臨死、そして龍の王国の降伏

 マリアは暗闇の中に居た――静香の髪の様に漆黒で、優しく、何時までもここに居たいと思わせる闇だった。


 まるで先輩の髪に包まれてるみたい――マリアはこれまで感じた事のない穏やかで落ち着いた気分でいた。


“死の影の谷ってここの事を言うのね――”ぼんやりとそんな事を思った。


 周りにも何人もの人――魂?――がいる様だったが皆先に立ち去ってしまう。


 時間の経過が分からない――ここは時の流れが無いのだろうか。


 疑問も泡のように消えて行く。


 絶体の安心感が有る――。


 ずっとこの闇の中に居たい――そう思った時遠くに白い光が見えた。


 光は最初ゆっくりと、段々速度を増してマリアの方に向かってきた。


 太陽よりも眩しいのに少しも目は痛くならない。


 マリアは光に包まれた――まばゆい視界の中に懐かしい――としか言い様の無い人が居るのに気付く。


“真理愛――”


 その声を聞いた瞬間マリアは雷に打たれた様な衝撃を受けた。


“お母さん”マリアには父母の記憶すら殆どなかった、なのに今声を掛けてきた相手が母だと確信した。


“辛い思いをさせたわね”母親、エヴァンジェリーナが言う――というより伝えると言う方が正確だ――マリアはそう思った。


“お母さん――”マリアは母親に抱きついた――暖かな愛情が自分の中に流れ込んでくる。


“お母さん――どうして私だけおいて行っちゃったの――”


“貴女はまだ死ぬべきでなかったのよ”エヴァンジェリーナは微笑むだけだった。


“お父さんは――”マリアが疑問を思うだけで答えが伝わってくる。


“私達、今は幸せよ”エヴァンジェリーナが微笑む。


“主の御許に居るの――貴女の妹も一緒よ”


エヴァンジェリーナはマリアに伝えた――一家心中を図った時既にお腹の中にマリアの妹が居たのだという事を。


“死ぬという選択は間違っていたわ――自殺したからと言って罰せられはしなかったけど、一つの可能性を無駄にしてしまった。娘の貴女にも重い枷を――”


“良いの――だけど私はこれからどうすればいいの――ずっとお母さんたちと一緒に居ちゃ駄目なの”


“私たち家族や主は常に貴女と共に在るわ”エヴァンジェリーナは微笑んだまま伝えてくる“それに貴女には護りたい女性ひとがいるでしょう”


 同性愛の事を主が責めていない事にマリアは軽く驚いた。


 軍師ウォーマスターにして知恵と戦いの女神ラエレナの司教ラウルに神は何者にも反感を抱かない――命令する事も無い――してはならない事は何一つ無いし、しなければならない事も何一つ無いとは聞いていたが本当とは思えなかったのだ。


 現実と呼ぶには余りに素晴らしすぎる――マリアは内心そう思っていた。


 しかし、そうではなかった。


 “辛い現実”を創り出しているのは人間の意識なのだと実感したのだ。


 マリアは自分と同じ色の母親の瞳を見つめる。


“もう少しだけこのままでいさせて”マリアは母親に懇願する。


“好きなだけ甘えなさい”


 私はこの母親の元に生まれてくる事を決めていた――そんな思いに包まれる。


 マリアはずっと母の胸元に顔を埋めていた。




 何時までそうしていたろう、マリアはいつの間にか自分が龍の王国ヴェンタドールの勇者の一族の間に戻っている事に気付いた。


「マリア……」静香が眼に涙をにじませながらマリアを抱き締める。


「先輩――」マリアは直前まで見ていた母親の事を話したくなった――あの安心感――あれが死なら生の終わりではなく、始まりだとすら思えた体験を――。


「マリア――良かった……!」静香はマリアをさらにかき抱いた。


 マリアはついさっき迄のとは違う肉体を伴った愛情を感じていた。


 マリアは見たものを後で話す事に決めた――今そうしようとしても話を上手くまとめる自信が無かったのと、それ以上に静香が涙で顔をぐしゃぐしゃに歪めていた事に驚いたからだった。


