それぞれの結末

 ハーフエルフの女精霊使い(エレメンタリステス)シルヴェーヌ=ド=ブラントームは自らの喉に短刀ダガーを突き立てた。


 冷たい金属の感触か熱い痛みの塊かが喉を襲う――筈だった。


 何も起こらなかった。


 両手で握っていた筈の短刀ダガーは影も形も無くなっていた。


 マリアの使い魔の白猫、“しーちゃん”が短刀ダガーを咥えて座って居るのが視界に入った。


「どうして――」シルヴェーヌはマリア達を睨んだ。


「どうして思う通りにさせてくれないの――」


「貴女が必要な人だからよ、皇国にとっても、皇女にとっても、そして私達にとっても」静香がシルヴェーヌの視線を真っ向から受け止めた。


「貴女達は卑怯よ――」シルヴェーヌは力のこもらない声で言う。


 沈黙が辺りを覆った。


「気は済んだ――?」暫らくして、静香は冷徹に言った。


「貴女は失敗した――同情はするわ。繰り返すけど悪い様にはしない」


 シルヴェーヌは自分の手を見つめた――。


「今更戻れるの――私は裏切り者よ。民だって――」


「気の迷いや誘惑に駆られる事は誰にでも有ります。完全無欠の人なんて居ません」マリアは心を込めて言った。


「それにシルヴェーヌさんにもしものことが有ったら一番悲しむのはアレクサンドラ皇女です」マリアがシルヴェーヌの瞳をじっと見つめた。


「それでも最悪の結末を選ぶんですか?」


 先程よりも長い沈黙が有った。


「――姫様が――もし――赦してくれないなら私は――生きていけない――赦して下さっても――」


「やり直すことは出来ます。どんな状況からでも――シルヴェーヌさんは皇女様を独り占めしたいんですよね」


 シルヴェーヌがうなづく。


「だったら、これからでも奪ってみせればいいじゃないですか。連れ去るんじゃなく、堂々とアトゥームさんから奪えば良い。その機会チャンスを逃すんですか」


「私達は今回の件でシルヴェーヌさんを責めません。アトゥームさんやラウルさんが責めるなら私達はシルヴェーヌさんに味方します」マリアが隣にいる静香を見る。


「そうですよね、先輩」


「言うまでも無い事よ」静香が頷く。


「それにアトゥームは情が薄い所が有るから、独り占めだって十分チャンスは有るわよ」静香は表情を和らげて言った。


「誰が情が薄いって?」後ろから当のアトゥーム本人の声がしたが、静香は意に介さない。


「事実じゃない。エレオナアルの息の根をあっさり止めちゃって、普通ならもう少し苦しませる所よ。あの男に私が合わされた目を考えてくれるならね」


「そういうのは情が薄いって言うのかしら」シルヴェーヌがようやく笑みを浮かべた。


「ぐうの音も出ないな」アトゥームはあっさり言った。


「ともかく、皇女様の居場所を教えて下さい。シルヴェーヌさん」マリアが言った。


「分かったわ――私の負け。もう姫様を連れ去ったりはしないわ」疲れた笑みを浮かべてシルヴェーヌが言う。


 シルヴェーヌによる皇女アレクサンドラ誘拐はこうして終わったのだった。


 *   *   *


「――私の負けね」この様子を魔法で見ていた龍の王国ヴェンタドールの女勇者シーナ=セトル=エリシア=ライアンは呟く様に言った。


「“私達”――でしょう」シーナを後ろから抱きしめながら守護白龍ヴェルニーグが訂正する。


「これからどうするの?エリシア」ヴェルニーグはわざとシーナのいみなを呼んだ。


「アリオーシュ女神の傘下に入る?それとも復讐は諦める?」


「アリオーシュの手を借りるのはしゃくだけど、復讐を諦めるのも癪だわ」


 ヴェルニーグは心の中で微かに笑った――兄の復讐が至上の命題で無くなった時点で答えは出ている――指摘はしなかったが。


 シーナはヴェルニーグに篭絡されていた。


 ガルム帝国――そして他の国にもシーナを龍の王国ヴェンタドールの勇者として正式に認めさせないといけない。


 その為に取れる手段は全て取るつもりだった。


 アリオーシュと組んだり、国際謀略組織、秩序機構オーダーオーガナイゼーションと関りが有るという事はその為にはマイナスだった。


 致命的な事態になる前にそこから彼女を引き離しておきたい。


 シーナはヴェルニーグが微笑んでいるのに気付いた。


「ヴェルニーグ、何が面白いの?」不機嫌さと不信感を絶妙に滲ませた声でシーナが尋ねる。


「貴女が困るところを見るのは楽しいわ――問題をどう乗り越えるのかを見る所まで含めて」


 シーナの顔にはさらに複雑な表情が浮かぶ。


「アリオーシュと対等な契約を結ぶのはどうかしら」少し間を置いて表情を地顔にしたシーナは今まで温めていた腹案を口にした。


「彼女は当てにならないわよ――混沌が“対等”な契約を結ぶはずが無い。傭兵として雇われるようにはいかないわ」ヴェルニーグは言葉を切った。


「それに彼女は私の夫の仇でも有るのよ、貴女が彼女に付くなら私は貴女を捨てる」


「そう――そうね。私も貴女を敵にしたくは無いわ」シーナの顔には失望が浮かんでいた。


 シーナとしてもヴェルニーグに見捨てられたら行く先の保証は無い。


 彼女一人でアリオーシュと契約を結ぶのはいくら何でも不用心だった。


 契約の穴を突かれてアリオーシュの奴隷となる――それは考え得る限り最悪の破滅だった。


