ジュラール=ド=デュバル卿

 闇に包まれたと思った直後、マリアと静香、それに有翼一角馬アリコーン“ホワイトミンクス”とマリアの使い魔の老白猫“しーちゃん”は、赤黒く空が光る果ての無い平原に居た。


 ぬるい風が二人――と一頭と一匹をなぶる。


 彼方に黒い山――そして山そのものから生えた様な尖った塔が幾つか屹立している。


“あれは――アリオーシュの居城よ”ミンクスが伝えてくる。


「私達、女神自らに招待されたって訳ね」静香が硬い表情で言った。


「混沌の女神アリオーシュを倒せば、この戦いも終わりです」マリアも自分に言い聞かせる様に言った。


 静香もマリアも緊張した面持ちだった。


「ミンクス、翼を出して――空から行きましょう」


“ええ”ミンクスがたたまれていた翼を伸ばす。


 ミンクスが翼を羽ばたかせる――静香とマリア、それに“しーちゃん”を乗せて舞い上がった。


 空を翔けるミンクスはみるみるうちに城に近づいていく。


 三十分ほども飛んだろうか、山の中腹に大きな門が有った。


 静香達は敵の大量の出迎えを予想していたのだがそれは外れた。


 マリアは生命検知の魔法で門を覗き見る。


「何も居ません――罠かしら」


 ミンクスは門の前に降り立って翼を畳む。


 空を飛ぶのは大地を駆けるより力を消耗するからだ。


 マリアはしーちゃんの五感全て――第六感までをも自分に同調させて辺りを調べ始めた。


 天井の高い門を抜け、心細い照明の施された一本道の通路を進んでいく。


 百メートル程も進んだろうか、広間の様な大部屋に着いた――。


「先輩!」部屋に入った瞬間、マリアは全身が逆立つような殺気を感じた。


 静香はものすごい速さで飛んで来る棒の様な物体――投槍ジャヴェリンだ――を視野に捕え、神殺しこと日本刀“桜花斬話頭光宗”を居合の要領で抜きながら光宗の飛び道具、金色の刀気を飛ばして投槍ジャヴェリンを叩き落した。


