混沌の女神アリオーシュ
ガルム帝国派遣総督兼グランサール皇国現軍師長ラウル=ヴェルナー=ワレンブルグ=クラウゼヴィッツは、
少し離れた所に実体化する。
ホークウィンドと一緒に飛ばされた
「ナグサジュが――!」シェイラは魔都マギスパイトの
「
「
魔導専制君主国の魔法使いにも蘇生魔法を使える者は居る――君主国の意向を確認しないといけない。
勝手に蘇生魔法を掛けて失敗した場合――成功してもだが――国際問題にもなりかねないからだ。
現世に出ようとしていた魔族軍との戦闘はほぼ終わっていた。
人類側の軍は――エルフ族やドワーフ族等も混じっていたが――はあちらこちらで負傷者の救護に当たっていた。
損害は大きかった。
特に先鋒はかなりの損害を被った。
未だ十体以上の
“死神の騎士”こと傭兵アトゥームは先鋒を指揮しつつ死傷者を後方に送る様命令を下していた。
「マリアと静香の転移先は分かったのか――?」アトゥームがラウルに確認を取る。
「アリオーシュの居城なのは間違いないけど、場所を特定する迄もう少し時間が掛かるよ」
「ラウル司教、ナグサジュはマギスパイト迄転送して君主国の
「俺達戦方士の空間魔法なら司教達の転移と違ってアリオーシュの居城まで一気に飛べる。場所を特定出来たら教えてくれ」男のような口調は姉のキリカだった。
声は女性のそれだが不思議とその姿と口調は調和していた。
ラウルは配下の魔道士達にアリオーシュの居城の位置を探るのを急ぐよう命を下す。
魔道士達は精神集中を強める――。
* * *
マリアと静香は混沌の女神アリオーシュと真正面から向かい合っていた。
黒髪に緑の瞳が美しい――これから戦わないといけない相手だと知って尚二人はその美しさに惹き込まれそうになった。
怒れるアリオーシュと呼ばれる彼女とは思えない哀しげな視線が二人を見つめる。
静香とマリアはスタンドを立てるとバイクから降りた。
「時間が無いの。大人しく混沌の力を放棄して人間に戻って――」最初に口を開いたのは静香だった。
穏やかな――と言ってもいい平静な口調だった。
「どうして――」冷たく美しい声が
「――貴女達なら分かってくれると思ったのに」アリオーシュは二人を誘惑するかのように続ける。
「私と一緒に永遠になりましょう――澄川静香、七瀬真理愛」脳を直接揺さぶるかの様な声だ。
かつて黒の塔でマリアを襲おうとした時とはまるで違っていた。
求愛――アリオーシュにとっては今の言葉はそれ以外の何物でも無かった。
「貴女達が望むものは何でもあげる――死の王ウールムの影に怯える事も、老いる事も自分の大切なものを髪一筋も失う事もなくなるの――とても素敵でしょう――」哀しげな中にも暗い情熱が込められた声だった。
「貴女達の全てを私に頂戴――代わりに私の全てを貴女達にあげる――」
マリアにも静香にもそれは余りに
金属が触れ合う音が小さく響いた。
マリアの母のイコンと静香のロザリオが触れた音だった。
「女神アリオーシュ、貴女の気持ちは分かります。誰だって大切なものを失うのは怖い事――」
アリオーシュの眼に希望の色が浮かんだ。
「それでも、貴女の望みは受け入れられません。私は人間以外の何かになるつもりは無いの」マリアはアリオーシュに劣らず哀しげな瞳でアリオーシュの瞳を見つめた。
マリアは幼い頃から一家心中の事を覚えていた。
――家族の顔ははっきりとは見えなかったが、イコンを掛けてくれた母親の哀しみを
――でも――でも自殺しても家族は神の御許に行った――その事実がマリアを救ってくれたのだ。
アリオーシュはすがる様に静香を見る。
静香は
「私の大切な恋人がここ迄言ったのよ――今更私だけ貴女に従う訳にはいかないわ」
アリオーシュは声も上げずに顔を
「覚悟して、アリオーシュ。私達と戦うならそれでもいい――いや、その方がいいかも。納得もできずに神の力を手放してなんて都合が良すぎるもの」
静香は“神殺し”桜花斬話頭光宗に手を添える。
マリアも
しーちゃんとマリアに名付けられた老白猫――マリアの使い魔だ――を安全な場所へ行かせようとする。
しかし白猫は言う事を聞かなかった。
「しーちゃん――!?」
突然白猫はマリアの胸の中に飛び込んできた。
それがアリオーシュの攻撃だった事を悟った時には遅かった。
白猫がオーラを発し、
「――ッ!」激痛がマリアを襲った。
「マリア!!」静香が絶叫する。
「かはッ……!!」マリアの背中と口から血が飛び散る。
胸が焼け付く様に痛んだ。
しーちゃんはアリオーシュの手先だった――アリオーシュが神となるきっかけを作った老猫だったのだ。
猫の輪郭が溶けてマリアと一体化した。
アリオーシュの記憶の全て――その魂も――がマリアの中に流れ込んでくる。
その悲しみと孤独をマリアは直に味わった。
自分に懐いてくれた老猫以外に彼女の側に寄り添ってくれた者は居なかったのだ。
アリオーシュは神となってからも必死に助けを求めていたのだとマリアは心の底から実感した。