 ヴェルニーグにしてみればシーナが取り得る答えは既に出ている。


 それを中々認められないのが人間の弱さだと感じていた。


「ヴェンタドールに戻らない?シーナ」ヴェルニーグはシーナの背中を押そうとした。


「貴女と私二人で勇者と王国守護龍の地位に付けばいい。ヴェンタドールは少しでも力を必要としてる――私達を無下にはしないわ」


「あの軟弱王が支配する国に?冗談」シーナは顔をしかめたがそれとは裏腹の気持ちが芽生えつつあるのも事実だった。


 国に戻れば、王以上の権勢を振るえるだろう――勇者の家系の贅沢な暮しから乞食の様な流浪の暮しに身をやつした――兄の仇は討てたとは言えないが十分以上に努力したのではないか――そんな思いがシーナを包んだ。


 ヴェルニーグは自分の言葉が想像通りの反応をもたらした事に満足の笑みを浮かべた――。


 *   *   *


 “死神の騎士”傭兵アトゥーム=オレステスとグランサール皇国皇女アレクサンドラの婚姻の儀は4日遅れで無事執り行われた。


 名実共にグランサール皇国戦皇となったアトゥームだったが生活は殆んど変わらなかった。


 豪華な食事を食べる事も少なければ、贅沢そのものにもあまり興味を示さない。


 敗戦に至る道筋を付けるより、統治する方が遥かに難しい。


 朝早くに起き、戦闘訓練を行い、執務を執り行い、増えた事といえば貴族達や国民と面会する事だった。


 徹夜はアレクサンドラに止められたため殆んどしなかったが、傭兵時代にも無理をする事が有った事はマリア達も知っていた。


 健康に気を遣った生活を送りながらも仕事の密度は上げていた。


 アリオーシュ打倒の為の情報を収集し、出来るだけ早くアリオーシュの支配する領域に打って出る為だった。


 多くのグランサール皇国民はアリオーシュが邪悪の女神だという事は知っていたが、これまでの死の王ウールムが邪悪の第一神という教育に染まり切っていた為、それがどれ程重要な事なのか想像がつかなかった。


 ラウル達は根気よくアリオーシュの野望――この世界を混沌界――アリオーシュの支配する領域にせんとする渇望について国民に語った。


 混沌の神々に敵対する教義がグランサール皇国に広まっていた事は幸いだった。


 皇国守護神ヴアルス神官団の働いていた専横を糾弾し、前戦皇エレオナアル派を処断し、反対派の切り崩しを行っていた。


 エレオナアル達の悪行も確たる証拠が有った。


 ラウルは抜かりなくそれらを使って国民の洗脳を解いていった。


 エレオナアル派に煽動された民衆が暴動を起こす事も有ったが、飛び火させない。


 人は辛い真実より耳ざわりの良い嘘を信じたがるという事も承知していた。


 敢えて真実を突き付けたり、懐柔めいた事を行ったりと苦心しながら自分達の正当性と事実を世論に刻み込んでいった。


 長い時間が必要な事だった。


 当面は皇国民達を縛っていた理不尽な戒律や社会慣習から解放し、自由を与える事が大事だとラウルは知っていた。


 過去に戻りたくない――それが皇国民の総意にならないといけない。


 戦災孤児や働き手を失った寡婦や障害を負った元兵士等を救済し、戦争で疲弊した村や町を立て直す。


 その為に皆が公平に負担を追う――特に財産の有る物には多く負担を強いる――有力者を敵に回しかねないが、世論を誘導し反論や反乱を封じ、敵対する有力者同士を連携させず各個に潰していく。


 ラウルはこうした駆け引きをマリア達にも見せていた。


 今は嫌われても、後にマリア達の役に立つことになる事を見越していたからだ。


 マリアと静香は権力闘争には嫌悪感を抱いてすらいたのだが、ラウルの手並みの鮮やかさは認めざるを得なかった。


「これを見ていた事が何時か役立つ事になるんですか?」マリアはラウルに尋ねた。


「そうだよ。特に静香さんにはね」ラウルは真面目な顔で言った。


「余り役立つ事態には巻き込まれたくないけど」静香は答える。


「こうした事に巻き込まれずに済む人生はまれだよ――そういう人生を送れた人は幸福だね」ラウルは続けた。


「前に政治と真実は相容れないものって言ったわよね」静香が確認する様に言う。


「そう。大きな嘘を長い間つき続ければ真実になる――それが政治の世界だから」


「目的を達成するために言いたい事だけを言う――それも“適切な言い方”で言う。それが政治だよ」


「夢も希望も無いのね」静香は嘆息した。


「政治を使って何を達成したいかにもよるよ――だからこそ政治そのものに興味を抱いたり、私利私欲の為に使いたいという人物には権力を握らせちゃいけない――そうした人に対抗する為に政治を学ぶ必要はある――僕が静香さん達に今してる事を見せるのはそういう理由」


「“悪”に対抗する為に“悪”を知る必要が有るって事ですか?」マリアが口を挟む。


 ラウルは頷く。


 ラウルは未来予知の能力も有ったが、後に起こりそうな事を論理的に予測する事にも長けていた――それを静香もマリアも知っていた。


「貴方がそういうならそういう事なんでしょう――神様って本当に意地悪ね――」


静香は久しぶりにこの言葉を口にした。


 ――そうして国内が落ち着き始めた頃、遂にアリオーシュ打倒の手掛かりが見つかったのだった。

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