夢魔と死神
“私は――”
繋がっている――幻覚でも見ていたのかしら――リリスは疑問に思う。
暗闇が広がっている――
闇の中で目が効かないのは恐怖をもたらしても不思議では無い筈だったが、リリスは恐怖は感じなかった――あの神を見るまでは。
暗闇に中に白い影が居る。
雪白の衣に長い雪白の髪――真っ黒な肌――振り返った男は恐ろしいまでに美しかった。
リリスに心底からの恐怖が宿った――あれは、死神の王、ウールム。
後退りしようとして<
<死>の眼力で身体が動かない。
ゆっくりと<死>が近づいてくる。
リリスの頭には<死>を誘惑しようという考えさえ浮かばなかった。
混沌に与していた者を<死>が赦すとは思えない。
尻餅をついたリリスは<死>を見上げる形になった。
辛うじて口から言葉を紡ぎ出す。
「王の中の王たる御方よ――どうかお慈悲を――」震える言葉を抑えようも無い。
死の王ウールムがその気になれば
「お前をどうこうしようとは思わない」<死>の声は深く朗々と響いた。
「では――」リリスは安堵しかかったが<死>の次の言葉に衝撃を受けた。
「混沌の女神アリオーシュ四天王の一人リリス、お前は死んだ――ここは死後の世界」
「御冗談を――」言いながらリリスは自分が死んだという事を薄々自覚していく。
<死>の眼を覗き込む――腹に刺さった魔法のナイフに引きずられ、激痛の中背中の羽を刃にして澄川静香と七瀬マリアに襲い掛かったが――及ばず敗北した。
その光景がはっきりと思い出された。
自分は<死>に裁かれるのか――多くの人間を、それ以外の者も破滅に導いてきた――地獄以外に自分の行き場が有るとは思えない。
リリスがそう思った時、脳裏に自分が生まれてから今迄の出来事が早送りの映像の様に写し出された。
魔族の有力貴族の家に生まれ、魔界での勢力拡張の為に戦っていた時にアリオーシュとの戦いに敗れ、配下に加わった。
最初は元人間の成り上がり風情と思っていた。
だが、魔界で血で血を洗う争いを繰り広げてきたリリスさえ戦慄する程の過去を背負ったアリオーシュの精神力と魔力を次第に認めざるを得なかった。
<憎悪>の神“ラグズ”に力を与えられたアリオーシュは神になった当初は真正面から敵を叩き潰してきた。
アリオーシュに比べればリリスは恵まれた過去を送って来た。
戦いのやり方、房中術を使っての篭絡、憐憫を誘っての騙し討ち等を幼い頃から教え込まれたが、戦いに出るまでに十分に訓練を積み、他の兄弟姉妹同様、家族の愛情を――歪んだものも有ったのだが――一身に受けて育った。
リリスには家族が居たがアリオーシュには居なかった。
配下になった当初はアリオーシュの神力を奪って取って代わる心積もりだったのだが、何時しか彼女に惹かれる様になっていた。
身体を重ねて底の底まで彼女を知った――幾らでも残忍にはなれるが曲がった事はしない、神を恨んでいる、“外なる神々”の様に歪んではいない。
リリスの知るアリオーシュは純粋と言っても良い魂の持ち主だった。
<
闇の眷属という点では一緒だが感情を持つ者が存在する限り不滅の<憎悪>は生ある者が居る限り不滅の<死>同様、アリオーシュよりも遥かに滅する事が難しい神だ。
リリスの脳裏に浮かぶ映像がアリオーシュがマリア達を見つけた頃になった。
アリオーシュは二人に恋をしたのだ――それはリリスに強烈な嫉妬心を抱かせた。
表面上はアリオーシュの言葉に従いながら、二人を排除できる隙を狙っていた。
死んだ今となってもその嫉妬は消えなかった。
「私を戻して――」嫉妬の余りリリスは口調さえも丁寧さを欠くものになった。
<死>の瞳を真正面から覗き込んで、恐怖も忘れてリリスは言った。
「私を好きにしていい――どんなことでもしてあげる。その代わりに終わり次第私を――アリオーシュ様の元に返して」命令とも取れる口調だった。
目の前の神が男の姿をしていた事がリリスの目を
男なら――女でもだが篭絡できる――リリスには自信が有った。
リリスは魅惑の魔眼を使う。
だが<死>には通じなかった。
少しの沈黙の後に<死>は言った。
「私は愛を契りも、
<死>の言葉は続く。