 不快な金属音を立てて投槍ジャヴェリンが床に転がる。


 奥に馬に乗った人影が有った。


 人影はもう一本の投槍ジャヴェリンを投げつけて来た――危うい所で静香は二本目を弾き落とす。


 一瞬の事だった――敵が剣の間合いに入っていた。


 静香の左胴に広刃の片手半剣バスタードソードが襲い掛かる。


 一撃が諸に胴に入った。


 深緋の稲妻“スカーレットライトニング”の真っ赤な鎧――は片手半剣バスタードソードの一撃を凄まじい火花を上げながら何とか食い止めた。


 並の魔法鎧なら胴体は両断されていても不思議では無かった。


 余りの衝撃の重さに静香は悲鳴を上げる事さえ出来ない――息が詰まった。


 容赦なく二度目の攻撃が来る――辛うじて今度は“神殺し”で相手の一撃を止めた――止めるので精一杯だ――。


 静香とマリアは相手の姿をはっきり見た。


 紫の瞳に濃い茶色の長い髪を束ねた男だ――。


「――ジュラール!」静香は驚愕の色を隠せなかった。


「ジュラールさん――どうして――」マリアも信じられないといった声を上げる。


 静香に容赦ない一撃を見舞ったのは他ならぬ静香の剣の師匠、ジュラール=ド=デュバル卿だった。


「静香様――敵を前に感情を抑えられなければ戦士として失格です」ジュラールが冷徹な声で告げる。


「アリオーシュ様の元に行きたいなら、私をたおして先に進んで下さい――私にかなわないならアリオーシュ様に勝つ事等到底出来ません」


 言いざまにジュラールは剣を振り下ろしてきた。


「――どうして戦わないといけないの?ジュラール!?」未だ静香は覚悟できずにいた――ジュラールの連打を受け止めながら何とか戦いを避けようと必死に叫ぶ。


 マリアは防御の結界を張る。


 しかしジュラールの剣は結界を切り裂いた。


 マリアにはそれが信じられなかった。


 今迄この結界を破った者は居なかった。


 ホークウィンドやアトゥームさえ破れなかったのだ。


“ジュラールさんは本気だ――”マリアは戦慄した。


 転移の魔法を唱えたが、一歩もマリア達は動けなかった。


 呪文が失敗した訳では無い――この城全体が転移魔法を防ぐ様になっている――マリアは呪文が消えるのを感じてそこまで感知した。


「戦って。先輩――」マリアは静香を𠮟咤しったする。


 ジュラールの連打は止んだ――間合いを計る様に剣と大盾を構えている。


 一分の隙でも見せれば再度切りかかってくるだろう――そんな張り詰めた気配だった。


 静香が戦えないと見て取ったマリアは重力増加の魔法をジュラールとその乗馬に掛ける。


 魔法は虚しく弾かれた――。


「無駄です――マリア様」ジュラールは冷たく言った。


「静香様も覚悟を御固め下さい――ここで私を斃すか、ここで私に斃されるか、です」


 静香は沈黙していた。


 師を手にかけられるか――生半可な気持ちでかかればマリアも助からない。


 静香は迷いを捨てた。


「かかってきて、ジュラール」躊躇いを見せずに、静香は言い切った。


 *   *   *


 不老不死ハイエルフの女忍者ホークウィンドは、魔都マギスパイトの闘技場コロシアムグランドチャンピオンのナグサジュと義理の娘の黄金龍ゴールドドラゴンシェイラと共にアリオーシュ四天王の一人、“鋼血の鬼神”グレイデンと向かい合っていた。


