闇エルフの王国で

聖都リルガミン そして闇エルフの王女

「アリオーシュを倒せば元の世界に帰れる筈じゃ無かったの――」有翼一角馬アリコーン“ホワイトミンクス”にマリアと共にまたがった静香は恨めし気と言っても良い口調で呟いた。


「僕はアリオーシュを倒さなければ帰れないとは言ったけど、倒せばすぐ帰れるとは言ってないよ」軍師ウォーマスターラウルは平気の平左といった感じで答える。


 仮死の魔法が解けるまで二週間以上マリアは眠っていた――起きたのは一昨日の事だ。

 

 マリア達は新戦皇アトゥーム――元は前戦皇エレオナアルと敵対していた“死神の騎士”と呼ばれる傭兵だった――の外遊に付き合うという建前で義理の弟ラウル、アトゥームの妻にして前戦皇の姉アレクサンドラ、そして不老不死ハイエルフの女忍者ホークウィンド達と各国を廻っていたのだった。


 何故元の世界に戻れないのかと言えば、こちらの世界から元の世界への“門”が開くまで時間が掛かるのと、アリオーシュを倒して世界を救ったマリア達とアトゥーム達が仲間だという事を宣伝して新戦皇の正当性を主張する為だった。


 今マリアと静香はかつて訪れたエセルナート王国の隣国にして世界最古の帝国、リルガミン神聖帝国の首都“聖都”リルガミンに来ていた。


 聖都リルガミンは大緑海と呼ばれる海に面した歴史ある街だ。


 リルガミン神聖帝国は大地母神グニルダを奉ずる西方世界の文明の礎を築いた大国だった。


 かつては西方世界の殆んどを領していたが歴史の流れには抗えず数ある大国の一つにまで零落れいらくしたのだ。


 それでも半世紀前よりはマシだ――マリア達はリルガミンの使者よりそう聞かされていた――その頃は“狂王”トレボー率いるエセルナート王国に完全に占領されていたのだ。


 王家の血筋は守られたがリルガミンは立て続けに災難に見舞われた。


 トレボーの死後、リルガミンの内部から王権を奪おうと魔人ダバルプスが現われ、当時の為政者だったエリスティア女帝を殺害した――幸いにもマルグダ皇女とアラビク皇子の姉弟はダバルプスの手から逃げおおせ、長い放浪の後女神グニルダに造られた聖なる“ダイアモンドの騎士”の武具を取り戻し、ダバルプスを打ち倒したのだが――その後も混乱は続いたのだった。


 薄緑――緑味の強い白と言った方が適切だろうとマリア達は思った――の石材で造られた街並みは美しいの一言だった。


 聖都には“グニルダの杖”と呼ばれる聖都に悪意を持つ者を入れない魔法の品――神器アーティファクトと呼ばれていた――が有り、街を護っていた。


 アトゥームの“死神の騎士”の武具や静香の“神殺し”の日本刀“桜花斬話頭光宗”、大地母神によって造られた“ダイアモンドの騎士”の武具もそれに分類される。


 神によって造られた魔法の品々だ――かつて現身うつしみを持って世界に存在していた神々が天上に引き上げた時、自分達の事を忘れない様にと世界に残した贈り物――呪いと言う者も居たが――が人々に神々の偉大さを刻み込んでいた。