「ここは時間が無い世界だ。お前には――そして全ての魂には、無限の可能性が有る。何処に行くかはお前自身が決めることになろう」
それだけ言うと<死>は忽然と姿を消した。
全き暗闇がリリスを覆った。
リリスは光を見た――強烈なのに眩しさは感じない。
光に包まれた時、安堵と共にリリスは何もする必要が無い事を魂の底から実感した。
自分が地獄に堕とされる事は無い事も。
アリオーシュがいずれ救われる事も。
今、この瞬間ですら自分はアリオーシュと共にある事も。
リリスに今迄の人生を――彼女の言動によって影響を受けた者全てが感じた事を逆に体験した。
それはリリスにとっては思いがけない事の発見だった。
そして<死>の予言通り、リリスはアリオーシュの元へ帰る事は無かった。
* * *
戦いが始まっていた。
アリオーシュ配下の魔族と
黒の塔の地下迷宮に現われた魔族を撃退し混沌界へと攻め込んだのだが、ラウルにはそれが誘いである事が分かっていた。
味方には魔導専制君主国フェングラースの
“死神の騎士”傭兵アトゥーム=オレステスはグランサール皇国近衛の軍を率いて先鋒を務めていた。
アトゥームの妻となった皇国皇女アレクサンドラは黒の塔の一室から魔法の水晶で戦いを見守っていた――もしアトゥームが
――皇女は自分も前線に出ると言い張ったのだが、彼女付きの女精霊使いシルヴェーヌや側近がそれを止めた。
皇女はアトゥームが危機に陥った時、魔法で黒の塔まで強制的に転移させる事で――渋々だったが――妥協した。
マリアと静香はアリオーシュが出てくるまで力を温存する。
エルフの女忍者ホークウィンドと
逃げた敵を追った先の混沌界には敵兵が一人も居なかった。
斥候の魔法使い達は罠が仕掛けられていないかを確認し遠距離通話の魔法具を用いてラウル達と連絡を取り合う。
治癒術士達は“通路”で繋がれた黒の塔の広間でエルフの治癒術士アリーナの指揮のもと怪我人の治療に当たっていた。
ドワーフの徒歩兵、エルフの
「敵魔族多数、接近してきます」斥候から連絡が入る。
先鋒は魚鱗の陣を引いていた。
本陣に居たラウルはそれが陽動ではないかと疑った。
本陣の魔術師達に警戒させる。
果たして赤黒い火の玉が本陣の前に無数に現れた。
「マリアちゃん、静香ちゃん、気を付けて――」ホークウィンドが警告する。
先頭を切って現われたのはアリオーシュ四天王の一人、鋼血のグレイデンと呼ばれる鬼神だった。
出現直後にホークウィンドとシェイラ――エルフの姿を取っていた――はグレイデンに攻撃を仕掛けた。
四本の腕を持つグレイデンは両手持ちの大剣と左右に片手持ちの幅広剣の三刀流の使い手だ。
シェイラは魔剣、
シェイラの一撃は両手剣で防がれた。
ホークウィンドの攻撃がグレイデンの右手首に当たる――その直前にグレイデンの姿が消えた。
咄嗟の事にホークウィンドは思わずバランスを崩す。
ホークウィンドは視界の片隅にグレイデンの剣が自分目掛けて袈裟懸けに振り下ろされているのを捉えた。
何とか
――間に合わない――ホークウィンドは死を覚悟する。
「ホークウィンドさん!」
「お母様!」シェイラとマリアが叫ぶのが聞こえた。
その時、鐘を叩く様な低い音が響いた。
突然割り込んできた白い鎧の男がグレイデンの剣を弾いた音だった。
「らしくないな、ホークウィンド卿」男が言った。
「マギスパイト
「我々はフェングラースの増援だ。ここに来るまで時間が掛かった。
「とにかく助かったよ、グランドチャンプ」
「礼は後だ。とにかく今はこいつを――」
ナグサジュは魔力を両手足に乗せてグレイデンの剣を押し返す。
「これは願っても無い――」グレイデンは哄笑を響かせた。
「
「マリア――」
「ええ、先輩――」肩にとまった使い魔の白猫“しーちゃん”を降ろそうとしながらマリアが応じる。
「待って。マリアさん、静香さん」ラウルが制止する。
「止めないで、ラウル」
「アリオーシュが――」マリア達は最後までラウルの言葉を聞く事は無かった。
マリアと静香、それに
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