてまた揺れる――先程よりも衝撃が大きい。
“邪神の顕現が近い――急げ”死神の騎士の武具に“間借り”している<死>の女神モルエニ――人間族にはウールムとして知られる死の王は肉体を持ったまま顕現していられる時間は数時間程度だった為、自らの力を分け与えて創り上げた死神の騎士の武具に宿って神力の低下を防いでいた――がアトゥーム達に伝える。
「気軽に言ってくれるね――」ホークウィンドが魔法の矢を躱しながら言った。
じりじりとアトゥーム達は敵を押していく。
敵陣に
敵兵が纏めて火達磨になる。
死にきれずにのたうつ者に止めを刺す。
敵陣を突破出来そうだ――そう誰もが思った時味方陣地を
冷気を諸に浴びて身体が爆散――体内の水分が凍結して一気に膨張した為だ――する者が少なからず出た。
「ブラッドホイール様!」敵兵から歓声が上がる。
「闇エルフ、ブラッドホイール参上。ここから先へは楽には進めぬぞ」
「本命の登場か――」
「跳ぶよ――マリアさん、静香さん!」ラウルが転移の魔法を唱える。
「わざと見逃したな――闇エルフの族長ブラッドホイール」アトゥームが言う。
「“死神の騎士”――その声、それにその両手剣――あの時の坊やか」
「何?」
「忘れはせんよ、私はこう見えても記憶力は達者な方だ」
アトゥームにはブラッドホイールと出会った記憶など無かった。
「エルフィリスとか言う名のエルフ古王国の血を引くいけ好かない売女――」
「待て、何故、お前が彼女の名を知っている?」アトゥームが遮った。
声には微かな動揺が有った――信じられない事に。
もしかしたら――その思いがよぎる。
「次期戦皇だったエレオナアルの指揮した森エルフ討伐作戦――戯れに私も参加していたのだ。分からんというなら直接お前の脳内に見せてやろう」
アトゥームの脳裏に自分達の所属していた傭兵団――まだアトゥームが十五になる前の事だった――がグランサール皇国の罠に掛かって潰走した後、自分達を
ブラッドホイールは魔法で隠された森エルフの村を見つけ――皇国にその情報を流したのだ。
それだけでは無かった。
率先して部下共々森エルフを蹂躙した。
エレオナアル配下の皇国軍と闇エルフは森エルフ達に暴虐の限りを尽くした。
混乱の中エルフィリスはアトゥームが戦いに戻らない様隠した
隙を見て魔法で逃げ出したものの何とかアトゥームの元に辿り着いた時には深手を負っていた。
彼女は自分よりもアトゥームの治療を優先した。
アトゥームを眠らせ、皇国軍の手の届かない所迄転移させ――息絶えた。
その様子を使い魔を通して追っていたブラッドホイールとエレオナアルはアトゥームこそ取り逃がしたものの――笑いながらエルフィリスの死体まで凌辱した。
その映像を見せられたアトゥームの頭の中の血液が全て逆流する。
全て真っ白になるような感覚に襲われた。
「分かったか、坊や?」ブラッドホイールが嘲る。
ブラッドホイールは
「アトゥーム君!」ホークウィンドの制止を無視してアトゥームの愛馬スノウウィンドは一気に間を詰めた。
激情も度を過ぎれば無感情になる――今のアトゥームは正にそうだった。
既に抜いていた両手剣を右手に握ると左で
二刀でブラッドホイールに襲い掛かる。
ブラッドホイールはアトゥームの攻撃全てを受け流した。
アトゥームはブラッドホイールをねめつける。
全ての感情を意思の力で抑え込んだ完璧な無表情に憎悪を宿らせた深藍色の瞳が不釣り合いだった。
「良いぞ。もっと怒れ、もっと憎しみに身を委ねろ――所詮我々は同じものだ――同じ二足で歩く
凄まじい連打を物ともせずブラッドホイールは
激しい痛みに思わず
「先ずは一本取ったぞ――人間の若造」ブラッドホイールはアトゥームを野次った。
アトゥームは冷たい憎悪に燃える目で闇エルフの族長を睨み付けた――。
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