「御免なさい、私、私――」静香が泣きじゃくる。


「いいんです――先輩は悪くありません」マリアは静香の背に両手を回した。


 静香はマリアを抱き締めたまま泣き続けた――


 *   *   *


 ヴェンタドールの女勇者シーナは有翼馬ペガサスに騎乗して首都サレムカルドが蹂躙されるのを無表情に見ていた。


 シーナに気付いたガルム帝国兵が矢を射かけてくるがシーナは無視した。


「シーナ」ヴェンタドール守護龍ヴェルサスの妻ヴェルニーグが人の姿のまま隣に来る。


 瞳孔が縦に長い真紅の瞳、頭に角が、背から翼が生え、白い尻尾が覗く事を除けば人間そのものだった。


「これからどうするの?」


「どうもしないわ――帝国と戦うどこかの国に落ち延びて再起を図るだけよ」


「もう仇を討つ機会は訪れないわ――分かっているでしょう」


「うるさい!」シーナは苛立ちを隠さずに怒鳴った。


「貴女が七瀬真理愛を助けなければ仇の半分は討てたのよ――なんでそんな事を――」


「分かっている筈よ――貴女は負けた。それが全てよ」ヴェルニーグは諭す様に言った。


 シーナは目線を外して眼下で戦う王国兵達を見た。


 隘路あいろで戦う分、数の差は未だ決定的なものにならない――だがいずれ帝国軍の波に飲まれる事になるだろう。


「何で何時もこうなのよ――何の苦労も努力も無く望みが叶うか、全く手が届かないかのどっちかばかり」シーナは毒づく。


「それでも貴女はヴェンタドールの勇者よ、守るべき王と民がいるのではなくて?」


「兄様を見捨てた国に義理など無いわ――」


「それを言うなら我が夫を見捨てたショウ率いた一族に私は義理は無いのだけど」


「ヴェルサスが死んだのは戦皇エレオナアルが混沌の女神アリオーシュに魂を売ったせいよ――ショウ兄様は関係ない」大声でシーナは喚いた。


「貴女も私を見捨てるの?ヴェルニーグ」じっとりとした目つきでシーナはヴェルニーグを睨んだ。


 シーナが幼い頃からヴェルニーグはシーナの後見役だった。


 我が子同然の存在だ。


「そんな事はしないわ」ヴェルニーグはたしなめる。


「正すことは有っても、裏切る事はしない。龍族の名誉にかけても――」


「そうあって欲しいわ――私も守護龍を失いたくない」


 王宮内部にも敵兵が侵入を始めた。


「国王ゴドフリード二世を護りに行くわよ、シーナ」


「行きたくないわ――」


「そうしないと、貴女は裏切り者として歴史に残る――この私も、それは許さない」


 シーナは憮然としながらも王の間に向かって馬首を巡らせる。


 ヴェルニーグが後に続く。


 空を飛べる二人は王の間に敵兵よりも早く辿り着いた。


 王ゴドフリード二世=イーニ=オドールマットは玉座に居なかった。


 近衛騎士団に護られて居たのは影武者だ。


 シーナとヴェルニーグは透明化の外衣マントを被って玉座の影に隠れている王と家族を見つけた。


「隠れても無駄です――ゴドフリード二世陛下」ヴェルニーグは呆れた顔で言った。


軍師ウォーマスターラウルと直接会談して和平条件の取り纏めを――それまでは我らが盾になりましょう」


「本当か――」ゴドフリード二世は大袈裟に落ち着いた反応を示した。


 シーナは内心でこんな王を護る事に何の意味が有るかと毒づいていた。


 その時王の間の扉が開いて怪我を負った兵が駆け込んできた。


「第二の門が破られました、ここ迄敵兵が来るのも時間の問題――」


「心配は無用です」そう言うとヴェルニーグは白龍の姿に戻った――近衛の騎士の間にも驚きの声が上がった。


 龍の巨体は見るものに恐怖と畏敬の念を抱かせるに十分だった。


 剣戟の音が一瞬止み、扉が乱暴に押し開かれた――背後に兵を従えたガルム帝国の騎士だ――


「我が名はガルム帝国騎士ゴッドヒルフ=フォン=キルンベルガー。龍の王国ヴェンタドールの国王ゴドフリード二世=イーニ=オドールマット陛下とお見受けいたす。これ以上の抵抗は無用、我が帝国の軍門に下られよ」騎士はヴェルニーグを見て一瞬気を呑まれたが、気丈に言い切った。


「命の補償がされれば抵抗はしません。キルンベルガー卿」ヴェルニーグが流暢な共通語コモンで言う。


「勇者と王の連名で勇者の一族にも投降するよう呼び掛けて頂きたい」とキルンベルガー。


「分かりました。宜しいですね、ゴドフリード二世陛下、勇者シーナ」


 国王は一も二も無く頷き、シーナは渋い顔でようやく頷いた。


 キルンベルガーは兵をよく統率し略奪行為を働かせなかった。


 ヴェルニーグが念話テレパシーで王宮の兵に降伏の命を伝える。


 王宮はガルム帝国第一軍に制圧された。


 こうしてヴェンタドール王国首都サレムカルド包囲戦は終わったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る