戦皇エレオナアルの死
鼎の先陣を務めるのは騎士団中心のガルム帝国第一軍、右翼がシュタウヘンベルク選帝侯率いる第二軍、左翼が
鼎戦というのは詰まる所、軍隊同士の決闘だった。
挑戦を挑んだ側が最も強い軍を先頭に、右翼に二番目の強さの軍、左翼に最も弱い軍を置き、受けた側が挑んだ側の軍に対応した軍を三つ置いて真っ向勝負で決着をつける。
最も強い軍という名に拘った騎士団は鼎の先頭に置かざるを得ず、選帝侯たるシュタウヘンベルク候も最も弱いという評判は立てられなく、政治的に一番弱いラウルの軍が左翼に入らざるを得なかった。
最も軍の強さで言えば魔導専制君主国フェングラースとエセルナート王国の軍が入る第三軍が最強だったのでヴェンタドール側もそれに応じて今尚最も強い――そして戦皇エレオナアルが居るという事も影響したのだが――グランサール皇国軍をラウルに当てた。
先頭はヴェンタドール王国軍、二番手には騎士傭兵アイヴァンホーの騎士団を当てる。
夜明けと共に両陣営が動き出した。
まだ暗い戦場を先頭同士のヴェンタドール軍とガルム騎士団が真正面からぶつかり合う。
ヴェンタドール軍の先鋒は騎士団の突撃に耐えきれなかった。
あっという間に招集兵の列が雪崩を打つように崩れる。
ヴェンタドール軍は一気に陣を突破された。
その直後、ラウルの第三軍が敵陣に襲い掛かった。
エレオナアルは今まで従軍した事は殆んど無かった。
自分の軍を信頼する事すら出来なかった。
自陣の先鋒が粉砕されるのを見てエレオナアルは恐慌状態に陥った。
「何をしている――もっと招集兵共を前に出せ――!ティール公爵!攻撃魔法を――!」エレオナアルは喚く。
「陛下。今兵を出しても敵に好餌を与えるだけです。鼎戦では攻撃魔法の使用も禁じられております。招集兵と言えども国民、無益な犠牲は出さないに越したことは――」近衛騎士の一人が冷静に言うのを遮りエレオナアルは致命的な一言を叫んだ。
「うるさい――!招集兵など幾ら死んでも代わりを補充すれば良いわ!余こそが国家だ!余こそが国体!余こそ法だ!余を護るために死ぬのが国民の務めだ――!」
エレオナアルの声は戦場に響き渡った――ラウルが風の精霊を使ってその叫びをグランサール皇国軍全体――いや、戦場全体に拡声させて送達させたのだ。
この一言を聞いてグランサール皇国の大半の招集兵が戦意を失った。
そこに“死神の騎士”傭兵アトゥームの騎馬隊が突っ込んだ。
一気に本陣近くまでグランサール軍は崩れた。
恐慌状態に陥ったグランサール軍は潰走する部隊と何とか戦線を食い止めようとする部隊で騒然となった。
エレオナアルはティール公爵に作らせた身代わりの
徒歩兵に紛れたのだ。
愛用の巨大な
もう少しで逃げ延びられる――そんな思いを打ち砕いたのは“死神の騎士”の一言だった。
「逃げるな――“前戦皇”エレオナアル。兵に紛れても無駄だ」
振り返ると小高い丘に青鹿毛の戦馬、漆黒の鎧の傭兵――死神の騎士“ナイトオブデス”の武具に身を包んだ傭兵、アトゥーム=オレステスの姿が有った。
背後に騎馬兵を従えている。
その視線は明らかにエレオナアルを認めていた。
馬鹿な――真っ先にエレオナアルが思い浮かんだ事は何者かが己を裏切ったのかという事だった。
その時エレオナアルの脳内に聞き覚えのある声――騎士傭兵アイヴァンホーに仕える大魔術師マソールの声だ――が響いた。
“御明察――と言ってもそなたの脳ではそれ以外の答えが浮かぶ筈も無いな”声には明らかな蔑みが籠っていた。
雇った時に使っていた敬語さえも無い。
「裏切りおったな――!この雇われ風情が!」エレオナアルは罵った。
アイヴァンホー達は予めラウル達に通じていたのだ――情勢がどう転んでも自分達と部下が生き残る為に――それがアイヴァンホーの言った“保険”だった。
「ティール公爵!余を助けろ!裏切りだ――世間一般では許されぬ事だぞ!」
“残念で御座いまする、“陛下”。最早私の力では如何ともし難き事に御座います”
公爵の声はにべもなかった。
“かくなる上は自らの身の安全を掛け一騎打ちを――”
「聞きとうないわ!」怒鳴り声で声を遮ろうとした。
しかし幻術は破られ、周りに敗れた皇国兵達が集まり、エレオナアルは逃げ場を失った。
終に近衛騎士団長が宣告する様に言った。
「陛下、覚悟を御固め下さい――」金色の
“我々の戦皇として無様な姿だけは晒してくれるな――”そんな視線だった。
「俺と一対一で勝負しろ。“前戦皇”。勝てば――」
「嫌だ――」エレオナアルは拒絶しようとしたがそうすれば配下の兵がどんな行動に出るかは流石に分かった。
自分を差し出して降伏するだろう。
そうなれば――最悪の事態をエレオナアルは容易に想像できた。
道は一つしかなかった。
アトゥームと戦って勝つしかない。
「分かった――」エレオナアルは弱々しく頷いた。
「ヴアルスの御加護が有らん事を」騎士団長は重々しく言った。
エレオナアルは助けられて馬上に落ち着くと、
“死神の騎士”も背中から
エレオナアルは先手を取ろうと馬に拍車を当てた。