マリアは光と化した猫を抱き締める。
「辛かったんだよね――」マリアの顔が苦痛から哀れみに変わる――激痛を感じていたが同情がそれを上回った。
「……もう苦しまなくて良いの――私達がずっと一緒にいてあげる……」
マリアはがくりと膝をついた。
「……もう……大…丈夫……だよ」マリアの言葉が途切れ途切れになっていく。
光はマリアの胸に消えた。
「……く……」マリアは自分をかき抱く様な格好で血の混じった息を吐いた。
ぼたぼたと血が地面に落ちた。
最後の力で仮死の魔法を自分に掛ける。
「……マリア……」静香は事の成り行きに言葉を失った。
「七瀬……真理愛」アリオーシュの本体は涙を流す。
静香はアリオーシュが思いもかけない行動に出るのを見た。
“神殺し”が勝手に抜けた――静香にはそう思われた。
“神殺し”は切っ先をアリオーシュに向けながら凄まじい勢いで飛んでいく。
「戻りなさい――“神殺し”――光宗!」静香は必死に“神殺し”を止めようとした。
刀は止まらなかった――“神殺し”はアリオーシュを貫いた。
細身の体を日本刀が串刺しにする。
刀はアリオーシュの心臓に刀の鍔元まで深々と突き刺さった。
その輪郭は静香の目にはっきりと焼き付いた。
“神殺し”が勝手にアリオーシュを襲ったのか――そうではなかった。
――アリオーシュは自殺を図ったのだ。
「どうして――」アリオーシュは泣きながら再び言った。
口から血が溢れる――その色は人間と全く変わらなかった。
アリオーシュは二人が自分のものにならない――その事に絶望したのでは無い。
自分を受け入れてくれたマリアを手にかけてしまった事に絶望したのだ。
よもやこんな結末になろうとは――静香は茫然となった。
静香は治癒魔法を覚えていない。
アリオーシュが斃れる。
同時に
「マリア――!」我に返った静香はマリアを抱き上げる。
マリアは息をしていない。
ぬるぬるとした血が静香の手を汚す。
“主よ――助けて――お助け下さい”静香は懸命に祈った。
“心配は要らない”突然頭に聞こえた声に静香は驚いた。
思わず自分の精神状態を疑った。
“幻聴じゃない――久しぶりだな。澄川静香”
聞き覚えの有る声だった。
静香の左側に真っ黒な穴が広がった。
穴からプラチナブロンドを短く刈り込んだ細身の体の少年と、肩口まで髪を伸ばした少女――顔立ちは瓜二つだった――が出てくる。
「キリルとキリカ!」出てきたのは魔都マギスパイトの
キリカが口を開く。
「じきにラウル司教たちも来る――七瀬真理愛の魔法は成功している。傷を癒してやれば問題はない。混沌の汚染の心配も無いだろう」
「でも――それにアリオーシュは――」
「神としての力を失い、死んだ。いつかは人間として生まれ変わるだろう――次の人生が彼女にとって救いになる事を祈るだけだ」キリカは静香の瞳を見つめた。
「相変わらずまっすぐな眼をしているな――俺と違って戦いはむしろお前を清めた」髪をかき上げるとキリカはうっすらと笑みを浮かべる。
キリルが傷口を塞ぐ魔法をマリアに掛けた。
「ラウル司教、こちらはキリカだ。七瀬真理愛が傷を負った。応急処置はしたが早めにこちらに
ラウルが自らやって来たのは少し経ってからだった。
アリオーシュの死体はそのままだった――静香は“神殺し”をアリオーシュの身体から抜いて鞘に納める。
何の抵抗も無く刀が抜けた事に静香は驚いた。
「女神を葬ってあげないと――」静香はラウルとキリカ達に言う。
ラウルが魔法で地面に深い穴を掘った。
静香とラウル、キリカとキリルの四人はアリオーシュの亡骸をゆっくりと穴の底に下ろす。
静香の提案で土は自分達の手で遺体に被せる事になった。
アリオーシュのしていた首飾り――彼女の瞳と同じ色のエメラルドが真ん中にはめ込まれていた――を墓標代わりに乗せる。
「貴女の魂に安らぎが有りますように――」静香は祈る。
バイクを空間収納の指輪に収め、静香はマリアを抱えるとキリカ達が来た空間の穴から元の戦場に戻った。
アリオーシュが敗れた事で決着はついた――僅かに逃げた悪魔族も最早さしたる脅威とはならないだろう。
亜空間の戦場はガラスが砕ける様に粉々に砕け散って――元の姿――黒の塔に戻った。
塔の前の広場に戦場に居た全員が転移した。
エルフの女忍者ホークウィンドと人の形を取った――正確にはエルフだが――
「勝ったんだね――お疲れ様、静香ちゃん」ホークウィンドが静香を抱き締める。
今はそれが心地よかった。
静香は疲れ切っていた。
「マリアちゃんは?」
静香は事の経緯を説明した。
「結局、力では無くマリアの愛が世界を救ったって事ね」シェイラが頷く。
「そうね――そうなの」思わず静香は泣きそうになった。
犠牲は少なくなかった。
予定では暫く黒の塔に滞在してそれから静香とマリアを元の世界へ送り返す――その筈だった。
しかし現実はそう上手くはいかなかったのだった。
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