 周りで次々と実体化する悪魔を人間達の軍勢が相手をする中、グレイデンだけは一人で三人と戦うつもりなのだろうか――ホークウィンド達にかかってくる悪魔は居なかった。


「俺を早く斃さないと、七瀬真理愛と澄川静香は危ないぞ――女忍者ホークウィンド」


「そうだね。ならボク達も全力でいかせてもらうよ。それに悪いけど後ろにも回らせてもらう――シェイラ、頼むね」


 シェイラは油断なくグレイデンの斜め後ろに回り込む。


 ナグサジュは反対側から鬼神の右斜め後ろについた。


「良いぞ。全力でかかってこられなければ面白くない」グレイデンは余裕を全く失っていなかった。


 グレイデンの真正面にホークウィンド、斜め後ろにシェイラとナグサジュで三角形を作る。


 正三角形が出来た途端、三人はグレイデンに襲い掛かった。


 攻撃は通じなかった――残像を残してグレイデンは三角形の外に逃げた。


 三人はグレイデンを見失わなかった――次の攻撃を繰り出す。


 ホークウィンドは右貫手、ナグサジュは左の拳、シェイラは魔剣、龍爪ドラゴンズクロウで袈裟懸けでグレイデンを襲う。


 今度はグレイデンは逃げなかった。


 三本の魔剣で三人の攻撃を受け止める。


 鍔迫り合いを繰り広げながらグレイデンはニヤリと笑った。


「グレイデン、キミは――」ホークウィンドは絶句したように言葉を発した。


「そう、俺には背後にも視覚が有る――白兵戦で俺に勝てる奴は居ない」


「あながち過信という訳でもない――か」ナグサジュは言いざまに踏み込むと右の膝蹴りを飛ばした。


 左拳はグレイデンの魔剣と迫り合ったままだ。


 膝蹴りにも魔力が乗っている。


 人間が相手なら骨ごと肉体が砕け散る程の衝撃力が有る蹴りだった。


 ナグサジュの膝蹴りはグレイデンの右脚を直撃した。


 ダメージを与えられなくてもバランスを失わせれば――しかしグレイデンの脚は揺らぎもしなかった。


「今度はこちらからだ――」グレイデンは三本の魔剣を振り上げた。


 凄まじい勢いで三人目がけて魔剣が振り下ろされる。


 ナグサジュは両腕を交差させて一撃を受け止めた。


 ホークウィンドとシェイラは体をさばいて攻撃を躱す。


 地面を叩いた二本の剣は大音響と共に直径1メートルは有りそうな凹みを作った。


 攻撃は終わらなかった――下から切り上げてくる――ホークウィンドはその攻撃が自分に向けられたもので無い事に気付く。


「チャンピオン!」二本の剣はナグサジュを襲った。


 剣が当たる刹那、ナグサジュはするりと攻撃を躱した。


 グレイデンの表情が驚きの色を浮かべる。


「舐めてもらっては困るな、鋼血の鬼神」


 剣で押さえながら動けない所を攻撃した筈だった。


 わずかな隙をナグサジュは見逃さなかったのだ。


 すり抜け様にグレイデンの四本ある腕の内、右下の腕に右拳を打ち込んでいた。


 グレイデンは腕が痺れるのを感じた。


 思わず剣を取り落しそうになり、囲みの外に逃れる。


 こうして鋼血の鬼神と世界最強の人間達との戦いは始まった。


 *   *   *


 人類軍の先鋒を務めていた“死神の騎士”アトゥームは前方から攻めてくる魔族軍の本陣との戦いに入っていた。


 後続を味方本陣と先鋒の間に転移してきた敵軍に向け、残りで敵本陣に向かい合う。


 味方本陣なら大丈夫だろうとアトゥームは推測した。


 こちらの後続を防御に回し、挟み撃ちの形に出来るからだ。


 魔族は強いが、転移魔法を使える者はそれほど多くない。


 問題は敵の転移魔法――アトゥームはそう見当づけていた――で飛ばされたマリアと静香達だった。


 敵の本陣には人型を取ったアリオーシュの姿が有る――本人では無いかも知れないが、討ち取らない事には何とも言えなかった。


 “変化のゾーイ”とあだ名されるアリオーシュ元四天王の話はアトゥームも聞いていた。


 マリアに化けてジュラールをだまし討ちした悪魔だ。


 彼女がアリオーシュに化けている可能性は十分に有る。


 ――まずはこちらへの攻撃を退けてからだ――アトゥームは脇に逸れそうになる思考をまとめようとした。


 斥候は離れて状況を監視し、異常が有れば直ぐに伝えてくる態勢を整えていた。


 魔族の先鋒とこちらの先鋒が激しく戦っている。


 魔術師の魔法が魔族の魔法とぶつかり合う。


 ドワーフの戦士やエルフの剣舞士ソードダンサーや人間の騎士、それに魔導専制君主国フェングラースの戦方士バトリザードが奮戦している。


 魚鱗の陣のまま、敵の抵抗が薄くなったら一気に中央突破を図るつもりだった。


 ラウルに遠距離通話用のペンダントで連絡を取る。


「義兄さん。分かってるとは思うけど――」


「無理攻めするなだろう。機を捉えるのはこちらに任せてくれ」


 アトゥームはアリオーシュが旗本と共に近づいてくるのを見た。


 魔族の陣自体が総攻めにかかって来たのだ。


 敵は陣は形を為していない――津波の様だ。


「ラウル、戦術変更だ――敵が総掛かりで来た。暫く防御に徹する。そちらの魔族が片付いたらこちらに合流してくれ」


 ラウルから「了解」の返事が来る。


 先鋒だけで何時まで持ちこたえられるか――場合によっては自分が出なくてはならないだろう。


「簡単には勝たせてもらえないか」アトゥームは独り言の様に呟いた。


 “神殺し”では無い自分の剣で何処まで戦えるか。


 愛馬スノウウィンドに騎乗したアトゥームは背中に背負った両手剣ツヴァイハンダー“死神の騎士”の剣を意識した――。

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