鋼血の鬼神

 “死神の騎士”こと傭兵アトゥーム=オレステスは兵を率いて世界征服を企む混沌の女神アリオーシュの軍勢と戦っていた。


 敵の攻勢は激しい――アリオーシュ本人が前線に出て来たら自分も出なければならないだろう。


 魚鱗の陣――防御や錐もみのように敵陣を突破するときに使う陣形だ――を引いた人類軍は必死の抵抗を続けていたが徐々に消耗は激しくなっていた。


 治癒術士達は後方に居る。


 応急手当を出来る者は居るが、戦いの最中に出来る事は少なかった。


 倒れた者を比較的安全な場所に集めて傷を塞ぐ位が出来る精一杯の事だった。


 それも魔族軍の先鋒が迫ってくるに連れ難しくなっていく。


 顔には出さなかったがアトゥームは焼きごてを当てられているかの様な思いで戦況を見守っていた。


 不老不死ハイエルフの女忍者ホークウィンド達も敵四天王の一人の張った結界に囚われて生死不明だった。


 後続の軍師ウォーマスターラウルの軍が合流するのを今かと待っている。


 遂にアリオーシュ本人が動いた――後続が来る前に前衛を潰しておこうという腹積もりだろう。


「突貫!」アトゥームは副官に指揮を委ねると選り抜きの騎士50人と共にアリオーシュの方へと突撃した。


 人類軍が後に続く。


 アリオーシュは赤銅色の板金鎧プレートメイルに身を包み両手持ちの戦斧バトルアクスに同じく赤銅色の馬用鎧バーディングに防御された戦馬に乗っていた。


 アトゥームはアリオーシュとの間に立ちはだかる悪魔の胴体を両断した。


 混沌の女神アリオーシュと死神の騎士アトゥームが向かい合う。


 アリオーシュは辺りを圧する気合と共にアトゥームに打ちかかって来た。


 重い一撃だった。


 まともに受ければ只では済まない。


 しかしアトゥームは両手剣でその一撃を逸らすと逆にアリオーシュの小手に一撃を加えた。


 思った通りだった。


 両手剣はあっさりとアリオーシュの手首を切断した。


 ここに居るのはアリオーシュ本人じゃない――アトゥームは自身の読みが当たっていた事を確信する。


 “変化”のゾーイと呼ばれた元アリオーシュ四天王の一人が化けた姿だ。


 アリオーシュから魔力を貰って強くなってはいるが、圧倒的に本人には及ばない。


 ゾーイは悲鳴を上げていた。


 彼女は自分がここ迄あっさりとやられるとは思っていなかったのだ。


 退こうとしたが、アトゥームはそれを許さなかった。


 次の一撃がゾーイの右小手を襲う。


 両手を切断されたゾーイは、戦斧を取り落す。


 死神の騎士の剣で殺された者は絶対死する。


 それを知っていたゾーイは辛うじて転移魔法を唱えた。


 ゾーイの姿がアトゥームの前から消える。


「義兄さん――」遠距離通話のペンダントから義弟のラウルの声がした。


「ああ――」アトゥームとラウルは理解した。


 アリオーシュは自分の軍勢の大半を囮にしたのだ。


 マリアと静香を手に入れる為に。


 出来るだけ早くマリア達に合流しないといけない。


 指揮官を失っても魔族軍は抵抗を続けていた。


 悪魔族デーモンは数はそう多くなかったが単体の戦闘力は非常に高い。


 全て片付けるまでは相当の時間が掛かりそうだった。


 ラウルの本陣とアトゥームの先鋒は合流した。


 魔族軍は統制が取れていない。


 一体の悪魔に数人の人類軍――エルフやドワーフ、ノーム、ホビット等の亜人族も多数交じっていたが――が攻撃を掛ける。


 時間と共に魔族軍の劣勢ははっきりとしてきた。


 逃げ出す者も居たが、それは少数だった。


「ホークウィンド達は無事か?」アトゥームがラウルに尋ねる。


「鋼血の鬼神グレイデンを倒すか、逆に倒されるかしないと結界は解けないよ。勝つ事を祈るしかない」


「マリアと静香は――」


「アリオーシュの狙いがマリアさん達なら自分の居城に二人を転移させると思う。場所を特定する迄時間が掛かりそうだよ。もう少し待って」


「こちらも今の所祈る以外にする事は無いか。負傷者や死者を集めて後方へ」アトゥームは副官に指示を出す。


 ラウルは部下と共に追跡の呪文でマリア達の行き先を探っていた。


 アトゥームは息をつくと神に短く祈りを捧げた。


 自分の祈りなど届くかどうかは分からないと思いながら。


 *   *   *


 エルフの女忍者ホークウィンド、闘技場コロシアムグランドチャンピオンナグサジュ、ホークウィンドの義理の娘、黄金龍ゴールドドラゴンの少女シェイラは敵――鋼血の鬼神グレイデンの唱えた結界の呪文に囚われていた。