 リルガミンの皇室に目通りした後にリルガミンの守護龍エル・ケブレラスに会わなければならない――事前にマリア達はそう言われていた。


 エル・ケブレラスはリルガミン近郊の巨大な岩山に棲んでいる――上に向かって登る迷宮を抜けなければならない。


 途中の迷宮では多少手こずりはしたが、マリア達は無事最上階に辿り着きこの星の力そのものとうたわれた龍、エル・ケブレラスに目通りすることが出来た。


 エル・ケブレラスは緑のうろこに覆われた巨大な龍だった。


 身体に不釣り合いなほど異常に小さい翼が付いていた。


 マリア達は混沌の女神アリオーシュとその為に引き起こされた戦いをエル・ケブレラスに報告した。


 エル・ケブレラスは自分でも事態は把握していたが直接アリオーシュと戦ったマリア達の報告を聞きたがった。


「――と言う顛末です。エル・ケブレラス」マリアが龍に報告を終える。


「白龍ヴェルサスもアリオーシュにやられたか。先の事は分からぬとはいえ、勇者が狂った時にも盟約に殉じるとは奴らしい話だ」エル・ケブレラスは嘆息たんそくした。


「アリオーシュ戦ではさしたる援護も出来ずに済まなかった――わしも手が離せない用事を抱えていたのでな」


「大丈夫です。今はその脅威も去りました」


 マリアの話ぶりを静香は軽い驚きを持って聞いていた――すっかり大人びた話し方に変わっていた――。


 肝が据わった、とでも言うべき変化だった。


 アリオーシュの魂が癒合ゆごうした事が影響しているのではないか――静香はマリアが変わってしまったのではないかと半ば恐れた。


 双子の剣闘戦方士バトリジックグラディエーターキリルとキリカは心配無いと言ったものの不安は消えなかった。


 目を覚ましてからはどこか遠くを見ている様な眼つきで、半分上の空といった感じだった。


 会話を始めればしっかりしすぎで、反対にそれ以外の時は何か考え事でもしているかの様だった。


 アリオーシュは斃れた筈なのに何か心配する事でも有るのだろうか。


 実はこの時すでにマリアには悩みが有ったのだが、それが分かるのは静香とマリアが現実世界に帰ってからの事になる。


 *   *   *


 エル・ケブレラスの転移魔法で迷宮の入口まで送られたマリア達は夜闇の近づく中、聖都に帰る準備をしていた。


 静香が先に“ホワイトミンクス”に跨り、マリアに手を差し出す。


 マリアはあぶみに足を掛け、静香の手を掴むと一気に馬に跨った。


 マリアが近くの森を見つめている。


「どうしたの?マリア――」静香の声にマリアはようやく振り向いた。


「何でも無いです――先輩」マリアは未だ森に気を取られていた。


「何でも無いって顔じゃないわよ」静香は半ば怒った様に言う。


「大丈夫です。早くしないとラウルさん達に遅れちゃいますよ」マリアは微笑んだ。


 リルガミン市まで速足で一時間程だ。


 聖都リルガミンは夜も閉門しない。


 神器“グニルダの杖”が街を護っているからだ。


 街に入れなかった者の為に城壁外にも公営の宿屋や全時間営業の酒場が有った。


 マリア達は皇帝の宮殿に泊まる事になっていた。


 一日休憩を挟んだ後、各国の代表の前でグランサール皇国及びアリオーシュ打倒の報告をするのだ。


 参列国全てをまわる時間的余裕が無かった為リルガミンに各国の支配者が集まり纏めて行われる事になった。


 魔法によって記録された映像や音声なども使い数時間に及ぶ予定だ。


 マリア達と共に来たホークウィンドはエセルナート王国だけでなくリルガミンでも英雄だった。


 “大地母神グニルダの杖”がアラビク皇子と魔人ダバルプスの戦いの後リルガミンから失われた時、ホークウィンドのパーティがそれを地下迷宮から取り戻したからだ。


 黄金龍ゴールドドラゴンの娘シェイラはこの戦いに参加できず歯噛みしたのだが、今回の戦いで初陣を飾り見事に新しいパーティメンバーとして認められた。


 しかし朗報ばかりでは無かった――アリオーシュ四天王の一人鬼神グレイデンと戦った魔都マギスパイト闘技場コロシアムチャンピオンのナグサジュは蘇生できなかった。


 魔都マギスパイトで国葬が行われる事になり、マリア達も出席を求められた。


 報告会議に備えて早目に休んだマリア達だったが、夜も更ける頃思いがけない来客に見舞われたのだった。


 *   *   *


 マリアと静香は一緒の寝台で寝ていたが、真夜中に微かな人の気配を感じて目を覚ました。


かたわらに人影が有る。


「誰――?」言いながら静香は“神殺し”光宗を、マリアは魔術杖スタッフを手に握る。


 長い耳が眼に入る――ホークウィンドかしら――静香は疑問に思った。


 ホークウィンドにしては背が低い。


 人影が口を開いた。


「七瀬真理愛に澄川静香。神殺しの女とその恋人。私の気配を感じ取るとは流石ね」透き通る様な声だった。