それを見てアトゥームも馬を走らせる。
両者がぶつかる迄10秒とかからなかったろう。
「母上――」エレオナアルは
対するアトゥームは無言で
金色の影と黒い光が交錯した。
派手な音を立てて戦皇は馬上から落ちた。
兜は脱げ、鉾槍は真っ二つに折れていた。
恐怖に心臓を鷲掴みにされながら戦皇エレオナアルは腰の剣を抜こうとして眼前に黒い影が迫っているのを認めた。
「待て――待ってくれ――」
ここまで来てもアトゥームは無言だった。
エレオナアルの姿をはっきりと見修める為、死神の騎士の兜を鎧の魔法でしまう。
「余が悪かった――謝る――」
無言の間が空く。
エレオナアルを見つめるアトゥームの深い藍色の瞳は何も映していなかった。
まるで虚空を見ている様だ。
エレオナアルは隙有りと見て腰の剣を抜きざまにアトゥームの首を狙った。
耳障りな甲高い金属音が響いた。
あっさりと剣は手の届かない所迄弾き飛ばされた。
エレオナアルは絶句した。
「今のは――そう、アリオーシュの仕業だ、余の責任ではない――本当だ――」
後退りするエレオナアルをアトゥームがゆっくり追い詰める。
「謝る、何でもする、だから命――」口が回らない。
「余は死に――」エレオナアルが口に出来たのはそこまでだった。
喉に冷たい感触が有った。
エレオナアルは視線を下げた。
アトゥームの
エレオナアルは更に弁明の言葉を紡ごうとしたが、口からは血と共に呼吸が漏れるだけだった。
「お前は戦皇なのだろう――」アトゥームは完璧な無表情で言った。
「戦皇ならば戦皇らしく、戦皇の尊厳を守って――死ね」
エレオナアルは涙を流しながら刺さった
アトゥームは表情を変えずに
一瞬の間を置いた後、首から噴水の様に真っ赤な血が噴き出す。
エレオナアルの顔は一気に生気を失って土気色になる――血を噴き出しながら身体は後ろにどうと倒れた。
戦皇が平民上がりに命乞いすると言う皇国史に恥が残る事は避けられた。
グランサール皇国近衛騎士たちは二列に分かれて刀礼した――戦場に斃れた旧戦皇を弔い、新たな戦皇を迎える為に――その間を歩いてアトゥームは自陣に戻る。
愛馬スノウウィンドが後に続いた。
「お疲れ様――アトゥーム君、いや新戦皇アトゥーム=オレステス陛下」出迎えた
「止めてくれ。――王なんて柄じゃない」アトゥームが言葉を返す。
「そういう所が今のグランサールに良いんじゃない」
戦場は静まっていた。
ヴェンタドール、グランサール連合軍は負けた。
騎士傭兵アイヴァンホーの軍は最初から戦っていなかった――エレオナアル達の情報を売る引き換えとして、形だけの攻撃をするだけだったのだ。
「後は
「ヴェンタドールの国王ももう抵抗はしないですよね」マリアが願望を込めた感想を語る。
「マリアさんの気持ちも分かるけど――まだ分からないよ」その思いに水を差したのはラウルだった。
「ショウの妹の女勇者が居るとアイヴァンホー伯から報せが有った。話では彼女がエレオナアルを戦場に立たせたらしいんだ。彼女はショウの許嫁でも有った。ショウを斃したマリアさんと静香さんを狙っているかもしれない」
「妹なのに許嫁なの?」静香が的外れとも思える指摘をする。
「ここでその話題を振るかい。真面目に答えると、ヴェンタドールの勇者の一族は親族同士で結婚する――“純血”の方が勇者としての力を保てると信じているんだ」
「女勇者について何か分かっている事は無いんですか」マリアが尋ねる。
「名前がシーナという事と、剣よりは魔法の方が得意という事だけはね」
「ショウの実際の姿を知っていれば――あちこちに情婦を囲ってたんでしょう。アリオーシュにも通じてた。それを知って尚ショウの味方になるかしら」静香が疑問を口にする。
「だと良いが」アトゥームも会話に混ざった。
そこに“代皇”アレクサンドラがやって来た。
「アトゥーム様――」アレクサンドラはアトゥームに抱きついてキスをした。
彼女付きの
「グランサール皇国は貴方のもの――そしてこの私も――」自分を汚し、祖国を汚した仇敵が斃された事と、その敵が自分の双子の弟だったという事実を無理に飲み込もうとしているのか、少し上ずった声だとマリアと静香は思った――。
「全てが終わった訳じゃない」アトゥームは過度に事態に反応している“代皇”を軽く押し戻した。
「――つれないですわ――」アレクサンドラは不満そうな顔をする。
「人前ではしたないです。“代皇”様」シルヴェーヌは冷たく言った。
「まあ、終わらせる努力はしないとね」ラウルが話を引き取る。
「相手の出方次第だけど、一つの区切りではあるよ、静香さんの言う通り。僕等は王国にこれ以上の抵抗は無意味だと悟らせる――それが双方にとって最善の選択だと理解してもらわないといけない」
「上手くいけば良いですけど」マリアが心配そうに言った。
――そして、残念ながらマリアの悪い予感は当たってしまったのだった。
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