 決闘デュエルの呪文だ――どちらかが死んで初めて元の世界に戻れる。


「随分自信が有るのね――“鋼血の鬼神”」シェイラが驚きを隠せない口調で言った。


「俺は魂を燃やす戦いが出来ればいい――負ける可能性の無い戦い等無用だ」グレイデンが答えた。


「余計な邪魔立てが入れば興が削がれるってこと?」ホークウィンドが呆れた様に言う。


「どうしようもない戦闘狂だね、キミは」


「澄川静香と七瀬真理愛は“神殺し”の助力が有ったとはいえ俺に敗北を味合わせた――お前達はどうかな」グレイデンはニヤリと笑った。


 ホークウィンド達は油断なくグレイデンの隙をうかがう。


 グレイデンが仕掛けた――両手持ちの剣が唐竹割にナグサジュを襲う。


 ナグサジュは逃げずに真っ向から勝負を受けて立った。


 踏み込みながらグレイデンの上腕を両手の掌打で受け止める。


 そのまま身を捻ると右肩で体当たりを掛けた。


 グレイデンは衝撃で後退した。


 体勢は崩れない――ナグサジュにはそれが信じられない。


 隙が出来れば攻撃を打ち込む筈だったホークウィンドとシェイラも動けなかった。


「この程度か?グランドチャンプ」哄笑が響いた。


 三人は鬼神と睨み合う。


 動きを読まれるのは承知の上で背後に居たシェイラが動く。


 龍爪ドラゴンズクロウで横薙ぎにグレイデンの左脚を攻撃した――同時にホークウィンドが掌打を右脚に、ナグサジュが拳で左胴に攻撃をかける。


 防御に回ったグレイデンの三本の魔剣よりも早く三人の攻撃は命中した。


 しかしグレイデンはびくともしなかった。


 鬼神は更に哄笑する。


“通じていない筈は無いのに――”シェイラは焦る。


「“通じてない筈は無い”――そう考えているな、黄金龍」


「まさか、心が――読まれてる!?」シェイラは驚きを隠せなかった。


「俺に勝ったのは澄川静香と七瀬真理愛を除けばアリオーシュ様だけだ――お前達は俺に勝てるか。心を読まれてもなお俺にダメージを与えられるか――?」グレイデンは三人に剣を向けて挑発する。


「負けはせんよ、鋼血の鬼神」ナグサジュがグレイデンの視線を真っ向から受け止めて言う。


「その自信に相応しい戦いぶりを見せてみろ――チャンピオン」


 グレイデンは言いざまに三本の魔剣全てでナグサジュを襲った。


 ホークウィンドとシェイラは隙有りと見てグレイデンに襲い掛かる。


 ナグサジュは魔剣の同時攻撃を腕に魔力を集めて受け止めた。


 魔剣が全て弾かれる。


 シェイラはギラギラと輝く魔法の光をグレイデンの頭部目掛けて掛けた。


 光は狙い違わず鬼神の視界を封じた。


 好機――ホークウィンドとナグサジュは一気に連打を仕掛けた。


 戦いは半時間以上にわたって繰り広げられた。


 視界を封じられたはずなのにグレイデンはホークウィンド達の攻撃を凌ぐ――だが確実にグレイデンは消耗しつつあった。


 シェイラは心臓を破裂させる魔法を右掌に乗せて鬼神に命中させた。


 魔法は完全には効果を発揮しなかった。


 しかしグレイデンは胸を蹴られた様な痛みに一瞬動きが止まる。


 ナグサジュとホークウィンドはそれを見逃さなかった。


 ナグサジュの低い蹴りがグレイデンの脚を直撃した。


 魔力の乗った攻撃が鬼神の脚の骨を砕く。


「ぐっ――」左脚を砕かれたグレイデンは一本の剣を地面に突き刺してバランスを保とうとした。


 剣一本分の隙が全てだった。


 シェイラの魔剣、龍爪ドラゴンズクロウが両手剣を握った上部の腕と地面に刺した剣を握った左下腕をまとめて切断した。


「何だと――」グレイデンの声に驚きが混じる。


 倒れかかるグレイデンの首をホークウィンドの手刀が吹き飛ばす。


 同時にナグサジュの右拳がグレイデンの心臓に突き刺さった。


 拳はそのまま鎧を貫きグレイデンの背中まで抜ける。


 グレイデンの身体から炎が噴き出した。


 鬼神は絶命した。


 だが今際いまわの際にグレイデンは呪文を唱えていた。


 グレイデンの魔剣が恐ろしい速度で三人に襲い掛かった。


 ホークウィンドとシェイラは際どい所で飛んできた剣を躱す。


 ナグサジュはそうはいかなかった――鬼神の身体を右腕が貫いたままだった。


 身動きが取れないナグサジュを魔剣が貫く。


「ナグサジュ!」シェイラとホークウィンドは叫んだ。


 魔都マギスパイトの闘技場コロシアムグランドチャンピオン、ナグサジュは咳き込みながら口から血の塊を吐き出した。


 魔剣は主人同様塵になって消えて行く。


 一拍置いて背中と胸の傷口から血が噴き出す。


 ナグサジュはがくりと膝をついた。


 既に意識は失われていた。


 結界が崩れ始める。


 駆け付けたシェイラが傷口を塞ぐ魔法を掛ける。


 気休めだが少しでも蘇生の確立を上げる為だ――心臓は停止し、死は避けられない――。


 ラウルから念話テレパシーが届いたのは数十分は経過してからの事だった。


 結界が完全に崩れ去り、魔導専制君主国フェングラースの戦方士バトリザードが転移の魔法でナグサジュを後方の蘇生魔法が使える治癒術士ヒーラーの元へ送る。


「大丈夫――大丈夫よね。お義母さま――」シェイラが自分に言い聞かせる様に声を出す。


「出来るだけの事はしたよ――ナグサジュは不死身のチャンピオンだよ、大丈夫」


ホークウィンドは出来るだけ落ち着いた声でシェイラを励ます。


「ナグサジュは蘇生出来る人に任せるしかない。今は静香ちゃんとマリアちゃんに追い付く事を考えないと――」


 ラウル達は必死にマリア達の霊的痕跡を辿る魔法を使っていたが、未だ足取りは掴めていなかった。


 これ以上の悲劇は何としても避けなければ――それがホークウィンド達の必死の覚悟だった――。

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