 窓から入る光で人影が照らされる。


 プラチナブロンドの髪を伸ばした肌が黒いエルフの女だった。


 黒い肌に銀の入れ墨をしていた――それがこの女の美しさを引き立てていた。


 普通のエルフはスレンダーだがこのエルフはそれよりは肉感的な身体つきだった。


ダークエルフ!?」マリアが警戒の声を上げた。


 法衣ローブ姿だが、腰に炎状刃フランベルジュ細身剣レイピアを吊るしている。


「貴女、誰――?私達に何の用?」静香が油断なく訊く。


「私はモルナシレレンローテ。闇エルフの王女。暗殺者アサシンにして占師フォーチュンテラー」女は薄笑みを浮かべた。


「貴女達は我が王国に来る」女は当然の様に言った。


「どうしてそう言い切れるんですか?」マリアが警戒を解かずに尋ねる。


「ディスティ=ティール公爵が我らの元に居る。それだけでも我が故郷に来る十分な理由になる筈」


「ティール公爵が?」


 ディスティ=ティール公爵は魔都マギスパイトで邪神ガタノトーアを召喚し、エレオナアル達に付いて今回の騒動を引き起こした張本人だった。


 国際謀略組織、秩序機構オーダーオガナイゼーションの指導者でもあった。


「貴女の言う事が真実かどうか、確かめさせて貰います――」マリアは嘘検知の魔法を掛ける。


「賢明な選択ね」モルナシレレンローテは呪文に抵抗しなかった。


 闇エルフは嘘をついていなかった。


「貴女の話した事を私達が魔導専制君主国に伝えれば、ティール公爵は戦方士バトリザード達に捕まえられる――私達が貴女の国に赴くには十分な理由にならなくなるわ――モルナシレレンローテ」静香が指摘する。


「私を知る者はモーラと私を呼ぶわ。貴女達もそう呼んで」


「モーラさん、私達に接触してきた理由――未だ何か有りますね」


「勿論。今の所は――そう、死んだナグサジュを私達の魔法なら蘇らせれると言う理由では足りないかしら」


 マリアと静香ははっと顔を見合わせた。


「嘘をついていない事は分かる筈よ――七瀬真理愛」モーラは挑戦的な笑みを浮かべる。


「それに戦方士如きが我々闇エルフの王国に入れるかしら」


 闇エルフ――又は地下エルフとも呼ばれる彼等の国はダークランドと呼ばれる地域の地下に築かれ、他種族の誰も――エルフさえもその正確な場所を知らない。


「対価は何?ナグサジュをただで蘇らせてくれる筈は無いでしょう」静香が訊く。


「対価なら既に貰ったわ。貴女達がアリオーシュを斃した――我々に敵対する一族は大打撃を受けたわ」モーラは続ける。


「ティール公爵を除いてくれれば更に相手に打撃を与えられる――公爵は流石に私の手にも余るわ。だから貴女達に頼むの」


「私達二人では厳しいかも知れない――仲間の助けを得たいところだけど」静香が答える。


「ホークウィンドさんを国に入れても大丈夫なんですか?」マリアも尋ねた。


 闇エルフについてはマリアも静香もホークウィンドやラウルから聞いていた。


 普通のエルフ達と違い暗黒の神々を奉じ自らの利益となる事なら邪悪を犯す事も躊躇ためらわない。


 一般に信じられている事とは違い、エルフ達は闇エルフを無知ゆえに道を踏み外した“可哀想な人達”と呼んで哀れみの対象と見ていた。


 闇エルフにとっては他のエルフは不俱戴天の仇だ――闇エルフは一方的にエルフを憎んでいる。


 あからさまな敵対よりも同情の方が闇エルフ達の自尊心を傷つけたのだ。


 ホークウィンドを地下エルフの王国に入れる事は流石に難しいだろうと二人は思った。


 少しの沈黙が三人を包んだ。


「――良いわ。それで貴女達が来てくれるなら」あっさりとモーラはその条件を飲んだ。


「ただエルフが来たと表に出さない事――娘のシェイラについても普通のエルフの姿で来る事は認めない」


「人の口には戸が立てられないけど、公然とエルフが我が王国に入ったとなれば大騒ぎよ。貴女達についても只の人として入ってもらう。ティール公爵は敵派閥の深奥に居る――私達の一族と言えど彼を除くのは難しい」


「この話、仲間達を連れていけるなら受けても良いわ。ティール公爵にナグサジュ、見返りとしては十分よ。ただ私達の一存では決められないわ」


「今すぐにとは言わないわ――考えて決めて頂戴。どちらにしても貴女達はいずれ来ることになる」それだけ言うとモーラは見えなくなった。


 転移魔法で飛んだか、不可視の魔法を掛けたのだ。


「先輩――」マリアと静香はモーラの事をラウル達に相談する事にした。


 元の世界に戻る為の門が開くまでまだ時間は有る。


 ティール公爵の件は決着を付けなければならない――マリアも静香も帰る前に一仕事しなければならないと覚悟を固めたのだった。

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