皇女誘拐――二幕

 グランサール皇国皇女アレクサンドラが攫われて二時間も経たずにマリア達は追跡を開始した。


 魔力の痕跡は極限まで消されていたが、残り香の様な微かな痕跡をマリアは辿る事に成功した。


 使い魔の白猫――“しーちゃん”とマリアは名付けていた――の魔眼と空中に途切れ途切れに残るシルヴェーヌの魔力の“匂い”を追わせる事で彼女が皇都ネクラナルの市壁を超えた所で大地に降りた所迄突き止めた。


 そこで龍の王国ヴェンタドールの女勇者シーナ、その庇護白龍ヴェルニーグ、そして秩序機構オーダーオーガナイゼーションの首魁ティール公爵と合流した――そこまでは追えた。


「ここから転移の魔法で跳んだんです――魔力の痕跡が無くなってる」マリアはアトゥーム達に言った。


「これ以上先は追えないね。神託オラクルの呪文位しか先を辿る手段は無いよ」軍師ウォーマスターラウルが辺りを見回しながら言う。


「知恵と戦いの女神ラエレナに聞いてみる?今は非常事態だし、女神も力を貸してくれると思うけど」


 全員がラウルを見た。


 神託の呪文は絶対とは言えない――神が適当ではないと思えば答えは得られない――試練を与える為あえて答えない事も有る――特に人が神に全てを頼る気持ちを助長すると思えば。


 それでもこの場で出来る事はそれしかない。


「一旦戻らなくて大丈夫?長い旅になるかも知れないじゃない」静香が言った。


「まずはここで聞いた方が良いと思う。女神が何らかの手掛かりを見つけてくれるかも」


 ラウルは呪文を唱え始めた――。


 *   *   *


「ん……」アレクサンドラは寝心地の良い寝台の上で目を覚ました。


 記憶が曖昧だ。


 自分は“死神の騎士”にして新戦皇アトゥームとの結婚の儀に臨んでいた――そのことを思い出すまで暫くかかった。


 シルヴェーヌの涙に濡れた目――それでアレクサンドラは全てを思い出した。


「シルヴィ――」シルヴェーヌは呼び声に応じてくれなかった。


 彼女に魔法で眠らされてその後は――自分の身を確認する――服は簡素な寝間着で、化粧は落されていた。


 魔法でラウルと連絡を取ろうとして指輪が嵌められている事に気付く。


 霊能呪縛――嵌められている間、無詠唱のものも含めて全て魔法を使えなくなる指輪だ――。


 外すには強力な解呪ディスペルを掛けるか、指を切断するしかない。


 恐らく部屋も結界で外界と隔離されているのだろう――。


 知らない内にシルヴェーヌを傷つけていたのかも知れない――彼女の気持ちは分かっていた筈なのに――自分は無神経だった――アレクサンドラは我が身を恥じた。


 部屋には同じ壁面に二つの扉が有った――一つは手洗い、もう一つは浴室だった。


 他に出入り口は無い。


 食卓の上に水差しと大きな水晶玉――差し渡しは15センチ近く有るだろう――が有った。


 慌てても始まらない――アレクサンドラは水差しからコップに水を注ぐと少しずつ飲み始めた。


 水――蜜水だった――を飲み終えた時部屋が揺れた――地震の様な揺れだった――。


 シルヴェーヌの声がした――水晶に映像が見えた――アレクサンドラは水晶を覗き込む――音もそこから聞こえていた。


 シルヴェーヌが精霊魔法を唱えている。


 水晶から光が差し、映像を空中に写し出した。


 シルヴェーヌがマリア達と戦っている――。


「止めて、シルヴィ――どうして!」アレクサンドラは叫ぶ。


“止めません”水晶から声がした。


“姫様が私だけのものにならないなら――”


 マリア達を受けて戦うのはシルヴェーヌ、ヴェンタドールの女勇者シーナ、その守護龍ヴェルニーグ、そして秩序機構オーダーオーガナイゼーションの首魁ティール公爵とその手下の戦方士バトリザード達そして召喚された魔物達だ。


 マリア達のチームワークにシルヴェーヌ達は押されていた。


 地下迷宮ダンジョンを思わせる場所だった。


 マリアと静香のコンビをシーナとヴェルニーグが襲うが、狭い空間で空を飛べない為だろう、二人を圧倒することが出来ない。


 シルヴェーヌはアトゥームを狙っていた。


 魔物を囮に魔法で狙撃するが致命傷を与えられない。


 反対にラウルが魔法で召喚された魔物を圧倒する。


 魔法で身体強化した戦方士バトリザード達を女忍者ホークウィンドと治癒術士ヒーラーアリーナ、黄金龍ゴールドドラゴンの娘シェイラが薙ぎ倒す――そう言っても良い程の一方的な展開だった――ティール公爵は前衛が全て斃される前に転移の呪文で逃亡した――。


 シルヴェーヌは焦っていた。


 せめてアトゥームだけでも――恋敵に一矢報いたい――そんな思いが身を焦がす。


「貴方さえ来なければ――」シルヴェーヌは叫ぶ。


 今この瞬間――シルヴェーヌは一身にアトゥームを憎んでいた。


 ――内心では分かっていた――彼が来なければ前戦皇エレオナアルと勇者ショウは斃される事は無く、アレクサンドラが解放される事は無かった――。


 シーナ達も不利を悟って転移魔法で戦場から撤退する。


 この場に残っているのはシルヴェーヌが召喚した地霊アールエレメンタルと魔物――レッサーデーモンと呼ばれる悪魔が数体、そしてシルヴェーヌ自身だけだった。


 シルヴェーヌは降参するつもりは無かった。


 麻痺の魔法をアトゥーム達に掛ける。


 通じなかった――続け様に地霊アースエレメンタルが拳を振り上げる――もろに入れば“死神の騎士”といえど致命傷の筈だ。


 しかしアトゥームの両手剣ツヴァイハンダーは振り下ろされた地霊の腕を一瞬早く切断した。


 地霊の腕が再生を始める。


「シルヴェーヌさん!もう止めて!」マリアが叫ぶ。


 最後のレッサーデーモンを斃した静香が突っ込んできた。


 シルヴェーヌは細身剣レイピアで迎え撃とうとしたが間に合わない。


 細身剣レイピアが静香の日本刀に弾き飛ばされる。


 乾いた金属音を立てて細身剣レイピアが床に転がった。


「貴女の負けよ」静香が同情の色を顔に浮かべて言った。


「認めて――悪い様にはしないわ」


「貴女達に何が――」シルヴェーヌは反駁した。


“シルヴィ――もう良いでしょう”懇願する様にアレクサンドラの声が響いた。


「姫様――私――」


 自分でも分かってはいた――子供じみた独占欲だった事は。


 ――それでも――あの女性ひとを自分だけのものにしたかった。


 シルヴェーヌの眼に涙が浮かぶ。


 私だけのものにならないなら――せめて。


 一生忘れられない様に――。


 シルヴェーヌは法衣ローブの陰で両手に握った短刀ダガーを気付かれぬ様そっと構える。


 自死すれば蘇生魔法も効かない。


“姫様――”シルヴェーヌは短刀ダガーを喉に突き立てた――。

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